イエスの惑星BBS

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オックスフォードの研究  投稿者:ララ  投稿日:2008年10月 2日(木)12時27分0秒
  >12人のカトリック信者と、12人の無神論者に、
それぞれ処女マリアの絵画を見せ、電気ショックを与えたそうです。

>脳をスキャンしながら調査したところ、カトリック信者のほうが、
かなりの痛みをブロックしていることがわかったのです。
それだけではなく、カトリック信者のほうが痛覚を調節する
別の脳の部分が活動していることもわかりました。

http://labaq.com/archives/51105482.html

どんな絵が使われたのか写真も載っています。
同じように静寂感のある宗教色のない絵では効果がないそうです。

◎17世紀に描かれたサッソフェッラートの「祈りの聖母」
×15世紀に描かれたダ・ヴィンチによる「白貂を抱く貴婦人」
 

ノムさん  投稿者:Pas  投稿日:2008年10月 1日(水)21時45分29秒
  確認しました。問題ありません。  

朱に交われば・・・  投稿者:ダンボ  投稿日:2008年10月 1日(水)13時52分53秒    編集済
  ノムさん、ちゃんと本田神父の姿をカメラに収めていらっしゃったんですね。
編集、ありがとうございました。

あの姿を見て、間違っても清貧と思われる方がいらっしゃるかも知れませんが、
あれは、清貧の精神からではなく、単にご本人の趣味です。
本来のフランシスカンの清貧の精神でいくなら、修道会から与えられた修道服を
どんな時も着るのが、清貧です。
ボロボロになるまで、継ぎあてをして着ている修道者もいるのです。
修道服があるのに、それは放っておいて、楽な服装をするのが清貧ではないのです。

朱に交われば赤くなるの諺どおり、ヘドロに交われば、心も濁るのでしょう。
ご高齢の外国人司祭まで同じ共同体ゆえでしょうか、本田神父の影響を受けて、
ごミサにあずかるたびに、あまりの変わりように、
昔から知っている信徒は涙を禁じえないという話を聞きました。

釜が崎で日々行われている、聖体祭儀?(まがい?)によって、
日々、イエス様を冒涜し、聖体を軽んじていることは
聖フランシスコのご聖体に対する畏敬の念を踏みにじる行動です。
それに共に与る修道者(シスター方)も、同罪だと思います。
そして、同じ共同体の人間としてそれを黙認している生野修道院の司祭・修道士も。
フランシスコ会生野修道院メンバーは、聖フランシスコがご聖体に対して
どのような態度を取られたか知らないわけがないでしょうに。
生野修道院メンバーも全員、本田神父に洗脳されたのでしたら、
フランシスカンを名乗らずに、本田教でも作ればいいものを。

一方、六甲教会でホアン・マシア神父の聖書の会は、人気を集めているそうです。
それは、新しい聖書の解釈だそうで、カトリックの聖書の解釈が変わることはなく
新しい解釈とは、人間本位の、自分たちに楽な解釈なのです。
人間は傲慢で、全てを自分の知恵だけで理解したくなるのでしょう。
自分の知恵で理解しがたいことは、解釈を捻じ曲げ矮小化するのです。
そんな時こそ、信仰が問われるのであって、
神の御助けによって受け入れられる時まで、心に留めるものなのに。
信者が楽な方にばかり流れて行っては、地の塩には成り得ないのです。

六甲教会でのミサの説教も、最近はこのような解釈による説教が増えて、
正統な解釈や教義を知っている信者は、こちらでも涙ぐまれています。
 

Pasさん、ダンボさん  投稿者:ノムさん  投稿日:2008年10月 1日(水)05時19分56秒    編集済
  本田哲郎神父への論評、ここ↓
http://www.nomusan.com/~essay/jubilus2008/09/080930bb-fr.honda.html
へ使わせて頂きました。
ご点検下さい。

http://www.nomusan.com/~essay/index-jubilus.html

 

