神戸教会年表

教会史
1869.10.5米国外国伝道委員会 (American Board of Commissioners for foreign Missions)は、第60回年会に おいて日本伝道開始と宣教師グリーン(Daniel Crosby Greene)の派遣を決議 する。
11.30グリーン夫妻横浜に到着、その後 東京に滞在する。
1870.3.31グリーン夫妻は神戸を伝道地として 定め、中山手通に移転。この年、前田泰一、澤山馬之進(保羅)、影山耕造が訪れる。
5.22グリーンは、居留地にある秘密結社、フリーメイソン の神戸支部から無償でホールを借り、毎日曜日に英語礼拝を開く。
1871.3.アメリカン・ボード宣教師ギューリック (Orramel Hinkley Gulick)夫妻、神戸に到着する。
6.30グリーンとギューリックの日本語教師市川栄之助 妻まつが弾正台の役人に逮捕され、翌年11月、夫妻とも京都二条の獄舎につながれる。
12.1アメリカンボード宣教師デーヴィス(Jerome Dean Davis) 夫妻、神戸に着任する。
1872.1在日アメリカン・ボード宣教師団最初の 総会をひらく、会長にグリーンが就任する
5.27アメリカン・ボード宣教師ベリー(John Cutting Berry) 夫妻、神戸に着任。生田神社前に施療所を設立する。
8デーヴィス夫妻は避暑地、有馬において元三田藩主 九鬼隆義およびその家族と交遊。ペリーが主治医となる。
9.20横浜において全プロテスタントの宣教師会議が開かれ、 グリーンが聖書翻訳委員に指名される。
11.25市川栄之助は京都二条獄舎で死去。まつはその後 出獄する。
12.16松山高吉、前田泰一らの発起により八部郡 宇治野村(神戸市中央区下山手通)に宇治野英語学校を創設。デーヴィスが校長に就任、約40人 の生徒が在校した。間もなく日曜日に同所で聖書研究会を開く。
1873.3宣教師および求道者は、元町通にキリスト教 書籍を販売する書店を開く。
3.31アメリカン・ボード婦人宣教師タルカット (ElizaTalcott)、ダッドレ−(Julia E.Dudley)、神戸に着任する。
5.デーヴィスが九鬼隆義の長女肇の葬儀をキリスト教 式によって行う。
9.14元町講義所を開所。毎日曜日に説教、聖書研究 を行う。会衆の半分は地元の商店主や機械工であった。
9.28アメリカン・ボード宣教師アッキンソン (John Laidlaw Atkinson)夫妻、来神。
10.3タルカット、ダッドレ−は花隈村前田兵蔵宅にて 、英語・唱歌の教授所を開く。
11.14グリーンは求道者を集め、教会設立のための 祈祷会を開く。
12.7元町会議所において安息日学校をはじめる。
1874.4タルカット、ダッドレ−は北長狭通、白洲退蔵宅 にて「神戸ホーム」(神戸女学院)を設立する。
4.19元町講義所を基盤に、男女11名がグリーンより受洗。 摂津第一公会を創立し、グリーンが仮牧師となる。
6.1グリーン、松山高吉は新約聖書翻訳事業のために 横浜に去り、デーヴィスが仮牧師に就任する。この年、前田泰一が讃美歌8編による『無題讃美歌集』 を編纂する。また教会設立以降、約5年間は特に伝道師をおかずに、会員中から「伝道派出員」を 選抜して、神戸市内をはじめ、三田、西宮等の兵庫県下各地、今治、松山、伊予、小松、岡山などへ 開拓伝道を行う。
1875.10.デーヴィスは同志社設立のために辞任し、アッキンソンが 仮牧師に就任する。
10.12タルカット、グッドレーによる「女学院」 (通称「神戸ホーム」)が鈴木清、前田泰一らの協力により、独立校舎をもって正式に開校 する。
12.28『七一雑報』がアッキンソンにより創刊 され、教会員今村謙吉が社長に、村上俊吉が編集長に就任する。
1877.11.1前田泰一を神戸教会の監獄係に任じ、 監獄伝道を開始する。
10.20神戸教会員を含む23名により、多聞講義所が独立する
12教会員山口安蔵が会堂建築のため5円を寄付したことが きっかけとなり、会堂新築を決意し川本泰年、鈴木清を委員に選出、米国外国伝道委員会の補助を 受けない方針で募金運動を開始、北長狭通6丁目善福寺所有地に約73坪の敷地を購入する。
1878.11.21木造西洋建築の新会堂(建坪50坪、建築費1493 円63銭)を竣工、奉堂式および親睦夜会を行う。
1880北海道開拓を志す株式会社赤心社が創立、教会員 鈴木清が社長に就任する。
6.4アッキンソンが辞任、松山高吉がデーヴィスの司式 により按手礼を受け、初代牧師に就任する。
1881.7専任伝道師制を定め、田中助を西宮へ派遣する。
1883.2.栄町3丁目の栄町商議社にて安息日学校を開校する。
7.会堂増改築工事はじまる。
1884.1会員宅で輪番に行われていた連夜祈祷会において 「リバイバル」がおこる。
2.安息日学校開校10年を期して組織を整え、また生徒数 の増加にともないクラスを23組に拡充する。
4.18創立10周年記念として当教会にて説教会・祝会、 諏訪山紅葉館において親睦会を開く。
9.15松山高吉は聖書翻訳事業に従事するため辞任。
9.17原田助は神戸英和女学校(神戸女学院)教師を 辞任し、仮牧師となる。
1985.1.15西宮教会が設立され神戸教会より22名が転会した。
5.4第2代牧師原田助の按手礼を成瀬仁蔵の司式により行う。
1886.神戸教会の女性信徒市田久、北セイらが中心になり、 下山手通5丁目9番地に婦人英学会を設立する。
