婦日の寝不足日記

僕の身の回りでは毎日のようにテレビドラマさながらの出来事が起きます。
その全てを記す事はもちろん出来ませんが、どうしても漏れ出してしまう僕の心の声を聞いて下さい。
僕には語りたいことがあまりにもたくさんあるのです。

                                                           
2008年10月02日
飛騨の貧血の話
 昨日は月始めの書類多く、合計50人以上のドックや集団検診もあれば、更に分娩と看護学校講義が重なり、雑用ばかりだが慌しく落ち着き無い水曜日だった。とはいえ夜中に起こされる事無く、無事に朝まで眠れたので疲労感は少ない。それなりに気持ちリセットはできている。
 今日の外来も混むには混んだが、手術は無く入院患者さんらは落ちついてくれている。

 さて今日のお題ですが、通常妊婦健診をしていると、8割近くの妊婦さんは、30週の血液検査で貧血の値を示す事が分かっている。
 原因は妊娠により循環血液量が増えるからだ。循環血液量が増えれば相対的に赤血球の密度が薄くなり貧血となる。これを妊婦貧血と言い、自然の摂理による生理的変化と言ってよいだろう。

 ところがここで生理的変化だからとそのまま放置していたら、分娩時出血多量を起こした場合痛い目に遭う。妊婦さんの貧血はできるだけ分娩までに鉄剤で正常範囲に戻しておく事が、産科医療の原則だ。

 ましてや飛騨には備蓄血液が少ないので、都市部の分娩よりも出血多量にはより注意しておく必要があると言える。分娩時出血というのは、昔も今も母体死亡の最大原因の一つだ。それが自然だからといっても、分娩時出血多量で亡くなるのは誰もが嫌だろう。

 さてさてだいたい30週で妊婦貧血をdetectしておけば、鉄剤の内服のみで分娩時には貧血が治っていると見込めるものだ。
 ところが結構な率の妊婦さんは鉄剤飲むと吐気を催すので、胃薬併用でも鉄剤が飲めないという問題が起きる。
 鉄剤と言うのは確かに飲みづらい薬だ。そういう場合はどうするかと言うと鉄剤の注射のためだけに病院に連日通院して貰う事となる。

 ところが飛騨は広い。東京都と同じ広さだ。しかも冬は雪が降る。僕の所に通院してくる妊婦さんの中には、神岡とか旧宮川村とかとにかく1時間近く車に乗り続けないと病院に着かない方が大勢いる。
 そういう方に連日の注射通院を指示するのは確かに気が引けるものだ。東京都で言えば奥多摩から新宿まで毎日鉄剤注射に通う様なものだろう。

 毎日2時間も腹の大きい妊婦さんが車運転するのはどうかと思うし、環境にも優しくは無い。
 雪が降れば列車で通えといっても、神岡にはもはや列車は走ってない。さてどうしようという事になる。
 そういう場合は神岡の旧町立病院や、宮川村診療所などで鉄剤のみの注射をお願いする事となる。いちいち紹介状も書かないといけないし、なかなか医師も妊婦さんも面倒な事だ。

 そして、そうこうする内にコンプライアンス不良の妊婦さんは、貧血のまま分娩に臨むという事になる。そこに運悪く出血多量となり、適合血液が間に合わなかったら、絶体絶命のピンチが生じる。
 滅多に無い事ではあるが、これももうどうしようもない地域の事情と言えるだろう。そんな飛騨ならではの妊婦貧血事情について、今日はちょっと書いてみました。
2008年10月01日
歳を取ると硬くなるものは
 仕事はじわりと忙しいが、昨夜も仕事終了後三男のサッカー練習に飛び入り参加して、親子サッカーを楽しむ事は出来た。その後は練習後の汗を流し、他の親さんらと焼き鳥屋でビールを一杯という事になる。
 特に飲むための大義名分は無い夜だったから、僕は軽く一杯のつもりで参加したが、そうは行かずついつい例によって飲み過ぎてしまう。

 これでせっかく運動した分の消費カロリーの、10倍くらいのカロリーを焼き鳥&ビールで摂取してしまった。夕食も大盛りスパゲッティを食べていたし、皮下脂肪は気になるが分かっちゃいるけど止められない世界でもあったりする。

 さて昨夜飲みながら、親子サッカーの話題で脚の故障の話が次々と出た。
 僕以外の殆どの親さんはサッカー経験者で、それなりに過去に練習中に膝や太ももや足首を故障した事がある。僕より10歳近く若い方でも、足を何度も傷めているのだから、僕自信もサッカーしながら肉離れや捻挫、靭帯断裂等起こさない様十分注意しなければならないだろう。

 ただでさえ僕の脚にもあちこちボロが出ているのだ。
 僕は昨年の12月にやはり親子サッカーで左太ももの肉離れを起こしたのだが、その時は太ももの中でガラスが割れたような衝撃があった。そしてその時に筋肉は相当年老いているぞと改めて認識させられた。加齢により筋肉はしなやかさを失い、堅くなっているのだ。

 さて話は少し飛んで、産婦人科の診察上、年を取ってから堅くなり困る場所が他にもある。それは処女膜だ。
 処女膜が固いと内診や経膣超音波、クスコ診などの時に、処女膜が切れて出血する事がある。患者さんに医師にもあまり嬉しくは無い出血で、できれば避けたいものだ。
 とはいえ婦人科の診察で内診は必要不可欠のものである。つまりは処女膜がインタクトの方が、婦人科診察を求めて受診されると婦人科医はかなり困る事となる。

 できれば処女膜は出血させないでおきたいし、しかし診察はしないといけない。こういう事は集団ガン検診などでは毎週の様に直面する。産婦人科の診察のためには、処女膜は既に切れているかもしくはとても柔らかい状態であるのが望ましい。
 加齢により堅くなった処女膜は、産婦人科診察にとってかなり邪魔なのです(なお当然性交困難にも繋がり、隠れた不妊原因にもなります)。

 というわけで今日は看護学校で今年度第一回目の婦人科講義があり、婦人科診察の上記の話題をちと脱線して話した。すると当たり前だけど皆興味しんしんで聞いてくれて、その後の難しい講義の食いつきも良くなる。それまた悪くない気分でもあったりする。
2008年09月30日
月曜日の夜には
 この9月は珍しく手術の少ない月で、通常月に10数件ある手術が5件だけで済んだ。分娩もそれ程多くは無く、まあ助かっている。というわけで昨日の夜も比較的早く帰宅はできた。ただ経過中の方が2人残っているので何処かで必ずまた呼び出されるだろう。早く帰宅できたのを良い事に、まず来る冬に備えて灯油を買いに行く。

 その後は月曜夜のルーチンとして、三男の公文式とサッカー練習への送り迎え、ついで次男の公文式お迎えと、更には長男の進学塾の送り迎えもある予定である。つまりは子供の夕食の都合も含めると、月曜の夜は何かと段取り良く行動しないといけない日でもある。

 ところがまず灯油を買って帰宅途中に、分娩室からスクランブル出動依頼電話が入った。胎児心拍が下がるから早く来いと言う。灯油を車に積んだまま分娩室に直行、分娩は予想以上の難産となり、吸引を要した。
 そこにそうこうする内に長男の塾送りの時刻が近づいてきた、月曜は長男のみならずその友人数名も同時に塾に送る事になっている。他の家族に迷惑をかけないためにも待たせる訳には行かない。急いで裂傷縫合を済ませ帰宅、灯油の匂いがする車にそのまま長男とその友人を乗せ、塾のある高山西高に向かった

 続いて急いで夕食を食べると、三男のサッカー練習にも参加した。
 この日はビックアリーナで親子フットサルを行う予定がある。一応病院フットサル練習にも参加している僕としては、三男の前でそれなりに活躍する気満々だ。
 十分なストレッチをしてさあこれから頑張るぞという所で、今度は救急外来から出動依頼の電話が入った。何でも妊娠中の方が腹ねじれる程の痛みに苦しんでいるという。

 これはいけないという事で、フットサルは止め、救急外来に向かう。
 ところが良くある話で、救急外来に着くと、猛烈に痛がってるはずの患者さんはケロリと平気な顔で僕を待っていた。とにかくは診察して、さくっと入院させ再びビックアリーナに戻る。 何もそこまで親子サッカーにこだわる必要は無いのだが、子供の迎えもどうせしないといけない。

