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2008-10-01

Hくんが府中で体験したリアル逆転裁判

知り合いのHくんの話。

Hくんは駐禁駐禁を重ねるチュウキニストで、免停の前歴が過去2回を数えるまでになった。この状態だともうあと2点でも失えばすぐまた免停で、しかも今度は3回目だからいきなり免停3ヶ月を食らうというような崖っぷちの状態に陥った。

そうなって初めてHくんも反省した。これから1年間はもう違反はしないでとにかく堪え忍ぼうと(1年間無事故無違反だと過去の免停は勘案されなくなる)、いつでもそろりそろりとおっかなびっくり運転していた。

ところが、それは前の免停明けから8ヶ月ほどが経過した冬の真っ直中の2月半ば、走っていた中央高速高井戸で降りた道と甲州街道とが合流する陸橋の頂上付近で、後ろから追跡してきた白バイにスピード違反を見咎められ、あわれにも23キロオーバーで捕まってしまい、2点減点で三度免許停止処分を食らってしまったのである。


※この先の陸橋の頂上付近で捕まったのだそうです。


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そうした失意のどん底にあったHくんは、違反から数ヶ月後、警察からの呼び出しに応じて府中運転免許試験場へと赴いた。もう3回連続の免停だし、それ以前にも何度か免停になったことがあるので勝手知ったるという感じで手続きを進めようとしたHくんだったが、そこで初めて体験することに出くわす。なんと、3ヶ月の免停というのは2ヶ月以下の免停とは違って、意見聴取と言って運転免許試験場にある小さな裁判所のようなところで弁明と言うか申し開きみたいなことができるというのである。そこで聴聞官がその申し開きを聞いて、最終的な処分を決定するのだそうだ。


3ヶ月の免停は初めてのことだったHくんは、係官に言われるままに、いそいそとその意見聴取の行われる場所へと赴いた。ただ、意見聴取と言っても裁判のような仰々しいやり取りが行われるわけではなく、ただ聴聞官が全ての免停3ヶ月の違反者の申し開きを次々と聞いて、処分を確定させていくというだけのものであった。

なんと言うか、それはただ法律で決まっているから仕方なくやっているという雰囲気に満ち満ちた儀式的なものだった。処分が軽くなるなどというのはまずないのであろう。聴聞官も係官も至って暢気なかまえで、聴取するというよりは受け流すような感じで、ただことを淡々と処理していくような無慈悲さと気だるさを滲ませていた。


そうして意見聴取が始まった。その日の意見聴取に臨んだのは約10名で、老若男女いろいろいたが、共通しているのは誰も沈痛な面持ちだったということだ。聴取は、その10人が順番に名前を呼ばれ、呼ばれた者から一人一人中央にある壇に上って、聴聞官に向かって申し開きをしていくというものだった。驚くことに、その申し開きはみんなの前で行われるのだそうである。だから、誰がどんな違反をしたのかはバレバレなのだけれども、免停3ヶ月というのは確かに重いがそうかと言ってそれほど重篤な罪を犯した結果科せられる罰でもないので、みんなにはとても聞かせられないようなスキャンダラスな申し開きというのは一件もなかったそうだ。そのため審査は至って淡々と進んでいった。


Hくんはその申し開きの順番が一番最後だったそうで、おかげで他の人の申し開きをつぶさに見学することができた。その中で印象的だったのは、何人かの違反者はスピード違反で捕まっていたのだけれども、必ず「急いでいたのでついスピードを出してしまった」という申し開きをしていたことだった。するとその聴聞官は(この時は女性だったのだそうだが)そうした申し開きをした者に対してだけ、必ず「急いでいたからといってスピードを出して良い理由にはならないでしょう」と、少し険を滲ませた声音で注意を促していたのだという。


さて、それからようやくHくんの番が訪れた。この時までにHくんは、もうすでにどうやって申し開きをしようかと、頭の中にその論を組み立てていた。名前を呼ばれて立ち上がると、緊張にちょっと声を上ずらせながらも、裁判官のみならずみんなにも聞き取れるようにはっきりと、しかし早口で一気にまくし立てたのだった。