1.3山田村(神戸市北区)の高木正平の受洗を端緒とし 、山田村に伝道を始める。その後、伝道師溝手文太郎が月1〜2回、同地へ赴く。
4.日本組合基督教会の創立にともない、「摂津第一公会」 の称を「日本組合神戸基督教会」に改める。
4.神戸基督教徒青年会(神戸YMCA)が創設される。 会長・原田助、幹事・小磯吉人、村上俊吉。
5.神戸・多聞教会の有志を中心に「神戸婦人会」が組織され、 遠山てい子宅で開かれた同会親睦会において、幼稚園設立を志す。その後、資金調達のため、手芸品を アメリカに輸出する。
6.赤心社の入植地北海道日高郡浦河に元浦河公会が設立され、 田中助が就任する。
9.17−23米国禁酒会書記レビット(Mary Clement Leavitt) による禁酒、禁煙」、矯風演説会が神戸で開かれたことを機に「神戸婦人禁酒会」が発足する。会長 川本操、会員60余名。
11.4バロス(Martha Barrows)、ダッドレ−により、神戸女子 神学校(聖和大学)が開校される。
1887.12.25シカゴ幼稚園長ハウ(Annie Lion Howe)が婦人会の 依頼に応じて来日。保母伝習所および幼稚園(頌栄保育学院)設立のための準備活動を行う。
1888.8.8原田助は在任のまま米国へ留学する。
12.12求道者の増加にともない下山手通6丁目(現在地) に新会堂が竣工、奉堂式を行う。設計監督・横田勝治。
1989.7原田助は留学中に牧師を辞任する。
10.14頌栄保母伝道所および幼稚園が神戸市中山手通5 丁目6の1に落成。10月中に伝習所、11月に幼稚園が開園する。
1890.1.牧師原田助が辞任し、兵庫教会牧師村上俊吉が 兼任牧師となる。
6.貧民救済義会の発足にともない、当教会内にも 「病民救助委員会」が設けられ、「貧民救助」および「貧病人治療」のために活動を開始する。
1891.1山田講義所を開く。
3.天満教会牧師本間重慶、第3代牧師に就任する。
1892.10.山田講義所の教会堂が落成し、奉堂式を行う。 また西尾文亭を定住伝道師として同地へ送る。
1893.6.本間重慶は牧師を辞任する。
7.2教会員奥田知信ら数十名が教会分離届を提出。 本間重慶を擁して下山手通3丁目に神戸基督仮公会を設立。同教会は翌年神戸基督公会と称し、 その後活田教会を経て、神戸雲内教会となる。
9.日本伝道会社社長海老名弾正が在任のまま第4代牧師に 就任する。
12.9貧民救済議会は神戸孤児院と改称、中山手通7丁目において 開院式を行う。
1894.日清戦争の勃発を機に、教会員海老名みや、市田久、 松本荻江らが、婦人奉公義会を結成、神戸市婦人会の前身となる。
4.7創立20周年を迎え、『神戸基督教会歴史大要』を発行する。
1897.4.4集会所「不窮館」落成。市田左右太の遺言により 寄付された300円を建設資金にあてる。
5.海老名弾正は牧師を辞任する。
1899.6.4日曜学校生徒のために「小供の聖日」を行い、 その後、年中行事とする。
7.青年共励会は、寄宿舎建築の議を起こし、募金運動に 着手、下山手通6丁目に「進修館」を建築する。
9.10内務省令第41号(宗教取締規則)に基づき、臨時総会 において、教会管理者に塚本伊左衛門、横田勝治を選出。9月12日に宣教届を、10月4日に教会既設届を 兵庫県知事宛に提出する。
10.23『教会月報』創刊する。編輯兼発行人・立山一郎、 発行所・教会月報発行所。
11.26ペストの流行につき、県通達により公開集会が 差し止められ、礼拝の休会が続いた。
12.翌年、ニューヨークで開催される万国伝道博覧会の依頼により、ハウが 写真を蒐集。当教会からも教会堂、進修館、日曜学校、役員会、婦人会、共励会等、数点を出品する。
1900.2.30神戸基督教青年会主催の演説会を当教会会堂にて行う。講師・海老名弾正 「新日本の青年」この後、たびたび会場となる
3.8
――11
万国共励会会頭クラーク(Francis Edward Clark)を迎えた日本連合基督信徒共 励会第8回神戸大会が、当教会で行われる
5.23原田助は日本連合共励会代員として、7月にロンドンで開催される万国共励大会に 出席する。
1901.2.1120世紀大挙伝道の一環として、神戸市連合特別大祈祷会が開かれ、当教会は信徒大会の 会場となる。また、この年は演説会が頻繁に行われた。
9.21臨時総会を開き、「教会の主意」「信仰の告白」「教会員の誓約」を含む教会条規を決める。
1902.2足尾銅山鉱毒被害民救恤のため関西遊説中の田村直臣、木下尚江、塩田千勢子を講師 とする婦人矯風会主催の当教会にて行われる。
8.17コレラが流行し、教会員60余名が予防注射を受ける
8.26創立30周年記念として会堂大修理に着手。工事中の礼拝と日曜学校は、神戸女学院講堂にて 行う。
11.7原田助が日本組合基督教会会長に推薦される。
1903.1.4創立30周年にむかて、内的充実と外部伝道をはかるため「30年会」を発足し、その 「組織会」を開く。
2.16『東京毎週新誌』は『基督教世界』と改題。同志社の演説会を不窮館にて行う。講師・原田助 「吾人の抱負」、牧野虎次「基本に帰れ」、石橋為之助「文明の幣」、長田時行「教育会の根本問題」。来会者349名。
4.1
――3
全国共励会大会が、当教会および神戸女学院を会場にして開かれ、大演説会などが行われる。 総指揮・原田助
4.2婦人矯風会大会が当教会を会場にして開かれ、「醜業婦救済事業」等について論議される
6.13一色醒川、永代静雄などを中心とした青年共励会主催文学会を行う