 ところが肝心の親子サッカーが始まると、どうも気持ちがまとまらず、全く球が足に着かない冴えないプレーしかできない。三男の前で素早くフェイントを決めるつもりが、気持ちが焦り失敗ばかりでがっくりする。
 更に試合の最中にも、各方面から書く気も起きないつまらない問い合わせ電話が相次ぎ、全く心落ち着かない。あんまりつまらん問い合わせと不甲斐無いプレーが続くので、汗だけでなく涙?まで出てきそうになった。

 それでもそれなりに汗かいて帰宅し、風呂入り、ビールを飲んで、気持ちリセットさせる。
 その後非情にも深夜1時半に更にもう一件分娩が入ったが、ここは出動しない、昼間や夜にも散々働いているのだから、もう病院には近づきたくもない気持ちだ。
 日曜の日帰り富士登山の影響も残ってるのかもしれないが、ちょっと脳内ドーパミンが不足傾向にある昨日の夜ではあった。

子供の前で活躍したいのは、どの親さんも同じかなあ
2008年09月29日
何時の間にか抜かされていたのね
 今朝起きたら外には冷たい雨が降っていた。急に寒くなってきた感じで、暑さに慣れた身体には沁みる。自宅では今日遂に暖房が入った。

 そういえば昨日の富士登山では好天にこそ恵まれたが、新5合目を登りだした時はかなり寒かった。登山道には所どころで氷が張っていたり、霜柱が立っていた所もある。山頂付近では風も強く、僅かだがこれは雪かなというのも舞っていた時もあった。季節は確実に冬に向かい変わりつつある。

 さてそんな中でも昨日の長男は、薄手のフリースと合羽だけで、これくらい通学時より暖かいといって、平気で氷点下?富士山をどんどん登っていった。僕はもう遥か下に置いてきぼりだ。

 子供と言うのは高度の影響を強く受けるものだから、長男は多分それほど早く頂上まで登れないだろうとタカをくくっていた。ところが蓋を開けるととんでもなくて、僕よりずっと早く頂上まで行ってしまう。
 高度の影響なんて全然無いと言っていたし、何時の間にか子供に体力抜かされていたのだなあと複雑な気持ちになる。

 一方昨日の僕は腹の調子が良くなく、トレイの無い露出された登山道に困りつつの、体調不良富士登山だった。
 僕のペースは全く上がらず5合目から頂上まで5時間近くかかってしまう。長男はそのうち1時間は、登ってくる僕を待つためだけに使っただろう。一応山の人で通っている親としては、面目丸つぶれで全く情けないと思う。

 こちらは長距離ドライブで寝不足なのだと言い訳たれつつ、よたよたと長男の後を追いかけるしかなかった。
 親は何時の日か子供に抜かされるものなのだろうが、少なくとも身体ではどうもとっくに抜かされていた様だ。身長も僕より随分と高いし、駆け足も速い。
 下山でこそ子供より早く降りれたが、その理由は子供に僕のお下がり登山靴を無理に履かせた為、靴のサイズが小さく、足を痛めたからだと言う。僕の持ってる一番大きい靴でも、もう長男には全然小さいのだ。

 これはもう仕方が無いのかもしれないが、これから先2度と長男の体力に追いつき逆転する事は無いのだろう。身体では新旧入れ替わり時期がもう来ているのだ。
 僕としてはまだまだこれから先もしばらく運動を楽しんで生きて行きたいと思う。とはいえ生き物としての限界が近づきつつある事を改めて突きつけられた感じもして、それまたそれでショックだったりする。

登りではもうとても追いつけない。くそーと思ったり


風強い山頂展望台にて。勝っているのは体重だけかよ、みたいな・・


僕のお古の靴を履かせたために、下山で長男は足を痛める。
お陰で下山では負けなかった。とはいえこんな方法で面目を保つのも情けないと思う
2008年09月28日
長男との富士山
 今僕は来年の春、とても標高の高い所で登山を行おうと考えている。その関係で今の内に少しでも高所に慣れた身体を作っておく必要がある。有難い事に代務の先生が土曜夜から月曜朝まで臨時に高山に来てくれる事となった。天気予報も晴れマークだ。
 そこでこの日曜日は日帰りで急遽富士登山を計画してみた。

 とはいえこの時期の富士山は雪の無いガレ場をただひたすら登るだけで、変化も少なくそう楽しい登山では無い。一人でひたすら山頂を往復するのは、今ひとつ気が乗らない。
 そこで単調な富士登山に少しでも変化を付けようと、誰か家族の中で富士山に登ってみたいものはいないか聞いてみた。

 配偶者は色々忙しいし、若い頃頂上まで行った事もある。次男にはフットサルの大会があり、100%サッカー少年と化した三男にはサッカーのレギュラー争い?があるらしい(要するに登山どころではなくサッカーが楽しくて仕方がないという事でしょう)。

 意外にも長男が富士山に行きたいと手を上げた。とはいえ中3の長男には今週学校の中間テストがある。
 そろそろ高校受験モードに入る必要もあるし、学力低下傾向?と一部?より指摘されている長男には、山に行くより勉強の方が大事なんじゃないかという声もあった。
 とはいえ僕の考えでは山登りは学力に決して影響しない。
 試験直前に山に行き成績が上がる事はあるが、下がる事は決して無いという事は、僕自身過去に十分経験している事だ。

 というわけでこの日曜日は、深夜未明に長男と家を出て、遠路高速を飛ばし日帰り強行富士登山をしてきた。
 車中で長男は後部座席を伸ばした特別シートて寝ていられるが、僕は夜中中運転していなければならない。
 山では寝不足と胃腸不良で、大きく長男に差をつけられてしまった。こんな事で来春高所登山ができるととても思えないが、それはともかく一応スバルライン5合目から剣が峰は往復する。

 登山している時間よりも、車を運転している時間の方が長いと言う、環境に優しくない日帰り登山だった。身体も随分と疲れた。とはいえ長男と様々な話が出来て、今までに無い親子の濃密な時間を過ごせたのは良かった気がする。

長男には始めての富士山頂。僕はもう10回目くらいかなあ・・


頂上には展望台が作られていた
2008年09月26日
理想と現実のギャップは
 昨夜はちょうど子供の公文式お迎えの最中に分娩が入り出動を要した。とはいえ家族に義理を欠く事は無く、呼び出しはそれのみで済んだから基本的には平和な夜だ。外来は毎日ぼちぼちと混んでいるが、手術や分娩、急患受診はここの所少ない。日々の業務は問題なく回っている。

 さて今日も何時もの秒単位外来に励んでいた真っ最中に、CT室から婦人科ガン患者さんのCT造影注射依頼の電話が来た。
 例によって忙しい時間帯だ。僕としては造影剤注射も看護師さんのみでやってもらいたいのが山々ではある。
 しかし造影剤の急速静注は時々アレルギーによる重篤なショックを起こす事がある。全国至る所の病院で造影剤による事故は相当件数起きているのも事実だ。造影剤の注射は医師が行うというのが、多分何処の病院でも普通の事だろう。

 というわけで僕は、すかさず現在ローテート中の研修医先生に、僕の代わりに造影剤注射しに行くよう指示を出した。造影剤の注射は研修医先生の仕事としてはちょうど良い感じだ。

 しかしそうしたらしばらくして、CT検査室の技師さんから、再度電話がかかってきた。
 何でも「決まりでは研修医に造影剤注射は駄目になってます」という連絡であった。要するに僕に外来をストップして注射しに出動せよという催促である。
 注射しに行くくらい別に大した事ではないが、その間外来は15分程度ストップする事となる、ただでさえ秒単位で患者さんを診察して、何とか仕事を回しているのだから、僕には15分でも惜しい。しかも外来にはリズムというのがある。仕事にはメリハリがないといけないのだ。

 そんなわけで「そんな決まりは産婦人科には無いし、聞いた事も無い」と押しきって、そのまま研修医先生に造影剤注射を任せた。もちろんそこにはたとえ重篤ショックが起きたとしても、この昼間の時刻なら何の問題も無いという計算もある。
 結果はもちろん何事も起きず、研修医先生はCT造影検査という仕事(何も無ければ注射だけの仕事ですが)を問題なくこなした。

 それにしても他に医師が沢山いる科の医師に要請するならいざ知らず、ただでさえ忙しい一人産婦人科医に、他の業務をさしおいて「決まりですから出動せよ」と依頼催促電話をかけてくるなんてとんでもない迷惑事だと思う。
 研修医では駄目という決まりを決めた医師は間違いなく、沢山医師のいる状態でしか働いた事の無い医師だろう。