被迫害者のための祈り  投稿者:彦左衛門  投稿日:2008年 9月30日(火)20時07分1秒    編集済
    Pas さん

> インド、ベトナム、中国、イラク、その他のアジアの国々で、今も迫害・弾圧は続いています。
日本はつくづく平和だと実感する今日この頃です。

 彦左衛門、そうです。多くの国で宗教迫害、カトリック迫害が続いています。

 身近なところでは、北朝鮮、そして中国における、迫害があります。とりわけ北朝鮮では、戦後60年教会は惨烈な迫害を受け、終戦時5万5千の信徒のいた教会は、おおくの殉教者を出して壊滅、生き残った信徒は地下深く潜行、情報は殆ど絶えてしまっています。

 小生彦左衛門、二度にわたって、中国の教会とあわせて、なお生き残って信仰を守ってい北朝鮮の信徒のために祈る事を、およそ100人近い教会、司教、聖職に訴え、また信徒の皆様にも祈るよう訴えて下さることをお願いしたことがありました。

  しかし誠実な返書を下さったのは、上智大学神学部山岡師ただ一人でした。他の聖職は全く小生の願いを無視して今日に至っているのです。そして事実、教会の説教でも、メディアでも、北朝鮮や中国で信仰のために苦難に耐えている兄弟に言及され、彼らのために祈るよう信者に訴えることは殆どでなされていません。

  現在、切支丹殉教者の列福運動がは華々しく行われています。結構なことです。しかしおかしいことがあります。信仰のために全てを犠牲とした殉教者の精神に倣うことは、余り強調されず、むしろ、憲法問題が取り上げられ、現憲法の政教分離が曖昧にされるならば、切支丹時代と同じくカトリック迫害が再現する危険ありとと言うことが強調されているようです。

  これ、彦左衛門の思い込みなら幸い。

  しかし、いずれにせよ、北や中国の殉教者に無関心な輩に、旧切支丹殉教者列福運動に携わる資格ありとはい思わない。

 彼らがこの点でしっかり自己反省しない限り、地獄に堕ちることを憂慮して、一所懸命お祈りしています。 特に、マツウラさんのために。朝起きた時、真っ先に彼の名を祈りの中に上げています。
 

(無題)  投稿者:ララ  投稿日:2008年 9月30日(火)15時50分25秒
  ちなみにいくつかの翻訳サービスを使って訳文を見比べるとより意味がつかみやすいですよ。  

>>カト新聞の誤魔化し  投稿者:ララ  投稿日:2008年 9月30日(火)15時46分8秒
  コッリエーレ・デッラ・セーラが読める「イタリアに好奇心」と言うサイトは
面白くて私もお気に入りですが、検索サイトの自動翻訳機能が充実してきたので
かなり無理のある訳文ではありますがこんなのも読めます。
リンク先まで自動で翻訳されるので見やすいですよ。

http://translate.google.co.jp/translate?u=http%3A%2F%2Fwww.vatican.va%2Fnews_services%2For%2For_eng%2Findex.html&hl=ja&ie=UTF-8&sl=en&tl=ja
 

ダンボさん  投稿者:Pas  投稿日:2008年 9月30日(火)08時25分28秒    編集済
  体調(と同時に食欲?)は戻ってきました。とはいえ、こちらも肌寒いです。
こちらの地方にはリンガーハットすらありません......。

インド、ベトナム、中国、イラク、その他のアジアの国々で、今も迫害・弾圧は続いています。
日本はつくづく平和だと実感する今日この頃です。

興味を引くニュースを見つけました。

帰天30年のヨハネ・パウロ1世を思い起こす、教皇、日曜の集い
http://www.radiovaticana.org/gia/Articolo.asp?c=234204

