Hatena::Diary

吾輩は馬鹿である

2008-08-13

アホ話の補足

id:Dr-Seton氏から反論があったので再反論。

包丁に罪はないと何度言わせる?

本項引用元:そろそろホロコーストについて言っておくか - シートン俗物記

福耳先生の述べた

資源の有限性がその合目的的な最適配分を促し、戦略性やリーダーシップや組織内の規範意識も意思決定も価値判断もそこから始まる

http://d.hatena.ne.jp/fuku33/20080522/1211444127

というスタンスは、レイシストでもアーリア民族至上主義者でもない“ありきたりの”テクノクラートが如何に「ホロコースト」を(自分の中で)正当化しえたか、に共通するものなのです。

いや、だからそれがどう本質的なのかが「理解できない」と私は何度も述べている。

そのような事実は余りにもtrivialであって、福耳氏を批判する根拠となり得ないであろう。私は何度も欠いたが、殺人犯が包丁を持っていたからと言って、包丁を持っていた料理人を非難するのはお門違いもよいところである。

そのようなtrivialな共通点の指摘が他人を非難する根拠になるのであれば、どんな他人も批判の対象になり得る。これも何度も挙げているように、「○○は人間である、ヒットラーも人間である」云々である。○○には任意の人名を入れればよい。

トリアージだって「助けうる最大人数を選別する」というのは、「助かる人数がたくさんの方が良い」という、特定の政治的な文脈によるものです。選別に漏れた人、身内にとっては他の人間がどうなろうとも、身内なりが助かる方が“良かった”のです。

そりゃそうでしょう。だが、それは「私情」以上のものにはなるまい。そのことを指摘することで何か建設的な提案がおできになるのであろうか。できないのであれば、あなたのその言い分は単なる「難癖」である。

アホ話は承知だが、人格攻撃と揚げ足取りはご勘弁願う

本項引用元:増田に突っ込み - シートン俗物記

本項ははっきり言って読むに値しないので、賢明な読者の方はお読み飛ばしになることをお勧めする。

暴走リスクが例えば「1万年に一度」としても、それは1万年後に起こる、事を意味しない。(略)抑制できる、というのは思い上がりにしかすぎない。

これも「ためにする議論」としか思えない。誰しも、一定以下のリスクには目をつぶって生きているのであり、そうしなければ到底生きてはいけない。例えば、あなたの毎日の通勤の途上で通り魔に遭うリスクというのも当然存在するが、あなたはそれについて何か対策をされているか?毎日遺書を認めてから出勤なさっているか?

つまり、リスク確率の見積もり自体が「中立ではない」可能性に思い当たらないと。

あなたの事実関係の記述についてはひとまずそのまま信用しておくことにするが*1、それは単純に見積もりが誤っていただけのことで「中立ではない」ことにはならない。確かに本人の政治的立場その他の願望が見積もりの誤りを誘発することはあり得るが、そのことが「見積もりの方法論自体の価値中立性」を損なうことにはならない。そもそも、原発リスク評価に文句があるならば、原発反対派も独自にリスク評価を行えばよいだけの話ではないか。

行われているのは“トリアージ批判”などではない。

批判側はそのように口を揃えるが、今までなされた説明を見る限り、実質的にあなた方の言動が「トリアージ批判」でなかったとは私には到底信じられない。

どんな学問であろうと、それが価値中立状態にある、と考える事自体、ある政治的ポジションでしかない。

そう思いたければそう思ってもよいが、では、例えば選択公理*2を認めるか認めないかが政治的価値と無関係であると主張することはどのような政治的ポジションに相当するのか説明して頂こう。

科学的に人種差別正当化する根拠を持ち出すように、科学的に超越者の存在を正当化する根拠を持ち出す。それが「創造科学」。

そんなことをおっしゃるなら、優生学や創造科学はまともな科学の体をなしているとでもあなたはお思いなのだろうか?少なくとも、優生学は「進化の上での優位」を「個体としての価値の優位」と混同した明白な科学的誤謬に基づいたものだし、創造科学はそもそも反証不可能なので明らかに科学の体をなしていないのだが。