 産婦人科のリスク基準から言えば甘すぎる決まりなのだ。ましてや決まりだからなんて言われても、僕はその決まりを了承した事も無ければ相談を受けた事も無い。業務状況に恵まれた医師が一方的に決めた決まりを、僕が何も言わずに受け入れる事はもちろんありえないのです。

 そういえば、今病院のあちこちに正しい手洗いの仕方というポスターが作られて張られている。それはもちろん良い事なのだが、僕がもしこの正しい手洗いを守って外来や集団検診をやれば、どういう事になるだろうか。患者さんはたちまち待合室から溢れ、外来患者数制限が直ぐにも必要となる事間違い無しだ。

 世の中には理想と現実がある。理想に出来るだけ近づくのは大事な事だが、ただでさえ無理しないと業務が続かない産婦人科の世界では、理想を押し付けられても仕事は回らない。
 以前より大分良くはなっているが、その点を更に良く周囲には理解してもらわないといかんと、時々思ったりする事もある。
2008年09月25日
涙の理由は聞きません
 昨日は分娩と急患と集団検診がぶつかり、瞬間風速で忙しかった時刻も合ったが、総じて落ち着いていて早めに帰宅もできた。夜にはちょっとだが子供とサッカー練習も出来たし、夜中に起こされる事も無くきちんと朝まで寝る事も出来た。今日も経過中の方こそ残っているが、外来も既に終わり昨日以上に楽な一日になりそうだ。

 せっかく研修医の先生が産婦人科に来ているのだから、手術や分娩をたくさん見せたい気もする。しかし今月はたまたまだろうが手術も分娩も比較的少ない。僕は楽できて有難いが、教育上は今一つかもしれない。とはいえあまり忙しすぎる所を見せてもどうかと思うし、まあこういう事はなるようにしかならないという感じだ。

 さてさて産婦人科というのはえぐい科で、妊娠出産でとっても幸せな人から、今にも死にそうでとっても不幸な人まで、次々と互い違いに外来受診されてくる。その起伏の差は多くの人の想像を遥かに超えているだろう。
 そこで産婦人科医がそれぞれの人の診察に気持ちを入れていたら、とても身体は持たない。そんななかで数をこなす事は出来なくなると僕は思う(なかにはそうじゃない聖人君子の医師もいるでしょうが)。

 だから僕は常に診療においては。あまり感情を入れない様にしている。悪く言えばとても事務的に対応し、トラブルや見落とし無く数をこなす方に心がけ、普段から診療に当たっている。いちいち患者さんの心に同苦していると、毎日の秒単位外来を平穏にこなす事はとてもできないからだ。

 今日も外来の最中に色々な方が、様々な理由で涙流して泣いている姿を見た。一方その近くで嬉しそうに笑って話している方もいる。「女の涙には勝てない」という言葉があるが、それは確かにそうだろう。
 しかし涙流している女性の方の傍で、別の女性が嬉しそうに別の話をしている光景を見るのは、産婦人科では良くある事だ。
 僕はそういう景色を山ほど見てきているので、もはや女性の涙に心を反応させない様、かなり修行が出来てきた気もする。

 仏教の修行には他人の気持ちに寄り添って、他人と同苦するというものがあるらしい。しかし忙しい産婦人科医の仕事を続ける修行はその逆だと思う。一時的な患者さんの気持ちの高ぶりに付き合わない様にする心の修行が、産婦人科医には大事な気がするが、それは果たしてどんなものであろうか。
2008年09月24日
飛騨市の道路作りは
 いよいよ季節が変わってきたようで、今朝は久しぶりに目が覚めたら寒いと思った。朝の通勤自転車も半袖で走ると寒い。いよいよ本格的に夏が去ってくれたのだろう。近づく雪の季節を思うと嬉しく感じる。昨日の白山山頂付近も随分と寒かったし、これからは冬山シーズンに備えて、積極的に寒冷に慣れる訓練をしなければならないと思っている。

 さて話は変わり、昨日は白山から下山後、白川郷ICから高速に乗り、飛騨河合PAのスマートICで降りて、下小鳥湖から保峠経由で古川森林公園グラウンドに向かった。
 森林公園では少年サッカー大会ひだしんカップが開かれていて、急げばその試合観戦に間に合わす事ができる腹積もりだ。地図上では河合PAから古川までは近い。

 しかし内心ちょっと予想していた通り、保峠から湯峰トンネルに至る道は狭くてくねくね山道であり、意外に時間がかかる。三男の試合観戦には惜しいところで間に合わなかった。

 栗ヶ谷の山奥にせっかく立派?なPAとICを作ったのに、周辺アクセス道路が整備されて無いから、そのICからはどの街に出るのにも遠い。このPAははっきり言って忽然と山中に作られているのだ。

 今、古川から高速道路に乗るには、飛騨河合と清美と高山の3つのICに向かう選択肢がある。しかしどれもアクセスが中途半端に不便だ。どうしてこうなったのか、少し気の毒にすら思う。

 僕が高山に引っ越してきて以来10年間で、高山周囲にはトンネルと高速と、立派な農道があちこちにできた。古川と神岡周囲も同様だ。もう網の目の様に各種新設道路が作られている。
 しかしどうもその作り方は中途半端で、市民の生活向上には今一つ役立ってないのではないか。その道路敷設工事と除雪にかかる莫大な費用を考えると、飛騨古川の道路作りのコストパフォーマンスは、悪すぎるんじゃないかというのが僕の印象だ。

 古川住民が金沢に行くのに、20分ほど早くなるためだけに作った飛騨河合ICだとしたら勿体無い。しかも冬にはアクセス道路の除雪費がかかりすぎる。
 僕にとってこのPAの最大の利点は、アクセス道路が除雪されるので、栗ヶ谷まで冬に山スキーに行ける事になることだ。それにしてもこのICは片道のみなので、高山からそこまでは高速を使わず下道で行くという事となる。なんとも皮肉なPAだと思えたりもする。

飛騨河合PAへのランプは、山奥に忽然と現れる巨大建造物です


試合には間に合わなかったけど、5年生以下準優勝メダルの表彰式には間に合いました
2008年09月23日
山では紅葉が始まってました
 月曜の仕事を終えて帰宅してからネットで天気予報を見ると、意外にも秋分の日は晴れマークがずらりと並んでいた。身体は疲れていたし、子供のサッカーもあるが、こういう時はやはり出動するしか無いだろう。動ける時に動いておかないと身体はどんどん鈍ってしまう。

 大急ぎで準備を済ませ、秋分の日は無事早起きできた。この時期の素敵なコースの一つとして、平瀬道から大倉尾根経由白山を目指してみる。体力と健康維持の為の山歩きコースとしては上等だろう。
 快適秋の空気を感じながら、登り3時間半、下り約2時間で往復できた。予定通り昼過ぎには下山して、大白川の露天風呂にゆっくり浸かる。
 その後は飛騨河合スマートIC経由で、少年サッカーひだしんカップが行われている古川の森林グラウンドに向かった。

 白山室堂の周辺は既に紅葉が始まっており、予想以上に美しい景色を堪能できた。考えてみたら僕はまだ一度も晴れた白山に登った事は無い。今までの登頂は全て雪のある時期に、しかも頂上では吹雪の時ばかりだった。白山頂上付近の開放感溢れる雰囲気を始めて感じれて。嬉しかったりする。
 貴重な好天の一日を逃さない事で、登山、温泉、サッカーの3拍子を楽しむ事が出来、昨日は嬉しい一日となった。

登るに連れて山に色がついてきた
 





頂上よりの別山と室堂、ネットの写真では何度も見たけど、生で見たのは始めて
2008年09月22日
医療行為は・・
 夜中の分娩こそ無しで済んだが、今日も例によって朝は分娩室からのモーニングコールで始まった。その後はそれなりの予約外来に、手術が2件、更にもう1件分娩もある。病棟回診やら抗がん剤のレジメ決めやらで今日も疲れる一日だ。

 さて前にも書いたが、今現在日本で健康保険の通るガン治療というのは、大きく分けて手術、抗がん剤、放射線の3種類しかない。それ以外の温熱療法とか、免疫療法とか、色々言われているものは、原則全て保険外診療だ。
 アガリクスとかプロポリズとか紅茶キノコとか鮫軟骨とかいろいろな効果あるとされる高価な薬を飲まれた方も、ガン患者さんの中には大勢見えるだろう。しかし残念ながら原則それらの薬は全て抗がん剤と言える代物ではなく、民間の健康食品と何ら変わる事は無い。