9青年共励会主催の納涼園遊会を神戸女学院にて催す。来会者1200名。
10.16教会を社団法人化する議が熟し、臨時総会にいて理事選挙を行う。村松吉太郎、小磯吉人、 澤才二郎ら12名を選出。
11.10月にハウが来米したため、11月より原田助が頌栄保母伝習所所長兼教員となり、和久山 きそが幼稚園園長につく。また12月、教会婦人会は、頌栄幼稚園の管理を米国外国伝道委員会に託すことを決議する。
11.1神戸でもガス燈が用いられるようになり、当教会堂でも点灯された。「夜中堂内の光景燦々として 美観を添へた」。
1904.1.オルガンにかわる楽器を購入するために、婦人会主催メサイア演奏会を当教会にて行う。 日本の教会堂におけるメサイア演奏の嚆矢である。
2.21日露開戦の非常時に際し、創立30周年記念会を質素に行うこと、また、教会基本金をもって 軍事公債募集に応じることを臨時総会で決議する。
2.市内諸教会会員により組織された神戸教会奉公同志会(会長・原田助)主催の演説会が当教会 にて行われる。
4.19創立30周年記念集会を行う。講師・古木虎三郎「黄禍問題の自滅論」、海老名弾正「プロテスタント教の 降勢」など。
1904.6.25神戸奉公同志会主催の軍隊慰労音楽会を当教会にて開く。
12.4創立30周年を記念して、教会員田村新吉が寄贈した「新風琴」(パイプ飾付オルガン)の「聖別式」 を行う。
1905.5.7原田助は上海および寧波にて開催される共励会教育大会に出席するため中国に赴き、さらに韓国 視察旅行を行う。
1906.2.4原田助は日本基督教青年会同盟の依頼に応じてインドに赴き、諸都市で講演する。
5.5神戸女子神学校教師コザート(Gertrude Cozad)が同校生徒の「修練」のために設けた日曜学校 奥平野講義所として開所した。
11原田助は牧師を辞任する。
1907.4.23渡瀬常吉、第6代牧師に就任する。
5.11救世軍大将ブース(Wiliam Booth)を迎え同軍主催の演説会が当教会にて開かれる。通訳・山室軍平
6.教会隣接地購入および日曜学校校舎建築のための募金運動に着手し、婦人会や日曜学校主催の音楽会を行う。
12.15神戸教会青年共励会主催第1回宗教学術講演会を行う・講師・京都大学教授石橋五郎。
1908.9.19日曜学校校舎が落成し、奉堂式を行う。これより、大人・子供各8クラスとなる。
1909.6.奥平講義所は平野一本松に移転し、11月に奥平野支会と改称、翌年12月にさらに平野本通に移る。
10.311908・1909年度の受洗者60余命によって「教友会」を組織。同会に慈善課、教会統計課、訪問課を設置 した。
1910.10.1第26回組合教会総会が当地において開かれ、朝鮮伝道開始の件を議決。なお渡瀬常吉が朝鮮 伝道部長に選ばれたため、翌年6月牧師を辞任する。
1911.9.24教城教会牧師米澤尚三、仮牧師に就任。翌年4月正教師となる。
1912.9.15「明治天皇敬悼礼拝」、また市内諸教会連合主催の「祈祷会」「敬弔式」を行う。
1913.1.11神戸基督教青年会は創設以来、当教会の不窮館や進修館において集会を 開いていたが、下山手通に会館を建設する。理事長・村松吉太郎。
2.22創立40周年記念に向けて、教会員の家長130名に呼びかけて「家長会」を組織し 、条規を定める。
10.21
――22
創立40周年祝会募金のため文楽・浄瑠璃の一座を招き、神戸基督教青年会館 にて慈善演芸会を行う。また、12月13日には婦人会、老人会が主催して慈善バザーを開き、この後、年中行事とする。
1914.6.19
――22
創立40周年記念諸集会を行う。講師・小山東助「過去・未来・現在の基督」、 宮川経輝「喜劇か悲劇か」、海老名弾正「霊界の回顧と展望」、「現代婦人の悩み」など。なお「記念絵はがき」を発行。聖餐の杯を 購入。電話を取り付けた。
8.20創立40周年記念伝道における100余名の受洗者による「百人会」を組織する。
1915.3.17婦人会は第1回「女中招待会」を開き、90名が出席する。
6.12婦人会・青年会・老人会の主催による慈善音楽界を神戸基督教青年会館大講堂で開き 、のち年中行事とする。
7.27婦人会矯風会主催の演説会が当教会にて行われ、林歌子が廃娼運動について講演した。
1916.3.1婦人会は裁縫などの「仕事会」を始める。
5.19
――23
市内各教派連合による第1回協同伝道を開始、「神戸市における空前の大盛会」となる。
12.25「献げもの」をすべて白く装飾した、第1回「白き贈物」クリスマスを行い、献金 134円をベルギー領事を通して同国へ送った。
1917.5.19神戸教会内にCBMS(小壮実業家会)を発足する。
1918聖歌隊が発足し、のち女子を加えて混声聖歌隊となる。
3.6牧師宅に電話が開通する。三宮3098
5.第1次世界大戦の影響による諸物価高騰のため、教会年度予算約2割が膨張 (5977円20銭)。「常費献金」2割増額を促す緊急広告を「教会月報」に掲載する。
6.23聖歌隊主催の第1回讃美礼拝を行う。
12.1「第1次世界大戦終結感謝讃美礼拝」行う。説教・米澤尚三「歌ひつつ橄欖山へ」。
1919.1吉田金太郎、村松吉太郎ら教会員が中心となり神戸禁酒会を発足、4月5日に発会式 を行う。講演・山室軍平。
7.26日曜学校中等科生は山本瀧、吉田信らを中心に「星雲会」を組織、文芸部・音楽部 運動部をおき、毎月第2土曜日に例会をもつ。また隔月に謄写版刷の雑誌『星雲』を発行する。
9.17婦人会は神戸基督教青年会と共催で聚楽館において「宝塚少女歌劇演芸会」を開く。 昼夜2回講演、純益2688円5銭。
