(mixi日記と同内容です)
少し前の話になるが、
篠山春日能を見に行った。
論文指導の先生が東京からわざわざ観能に見えるというので
カタワレ(夫)と御一緒したのだ。
京都の自宅を7時半頃にでて、篠山の春日神社前についたのが
午前9時すぎ。
道中の山あいは花のさかり。篠山に近づくと堤の桜並木が
満開で、美しかった。
開場までまだ2時間近くあるのに(開演までは4時間)、
神社の前にはもう数人の列ができていた。
私たちのあとにも続々人がこられて、人気のほどが伺える。
すぐ後ろに並ばれた埼玉からの女性は、常連だそうで、
春のこの能と、大晦日の「翁」上演に毎年こられるとか。
早く並んだので、正面2列目の真ん中の席がとれた。
席といっても、神社の境内にパイプ椅子が並んでいるだけ。
持参の座布団と膝掛けが大いに役立った。
席とりがすんだので、ほっとして、開演まで篠山見物。
おひるごはんは近くのおうどん屋さんで、ししうどん。
いのししのお肉がはいった味噌煮込みうどんである。
で、ここでがまんできずに、地酒を一杯のんでしまった。。
(下戸の先生と、運転係りのカタワレは飲めないので、私だけ^^;;)
ごはんのあとに立ち寄った篠山歴史美術館は、
1980年代まで使われていたという木造の
裁判所の建物をリユースした施設。昔の学校のような
落ち着いた雰囲気に、さすが徳川の藩屏篠山藩の重みを
感じさせる美術品が展示されていた。
(ちなみに昭和の目利き、青山二郎氏はこちらの殿様の
ご子孫であるらしい)
第一展示室では、地図がテーマになっていて
なんと、教科書でもおなじみの「坤輿万国全図」の
屏風があった。地図好きのカタワレはこれに興奮、
私は東海道、中仙道の宿駅を克明に描いた六曲二双の
屏風に見入った。また「能図」と題された土佐派の屏風も
なかなかに興味深かったが、これについてはいづれ
どこかに書きたいのでこの日記ではパス。
さて、いよいよお能が始まる。
野外の能舞台には、ときおり、はらりはらりと
桜の花が散り掛かり、謡の合間にほととぎすの声もきこえる
絶好のシチュエーション。
一曲目。「百万」。
せっかくの梅若万三郎さんのシテだったのに、爆睡。
雰囲気と、地酒と、朝早い出発に酔ったのであろう。嗚呼。
でも、夢のなかで百万のクセはきっちり聴いていたようで
とてもとても、よい気持ちでありました。
次は狂言の「蝸牛」。
京都にいると茂山家(大蔵流)がほとんどで、なかなか
他流の狂言を見る機会がない。山伏役の野村小三郎さんは
名古屋在住の和泉流の狂言師ということで、茂山家とは
台詞のアクセントがぜんぜん違う。しかし、ぽんと前にでる
演技の明るさが気持ちよく、また、太郎冠者役の子役ちゃん
(小三郎さんの子息?)が、めっぽうかわいい。
終演後もついつい「でんでんむ〜しむし♪」と、くちずさんでしまう。
最後は大槻文藏さんシテの「殺生石」。
大槻さんは、むかーし、むかーし、一回や二回は見ている
ような気がするのだが、記憶の朧の奥にいってしまって
今回、初見とかわらない。
文蔵さんは、1942年生まれ。(by ja.wikipedia)
60代後半という、能楽師としては円熟し、かつ充実した年齢。
体つきが細く、すこーし右にかたげておられるところが
かえって、特有の雰囲気をかもしだして色気がある。
声も、独特の細さなのだが、冷たい空気が
肺をこすってでてくるような 微妙な身体性を感じさせて、
大変よかった。
前半の里女は、深井(?)の面で、妖女 玉藻前の上品さと
不気味さを感じさせ、後の九尾の狐も、通常かけるという小飛出でなく
線の細い野干か、またはもう少し違った面だったような気がする。
(
ブログに「目のつり上がった竜女」と書いておられる方もある)
かぶりものの狐のしっぽが、後ろに流れているところも優美だった。
ワキの玄能法師(石を割るゲンノウという道具はここから
きています)は若手の福王和幸さん。若手で長身で人気者。
でも、惜しかったのは、足袋のこはぜがはずれていたこと。
観客席ニ列目で、それが気になって気になって集中できなかった。
篠山春日神社の能舞台は重要文化財の指定をうけているとか。
町並みも、人に媚びず、しかし心に温かい、落ち着いたもの。
帰りに地酒の蔵元に寄って、五合瓶を買って帰った。
往復運転してお疲れのカタワレとふたり、
能の余韻、花の名残のなか、その日のうちにあけてしまいました。