 さてさて先日ガン治療の内容の説明を患者さん家族に話していたら、とある温熱療法施術の資格を持っている方がたまたたみえ、その施術をしたいと思うがどんなものでしょうかと聞かれた。ついては背中かお腹かどちら側を暖めると効果がありますかとも質問される。
 何でも、とある由緒正しい金属管に線香みたいなものを入れ、ツボを的確に暖めるとかなりの効果があるらしい。

 とはいえ僕には、体外から何かで身体を温めて抗癌作用があるととても思えない。
 しかしこの手の民間療法は、特に高価なものでなければ僕は駄目とも良いとも言わない様にしている。「溺れるものは藁をも掴む」とも言う。僕はそういう気持ちもそれなりに理解しているつもりだ。

 しかし温熱が絡んでくるとなると、火傷とか大丈夫だろうかとも思ったりする。いちおう医師法では医療行為は医師のみに許されている事だ。
 とはいえ考えてみれば、お灸や整体は一般人でも行っているし、耳にピアスを入れたり、刺青を入れたりする事は医師法違反とはされていない。
 度を越せば傷害罪なのだろうが、この手の事はもちろんグレーゾーンで、誰も何も言わなければ問題になる事は無いのだ。

 そんなこんなで「背中から暖めようが、お腹から暖めようが、効果は無い事は同じだ」などと救いの無い言葉は飲み込み、「火傷に気をつけて下さいね」位の言葉で、かかる費用だけちょっと聞き、その場は丸く収めておいた。こういう事はガン治療をやっていれば、しょっちゅうある事だ。

 まあ一般人は医師もこの手の民間療法の事を勉強していると思っているのだろう。
 しかし少なくとも産婦人科医にこの手の事を詳しい人はまずほとんどいない。産婦人科医に民間温熱療法の部位を聞くなんて、そりゃお門違いも良い所なのですよと、ここには書いちゃおう。

何事も信じる事が大事ですから
2008年09月21日
晴耕雨読ですから
 朝から雨の日曜日になった。日曜未明から夜中に呼ばれる事は無かったが、雨の中代務の先生もいないのに、何処かに出かける勇気や元気は出ない。今日は自宅周辺で大人しく過ごす事としよう。というわけで今日も朝寝坊が出来た。
 子供のサッカーのお手伝いや掃除お片づけ、DVD鑑賞、読書などで一日を過ごす。。

 DVDはミッドナイトイーグルを見たが、邦画の山岳モノは、あまりに僕にはリアルさが中途半端ででとても見れない。どうせファンタジーならもっとハリウッド映画の様に徹底的にエンタテインメントにこだわってもらいたいと思う。
 読書はその道ではとても有名なスキンヘッドのサッカー審判コリーナの書いた、「ゲームのルール」という本を読んだが、こちらは審判の具体的なエピソードが面白かった。

 夜はクアアルプとWiiFitで汗を流しておく。こういう普通の日曜日の過ごし方と言うのは、多分世の中の平均的な事なのだろうと思うが、僕にとってはあまりに普通の日曜日でかえって少し気持ち悪かったりする。

子供達は晴れるとサッカー、雨だと各種テレビゲームになります
2008年09月20日
お陰さまで山に行けなくて有意義に過ごせます
 今週末は代務の先生もいない寂しいお留守番の週末だ。天気予報では土曜は台風一過の晴れマークが並んでいたが、先日のサッカーで足を壊しているし、何処にも行かず安静を保つ週末が正しい過ごし方だろう。
 ちょうど土曜の深夜未明2時にやや手間取る分娩が入り、睡眠時間は大いに削られていた。早起きしてお出かけする元気はちょっと出てこない。
 
 というわけで今日はしっかり朝寝坊を決め込んだ。ゆっくり起床で活動を開始、各種お方付けとHPの整理、午後からは飛騨山岳会100周年記念講演等を聴いて過ごす。
 HPの整理では、過去4年間の主だった山スキー記録を全てレンタルサーバー側に移した。これでPCの負担が少なくなり動画アップとかもしやすくなりそうだが、果たしてどうだろうか。

 また100周年記念の野口健氏講演も僕には大変為になるものだった。飛騨山岳会による地道な登山活動と、野口健氏による派手な活動はかなり対極にある気はするが、どちらも価値あるものだと僕は思う。
 いろいろと身に詰まされる話が多くて、聞くだけで十分有意義だった。またこういう記念事業をセットアップしていただいた裏方さんの努力にも敬意を表したい。

頂き物玄米の精米も、今日の大事な仕事


昼食は自然薯でも


講演は満員で大成功していました
2008年09月19日
上手くなるより故障する方が早いので
 木曜も比較的早く帰宅は出来た。軽く食事を済ませ、各種雑用を済ませると大急ぎでビックアリーナに車を走らせて、病院フットサルチーム公式練習に向かった。
 この日はたまたま参加者が少なく、ほとんど休む事無く出ずっぱりで体育館を走り回らなければならなかった。20代のサッカー経験者に負けじと、覚えたばかりの各種足技を駆使し、それなりに果敢にゴールを狙う。

 ところがさすがに後半は足の筋肉に来だした。左太もも裏側の古傷がジワリジワリと痛みだす。単なる筋肉痛とは異なる感じだ。どうやらこれは昨年の肉離れが軽く再発したに違いない。
 ぐるぐる巻きにしてあるサポーターのお陰で、酷い肉離れには至らなかった様子だが、後半はかなりペースダウンして致命傷にならないよう気をつけて走った。改めて若くない筋肉が悲しく思う。

 2時間の練習後はすかさず体育館のしょぼい100円シャワーを浴びて、まっすぐ急いで閉店前のドラッグストアに向かう。
 一年前の教訓から肉離れの修復には早期の治療が特に大事だと知っている。筋肉冷却材と治療用圧迫サポーター及びプロ用アミノ酸を購入し、帰宅後早速トリートメントに当たった。
 お陰で翌朝には大分回復したが、これしきの練習で肉離れを起こす様では、もうサッカー練習で無理はできないと思う。僕はまだまだ脚を大事に長く使いたいのだ。

 さてさて木曜夜にビックアリーナから急いで帰宅したためか、先ほど体育館内にデジタルカメラを忘れてきてしまったのを思い出した。金曜の仕事終了後、普段なら寝不足日記タイムの時間に自転車でビックアリーナに向かう。
 デジカメが落ちてなかったか職員さんに聞いたら。職員さんは直ぐに保管してあった僕のデジカメを出してくれた。体育館の100円シャワーはちとしょぼいけど、それはさておきカメラを拾って保管しておいてくださり有難うございました。
2008年09月18日
婦日の山と仕事報告(お笑い動画編)
 やや緊張する悲しい処置と分娩もあったが、昨日は仕事自体はまだ比較的早く終わった。日曜の小槍登攀の報告ページをアップして、夜は地域の会合に出て、その後三男のサッカー練習にも飛び入り参加する。
 その間、夜間から深夜にかけて産科救急関係の入院が何件かあったが、全て電話対応で済ませてしまう。
 今日も朝から混雑秒単位外来、更に分娩と楽は出来ない。しかし寝不足は無いし手術も無いから、大丈夫だろう。

 さて昨夜病院から、僕の携帯までかかってきた電話の回数は6〜7回くらいだっただろうか。
 救急外来の看護師さんや、病棟の助産師さん及び不安な患者さんらは、僕にその一つ一つでリアルタイムに診察を求めたい様子であった。しかし僕は分娩も含めて翌日に対応できるものは、すべて翌日の昼の時間に対応する方針だ。
 結果全て今日昼間に対応し、それで今の所何の問題もない。

 僕は基本として、患者さん一人一人のその場の満足感を求めて診察しているのではない。最近では地域の産婦人科医療の質及び量をきちんとある程度のレベルに維持する事が、重要な使命だと感じるようになった。
 そのためには出動しないで済むものはあえて出動しない様にする。そうしないと僕の心身がとても持たないのだ。

 さてさて話は変わり、先日テレビ東京のディレクターさんから、僕の僕の仕事振りのテレビ録画を送っていただいた。その一部をここで流しちゃおう。実はこんなに大変なんですよ、とここに書いちゃうのだ。