1978年には2回コンクラーベがあったためか、日本のマスコミもバチカンのことを多く取り上げました。
その報道を通して、東北の片田舎の小学生の視野に、初めて「カトリック」が入ってきました。
カトリックのことなど何も知らなかった僻地の少年にとっても、その笑顔は印象的でした。
当時か後になって知ったか忘れましたが、ヨハネ・パウロ1世の愛読書に『トム・ソーヤーの冒険』があります。
一般的にイタリアのカトリック聖職者が読む類いの本ではなかったようですが......。

John Paul I, The Smiling Pope
http://www.papaluciani.com/eng/
http://www.papaluciani.com/ita/galleria/galleria1.htm
http://www.papaluciani.com/ita/galleria/galleria2.htm
http://www.papaluciani.com/ita/galleria/galleria3.htm
http://www.papaluciani.com/ita/galleria/galleria4.htm
http://www.papaluciani.com/ita/galleria/galleria5.htm
http://www.papaluciani.com/ita/galleria/galleria6.htm
 

テレジアさんへ  投稿者:ダンボ  投稿日:2008年 9月30日(火)02時36分43秒
  どうして教会でベトナムの迫害を受けている信者のために祈ってあげないのでしょうか。
インドもずっと、襲撃を受け、司祭やシスター方はヒンズー教への改宗を強要されているのに。
中国の地下教会もそうです。

命をかけて信仰を守ろうとしている人たちを無視して、「何が信教の自由かしら?」と思います。
日曜日、少人数の集まりですが、友人に、迫害のことを話しました。
皆さんご存じではありませんでした。
特に祈りが必要な方々のためには、直接お話しするのが有効ですね。

ベトナムでは、植民地だったこともあってヨーロッパが、
そしてベトナム戦争の名残で米国、韓国はあまり歓迎されないと聞きました。
ですから、日本のアプローチが重要なのだそうです。
ベトナム大使館に、友好国の国民として、丁重な表現で抗議したいと思います。

私は、どこの国であっても、苦しむ人たちのために一人でも多くの方に呼びかけ、
祈り、個人的には大使館などを通して抗議したいと思っています。

私たちは、11月に列福式を祝いますが、過去のことについて、迫害者側に対する思いやりも大切だと、先日の研修会で伺いました。

全く、その通りだと思います。列福式は私たちには大きな喜びですが、迫害者側にいた方々の子孫にとってはあまり良い気はしないでしょう。ですから、迫害者を非難するのではなく、命をかけて信仰を証しするほどに神様と結ばれていたことを讃えるのです。

でも、それも憲法20条の会とやらのPRや勧誘に利用されて、何だかとっても、列福者を汚されているような気がします。

公の場で、もう亡くなった人々の罪を上げ連ねて、批判することが信仰者の取るべき姿勢とは思えません。

そんなことをするくらいなら、現在進行形の迫害に対して、祈りとともに抗議の声をあげるべきですが、何一つ聞こえてきません。悲しいです。
 

Pasさんへ  投稿者:ダンボ  投稿日:2008年 9月30日(火)01時52分18秒
  風邪はもう治りましたか?
こちらも急に寒くなり、慌てています。
お仕事の方も順調に進んで何よりでした。
引越しの準備などしばらくは落ち着きませんね。
そんな中でいろんな情報を提供していただき、有り難うございます。

長崎ちゃんぽんや皿うどんは、男性には良いのかも知れませんが、
女性にはギョッ!とする量で、
よく江山楼で、女性観光客が人数分のちゃんぽんと他の料理を注文するのを、
「出てきたらびっくりよねー。食べきれないよ」と思いながら見ていたのを
思い出しました。(意地悪?)
私のお気に入りは江山楼でした。
リンガーハットはフランチャイズで、こちらでも食べられるのですが、
何だか少し違うような感じ?

