江戸時代前期、岡山藩を支えた最も傑出した藩政家といえば、津田永忠だろう。池田光政、綱政二代の藩主に重用された。
「才は国中に並びなし」と光政が折り紙をつけた切れ者だった。とりわけ建築、土木事業にたぐいまれな才能を発揮。閑谷学校や後楽園の造営をはじめ、大規模な新田開発などを手掛け、藩財政の立て直しにも努めた。
そんな永忠の功績にスポットを当てた特別展「岡山藩郡代 津田永忠の遺業と池田家」が岡山城(岡山市)で開催中だ。閑谷学校の講堂に掲げられている「定壁書」、江戸末期の後楽園の様子が分かる「御後園絵図」、永忠が開発した「沖新田之図」、綱政から拝領したとされる「キセル」など永忠や池田家ゆかりの品々が並ぶ。
一巡すると、永忠が携わった事業がいかに現代岡山の基盤づくりにつながっているか、あらためて気付かされる。足跡の広がりから“技術立国”を支えた立役者としての姿も透けて見える。
永忠が残した遺構を束ね、岡山県などが「近世岡山の文化・土木遺産群」として世界文化遺産への登録を目指していたが、先ごろ文化庁が選定した候補からは漏れた。
とはいえ、三百年の時を経ても色あせない永忠の事績は地域の誇りとして輝き続けるに違いない。末永く再評価と顕彰を重ねたい。