9.24日曜学校親睦運動会を神戸女学院校庭において行う。
1920.家庭集会が盛んに行われる。
10月5日から東京で開かれる日曜学校世界大会に向けて 当教会の日曜学校もの活動も活発に行われる。
3.7市民に門戸を開くため、日曜夜の伝道説教会を文化運動講演会とする。第1回講師 ・同志社大学教授阿部賢一「経済生活の文化的使命」、神戸商工会議所会頭田村新吉「労働会議と新思潮」。
7.5教会員である兵庫県知事有吉忠一は、市内隔派教会の牧師を招き、県庁において 会合をひらく。
9.28
――30
日曜学校世界大会の指導者たちが来神し、教育大会、市民大会、学生大会 などが盛大に行われた。
10.「基督教大意講話」を吉田商店店員に毎週1回行い、11月より市田写真館でも開く。
1921.3住吉に100余坪の土地を借りて、花の日や収穫感謝祭に用いる草花、野菜を日曜学校の生徒の手で 栽培した。
4.9日曜学校主催の第1回家庭音楽親睦会を神戸女学院講堂において開き、教会員により 「埴生の宿」「ロシア民謡」などが演奏された。会費50銭(子ども30銭)。その後、定期公演された。
4.12牧師就任満10年を期し、米澤尚三を在職のまま1年間の欧米視察旅行(アメリカ・ イギリス・フランス・ベルギー・ドイツ・スイス)へ送る。「欧米漫遊通信」が『教会月報』に連載される。
9.21婦人会主催音楽界を新開地の聚楽館にて催す。独唱・関鑑子、バイオリン・芝祐孟、 ピアノ・フォーチンフォフなど。
11.13日曜学校高等科に所属する女学生により「紫苑会」が発足する。
1922.3.19安部磯雄による思想問題講演会が行われる。「現時の三問題」と題し、婦人・労働・国家問題 がとりあげられた。
7.18創立50周年記念会堂改築計画を募金額不足のために延期、新たに 10万円募金をめざすこととなる。
8.14
――19
はじめての試みとして、日曜学校中等科、高等科生 のための夏期学校を午前7時30分より9時まで開く。
1923.3.婦人会は芸奴営業時間延長反対の請願書を兵庫県に提出した。
5.3
――20
元町・栄町の会社、銀行、商店などに勤める青年有志を対象とした 求道者会を行う。
7.8聖歌隊は鐘ヶ淵紡績会社の依頼で「女工慰安会」に出演。そのたびたび 講演に赴く。
7.25青雲会・紫苑会、日曜学校生などがひがし垂水の会員大沢善助の別邸 にて順次「海兵共同生活」を試みる。
9.2
――5
関東大震災救援運動として、教会が救済義金の募集、また婦人会、紫苑会 青雲会、による500の慰問袋の作成などを行う。
1924.1.「創立第50年記念宣言」を 『教会月報』二発表し、記念運動を開始する。
2.電灯を会堂22個、講堂4個、各室に1個整備、また活動写真も完成する。
4.19
――20
創立50周年記念式典、諸集会を行う。講師・第三高等学校 教授栗原基「世界文化に対する基督教の使命」、海老澤亮「精神作興の動力」。記念礼拝および説教・渡瀬常吉「回顧 より新生へ」等を行い、『神戸基督教会略史』を出版する。
1925.11.8平野支会は新会堂を落成し、献堂式を行う。
1926.1.28ビジネスマンのための日本最初の「ヌーンサービス」 (正午礼拝)を、明石の町ユニオン教会においてはじめる。参加者147名、以後200名を越える。
5.2役員会を平野支会において開き、澤才二郎ら16家族を中心に して平野支会の独立を承認。日本組合教会平野基督教会が創立する。会員31名。
1928.1.29米澤尚三は牧師を辞任し、無牧となる。
1929.2.26鈴木浩二が第8代牧師に就任する。就任記念講演絵画6月に開かれる。 講師・神戸教会伝道師佐藤健男「愛による革新」、倉敷教会牧師田崎健作「聖霊に漂ふ愛の唇」、大阪教会 牧師畠中博「見ずして信ずる者の幸福」、鈴木浩二「無声の声を聴く人」。
1930.4.20
――21
市内各教派連合による「神の国運動」に参加。春期大伝道会を行う。
7.6
――7
第1回夏期修養会を摩耶山上にて行う。主題講演佐藤健男 「歴史的に見たる基督教経済思想」。
1931この年は日本組合基督教会5ヵ年計画特別伝道第2年目にあたり、神戸集中 伝道が企画された。神戸教会も平岡徳次郎、畠中博、海老名弾正ら多くの講師を招き、講演会。家庭集会などをたびたび 行う。
2.23
――25
賀川豊彦を招き、市内各教派連合主催早天祈祷会が当教会にて行われる。
3.1臨時総会において、会堂建築を決議、委員を選出し2万円募金に 着手する。総費用7万5000円。建築委員長森田金蔵。
4平野教会の希望により、同教会に貸与していた土地建物など1万2000円 余の財産を5000円にて譲渡し残金は同教会に寄付することとなった。
5.10会堂告別礼拝を行う。礼拝後大林組により着工。工事中の礼拝、日曜学校 校舎にて行われることになった。これを機に、30余年勤続の会堂守竹田虎吉・ますが引退し、慰労金を募集する。
1932.2.21新会堂が落成。献堂式を行い、兵庫県知事白根竹介をはじめ多数の来賓が出席。 また、堂やおよび27,28日に記念講演会を行う。講師・渡瀬常吉、今泉真幸、山口金作、岩間松太郎、畠中博。
10.23日曜学校は「世界は子供の平和から」の標語を掲げ、米国、中国、インド などの子どもたちと共に世界親善礼拝を行う。
12.24クリスマス礼拝が大阪放送局により全国にラジオ中継される。
1933日曜学校生徒読み物『星と子羊』の復活第1号を発行する。
1.横田貫次、伊達幸矢、安雲宗一らが中心となり家長会を再発足し、家庭集会の充実を図る。