夜に食べるには、少し重いです。Pasさんは、体調が戻ったからかも知れませんね。
私的には博多ラーメンの細麺が・・・ちゃんぽんの太麺は苦手で・・・。
長崎にいる間は、内緒でした。
ゆえに、江山楼では春雨のちゃんぽん風をいつも食べてました。
豚の角煮万頭と一緒に。
今度、列福式で長崎に行きますので、久しぶりに食してきます。
 

カト新聞の誤魔化し  投稿者:ダンボ  投稿日:2008年 9月30日(火)01時25分3秒
  教皇様は、フランス訪問をされていましたが、その記事をどのように掲載されるのか興味津津で待っていました。
*******************************

カトリック新聞:アプローチは穏やかで楽観的

 現教皇は前任者の故ヨハネ・パウロ2世とは違った姿勢を示している。前教皇は1980年にフランスを初訪問した際、フランス人の信仰からの離脱を厳しく批判し、カトリック信者に向けて、「フランスよ、教会の長女よ、あなたは洗礼の約束を忠実に守っていますか」と問いかけた。
 ベネディクト16世は、より穏やかなアプローチを示しつつ、司牧的な問題に触れながらも、前向きな側面を努めて強調している。・・・

**********************************

http://senese.cocolog-nifty.com/koukishin/2008/09/post-86b6.html  、

 フランスを訪問しているラッツィンガー教皇は、再婚者の聖体拝領はあってはならないと確認した(9月15日、コッリエーレ・デッラ・セーラ)。

ルルドを訪問している教皇は、フランスでこれまで司教の寛容として黙認されていた再婚者(divorziati risposati) への聖体拝受は出来ないことを確認した。

教皇はマタイ福音書を引用し、「神が結びつけたものを、人が離せない」(cio' che Dio ha unito l'uomo non separi)としている。

また、「教会は、婚姻の解消不能性を忠実に守っている。様々な理由で、それを尊重できなかった男女をより大きい愛で包んではいるが。それゆえ、非合法なカップルを祝福する動きを認めることは出来ない」と強い調子で、再婚者の聖体拝領はありえないことを強調した。
・・・しかしここまで強い表現を用いたことはこれまでなかった。
また、ラテン語のミサに関しては、要望があれば応ずるようにと、司教団に語った。

******************************

どうして、こうも異なるのでしょうか。

結婚の秘跡とは、このように大切なものであり、神様のみ前で立てた誓いは重いのです。

大阪教区司牧研修会でのホアン・マシア神父は、教会法は守らなくても良いと言ったそうですが。
ホアン・マシア神父とは、倫理神学の専門家との説明をよく聞きますが、その前に
「バチカンと解放の神学」「信仰と政治の十字路―解放の神学」の著作があり、はっきりと
解放の神学者だと名乗るべきだと思います。
 

もう真夜中だけど......たべたい  投稿者:Pas  投稿日:2008年 9月30日(火)01時21分34秒
  長崎ちゃんぽん・皿うどん写真集
http://www.nagasaki.web-saito.net/chanpon_gallery.html

矢野顕子さんの「ラーメンたべたい」という曲が思い浮かびました。
http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND38167/index.html
http://jp.youtube.com/watch?v=gRgpeMhey6c

大浦天主堂
http://www1.odn.ne.jp/tomas/oouratensyu.htm
大浦教会
http://www1.odn.ne.jp/tomas/ooura.htm
 

大阪カトリック時報  投稿者:おつる  投稿日:2008年 9月29日(月)23時25分27秒
  毎月一回発行の 大阪カトリック時報という 9/1日号のミニ新聞みたいなのを読んで
のけぞりました。

カトリックという名前でありながら 聖書やイエス・キリスト様のことは
一言も書いてなくて、へだての壁、偏向政治シリーズでした。
ブログに 少し 書きます。

http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/

 

ノコさんへ  投稿者:おつる  投稿日:2008年 9月29日(月)00時15分53秒    編集済
  神聖文字「YHWH」は 箕面教会では、和田幹男神父様より、
「使わないとバチカンから通達があったので、聖歌も気をつけて下さいね」と
聖歌隊長へ指示がありました。
なので、箕面教会では、一切 ヤーウェの言葉は使わないのです。

