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おちゃめクールの周回遅れブログ

2008-09-30

フレームワークと教育、そして現状について

最近、「東大 ノート」という検索ワードで飛んでくる人が多かったので、調べたら、

コクヨ ニュースリリース || 東大合格生のノートのとり方を研究して生まれたキャンパスノート

というわけで、以前のエントリーをアップデートしといた。

それで、書ききれなかったというか、あえて書き足さなかった部分をここに書く。検索で飛んでくる人にとってはどうでもいい話だから。


北辰一刀流とフレームワークの話

なんで、ノートの取り方から、北辰一刀流になるかといえば、「近代社会の競争力はフレームワークにある」ということを言いたいからである。

フレームワークというのは、かっこいいコンサル的な言い方だが、はっきり言えばマニュアルだ。フレームワークには肯定的でもマニュアルには否定的な雰囲気があるが、たぶん、物事の本質が何かを考えたことがないんだろう。「フレームワーク力」なんて言葉があるが、メソッド、方法論、型、と言い換えてもいいかもしれない。言葉の定義を厳密にする人には、不愉快かもしれないが、所詮、表現の違いである。要するに、「一般性・再現性のあるやり方(メソッド)、またはそれを実行するための枠組み(フレームワーク)」である。まぎらわしいので、ここでは「方法論」という語を用いる。

さて、幕末に北辰一刀流という剣術流派があった。その特徴は、竹刀と防具を使用し、実戦的な修行を行うことにより、通常5年で習得する技を2年、3年で身につけさせたという点である。そして、この方法論が近代的軍隊の編成に役立ったといわれている。

近代以降の戦争は、個人戦ではなく集団戦である。したがって、急造でもいいから、それなりに使える兵士を大量に育成しないといけない。それは軍隊だけに限った話ではない。企業であれば、大量生産によるスケールメリットで価格競争力をつけるために、ある程度の品質の従業員を必要とするのである。それゆえ、一般性・再現性のある方法論が必要であった。

IT分野であれば、システム開発も集団戦である。ITにおける、コーディング規約、フレームワーク、ライブラリ、デファクトスタンダード。それらは全て集団戦を合理的に戦い抜く方法論である。

さて、教育だ。

教育も、学習指導要領によって、ある程度のマニュアル作成はされているが、方法論の上では教師の個人の裁量に任されている部分が大きいのだ。ノートの取り方やまとめ方なんて教わった記憶はあるだろうか。そういった「知の技法」と呼べるものは学習指導要領にはない。

いわゆる「陰山メソッド」や音楽における「鈴木メソッド」といったものは、一般にはなじんでいない。民間教育では公文式やそろばん教室が方法論を確立しているが、眉唾なものも多いが、はっきりいって教育分野で民間は進んでいる。それは企業研修を考えればわかるだろう。


方法論の限界を語る前に

こういうことを書くと、反発をうける。「マニュアル人間」とか、その手の話だ。確かに、規格大量生産的な社会は終わりを迎えているように思える。しかし、「マニュアル人間」はちょっと置いておいて、ちょっと私の話を聞いてほしい。


方法論の淘汰

「近代社会の競争力はフレームワークにある」と書いた。方法論のない集団は論外として、こうなってくると、方法論同士の戦いになってくる。つまり、競争に負けた方法論は、「間違った方法論」として棄却されるのである。

その結果、「方法論の進化」とでもいえるような事態がでてくる。それが、現代社会においてどのような事態に遭遇しているか、考えたい。

優位性の消失

相手も同じ方法論を使えば、当然、優位性はなくなる。あるいはゲーム論的複雑さをもたらす。証券や商品の機械的売買が市場を暴走させるような、最近起こった何かである。そして結局力技の戦いになってくる。

過剰適応

「進化のしすぎ」。要するにマニュアルが凄まじすぎて誰にも実行できなくなる。実行できない人間が淘汰されるわけである。某自動車メーカーのように。


で、もうひとつ忘れてはいけないものがある。これは「方法論の進化」とは直接関係ないが、方法論に「進化」をもたらしている淘汰圧が変わりはじめている。ご存知、安さ爆発規格大量生産社会の曲がり角である。安さ爆発規格大量生産社会に向かない方法論は淘汰されてきたのだが、その原則が変わるかもしれないということだ。

が、これは、私たちの人生のタイムスケールほどすぐには起こらない。2080年頃まで人口は増えると勝手に予測している*1が、それまでは、安さ爆発規格大量生産社会が続く。

もちろん日本という国だけを見れば、すでに曲がってしまっているが、世界が曲がっていないので、某自動車メーカーや、保証期間が切れた途端に壊れることで有名な某メーカーは日本を捨てて世界に打って出るまでである。


さて、最後に補足しておく。

ニッチな戦略があるじゃん派、あるいは個性が大事派

画一的な方法論に嫌悪感があって、人と違ったことをしたがる人がいます。もちろんそういう人がいないと集団が成り立たないのですが、ニッチはニッチです。コバンザメです。たまにイノベーションを起こしますが、普段は大勢に影響はありません。


とりあえず、こんなところで。続きはそのうち。

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