3.28神戸女子神学校(聖和大学)、神戸女学院が相次いで西宮市岡田山 に移転する。
6.1
――30
創立60周年に向けて賀川豊彦大伝道集会を9回行い 、求道決心者130余名を得る。この後、毎週5回求道者会を開く。
1934.4.22創立60周年記念諸集会を行う。「百人伝道」により102名 の新入会員があった。
1935.10.7東京において開かれた組合教会第51回総会参加のため上京した 鈴木浩二夫妻ら会員12名と、東京在住会員による東京集会が初めて行われた。
1936.11.11日曜学校は世界平和記念礼拝を中国、ポルトガル、アメリカ、 南洋ポナペの人々を招いて行い、「小学校で教へられない国際的な気持ち」を与えるために、讃美歌「主我を愛す」を各国語で 歌う。
11.13非常時に際し、バザーにおいて、広告ビラや看板などを控え、余興は 中止された。
1937.6.6花の日礼拝が大阪放送局を通じて全国へ放送される。
7.10「青年男女に健全なる野外団体生活を体得せしめるため」日曜学校 、婦人会、静和会、常盤会の寄付により、5人用テントおよび付属炊事用具一式を購入、青年会、青雲会などがキャンプを 行う。
7.25「北支事変」に関し、当教会において基督教連盟主催「時局善処大祈祷会」 を行い、「帝国政府の意図に対し全幅の支援を致す」等の決議文を発表した。
9.日本基督教連盟企画の皇軍慰問事業に協力し、 慰問袋50を用意する。
11.1毎月1日の定例早天祈祷会において、第72回議会開院式に 読まれた勅語を朗読することになる。
12.12月15日発行の『教会月報』422号より、伏せ字の使用が見られる。
1938.4.3青年会主催の宗教音楽レコード鑑賞会を行う。バッハ作曲 「マタイ受難曲」。解説・教会員水谷央。この催しは太平洋戦争中も続けられる。
5.28日曜学校主催の第1回家庭音楽会を開き、教会員中25家族が出演した。
7.5阪神大水害により羅災者を出し、夏期集会は中止となる。
11.6鈴木浩二は日本組合教会代表として、インドのマドラスにおける世界宣教大会に 出席。送別礼拝において「現代世界と基督教」と題する説教を行う。
1939.政府は毎月1日を興亜奉公日と制定、実施の要請により、本教会において 祈祷会を行う。
7.戦時下の用紙統制により『教会月報』の発行が不可能となり『教会学校だより』 と改題、2ページの会報を7月号より翌年7月号まで毎月発行する。
10.22
――31
防空演習のため、夜の諸集会は休会となる。
1940.2.11神戸基督教青年会館において開かれた神戸基督教連盟主催 「皇紀二千六百年記念神戸基督教信徒大会」では、奉教50年以上の教職、信徒に記念品贈呈があり、神戸教会が最多数であった。
1941.6.日本基督教団の結成にともない、日本基督教団神戸教会と改称、教団第3部 に所属することになる。なお平野教会も日本基督教団神戸石井教会と改める。牧師塩見森之助。
1941.6.8「週報」に日の丸と「大政翼賛」「巨道賽銭」の標語を印刷することになる。
6.30鈴木浩二は教団総務局長就任のため、牧師を辞任する。
9.28尼崎教会牧師高橋健二、第9代牧師に就任する。
12.8太平洋戦争開始に際し、「皇国基督者として、神を畏れ信に徹してこの国家 危急存亡の危局に処さねばならぬ」決意を週報において示す。
1942.1.24宗教団体法に基づく「教会規則」を定め、教団統理者の承認を受ける。
3.8大詔奉載日礼拝において、国民儀礼、国歌斉唱、詔書奉読を行う。
4.夜間の集会(夕拝、祈祷会、組会)を警戒警報発令中は中止し、準備警戒管制中は開くこととなる。
7.1桐生東部教会牧師安藤兼慶、神戸石井教会牧師に就任する。
7.20神戸孤児院は神戸真生塾と改称する。
1943.高橋健二は、安藤兼慶の辞任に際し、神戸石井教会牧師および 平野愛児園園長を兼任する。
6.27日本基督教団部会制解消に際し、「完全合同感謝会」を開く。講師・賀川豊彦 「金剛不動の信仰」。
7.4役員会において、創立70周年記念運動を開始し、募金をはじめる。
12.8日本基督教団神戸地方区主催「大東亜戦二周年記念慰霊祭」を当教会にて行う。
1944.1.婦人会主催の軍用機献納のための音楽会を相生町の市立海員会館において開く。
2.11会堂は軍により阪神防衛司令部をして接収、外壁は迷彩のために黒く塗りつぶされ 金属類は供出、長椅子・机・書籍類が運び出された。また日曜学校木造校舎は、被爆の際の類焼を防ぐために取り壊された。 これにより、以後の礼拝は中山手6丁目の頌栄保育学院において行うことになった。
3.31神戸石井教会は神戸教会に合併する。
牧師らの尽力により、軍の兵器庫に徴用されていた 中山手3丁目のオール・セイント・チャーチを仮会堂として借り受け、牧師の家族は付属牧師館に移った。また、教会員原簿などの書類も運び込まれた。 そののち、戦局の悪化により会員は四散し、諸集会の続行も不可能になってゆく中で、牧師による家庭訪問がたびたび行われた。
11.創立70周年記念式を仮会堂にて行う。
12.24戦時下においてもクリスマス・レコーダーコンサートが計画される。
1945.6.5神戸大空襲により、仮会堂および付属牧師館が被爆焼失し、高橋健二は妻寮子、長女百合子 とともに死去。教会執事、会員の手により火葬される。またこの時、教会員原簿をはじめ歴史資料のいっさいを失った。
7.21頌栄幼稚園において、教会主催の高橋健二・寮子・百合子の追悼会を開く。
8.15太平洋戦争敗戦。鈴木浩二に牧師再任を要請する。そののち、教会堂が返還される。