今日のごミサでも 説教でその御話をなさいました。
また、かしの木という 箕面教会の月報誌にも 神父様が説明を書かれています

典礼聖歌や聖書の刷り直しは 間に合わないと思いますが
典礼や聖歌では 使わないようにとの各教会での徹底が必要ですねー
 

北方領土と対馬  投稿者:ララ  投稿日:2008年 9月28日(日)19時30分51秒
  >中印国境紛争で中共軍を実質追っ払っています。歴戦の中共軍に引けを取らなかったのです。
>あの時も「無抵抗」が良かったんですかね?>松浦補佐司教

マジで国境ぐらい平和の為なら幾らでも譲るべきだと思っているのかもしれませんが、
北方領土関係者や最近韓国が領有権がどうのとワァワァ言い始めた対馬の住民の前で言ってみて
欲しいものですね。
 

Re: ガンジー  投稿者:ノムさん  投稿日:2008年 9月28日(日)19時18分1秒
  チャンドラー・ボーズは日本とも縁の深い方ですね。日本は多少の支援をしたはずです。大東亜会議にも出席しています。
ガンジーが「無抵抗主義=非武装主義」でなかったことは、独立後非武装でなかったことで明らかです。
自分に都合の良いある局面を切り取って、それを全体と印象づける。意図してやるならまだマシですが、彼らはそれを本当と信じていますよ。
ネールの時代になりますが、中印国境紛争で中共軍を実質追っ払っています。歴戦の中共軍に引けを取らなかったのです。
あの時も「無抵抗」が良かったんですかね?>松浦補佐司教

http://www.nomusan.com/~essay/index-jubilus.html

 

ガンジー  投稿者:ララ  投稿日:2008年 9月28日(日)16時47分43秒
  何かの本にガンジーの無抵抗主義だけでは独立できなかったと書いてありました。
ガンジーの意図しないところではあったでしょうが、ボースらの強硬路線が一方にあってこそ、
それらが車輪の両輪のように働いて、イギリスをまだしも穏当な交渉相手としてのガンジーとの
対話に導いたとの事でした。
インドではむしろガンジーよりも当時強行路線をとっていた人々の方が独立運動の英雄としての
評価が高いと言うのは本当でしょうか。
日本人程ガンジーをありがたがり、それのみで現実に対応できると考えている多くの人々を抱えた
太平楽な民族など世界にはいないのかもしれません。
海外情報と言うものは、それを日本に紹介する人の主観によってバイアスが掛かることが多いので
要注意ですね。
 

論理というもの  投稿者:ノムさん  投稿日:2008年 9月28日(日)15時00分12秒    編集済
  精査していないのですが、谷司教9/14講演のレジメによると、「政教分離」とは、
>>
欧米では“Separation of Church and State”と訳されているが(何から訳されているのか不明)、日本で“Separation of Religion and State”としても意味が分からない。
“Separation of Shrine(Shinto) and State”である。
>>
ということでした。対象は神道なのです。

神道は政治に関わってはならないが、他の宗派は、関わっていく義務がある、というのです。
神道のみを区別する憲法的根拠はまったく分かりませんが、欧米におけるキリスト教に匹敵するのが日本では神道だという訳ですな。
その前提を認めるとして(私は認めませんが、認めるとして、デス)
創価学会も浄土真宗も日蓮宗も、それぞれ大っぴらに政治活動を始めていいんですかね。天理教はどうなんでしょう?
まさかカトリック(キリスト教)のみ許される、と迄は飛躍しないはずです。
日本の社会はバラバラになると思いますよ。

