2008-09-30
今度は暗黙のルールを不正乱用するやつにつくのか?
http://blog.livedoor.jp/jabberwock555/archives/50854236.html#more
より
「おれなんか、バリバリと有能な仕事をこなすお金持ちで、美しい妻とかわいい子どもに恵まれたナイスガイだけど、あんたの言ってることはめちゃくちゃだよ」。
いやー。こういう恥ずかしいことを世界に開けるインターネットで書いてしまうとは驚きだ。
それは「議論の対象が、差別とか弱者に関するもの」だったときに、その議論に参加する者は「自分が、差別される側、弱者の側を、理解するものである」というプレゼンテーションを行わないと議論に参加してはいけないような「暗黙のルール」があるように感じることだった。
そうだな。ここのコメ欄に集っている人達は同類が多いようだ。
http://blogs.dion.ne.jp/akiras_room/
たとえば、差別に関していえば「私自身も・・・な疾病の経験者で」とか「私の家族が・・・」とか「子どものとき・・・」というようなカムアウトが枕詞のようになって、議論をはじめるという「ルール」もしくは「作法」ということだ。
まさにakiraさんだね。脳に問題があるカウンセラーというのを売りに出しおったな。伝家の宝刀を抜いたからこれで誰も彼女には何も言えないと。
騎士団風に言うと、akiraさんは「脳に障害があるのに立派に仕事をしているカウンセラー」の見本なんだから、脳障害を理由にコメレスを遅らせたり、他のカウンセラーにストーカーのように付きまとって興味本位の質問を執拗に繰り返したりという「障害のあるカウンセラー」という看板全体に傷がつくような卑劣なことはしたらいけないと思う、ということになるな。「この方はいったいどういうカウンセリングをしているのでしょう?」とな。
いうまでもなく、その背景には「強者」対「弱者」の議論のむずかしさがある。「弱者」の側には「そんなことを言ったって、あんたは・・・は(に)・・・・をした(された)ことがあるかい?!」という切り札があり、それを出されてしまっては「議論をする」ということ自体の意味がなくなってしまう。
そうだな。脳障害という弱者の部分を出されてしまっては議論をすること自体の意味がなくなってしまうのだ。
私がやんなっちゃうのは、抽象的な議論、たとえば「差別とは何か?」というようなひどく概念的な議論の場に「そんなことを言ったって、あんたは・・・は(に)・・・・をした(された)ことがあるかい?!」という切り札を持ち出してくる人々のことだ。そして「私にも・・・」という弱者合戦がはじまってしまう。
今も弱者合戦に持ち込んで勝とうとしている偽弱者が出てきたしな。
でも、最近なぜか!
こーゆー姿勢が必要なのではないか、と、思ったりしている。
「私は、あなたより、圧倒的に幸福だけれど、あなたの言っていることは一顧だにする価値のない暴論だ」と口にすることが。
大賛成だね。筆者らは貴殿より圧倒的に健康で幸福だけど、貴殿らの言を暴論だと思っている。
「弱者が救われない」社会がくそったれなことはいうまでもないが、
「暴論がまかり通る」世の中もまた、やりきれない。
いや本当に。貴殿もたまには良いことを言う。ぜひその姿勢を貫いてくれたまえ。
追記:http://blog.livedoor.jp/jabberwock555/archives/51382180.htmlより
「セクシャルに限定されないハラスメントも、ハラスメントである以上、同レベルの問題がある」と理解してもいいのでしょうか?
当たり前だ。50代にもなってそんなこともわかってなかったとは驚愕だよ。死ぬのを待つばかり。まさにうん十年もの人生の苦労の果てがこれでは、他人事とはいえ悲しいですねという感じだ