9.30鈴木浩二は神戸教会の招聘に応じて帰神、教会の一隅に起居し、会堂を整備、敷地内に畑をつくり 、また諸集会の準備をする。
10.1410時15分より、戦後はじめての礼拝を行う。説教・鈴木浩二「道義生活の根源」。出席者男22名 女23名
10.21戦後はじめての役員会を頌栄保育学院にて開き、今後の教会活動について協議、当番執事制を復活する。
1945.10.28「神戸教会週報」復刊第1号(謄写版刷)を発行する。なお、「週報」の会員消息欄には「復員」 「疎開地よりの帰神」「戦災のための病・死」などの記事が多数掲載された。
11.鈴木浩二は焼失した会員名簿を再び作成するために、毎週月・水・金曜日に戸別訪問を始める。 戦時下会堂接収に対する保証金1万1000円が中部軍管区より支払われた。また、石井幼稚園の再興準備を行う。
11.11戦後はじめての聖餐式を行う。礼拝後、役員会は神戸基督教青年会に会堂1階フロアを貸す ことを承認。また讃美歌練習を再開する。指導・水谷央。
11.23「教会再興青年会男女懇親会」を開き、青年会をはじめる。出席者5名。
12.2日曜学校をはじめる。出席者23名。
12.23「平和克復後第1回の聖誕祭」を開き、「復員学徒」参加の讃美礼拝、「頌栄保育専攻学生」による ヘンデルのハレルヤ・コーラス、戦後初めての洗礼入会式などを行う。出席者110名。なお神戸市内の治安が悪いため、夜間の集会は開かれなかった。
1946.1.冬期の礼拝は3階の社交室に高橋健二の遺品の薪ストーブを焚いて行った。
1.15大阪教会より礼拝用の椅子30脚(180人分)を借りる。
2.17戦後はじめての家庭集会を小磯良平宅にて行う。
3.1早天祈祷会を再開、毎月1日に行う。終了後、粥にて会食する。
3.17戦後最初の婦人会を開き、毎月第3日曜日に例会を開くこととなる。
3.24第72回教会総会を開き、教団規則改正にともなう教会規則改正の件を協議。
4.51945年12月28日の宗教法人法公布にともない、当教会も宗教法人登記手続を完了する。
4.7小磯家保存の『神戸教会月報』および教会員武藤誠、香川禎三所蔵の史料の寄贈を受ける。戦災 で記録を焼失した教会にとって貴重な史料となる。
4.21諏訪山金星台において、進駐軍と連合のイースター礼拝を行う。
5.19婦人会は教会施設充実のために石鹸・蚊取線香・メンソレータムなどの委託販売を行う。
5.21教団規則改正により、近畿教区を廃し大阪・京都・兵庫教区を結成。鈴木浩二が教区長に選出される。
6.7
――29
戦後はじめての日本基督教団総会が富士見町教会において行われ、岡部五峰が常議員 に選ばれた。
7.28
――29
戦後はじめての夏期修養会を塩屋の兵庫勤労会館山の家にて行う。参加者44名。 宿泊料1泊10円、米1合5勺を持参した。
8.11聖歌隊は練習を開始し、この日より毎週礼拝において奉仕をはじめる。
1947.2.9石井幼稚園における日曜日夜の集会を開始する。しかし電灯事情が改善されるまで休会 となる。
3.30第73回教会総会において、宗教法人登録完了をもって本年度中に伝道財団を解消し、財産を「宗教法人 日本基督団神戸教会」へ移管することを決議する。
5.25「神戸教会員原簿」を作成する。
10.19臨時総会において、教会設備復旧および復旧費募金の件を可決。会堂復旧委員長に 横田貫次、会計に岡部五峰を選出する。
11.22礼拝堂の長椅子を新調するために、婦人会が主催してバザーを開き、純利益2万9000円を得る。
12.25『教会月報』を復刊したが、用紙入手困難のために毎月は発行できなかった。
秋より 日曜学校はバイブル・クラスを始める。指導・中等生クラス東山正芳、専門学校クラス和島芳男。出席者平均80〜90名。
1948.礼拝堂の長椅子6人掛け74脚、4人掛け6脚を購入する。
3.11日曜学校の山田村谷上分校を開校する。
4.11第74回教会総会において、「終戦三年目にして教会の全活動がようやく元に帰った感」がすると 総括された。
7.7宗教法人法による神戸教会規則を制定する。
8.1男女中学生の会合を行い、「青雲会」「紫苑会」の再開を図る。また同夜、講演会を行う。講師・ 佐藤健男「マルキシズムと基督教」。
8.10
――12
米国より讃美歌が寄贈されたことに対し、「感謝記念讃美歌祭」が神戸栄光教会において 催され、神戸教会聖歌隊も出演した。また讃美歌講習会が当教会にて開かれ、由木康、水谷央らが指導にあたった。
11.13教会堂設備復旧資金募金のため、婦人会主催のバザーならびに「必需品交換会」を開く。
1949.4.14神戸教会青年会、神戸YMCA共催のレコードコンサートを開く。
6.5日曜学校の大人一般クラスを開始し、第1回同志社大学派遣神学生竹中正夫が指導にあたる。
9.25中学・高校生の集会「地の塩会」の発会式を行う。講演・同志社大学教授山崎亨「十字架の道」。 出席者70名
11.13米国ウィスコンシン州アップルトン教会とのクリスマス交換プレゼントとして、教会の歴史、 名簿、各グループの紹介、写真、手紙などを贈った。
11.27日曜学校は戦後はじめて収穫感謝礼拝を行う。午後より生徒一同が野菜や果物をもって 真生塾を訪問し、子ども会を開催した。
1950.3.19戦後はじめて中学生以上の卒業記念礼拝を行う。
4.16第76回教会総会において牧師間建築が企画され、建築委員が発足する。
4.30日曜学校大人科クラスとして小羊会を発足し、毎月1回例会を行う。
5.7日曜学校教師会および映画界を行い、アメリカ映画「創造の神」を上映する。