「ぼくはちっとも急いでいなかったんです。ただ普通に走っていただけだ。ぼくはもう2回も免停を食らってあと2点で3度目の免停だったんだ。だから今度食らえば3ヶ月の免停だというのは分かっていた。そのためいつも安全運転でスピード違反もせず信号も忠実に止まり駐禁は一度もしてこなかった。それから、事故も絶対に起こさないようにバックミラーはもちろんサイドミラーだっていつもいちいち確認していた。それなのに捕まってしまった。日中の、見通しの良い甲州街道の陸橋の上で。なぜか? それは白バイにつけられていたからだ。ぼくはよく知ってるんだ。白バイというのは陸橋などのスピードが出やすい場所で、乗用車の後ろから密かに追跡してきて、それもバックミラーにもサイドミラーにも映らない死角に入り込んで、その車が違反を犯した瞬間、いきなりサイレンを鳴らして拿捕するという、まさに罠にはめるような行為をくり返しているのを。ぼくはそれをテレビで見たことがあるから知っていたのに。知っていたのに気付かなかった。ああでも、油断したんだ。確かに油断していました。その日はとても道が空いていて、ぼくは安全運転で走っていた。今でもはっきり覚えているのだけれども、その陸橋の前後には一台の車も走っていなかった。なぜ後まで分かるかと言えば、ずっとバックミラーとサイドミラーを確認していたからです。そうやって安全を確認しながら走っていた。それからもう一つ覚えているのは、その陸橋に入る前は40キロくらいで走っていたことだ。なぜならその陸橋の入り口のところではよくネズミ取りをしているので、ぼくはいつもそこで必ずスピードを落とすんだ。しかしぼくは捕まってしまった。23キロオーバーの73キロで捕まった。なぜか? それはその陸橋に入ってからスピードが上がったからだ。しかしアクセルを急に踏み込んだわけではない。自然に運転していたらそれくらいのスピードは出るものだ。ただ、それ自体は違反に間違いないだろう。ぼく自身がスピード違反を犯したこと、これは覆しようのない事実だ。しかしぼくが問題にしたいのは、なぜぼくが『23キロオーバー』で捕まったかということだ。ぼくは40キロほどでその陸橋に突入した。そして証拠はないが、まず間違いなく白バイはそこからぼくを追跡し始めた。と言うのは、白バイは陸橋の陰に隠れていて車が来るとそこから追跡するというのをテレビで見たことがあるからだ。ということは、白バイはぼくが40キロの時からすでに追跡していたということだ。そして制限時速をオーバーした51キロの時も追跡をしていた。さらには、15キロオーバーの65キロでも確認していたはずだ! ではなぜ23キロオーバーの73キロでぼくは捕まったのか!? それは、ぼくが泳がされていたからだ。こいつはもう少しスピードを出すだろうということで、その小さなスピード違反は知っていてあえて見過ごされたのである。こんなことがあって良いのか? 警察は事故をなくすためにスピードを取り締まっているのではないのか? 確かにスピードを出したのはぼくかも知れないが、大きな犯罪を犯すかも知れないからといって、それ以前の小さな犯罪を見過ごすような真似をしても良いのだろうか? これは法律的に許されるかどうかは知らないが、少なくともモラル的には許されるものではない! だいたいぼくは20キロオーバーでなければ免停にはならなかったのだ! 20キロ未満までは減点1なのだから、今この場でこうして口角泡を飛ばして自らの弁明をする必要もなかったのだ! ぼくはちっとも急いではいなかった。それなのに今、こうして免停3ヶ月の意見聴取を受けている。こんな理不尽があるだろうか? この処分は、とうてい認められるものではありません!」


それだけ言って、Hくんの申し開きは終わったそうである。喋ってるあいだにすっかり興奮してきて、何か言ってきたら百倍にして言い返してやろうと待ちかまえていたが、意外にも聴聞官は、ただ一言「以上ですか?」と言っただけだった。それでHくんも、まだ何か言いたい気持ちもあったけれど、一気に喋ったせいかへとへとに疲れ果ててしまったので、仕方なく「以上です」と答え、そのまま席に戻ったのだそうである。


それから20分くらいの後、聴聞官とともに出ていった係官が戻ってきた。そして、簡単な説明の後、一人一人に処分の確定した用紙を配っていったのだけれど、Hくんは、ここでもやっぱり最後に呼ばれた。

その用紙を受け取るまで、Hくんの興奮は収まっていなかった。捕まってからは2ヶ月近くが経過していたから、ここに来るまでは平静を取り戻していたのだけれど、申し開きをしているうちにすっかり興奮してしまって、警察のあまりの理不尽に腹が立って仕方なくなったのである。そうして、「こうなれば出るところへ出てやろうか」と本気で考え始めていた。こんな意見聴取で何を言ってもただ形式的に受け流されるだけだけど、本気で裁判すればもしかしたら勝てるのではないか? そんなふうにさえ思い始めていた。

そうして名前を呼ばれたHくんは、興奮も覚めやらぬままにその用紙を受け取ったのだけれど、見て驚いた。なんと、免停の期間が3ヶ月から2ヶ月に減刑されていたのである。


それを見た瞬間の、なんとも言えない感慨は今でも忘れられないと、Hくんは話す。

それを見た瞬間、とにかくさっきまでの興奮が一気に消え去ってしまったというのである。そうして、「ここら辺が落としどころかな」と、妙に納得した気にさせられたのだということだった。


それはまるで、海外旅行の土産物屋で吹っかけられて、その後大幅に値引きしてもらったものだから、なんだか得したような気分になって思わず買ってしまった海外旅行者のような気分だったらしい。免停そのものはありがたくないのだが、3ヶ月から2ヶ月に減刑されたことには、「逆転裁判」における勝利のような喜びと達成感を抱いてしまった。そうして、さっきまでの「出るところに出てやろう」という意気込みは、一気に消失していたのだそうである。


このできごとによってHくんは、「法律というのもなかなか奥が深いな」と思わせられたという。この制度でどれだけの人間が処分を軽くしてもらってるのかは知らないが、一度免停3ヶ月と言われたものを2ヶ月に減刑されると、警察に対する恨みは一気に小さくなる。そこで一気にガス抜きをされてしまうのだ。そうして、何かすがすがしい気持ち良ささえ覚えてその処分を飲み込んでしまうのだから、大したものだとHくんは語った。

そんなふうに、法律というのはただ単に杓子定規に人を裁くだけではなく、それに対する人々の憤懣を少しずつ解消するガス抜きのようなシステムも、ところどころに備えているのだなといのを初めて知ったということだった。

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