 しかしこれだけではあまりに僕がカッコよすぎ?て不公平な気がする。
 そこで先日の小槍頂上でのアルプス一万尺アルペン踊り変質者バージョンも流してしまうのだ。音楽が無いのが寂しい方はこれをつけときます。

 ついでにネットでこんなのもあったので、ついでにリンクしたりして。こんなにいろいろと各種動画や音にリンクさせて上手く配信できるか心配な気もするが、期間限定でもありますので、それなりにどうかお楽しみ下さい。
2008年09月17日
命も身体も重くなりました
 豪快な休日を過ごせた代償か、予想通り連休明け火曜日の外来は大変だった。貯まった手術の説明や、ガン患者さんの治療方針説明にはそれなりに時間がかかる。もちろん患者さんの方も命懸けで真剣に聞いてくる。予想外の出来事もあり。それなりにストレスフルな一日となった。なんだかんだと業務は夜遅くまで続き、夕方の会議もまともに出席できず、途中退出する。

 何事も苦あれば楽ありで、我慢するしかない。夜間から深夜にかけても未分娩の方が残り、深夜に呼ばれる可能性も高かった。しかしそこは呼ばれない方にかけて、休養を取るためにもデパスを飲んでしっかり寝てしまう。
 夜中に呼ばれない方に賭けたのは正解で、今朝まできちんと眠れたのは良かった。

 さて日曜日の小槍登攀は、僕にとってこの数年恒例の年中行事?のロッククライミングであった。
 普段からの精進が無い以上本格的クライミングは怖くてできず、クラシックルートばかりを狙っているので岩登り自体のグレードは低い。
 昨年の明神東稜も、一昨年の前穂北尾根もせいぜい3級止まりだったと思う。今の岩登りレベルから言えばお遊びみたいなものだ。日曜日の小槍もせいぜい4級あるか無いかの程度だと思う。

 それでも久しぶりの岩登りは高度感もあり、スリルと緊張をかなり楽しめた。これはクラシックルートならではの浮石とか、信頼感低い古い残置ハーケンに不安を抱いていたのが大きい。
 万一僕か操先生のどちらかが落ちてビレイが外れてしまったら、すぐさま大事故間違いなしだ。
 あんな槍ヶ岳の頂上直下で遭難騒ぎでも起こしたら、大層な新聞ネタになるに違いない。しかも操先生も僕も仕事で背負っているものがあまりに多いのだ。

 お互い一日でも仕事を休めば、それだけで病院が騒ぎになる立場だ。そう思うと絶対に事故を起こせないぞというプレッシャーは大きかった。
 僕は学生の頃も大学山岳部で、クラシックルートの岩登りを随分と経験した。そのころと比べて、日曜のクライミングでは格段と慎重かつ小心になったと思う。
 学生の頃は妻子も無ければ仕事も無く、事故を起こしても影響力は低かっただろう。今はその頃と比べて背おっているものが各段に増えてしまったのだ。 というわけで、日曜のクライミングではビレイポイントやホールド一つにも、昔と比べて随分と不安に感じたのだと思う。

 多分今の僕等の年代は、背負っているものが一番多くて重い頃なのだろう。にもかかわらずこんな危険な道楽を喜んで続けてしまう。人間と言うのは全く複雑で困った生き物だと思う。

古いハーケンに命を懸けるのかと思うと、やはり複雑


登攀終了後の開放感が堪らない。大槍、小槍をバックに記念撮影


小槍頂上でアルペン踊りを踊る操先生の勇士をこっそりUPしちゃおう。笑ってやってください。
2008年09月16日
敬老の日は、朝の部、昼の部、夜の部があります
 敬老の日の朝は槍ヶ岳、肩の小屋キャンプ場で迎えた。当初の計画では天気が持てば、日帰りで北鎌尾根をトレースしてから帰ろうという超ハード山行のつもりだ。

 ところが日曜日の小槍登攀が上手く行きすぎて満足してしまったか、今ひとつモチベーションは上がらない。
 まだ暗い午前3時に起床はしたが、風は強い。予報では午後から天気が崩れるという。
 ここで根性があればヘッデン夜間下山になっても無理に北鎌に向かい行動したかもしれない。とはいえ代務の先生は午後3時には名古屋に帰ってしまうし、その元気はやはり出てこなかった。

 ここはお茶だけ飲んでトイレに行くと、再び寝袋に入って寝てしまう。次に起きたらもう6時過ぎで、これはもう素直に下山しましょうという事となった。テントをまとめて下山に入り、長い道をとっとこと歩いて午前10時過ぎには新穂高温泉に降りていた。
 これで温泉に入ってから帰宅しても、昼には高山に帰りつける。せっかくテント泊したのの半日で行動終了するのは勿体無い気もするが、貴重な休日の午後が出来たのは嬉しかった。大充実の小槍登攀も成功したし、気持ちは大満足だ。

 さて敬老の日は、朝から三男のいる高山FC主催による11歳以下サッカートレーニングマッチが大八グラウンドで組まれていた。長野、富山、愛知から強豪チームが集まるという。ここは当然平湯の森から直行で大会会場に向かう。
 高山FCは苦戦の連続であったが、それでも多くの課題が浮き彫りにされ、これからが楽しみのチームに成長しつつあるようだ。

 大会会場のお片づけをしたら、サッカー親さん同士で例によって飲みに行きましょうという事となる。僕も疲れてはいるが、ついつい止めりゃいいのに飲みに出てしまう。そしてこれまた断りきれずに2次会まで流れてしまった。
 午前様で帰宅した時には、大分と酔っ払っていた。更にこれで夜中に分娩があれば、深夜未明の部まであった訳だがそれは無くて済んでホッとする。

 昨日は本来なら北鎌尾根で根性登山夜間下山になる見込みが、転じて飲み過ぎ夜更かしに変わってしまった。
 仕事絡みもあるとはいえ、これは自分に負けてしまったのだろうか。
 とはいえどちらにせよこれは年甲斐も無く、これも身体にキツイ事だよとはやっぱり思っていたりはする。

朝の部は狭い肩の小屋キャンプ場から下山


昼の部は少年サッカー応援で


夜の部もなぜかありました。問題あればご連絡下さい。すぐ削除します
2008年09月14日
久方ぶりに目立ちました
 この14,15日も豪快で大充実の日々を過ごす事が出来た。まず14日の深夜午前2時に胎盤がはがれないという連絡で急遽分娩室に出動を要する。
 続いて午前3時半に家を出て、新穂高温泉で岐阜の岳兄Misao先生と合流する。

 2〜3日分の食料と幕営具、更に登攀具を一式持ち、肩に食い込む重荷に耐えながら、右俣林道をひたすら自転車で漕ぎ上がる。
 更に歯を食いしばって?登山道を歩き午後2時過ぎに槍ヶ岳肩の小屋に着いた。幸運な事に天候は回復してきた。これは積年の思い?を遂げるチャンス到来だ。

 ザイル一本と登攀具一式に身を固めて、Misao先生と槍の穂先の登山道から千丈沢ガリーに下降、落石に冷や冷やしながら小槍の取り付きに移動する。
 そこから苦闘?約2時間、大槍頂上からの大?ギャラリーに見守られながら夕方快晴の小槍に登頂した。

 登頂した瞬間には遠く彼方此方から拍手が響く。
 その後は当然、小槍の上でアルプス一万尺を踊り、ギャラリーの期待?に応えた。こんなに目立ったのはもう記憶に無いぐらい久しぶりだった。

 昨日はどうも1年のうちでも、最も槍ヶ岳が混雑した一日だったかもしれない。
 そういう中、他に誰一人登攀者のいない小槍で、日本最高所(多分)の岩登りを楽しめ無事帰れたのは、実に幸運な事であった。
 その他、色々な楽しい事で、書きたい事は山ほどあるのだが、今日の報告は時間切れでとりあえずここまでにしておきます。

小槍登頂。この瞬間ギャラリーから拍手が沸く


小槍頂上で、これからアルプス一万尺を踊ります


下降は懸垂で慎重に
2008年09月13日
やっぱりそれでも運動会
 昨日から代務の先生が来てくれている。とりあえず今は入院患者さんも落ち着いてくれているし、僕にとっては嬉しい秋の3連休となりそうだ。
 さてその初日の今日は小学校の運動会がある。6年生の次男と5年生の三男の応援に、それなりに僕も駆けつけないといけないだろう。