5.28日曜学校の椅子製作資金募集のための音楽会を催す。
10.8リクリエーション講習会を行う。講師・神戸YMCA主事今井鎮雄。
11.牧師、教師、役員、信徒らが2人一組となった訪問隊を11組組織し、各地へ訪問伝道に赴く。
1951.現住会員が373名と多数になってきたため地域別に18組に分ける。
4.15第78回教会総会において、伝道、式典、公益事業等各委員会の報告が行われる。 なお4月より月報、聖歌隊委員会が発足した。
6.10子どもの日花の日礼拝を行い、戦後はじめて講壇を花で飾ることができた。
8.12
――14
青年会、日曜学校教師会合同夏期修養会を赤壁臨海学舎 にて行う。主題「教会と社会」
8.25婦人会主催納涼ガーデンパーティーを頌栄幼稚園園庭にて開き 、フォークダンスなどをして楽しむ。純益2万300円
9.16「老人の日」の設定に合わせ、70歳以上の会員を招待して 「敬老会」を開くことになる。
1952.4.20第78回教会総会において、創立80周年記念事業計画として 、記念伝道の実施、牧師館の建築、会堂施設の補強整備、西側隣接地の買収および250万円の募金を行う件を決議する。
1953.1.28「宗教法人日本基督教団神戸教会規則」が認証される。
7.27
――30
地の塩会夏期修養会を淡路島志筑にて行う。なおこの会において 80周年記念事業に協力することを決め、8月より、女子は礼拝後の軽食販売および世論調査のアルバイト、男子は教会裏空地の整地 作業を開始する。
9.6役員会は、地域における奉仕の一端として幼稚園開設を検討し、 横田貫次と三輪和敏らを委員とする幼稚園設立委員会を発足。またこれに関連して牧師館建築委員を選任した。 委員長本城敬三。
1954.2.3戦時中軍部より黒く擬装された教会堂外装洗い落とし工事を 開始する。なお、アメリカン・ボードよりの1650ドル(69万3000円)がこの工事のためあてられた。
4.10神戸教会付属いづみ幼稚園(のち、いずみ幼稚園と改称) は内部設備用具を整え、無認可のまま開園式を行う。
4.18
――19
創立80周年記念礼拝および記念式典、親睦会などを行う。 参加者述べ1000人を越える。80周年記念事業をして和島芳男編『神戸教会八十年小史』を発行する。
4.25第80回教会総会において、諸給料増額を含む予算案86万8750円を可決。 月約献金の3〜5割増運動をはじめる。
8.27東側隣接地160余坪、建坪12坪の事務所を購入。そのため200万円 募金を開始し、婦人会をはじめとするグループはそれぞれ資金集めのため協力。
11.20高齢会員の会「常盤会」を再開、第1回集会を神戸YMCAにて行う。
1955.1.9役員会は、隣接地にいずみ幼稚園園舎を約80万円で新築することを決議する。
4.9いずみ幼稚園は県の認可を受けて公認幼稚園となる。園長鈴木浩二。
8.27敷地拡張募金のために婦人会は納涼ガーデンパーティーを催す。 純利益約2万円。
10.30日曜学校中学科生徒による「小羊会」が発足する。壮年会が発足し、 会長に山下長治郎を選出、毎月1回例会を持つこととなる。
11.22東京在住の神戸教会員および関係者の集いが行われる。
11.23京都教会と神戸教会の青年会交歓会を京都教会にて行う。
1956.3.25「職業婦人」による「ベタニア会」を発足し、毎月1回松本みつによる 料理講習会等を行う。委員・目良幸子、越智歌子。
4.第82回総会にて「教会敷地拡張第二次募金」を行う件を決議する。
5.20夏のキャンプの費用を得るため、地の塩会がうどんの販売、小羊会が いちごの販売をはじめる。
10.14『神戸教会月報』を『神戸教会々報』と改称する。
1957.7.教会の土地および会堂の所有名義を神戸基督教会伝道財団 から日本基督教団神戸教会へ切り替える。
9.30鈴木浩二は牧師を辞任。教会は名誉牧師の称号を贈る。
10.6代務者として畠中博を選任する。
1958.1.12名誉牧師鈴木浩二の教会葬を行う。葬儀委員長本城敬三。
4.6土佐教会児玉浩次郎、第11代牧師に就任。
9.28神戸教会石井伝道所、石井幼稚園舎を新築、献堂式を行う。
1959.4.5石井伝道所での夕拝を再開する。
7.12当教会で、キリスト者平和の会主催「平和のためのキリスト者の集い」 が行われる。
8.2宣教百年記念事業の牧師館が建てられる。
10.4役員会は伊勢湾台風救援活動に際して「社会部委員会」設置を決め、 委員長に平井城を選任、義捐金1万2140円および救援物資を教区を通じて発送する。
11.21宣教百年記念特別伝道講演会を行う。講師・国際基督教大学総長 湯浅八郎。
1960.4.20臨時役員会において「社会委員会」を新たに設ける。委員長藤村洋。
5.22午後2時より関西キリスト者平和協議会主催「安保反対神戸キリスト者の集会」 が当教会にて行われる。
1961.5.14ウエストミンスター・メソジスト教会、アップルトン第一組合教会 からの寄贈によるアレン電子オルガンの奉献式および披露演奏会を行う。奏フィットフィールド(Margarett Whitfield)。 オルガン設置委員長水谷央。
1962.3.25青年会は、組織をシニア部(23〜33歳未満)、ジュニア部(18〜22歳) に分ける。会長シニア部福田雄一、ジュニア部鈴木一夫。
3.31日曜学校山田分校が2年間の休校の後、正式に閉校する。
7.毎月第1日曜日の礼拝式中に「誕生者祝福」を行うこととなる。
1963.1.23神戸市垂水区舞子の墓園敷地を永代借地することとなる。