“未完成”なので倫理的前提を挟まない、とすれば、“永遠の”未完成になるだけだろうよ。

どんな屁理屈ですか。現段階で倫理的な結論が出せないというだけのことをどれだけ拡大解釈しているのだか。

マンハッタン計画も同じように

「価値判断や倫理の問題を学問的に整備してから先に進むなどという高踏的なことをやっていては、それこそ救えるはずの命が救えないことも多くあるはず」

として進められた事は承知しているんだろうね?

私が元記事で言ったことは

仮に、倫理的な前提を度外視して最適解を求めるのが経営学だとするなら、そのこと自体は価値中立的なのだ。その解を無批判に現実に適用しようと政治的に動いた時点で、はじめて問題が生じる。

トリアージ批判が理解できない理由 - 吾輩は馬鹿である

である。あくまで紙上の理論的考察の段階のことのみを念頭においており、正直「実験的段階」のことが頭から抜けていたことは認めざるを得ないが、しかし「実験」も「現実に適用」の一環であることには違いがないのだから、核開発という行為自体が政治色を帯びているのも当然である。この件に当てはめて言えば、私が言いたかったことは、紙上で核反応の計算をすることが反倫理的であるはずがない、ということだ。

工学系でゲージ理論が登場する分野なんてあったっけ?自分も集中講義で量子色力学素粒子論などやったけど、正直ついて行けなかった。群論がニガテだったこともあるけど。

単にゲージ理論って言いたいだけじゃないの?

敢えて売り言葉に買い言葉で言うが、群論ごときも理解できないあなたにそのような上から目線の下種の勘繰りを言われたくない。単に、私の手持ちの知識の中で啓蒙書に出てきそうな分野を挙げただけだ。ハッタリをかましたければ、サイバーグ=ウィッテン理論だの幾何学的測度論だの、いくらでもその種の用語を持ち出すことができる。そもそも、ゲージ理論などは数学的には単なるファイバーバンドルの理論に過ぎず、極端に難解なものなどではない。

そして、私が工学系の専門だなどと述べたつもりはない。敢えてあなたの勘繰りに付き合うならば、理学系の専門知識と工学系の専門知識を兼ね備えて持っている人間は境界領域にいくらでも存在するし、境界領域でなくとも、進学や就職の過程で進路変更をするなどしてそういう人間ができあがることはいくらでもあり得るだろう。後は勝手に想像するがよい。

追記:ブクマに反応

b:id:tokoroten999 その発想はなかった 「私に理解しうる部分の印象と、信頼し得る知識を持った人の意見などから、反原発派の圧倒的大多数はネット右翼レベルの知識しかないことは確信」自称理系の人の論理展開はすごいでござる。

これは大抵の人が普通にやっていることです。例えば私は南京事件については、原発よりもっと断片的な知識しかありませんが、ネット右翼の南京事件に関する主張は論ずるに値しないと考えています。その理由は、私が断片的に持っている知識と、それからそれこそid:Apeman氏のような人への信頼があるからですよ。

b:id:CrowClaw weblog 想定される「全体」のために「だが、それは「私情」以上のものにはなるまい」と切り捨てるような考え方が危険だと言っているのよ。まあ「我輩は馬鹿」らしいから何言っても無駄なんだろうけど。馬鹿を自称するなカス

その種の自称人文系の繰り言は聞き飽きた。なんでも「切り捨てる考え方が危険」というだけで具体的にどのような危険が生じるかを全く論じようとしないのだから。

b:id:ohkami3 だからオマエ、包丁(トリアージ)を厨房から出て街中(非常事態以外)で使おうとしてる経営学者さまが危ないと何度いったら…

思考実験にとどまってるということは、仮に「街中」で使ってるとしても「脳内街中」ですよ。そういう状況に想像力を及ばせる訓練事態は必要なことです。

b:id:K416 横からすみません 「人間であるから」ではなくて、「同型の思想(の萌芽)が見られるから」って話では。たとえば、権威主義全体主義を導いたって話があって、権威主義が今も(同様の文脈で)問題視されることがある。それと同様に