もう一つ、根本的な論理矛盾があります。
これは私の仲間の指摘ですが、
「日本のカトリック聖職者は日本人のキリスト教化を考えていないのか」
ということです。考えていないとすれば、彼らの好きな“福音のメッセージ”に従っていないことになります。いいえ、そんなハズはない。
10年先はムリにしても50年先、あるいは100年先、それがムリでも500年先、1000年先、いつか必ず日本をキリスト教徒多数の国にしてみせる。そう思っているでしょう。
思っているハズですよね?
そんなこと、考えもしていない、なんてこと、ないですよね?
そうすると、何年か先、日本のキリスト教化が実現したその時、
「教会が政治に関与するのは教会の義務である」
とおっしゃるのですから、日本から政教分離は失せる訳です。

http://www.nomusan.com/~essay/index-jubilus.html

 

Re: 将来的な方向性が決まりました  投稿者:ノムさん  投稿日:2008年 9月28日(日)14時19分17秒
  Pasさん
おめでとうございます。
いずれ知的な職場なのでしょうが、時期が来ればお会いして歓談したいものです。

http://www.nomusan.com/~essay/index-jubilus.html

 

Re: 無抵抗平和主義について  投稿者:ノムさん  投稿日:2008年 9月28日(日)14時15分18秒
  > 日本だけは平和主義を唱えているだけで侵略されない様護られていると言うのであれば
> どこか「神国日本」的発想ですね。

そして、何でもアメリカが悪いというのは、『鬼畜米英』です。
反対回りで先祖返りしているのです。

http://www.nomusan.com/~essay/index-jubilus.html

 

ベトナムのことですが  投稿者:テレジア  投稿日:2008年 9月28日(日)11時31分50秒
   ベトナムのことが出ておりましたが

 いま、ベトナムの教会が危機に瀕しております
 ベトナム政府の方針なのか、教会の破壊と、教会への暴力が過度を超えた
ようです。ミサの途中に暴徒が現れ、尊きイエス様の十字架、そしてマリア
様のご像を破壊し・・・それだけではなく、教会の聖堂自体が破壊され、更
地にされてしまった教会も出ているそうです。

 これからベトナム人の神父様はベトナムにむかわれるそうですが、入国拒
否か、もしかしたら捕まってしまうかもしれないともおっしゃられていまし
た。

 お祈りください・・・
 今日は世界難民移住移動者の日でもあります

 どうか、迫害されている方々のために・・・
 お願いいたします
 

無抵抗平和主義について  投稿者:ララ  投稿日:2008年 9月28日(日)10時14分46秒
  独身である神父様やシスターにとっては無抵抗で殺されるなんて事は、殉教とでも思えば
受け入れやすいことなのかもしれませんが、信徒の目の前で目の前で年端も行かない女の子
がレイプの上、惨殺されそうになっても、信徒たちに無抵抗を呼びかけるんでしょうか。

又、植民地になると言うことは事の是非の判断を宗主国に任せて「どこそこへ攻め込め」と
言われたら従わざる得ない立場に身を置くことだ思いますが、従うのでしょうか。
それともそういわれてからようやく「抵抗」するのでしょうか。

近隣諸国との関係では日本が侵略したと言う点にばかり視線が集中しますが、元寇の際には
今の韓国・北朝鮮辺りの人々が、元の命令のもとで日本に襲いかかり、壱岐・対馬の男達を惨殺。
女子供をレイプの上、手に穴をあけて荒縄を通し、生きたまま数珠つなぎのようにして
船の舳先にぶら下げた上、さらに博多に襲いかかろうとしたそうですね。

植民地になることを覚悟して平和主義を唱える以上は自分が当時の高麗の人と同じことをしろと
命じられたらどうするのか、それ以前に壱岐・対馬のように突然襲いかかられた場合「同じ犠牲
を覚悟しろ」と自分ばかりではなく周囲の人にも言えるのか問うべきですよね。

又「相手に侵略の意志を持ったり、過剰な防衛力を持たなければ戦争を仕掛けられたりしない」
と言う意見の神父さん方は韓国が日本の植民地になったり、中国が日本から侵略されたのは彼等
にも平和主義的でない点があったからだという意見をお持ちなのでしょうか。
チベットはどのように非平和的でどのように武装をしていたから占領されたとお考えなのでしょうか。