 子供思いの気の早い親さんらは、場所取りのため前夜のうちから小さな校庭のトラック周囲で、御座を広げるための陣取り合戦を繰り広げる。
 子供から聞いた話では、子供の戦いの前に、まず親さんの陣取り戦いが、朝一番の笛の音と共に繰り広げられたという。

 とはいえもちろん僕はそんな陣取り合戦に参加しないし、した事も無い。
 僕はもうこのこの時期の東小運動会を見続けて10年目のベテラン?である。そんな事しなくても十分素敵な写真を撮れて、お弁当を広げるスペースも確保できる事を知っている。
 というより実はもうこの運動会にやや飽きているところもあったりする。子供の戦いはそれなりに見たい訳だが、例によって今の運動会は、技を競うというよりお遊戯合戦の様相の方が強い。はっきり言って期待するほど見てて面白く無いのだ。
 それはともかく、ナニハトモアレ、折角の休日でもあるし、きちんと親さんのお勤め?として、お弁当は子供等と一緒に食べ、それなりにその後の観戦も楽しむ。

 さてやはり運動会の華は、最後の選手リレーだろう。うちの子は長男の頃から、3兄弟のうちの誰かは選手リレーに選ばれてくれている。今年は三男が5年生代表で走っていた。とはいえ誰かを抜かしたり、また抜かれたりはしなかったので、今一つ見せ場は作れていなかった様だ。

 それよりも他のサッカーをやってる子の走りで楽しんだりする。サッカーの子は、やはり足が速い子が多い。
 次々と選手リレーにサッカーチームの子供等が走るので、それは見ていて楽しかったりする。6年生のアンカーではサッカーの子が2人続けて走った。そしてきちんと見せ場を作ってくれたので、結果はともかく楽しかったりする。
 そんなこんなで、今日はやっぱり運動会で楽しむただの親さんに僕もなるのでした。

集登、それなりの走りで見せ場は作れず


ゴール寸前でクロスプレイが・・・


さすがサッカー部キャプテン、ラストに見せ場を作りました。お気に召さなければご連絡下さい。直ぐ削除します
2008年09月12日
背中の痛みで元気出ませんけど
 昨日も比較的仕事は早く終わった。子供のお迎えをさくっと済ませて、これ幸いと2夜連続で病院フットサルの公式練習試合に出向いた。
 フットサルというのは堅い体育館の上を走り回るので、想像以上に関節や筋肉に負担がかかるスポーツだ。お年寄りには全く向いていない。人数少ない分、サボる事無く走り回らないといけないから、普通のサッカーよりもしんどいスポーツと言えよう。

 ただでさえあちこちにガタが来ている身体を、ここで壊してはいけないので、僕はフットサル前には必ず足に各種サポーターを付ける様にしている。
 サポーターをつけまくると当然足技パフォーマンスは下がる。しかし下手に関節を故障してから後悔したくは無い。一度関節や筋肉を壊すと回復までに時間もかかるし、背に腹は変えられないのだ。

 昨日もフットサル出発前にに、急いで足に各種サポーターを付けていると、子供から「そんなガンダムみたいな足では、かえって今日怪我するぞ」なぞ悪口叩かれて、ムッとする。
 「お前もお父さんと同じ年になれば、そんな事を言ってられなくなるのじゃあ」と返してから、そそくさとビックアリーナに向かった。

 試合では再三のチャンスを潰した末に、それでもめげずに何とか1点だけシュートを決める事が出きた。久しぶりの得点に気を良くする。帰宅してからさくっとビール飲んで寝ようとしたら、その前に分娩が一件入った。ただそちらは上手く電話連絡だけで対応してしまう。

 さてさすがに2日連続のフットサルが応えたか、今日は一日中背中がギリギリと痛い。それでも外来は混んで午後からは手術もある。お隣の研修医先生に背中が痛いと愚痴をこぼしながら、それでもせっせと仕事はこなした。手術終了後は何だか気が抜けたようにドーッと疲れが出る。
 明日からは貴重な3連休だ。無理は出来ない身体が悲しいが、ここは何とか豪快な休日を過ごしたい。様々な都合や、背中、足の筋肉痛と相談しながら、貴重な秋の休日をどう過ごすか、いま色々と考えている。

ガンダムみたいな足で走り回ってます
 
2008年09月11日
サッカー、サッカーそして仕事
 外来は混んでいるが、分娩や入院は少ない。お陰で身体は疲れるが比較的早く帰宅できる日が続いている。
 というわけで昨日は仕事が終わってから、久方ぶりに病院有志フットサル練習に参加する事もできた。お隣のコートで新体操演技を行っているのを、ちらちら横目で眺めながら、体育館の中を走り回る。

 続いて8時からは、三男のサッカー練習にも飛び入りして、親子サッカーも楽しむ。
 体育館で走り回ってきた後であったが、その疲れをものともせず、小学生相手にラッキーな2得点を決めて嬉しかった。
 後は風呂入ってビール飲んで寝るだけだあと思っていたが、そうは問屋は卸してくれない。

 ビールを更に美味しくするために、WiiFitでヨガしてから、風呂次いでビールと順番を決める。
 ゆっくり湯船に使っていたらそこに呼び出し電話が入ってきた。開業医さんからの緊急手術手伝い依頼だ。ちと残念だがビールは更に後回しにしないといけない。
 風呂から急いで上がり、車に乗り込み開業医さんのところに向かう。サッカーから帰宅後すぐに飲んでしまってなかった事は、開業医さんにとって幸運な事でした。

 汗を流しさっぱりしたたばかりだったので、手術では血や汗を浴びない様に気をつける。とはいうもののちと風邪気味?の開業医さんの咳の飛沫は多少浴びてしまったかもしれない。
 夜中に開業医さんのところから帰宅した時には、さすがにちと身体は重く疲れていた。それでも元気出すためにアミノバイタルプロを肴?に気の抜けたビール飲んでから寝る。幸い夜中の分娩は無くて、寝不足は無く今日の仕事に入れたのは良かった。

 ちと年の割にはハードな夜であったが、結果的には全て上手くいった。良く遊び良く働きでこれもまた良しとしよう。

三男の前で得点できたのが一番嬉しかったり
2008年09月10日
教育には忍耐が必要
 ここの所夜中の分娩が無くて助かっている。夏の暑さも一段落し、重症さんは落ち着いてきてくれたし、寝不足も無いから気持ち的には余裕が持てそうだ。
 とはいうものの昨日の外来は混んで、全く楽は出来なかった。数をこなすためにはひたすら秒単位外来を続けるしかない。

 さて今月は今や貴重な研修医先生が産婦人科にローテートで回ってきている。しかし病院に産婦人科医は僕一人しかいない。つまり僕の臨床業務中には何時も大人しい研修医先生が横にいるという状態になる。その時間は配偶者や子供と一緒にいる時間よりずっと長い。

 立場上僕は、患者さんの診察をしつつ、同時に研修医先生に産婦人科業務を教えるという事が期待されている。
 しかし一人一人の患者さんにかけれる時間が秒単位であるのに、それにプラスして研修医先生に業務を教えてあげる時間などなかなか取れないものだ。

 できれば研修医先生に手取り足取り、いろいろな手技をやらせてあげたい気持ちもあるのだが、そうすると患者さんも嫌がるし、何より時間がかかる。結局ついつい僕が手を出してさらっとやってしまう事となる。
 また僕も出来るだけ早く仕事を済まして、身体を休ませたいという気持ちもある。僕は毎日産直の人間だ。楽できる時に楽しないと自分の身体が持たないのだ。
 
 さてさて昨日はいくらやっても減らないカルテの束に、「産婦人科は他科と比べて大変でしょう」と研修医先生に聞いてみた。すると「そんなに大変とは思いませんね」と軽く言われてしまった。これも見学だけで自分でやる事がないからそう思うのだろう。
 これではイカンナアと思ったりする。研修医の頃は死ぬほどがんばった方が身のためになるというものだ。仕事が楽だなんて思わせてはいかん。

 とはいえちょっと縫合や内診、診察業務をやらせてみても、やはりまだ仕事を任すレベルには程遠い。人にモノを教えるという事は本当に難しいと思う。何よりも忍耐力が必要だ。

 産婦人科は医師の仕事の中でもまた輪にかけて専門的な分野だ。誰もができるというモノではない。ローテート研修で浅く広く学ぶには向いていないと思う。
 とはいえ研修医先生としても色々な科の仕事を学ばないと、自分の得意分野が分からないかもしれない。色々な業務を学ぶ事で将来の医師としての仕事に厚みもできるだろう。
 更に産科業界としても、ローテートしてくる研修医先生を如何に引き込むかが、業界の未来の命運を握るという面もある。