3.大林組に依頼した調査の結果、会堂全体の大改修を要することが判明、 緊急着工する。
1964.4.19創立90周年記念集会を行う。記念礼拝説教・島之内教会 牧師西原勇「キリストの心を心とせよ」。教会員武藤誠編集による『神戸教会90年小史』を出版する。
5.12婦人会は組織を2つに分け、ジュニア部を「ハンナ会」(約60名) 、シニア部を「ルデア会」(約80名)とする。
10.1いずみ幼稚園10周年記念式ならびに増改築竣工式を行う。
1965.4.23臨時役員会において、神戸教会各部組織体系を検討。役員会と 各部との連絡を緊密に取り、その機能の円滑化を図ることを協議した。なお新たに礼拝部を設定、また伝道部委員会は 各部の代表委員によって構成することとした。
10.29石井幼稚園は運動場拡張のため、北側隣接地約73坪を616万円で購入した。
1966.10.8奥村龍三宅での求道者会は、教会の家庭集会として「六甲若木会」 と名付けられ、毎月2回開かれた。
12.24クリスマス燭火讃美礼拝をはじめる。
1967.『教会々報』にこの年は「結婚ブーム」であったと記された。
7.2教会・幼稚園兼用炊事室を整備することを決議、工事215万円。
9.17青年会例会において「第二次大戦下における日本基督教団 の責任についての告白」を中心に話し合いが持たれた。
1968.4.7神戸高速鉄道が開通し、阪急、山陽が六甲、須磨浦公園間 に相互乗り入れし、花隈駅が教会の最寄駅となる。
11.3礼拝後、神戸市立舞子墓園において神戸教会納骨堂竣工式および 納骨式を行う。意匠・小磯良平。
11.17教会学校運動会を頌栄幼稚園にて行う。参加者220名。
1969.3.30青年会主催「映画と歌の集い」を行い、神戸地区の教会青年 に参加を呼びかける。
7.1兵庫教区臨時総会が当教会にて開かれ、靖国神社法案に関する緊急建議 案および万博キリスト教館建設に参加することに反対する決議案が可決、総会後、デモが行われる。
8.10神戸地区合同による広島原爆記念特別養護老人ホーム「清鈴園」建設 支援街頭募金に、教会社会部は継続的に参加する。
1970.教会懇談会を行う。主題「100年代の神戸教会を考えよう」。司会・藤村洋、 発題・西尾浅助、梅垣安子、富川和彦、柳谷聖子。
1971.7.会堂問題研究会を発足。都市問題を勘案しつつ、現会堂の修理 、改築、移転等の研究をはじめる。
1972.8.6創立100周年記念行事および事業委員会を開く。委員長は奥村龍三。
10.29社会部委員会は被爆者老人ホーム「清鈴園」、「種谷裁判」について 協議する。
1973.9.23「教師館」が落成する。
1974.4.21創立100周年記念集会を行う。礼拝説教・名誉牧師 佐藤健男「教会の象徴としての十字架」。パネル・ディスカッションを開催。パネラーは元神戸教会伝道師の 水戸教会牧師本阿弥政一、扇町教会副牧師辻中昭一、京都精華短期大学教授笠原芳光、大阪音楽大学学生阿部恩。
6.14いずみ幼稚園は創立20周年記念式を行う。講師は聖和女子大学教授 黒田実郎「人間性回復のためのキリスト教教育」。
11.3創立以来の永眠者名簿を作成し、「創立100周年召天者記念礼拝」を 行う。約180名の遺族が出席する。また納骨者記念式を行う。/TD>
1975.3.創立100周年記念誌委員会が『神戸教会月報』復刻版を作成する
1976.3.14臨時役員会にて、会堂修復を緊急に行うため、3150万円の募金をすることに決める。 また、児玉浩次郎牧師は牧師辞任を延期し、会堂修復実行委員長に就任する。副委員長は平井城、藤村洋。
11.14会堂修理が完了、感謝礼拝を行う。
1978.3.児玉浩次郎牧師、牧師を辞任する。
1978.4.岩国教会牧師岩井健作、第12代牧師に就任。
1979.9.30石井幼稚園園舎を改築する。
1981.4.「近代日本と神戸教会」をテーマに教会史研究会が発足する。
1983.日本キリスト教団きょうと教区ネパールワークキャンプ隊を招き ネパールを見る・知る・食べる」を行う。
1984.兵庫教区内に「在日大韓基督教会協力委員会」が設けられ、岩井健作が委員長に選任される。 高齢者・身体障害者のため、階段、トイレなどに手すりをつける。
10.28創立110周年記念の集いにおいて、歴史資料や写真を展示する。
1985.6.東京集会を7年ぶりに聖ヶ丘教会にて行う。
1986.教会総会において「会堂附属建物とその将来像について、学習、研究 、協議を開始する件」が決議され、以来、収益事業、別館建築等、様々な案が検討される。
1989.日本基督教団教団神戸教会条規(教会規則を含む)を改訂する。
1990.教会総会議員の資格認定の基準を定め、名簿を作成する。
1991.2.「会堂修復および別館建築」特別募金委員会を発足し、3年間1億5000万円の募金運動をはじめる。委員長山下長治郎。
8.外壁修理を行う。
1992.5.『近代日本と神戸教会』が刊行される。
1993.1.31臨時総会「別館の建築に関する件」が行われる。
1994.1.9別館竣工感謝式(感謝礼拝、ティーパーティー)が行われる。
1995.1.17阪神・淡路大震災
1.22教会員懇談会―被災、今なすべきこと―が行われる。出席者23名。
1997.3.第123回教会総会にて「オルガン委員会設置に関する件」承認
1998.3.第124回教会総会にて「オルガン導入準備委員会」設置を承認
1999.9.9神戸教会ホームページを開設。
2000.11.オルガン本体搬入される。
2001.2.17オルガン奉献式行われる