他の国はともかく日本だけは平和主義を唱えているだけで侵略されない様護られていると言うの
であればどこか「神国日本」的発想ですね。
 

共産主義  投稿者:ノコさん  投稿日:2008年 9月28日(日)01時39分43秒
  >おつるさん
神聖文字「YHWH」は使えなくなったが典礼聖歌、聖書その他訂正箇所は150箇所にも及ぶ大規模なものなので具体的にどう改訂していくか決まるまでは当面「使う」とのこと。両形態の件もそうだが違法と決まったものをだらだらやり続けるのが日本の教会のいけないところ

本日、
ピオ12世回勅「ミステチ・コルポリス」(キリストの神秘体)読了
ピオ11世回勅「ディヴィニ・レデンプトリス」(無神的共産主義)に取り掛かる
 

個人的なことですが  投稿者:Pas  投稿日:2008年 9月28日(日)00時11分14秒
  将来的な方向性が決まりました。
雪の季節になる前に新天地に引越し、また新しい人生を歩み始めることになりました。

数日前、新天地となる関東地方のある街を訪ねた際には、まだまだ陽射しが強かった気がしました。
帰ってくると現住所の方はすっかり涼しくなっており、ドッと疲れが出たのと同時に風邪を引いてしまいました。

お彼岸を過ぎて、さすがに日本中が涼しくなってきたようですね。皆様も、風邪には十分注意してください。
 

子供分科会  投稿者:おつる  投稿日:2008年 9月27日(土)23時37分57秒    編集済
  サボテンさんの カト新の記事:正平協大会の記事のお知らせを読んでhttp://www.cwjpn.com/cwjpn/article/index.htm

>三日目の「子ども分科会」には小教区や同教区内の賢明学院、百合学園の小学生ら
>計百四十人が参加。

高畠神父様が百合学院の教師だったから大量動員が可能なのでしょうか・・・
大人は神父様含め全国から 500人の参加に対して
子供たちの動員は 近隣の地域、ほぼ二つの学校からとしては
かなり多いように感じます。  両方の学校の小学校・中学校全部で1000人ぐらいだと
思うので、10人に一人は参加しているという割合???

子供たちの洗脳にいかにチカラを入れているかがわかります。
ひどいです。
参加させる親は 内容の偏向さが理解できているのでしょうか。
嘆かわしいことです。

http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/

 

カトリック新聞の記事  投稿者:ノムさん  投稿日:2008年 9月27日(土)22時35分44秒
  カトリック新聞は毎週木曜日に配達されるのですが、私は正平協の記事をざ〜っと呼んだだけで、そのままおいてありました。いま詳しく目を通してみると、「意見異見私見」欄にジョーズ・カビとおっしゃる、おそらくインド人信徒であろう人の投稿があります。オリッサ州のことが書かれています。

「オリッサ州の仲間によると、現地の教会全体がまひ状態にあるという。司祭や修道女たちは、強制収容所のユダヤ人のようにおびえている」

「村人たちがヒンズー教徒にならない場合の選択肢は二つしかない。村にはもう戻れないか、あえて戻ろうとするなら死を覚悟するかだけなのだ」

http://www.nomusan.com/~essay/index-jubilus.html

 

Re「あがないの秘跡」について  投稿者:ダンボ  投稿日:2008年 9月27日(土)21時55分26秒
  Vincentさん、情報を有り難うございます。

大阪教区では、教区長も補佐司祭も従う気はないようですね。

それを意識しての、春の宣教司牧研修会だったのでしょうか。
ホアン・マシア神父が、「バチカンからの決まりや教会法は守らなくてもよい」と司祭方に講話されたのですから。
それを受けて、説教で「バチカンは最近、どんどん昔に戻そうとしている。・・・」と、前述の発言を引用されたのです。