 とはいえやはり今や、産婦人科業界に余裕は無い。
 後を継ぐ医師の教育に手が回らない状態なのは、どこの産婦人科病院でも似たようなものだろう。今の課題をクリアするのが精一杯で、次世代の教育は後回しにならざるおえないのだ。

 こうなると広く浅くのシステムで後継者を探すより、特別な希望者に集中して業務を教え込む封建的徒弟方式の方が、産科業界維持のために現実的な選択なのかもしれないとは思う。
2008年09月08日
覚めるのが遅い人、覚めるのが早い人
 日曜の夜は今年度東小サッカーの事実上の打ち上げとなり、高カロリーの焼き鳥を食べつつ、飲み放題のビールをさんざん飲みすぎてしまった。
 代務の先生のお陰で夜中に呼ばれる事は無い。そう思うとついいい気になって、最後にお茶漬けからシューアイスを何個も食べて、腹ぽんぽんとなり帰宅する。
 来春の長期登山に備え、体重を少しづつ減らすつもりでいるのだがなかなか思惑通りには行かない。こんな暴飲暴食をしていてはいけないと帰宅後反省するが、反省するだけなら猿にでもできると思う。

 そんなこんなで、月曜朝になってもまだ多少の二日酔いが残っていた。今日は午後からややハードな手術がある。それまでに二日酔いからしっかり覚めて、体調を整えておきたい。しかし午前中の外来もあるし、もちろん休養して体調を整える時間なんて無い。
 ウーロン茶がぶ飲みしながら仕事をし、少しでもアルコールを抜き、手術に備えた。

 なんとか二日酔いの自覚症状が取れたあたりで、手術室に入る。手術は手技こそ問題ないが、麻酔の方で随分と苦労した。各種合併症を持った方で、麻酔の効きも悪ければ覚めも早い。
 当初、代務の先生と研修医先生と僕の3人いれば十分大丈夫と考えていたが、麻酔の効きの関係で外科の先生の救急ヘルプも要した。もちろん何だかんだと手術はきちんとこなすが、それなりに疲れる。
 自分は二日酔いからは早く覚めないといけないが、患者さんは麻酔から早く覚めて欲しくなかった。世の中上手くいかないと思う。
 
 少年サッカーの楽しみも一段落付いたし、毎晩のビールもそろそろ控えないといけないだろう。早く気持ちを切り替え、これからは自分のフィットネスのために、心身の清浄を心がけたいと思う。

日曜のサッカーの写真UPしておきます。また良かったら持って行って下さい

























2008年09月07日
勝つために足りなかったものは・・
 日曜日にも名古屋で学会地方会があった。それに出席したいという気持ちあったが、それより大事な?ものがある。それは次男、三男のいる東小サッカーチームの県大会出場に向けての決戦である。
 前にも書いたが東小チームはこの一年間、秋の県大会出場を目的としてサッカー練習を続けてきた。6年生の人数も少なく、背の低い子ばかりそろった今年の東小チームには、いつもより少しハードルが高い感じだ。

 それでも今日の飛騨地区グループリーグ4チーム総当りの中で、上位2位以内に入ったら、飛騨地区代表で県大会に出場できるまでにはなっていた。
 しかし最終グループリーグの組み合わせは、ちとキツそうだ。大げさだが大会前から「死のグループ」に入ってしまったかなあという感じだ。

 試合前に他チームと並ぶと、東小チームの平均身長は頭半分くらい低い。これは最初から厳しいなあと思う。しかしそこは子供達は、最後まであきらめずに良くがんばった。結果は1勝1敗1引き分けで、惜しくも僅かな差で県大会出場は逃す。最後の最後の瞬間まで何処が勝ち抜くか分からない試合内容で、観戦している方はハラハラドキドキの連続だった。
 僕も最後は写真を撮るのも忘れ応援したが、残念ながらゴール前の1点というのがちょっとだけ遠かった。

 試合終了後、監督は「このチームの実力では、ここまでが精一杯だった」と話したらしいが、僕もそう思う。
 足の速い子や背の高い子が多くいて、6年生の多いチームが有利なのは当たり前だ。そういう中で子供達はギリギリまで良くここまで食らいつきがんばったと思う。夜は焼肉で祝勝会とはならず、その代わりに焼き鳥で残念会となった。
 しかし最後の試合で強敵相手に負けなかったから、まだ良かった。もう最後はほんのちょっとの気持ちの差でしかなかったのだろう。

 僕は今まで長男の時から数えて、これで5年連続東小サッカーの戦いを見てきた。
 その内飛騨予選を勝ち抜けたのは2回だ。最高が長男の6年生の時で確か県でベスト16だったと思う。
 過去の県大会に行けた時のチームと比べて何が足りなかったのかと、焼き鳥食べながら考えたが、それは多分身長や6年生の人数の差では無いと思う。

 軸になる選手のちょっとした気持ちの違いが、最後にゴールにボールが入るか入らないかの違いになる。
 焼き鳥で腹いっぱいになってから聞いた6年生の最後の挨拶の中で、そういう思いを抱いてしまったりする。負けたのだから本当はもっと暗く悲しい夜を過ごすべきだったかもしれないとも思う。

 今年は長男も中体連で、もう少しの所で県大会出場を逃した。次男三男も駄目だった。サッカーほど勝って嬉しく、負けると悔しいスポーツは少ないだろう。別にこれで様々な戦いが終わる訳ではないが、彼らの戦いを見て、勝ち抜くにはとにかく気持ちが大事なのだと改めて思っていたりする。

顔では勝ちましたか


気持ちで負けないで


とにかく一生懸命にがんばったのは確か


後ちょっとだったけど
 
2008年09月06日
山に行かずになぜか都会へ
 金曜は分娩、外来、検査、処置から手術まで各種盛りだくさんな一日で、帰宅も遅くなり身体もかなり疲れた。
 しかしそれでも折角の代務の先生の来てくれている週末だ。時間が出来そうな土曜の午前中くらい、何処かに山歩きに出かけるつもりであった。何と言っても新居に引っ越してから一ヶ月以上が経ち、まだ一度も山に行けてない。

 亜熱帯のモンスーンシーズンを思わせるくらい天気も悪いし、もともと夏は僕の登山のオフシーズンではあるのだが、それでも運動不足が気になる。長い事山に行かないと足腰の筋肉も直ぐに落ちてきてしまう感じがする。

 とはいうものの仕事で身体は疲れているし、金曜夕の段階で実際に週末登山にいけるかどうかはかなり微妙な情勢だった。
そこに岐阜の岳兄Misao先生から突然仕事依頼の電話が入った。Misao先生は僕の大事な山のパートナーだが、仕事は岐阜で循環器内科医をしている。

 岐阜県医師会館近くの綺麗な大病院の御曹司??で、勤務産婦人科医の僕とは似ても似つかぬ業務内容のはずであった。ところが何故か僕に突然の仕事依頼である。
 聞いたら、そのミサオケンコウクリニックの業務の中には婦人科検診も含まれていて、その婦人科医が急に仕事に来れなくなったという。婦人科検診のワンポイントリリーフとして僕に突然の白羽の矢を立てたらしい。

 ミサオケンコウクリニックで婦人科業務までしているとは知らなかった。名家??の大病院だけあって手広く商売?しているなあと感心する。
 ちょうど土曜の夕方には名古屋で小さな薬屋さんの研究会も合った。その出席と名古屋でのショッピングも兼ね、土曜日は登山を辞め、岐阜名古屋にお出かけとした。
 そしてその実、僕の最大の目的は、ミサオケンコウクリニックで仕事をしつつ、その中味を見学する事だったりする。
 
 予想通り綺麗で瀟洒な院内には、山の写真も多く飾られていてとても素敵な感じだった。
 岐阜市の交通便利な中心部にこれだけの病院を構えるなんて大したものだと思う。普段山スキーでは豪快で大胆な滑りを見せるMisao先生だが、その実はジェントルで都会的ハイセンスな持ち主なのだろうなあと、改めて感心したりする。

土曜午前中はなぜかミサケンクリニック


午後はお勉強?兼名古屋でショッピング

 
2008年09月05日
お花畑もちょこっと重たい
 深夜の分娩こそ無かったが、今朝も分娩室からの呼び出し電話で一日が始まった。ちょうど朝食を食べている時で、何かと忙しい時間帯だ。ここで朝食を食べずに出動すると、今日の仕事全体のパフォーマンスに響く。ここはきちんと朝食食べて髭を剃ってから、分娩室には出動した。
 分娩室では妊婦さんのみならず、そのご家族、助産師さん、研修医先生、助産師学校の学生さん、講師さん等が、僕の事を首を長くして待っていたが、そこはギャラリー目線を気にせずさくさくと仕事はこなす。
 
 今日は眠気こそ無いものの、午前の外来は混んで、午後からは手術、続いて処置や各種説明、段取り、病棟とまたまた忙しい。とはいえ今日の午後から仕事に来てくれる天使の様な代務医先生を希望の糧に、ひたすら激務に耐えるしかない。

 さてさて今更だけど、僕の仕事現場は女性で溢れている。当たり前だがスタッフも患者さんも、僕以外皆女性ばかりだ。
 特に今は助産師学校の学生さんや、研修医先生、代務医先生、もいらっしゃっていて、特に若くてお美しい方が多い気がする。普段からお美しい方が多いが、また輪にかけてなんだがとっても華やいだ感じだ(こういうのをセクハラと言うのかどうかは知りません)。普段でも女ばかりの職場なのだが、どういうわけか今日はもう右を向いても左を向いても、一日中視野の中に若くてお美しい方がいたりする。

 婦長さんからも、手術しながら「両手に花で良いね」と言われたが、両手に花どころか全ての指に花が咲いている感じだ。こういう職場もよほど珍しいだろう。こんな事を書いて後が恐ろしいが、僕はおそらく世の中のほとんどの男が羨む職場で働いている。
 世間ではなかなか出会いの場が無く、結婚相手斡旋業者が花盛りらしいが、僕の周りではそれは無縁だ。なんだか少し申し訳なく思う。

 こういう職場を狙って生きてきた訳ではないのだが、何の因果でこうなったのか自分でも不思議に思う。
 しかし慣れているとはいえ、こういうのもちと重たいものだ。なんだか今日は一日中仕事で話をし続けたが、話し相手はひたすら様々な女性の方ばかりだった。
 つい先ほど身近な知り合いの友人男性から仕事の電話を頂いたのだが、久しぶりに男の声を聞いた気がした。そのやや低い声に、なぜか少しホッとした自分がいたりする。
2008年09月04日
女医さんの修行
 重症さんもやっと落ち着いてきて、ここのところの通常業務は比較的楽な状態で続いている。昨日も早めに仕事が終わったので、三男のサッカースクールデイに飛び入り参加し、年にもめげず各種サッカー足技を学んできた。

 まずコーチの見本を見せてもらい、続いて子供たちの真似しながら、プルビハインドステイとかファルカンフェイントとかのサッカー技を試すのだが、見るとやるとは大違いで、形にはなかなかならない。
 自分で出来たつもりでも、脇から見たらきっと無様で滑稽なものなのだろう。
 他のギャラリー親さんから失笑を買っている気もしないでないが、素人オジンにかかわらず挑戦するだけで偉いと誉められたりすると、まだしばらくは練習続けてみようと思ったりする。

 さて話は変わり、9月から僕の産婦人科に、2年目の研修医女医先生が、ローテート研修で産婦人科業務を学びに来ている。
 内科、外科では既に様々な事を学んできたのだろうが、産婦人科の世界では、はっきり言って素人さんだ。
 常に僕の脇にいて各種業務を見学しているのだが、おそらく僕のやってる仕事の意味の半分も理解していないだろう。産婦人科は医療の世界でもやや特別な分野であるので、それも無理ない事だと思う。

 たまに内診やクスコ診や超音波診察をさせても、その姿勢を一目見ただけでこれは素人さんだなと分かる。分娩時の会陰裂傷の縫合も最初の持針器を持った瞬間に、ウーンこれでは上手く行かんぞと直ぐに思える。
 誰でも初心者の時期はあるのだから、きちんと教えてあげねばいけないと思うのだが、医療というのは生身の人間が相手だ。
 患者さんの中には、初心者に診察されていると分かると、あからさまに嫌そうにする人が大勢いる。特に産婦人科業務は女性のナーバスな部分が仕事現場であるから、それもまた無理ない事だろう。

 ついては、女医さんの方が、抵抗少なくスムーズに患者さんの診察ができると思えるのだが、現実はそうと限らない。
 むしろ患者さんは、素人の若い男研修医先生に診察されるより、素人女医さんに診察される方が嫌そうにする場合が多い。これは何故だか良く分からないが、確かにそんな気はしたりする。
 そういえば10数年前の産科業界内でも、研修中の若手女医さんは、助産師さんから冷たくされる事が多いと言われていたものだ(医師不足の今は変わりましたが)。若手女医さんの産婦人科修行は、多分予想以上に棘の道なのだろう。

 さてさて、サッカーの修行はただのサッカーボールが相手だ。どんなに滅茶苦茶な事をしたってサッカーボールは決して文句は言わない。どんな下手くそオジンに蹴られてもボールは怒ったりしない。
 しかし医師の修行相手は生身の身体で、その身体には心がついている。競争激しいサッカー修行も大変だが、医師修行もやはり大変だと思う。プルビハインドステイも難しいが、クスコを膣に上手に入れる事も、同様に素人には難しいのだろう。

 そんなこんなで、医師の研修を思えば、サッカーの練習で恥かくくらいは、全くどおって事は無い。かえって平和で幸せな事だと思えたりしている。
2008年09月03日
複雑化する医療事務
 眠気はあるものの、手術や処置は無く、昨日も早めに帰宅できた。
 子供の送り迎え業務も無かったので、早めに夕食を摂り、とっとこビール飲んで寝てしまった。ちと寝不足気味だったので気持ちよく夢も見れる。

 上質な睡眠に、夢は重要なエッセンスである。夢の途中で起こされる日が続くと、とてもイライラした気分になるものだ。一方起こされること無く、夢から自然に目覚めた場合は、たとえそれが夢の見かけだとしても、気持ちはすっきりする(夢と言うのは普通、途中で覚めるものですが)。

 夢の内容は何でも構わない。むしろ何か強迫されている嫌な夢を見た方が、かえって上質な睡眠感に繋がる気はする。
 なお昨夜、僕の見た夢は、パソコン操作を間違え、パソコン画面から突然災害放送が流れる。こりゃいかんと慌ててネットやテレビに繋げようとするが、デジタル機器の調子が悪く、世間と通信が遮断されていらいら焦る。といったモノだった。
 何だか身に詰まる夢で、夢判断ができる人に聞いたら、多分僕の心の状態が分かるかもしれない。

 この夢が僕の心の状態をどう反映しているかは知らないが、ともかく途中で起こされる事無く、自然に目覚めるまで夢を見れたのが一番嬉しかった。
 その後早く寝た分深夜に目が覚めたので、夜中にWiiFitして、シャワーを浴び、再度ビールを飲んで寝た。その後きちんと朝まで再び眠れたから、多分これでここの所の寝不足感はリセットされるだろう。他人の夢の話を聞いても面白い訳は無いだろうが、ついまた前書きで書いてしまいました。

 さて今日は助産師外来とペーパーワークの水曜日で、ドック、集団検診、生保会社の患者調査面談等、事務系の仕事が主な日だだ。分娩や手術と比べれば、ずっと気楽で楽勝だとも言える。 
 しかし実は、僕が事務仕事で楽できる最大の理由は、できるだけこの手の入力や請求関係業務を、周囲コメディカルや医療事務さんに任せきっているからとも言える。

 もう長い事任せきっているので、僕は今やこの手の事務仕事の中味がほとんど分からなくなってきた。特に医療費請求がDPCというマルメ診療になってからは、更にさっぱり中味が分からない。
 医療事務さんはこの手の事を普段から専門として勉強しているから良いが、病院勤務の多くの医者はもう、自分の仕事の請求業務は理解不能になってきているんじゃなかろうか?

 今日は業務が一段落してから、レセプトチェックという仕事があった。ところがもはや僕自身レセプトが読めないので、完全に形だけのチェックでしかない。
 世の中は複雑だ。自分が直接タッチしていながら、その周囲が理解不能のシステムで動いていると、それもストレスになる。
 昨夜見た夢も、こういう複雑な社会に対する漠然とした不安が現れてきたものなのかなと、思えたりもするのだ。
 
  これ以前の日記は削除しました。