こんなことをいつまで続けるつもりでしょうか。
私たちの教会では、ほぼ問題はクリアされましたが、他教会では、ほとんどが・・・。
最近になって、始めた教会(複数)まであるのです。まるっきり反対の動きですね。

今年になって始めた一つの教会には、神父様にお知らせしておきます。
 

神様の名前  投稿者:おつる  投稿日:2008年 9月27日(土)21時54分49秒
  既出ならすみません。
和田幹男神父様からお聞きしましたが、「ヤーウェ」という名前は
バチカンからの指示で使用してはいけない事になったとのことで、
典礼聖歌の 35 41 60 79 177が 該当しますね。
ラテン語聖歌やグレゴリオ聖歌をどんどん歌うようになればいいな。

サボテンさん 正平協大会のカトリック新聞の偏向した記事は、くだらないですね。
朝日新聞か毎日新聞かと思いました。

”輝かせたい憲法九条” 第4回シンポジウムにチベット旗を持っていくかもと
言ってましたが前日にいろいろ相談したうえで、やめました。
一般参加者や、仏教者などに 「フリーチベットの人たちが 憲法9条に賛同し
喜んで参加している」と誤解されるのはまっぴらだと思いましたし、
フリーチベットの友人たちは、たくさん募って参加しようと言ってくれてましたが、
あんなくだらない政治集会に交通費と時間を使って来てもらうのは
申し訳ない気がしました。
汚れた偏向した集会に純粋なチベット支持の方に参加していただくのは、失礼ですよね。

特にシンポジウムのパネリストが 松浦補佐司教だというのを知り、
抗議のために参加するという 価値もないような気がしました。

というわけで ご報告できなくて・・・・ごめんなさい。

http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/

 

Re: カト新の記事:正平協大会  投稿者:ノムさん  投稿日:2008年 9月27日(土)21時52分55秒    編集済
  > ハイチのハリケーン被害が環境破壊という人災によるものでもあると知ったのが、・・・

何をどう知ったんだろうね、子供たちが。

> 「教会という枠から広げていく」(高畠政行神父)

つまりカトリック信徒以外の協力を得た、

> 「日ごろの関係が生かせたからこそのもの」(松浦悟郎補佐司教)

カトリック信徒だけではやれなくなっているということか。
そんならいっそ、外でやって欲しいわ。

2面にはインド東部で、「教会襲撃 やまず」とあります。
インド東部オリッサ州で反キリスト者暴力が続いているそうです。
こんなところへこそ、駆けつけてみたら如何でしょうか>松浦補佐司教

そういえば以前、長崎大司教館に凶器を持った女が押し入って、司教館は警察呼んで取り押さえて貰ったというニュースがありました。警察は素手で来たんじゃないですよね。
ダンボさんならこのニュース、覚えているかな?
私もHDのどこかに保管してあるんだけど。

「声」欄には“秋葉原事件といのちの電話”として、ベリス・メルセス宣教修道女会会員の方が投稿しています。この会はシスター弘田の所属しているところですよね? 色んな人がいるということかな?

http://www.nomusan.com/~essay/index-jubilus.html

 

「あがないの秘蹟」について  投稿者:Vincent  投稿日:2008年 9月27日(土)20時35分32秒
  先日、信者が御聖体をカリスに浸す方法について中央協議会に
問い合わせたところ、日本でも去年の司教会議でヴァチカンの
方針に従うと決めているそうです。つまり、日本でも違法であ
ることに変わりはないのです。

ところが、まだ違法な拝領方法はかなりあるようです。皆様は
出来るだけ止めさせるようお願い申し上げます。
 

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天におられる私たちの父よ
御名が聖とされますように
御国がきますように
御心が天に行われるとおり地にも行われますように
私たちの日ごとの糧を今日もお与えください
私たちの罪をお許しください
私たちも人を許します
私たちを誘惑に陥らせず
悪からお救いください
 アーメン


   
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