私はそれが「同様」と思えないのですよ。権威主義全体主義を導く蓋然性はかなり強いですが、この件の福耳先生の講義がホロコーストを導く蓋然性がどれほどありますか?それを「糞もミソも一緒くた」と言っているのです。

b:id:flurry ところで「資源量と評価関数を頂けたら最適化しますよ?」的な専門家というのは、id:fuku33さん的な経営学現場主義!)からは激しく嫌われると思うのですが、その点に関していかがお考えでしょうか?>id:Sokalianさん。

私の意図はそういうものではありません。福耳氏がどういう思想の持ち主かはともかく、「机上の議論より現場に重きを置く」ことと「机上の議論を放棄する」ことは全然違います。私は「机上の議論ができてこその現場主義」だと思います。

*1:反原発派が鬼の首を取ったように出してくる資料の多くは、ネット右翼が持ち出してくる資料と同様、眉唾物である。私は別に原子力専門家ではないので、そのことを判断できるのはその中の一部の資料のみについてであるが、私に理解しうる部分の印象と、信頼し得る知識を持った人の意見などから、反原発派の圧倒的大多数はネット右翼レベルの知識しかないことは確信しており、その種の議論に乗るつもりはない。

*2:ぐぐれカス

hoythoyt 2008/08/14 12:33 フォン・ノイマンらは爆縮レンズの計算をして核開発に大いに貢献したわけですが、これもまったく反倫理的でないとお考えでしょうか。彼らのやったことはまさに「紙の上で差分方程式を解いた」だけに過ぎないのですが。

SokalianSokalian 2008/08/14 12:42 本当に「差分方程式」ですか?というつっこみは置いておいて。
私の考えでは、計算をしたこと自体は反倫理的でないと思います。反倫理的なのは、その結果を用いて実際に原爆が作られるという状況に荷担したことです。無論この場合、結果を関係者に公表するだけでも核開発に荷担したことになってしまいますが、もしフォン・ノイマンがその結果を闇に葬っていたなら、何の問題もなかったのではないですか?

ちなみに、私はフォン・ノイマンが大嫌いです。この人の著書に名著と呼ばれている本があるのですが、その本も汚らわしく感じられて手を触れるのも嫌でした。フォン・ノイマンが作った数学的概念すら忌避したい気分でいっぱいです。ただ、そうした気持ちが反理性的であることもわかっていますし、非常に悔しい事ながらフォン・ノイマンの出した結果には数学・物理・工学の関係者の多くがお世話にならざるを得ないのです。その現実は現実として受け容れざるを得ないと思っています。敢えて言うなら「フォン・ノイマンは『よいこともした』」のです。

hoythoyt 2008/08/14 13:27 結果を闇に葬っていたならもちろん問題はないと思います。計算結果に限らず、どんな差別的な思想であっても、それを発言に出さず行動にも結び付けないならその思想を持つことは問題にはなりえません。それは内心の自由の話であって、計算結果が反倫理的かどうかということには関係がないと思います。当然、公表した結果が社会に影響を与える場合が問題なんです。

爆縮レンズの計算は、フォン・ノイマンら当時の超一流の数学者たちをロスアラモス研究所に集めてなお10ヶ月を要したといいます。趣味で1人で計算していたのではありません。当然彼らの給料や旅費などが支払われ、その結果を関係者にも公表しないということは許されなかったでしょう。現代ならこの話はもっと明らかです。軍事研究に限らず、大規模なコンピュータを使い多くの人が関わらないと意味のある『理論的研究』ができない計算はたくさんあります。このような場合、計算をすることが事実上結果を関係者に伝えることとつながっており、闇に葬るのは不可能です。その意味で、計算すること自体が反倫理的であるということはありうると思います。


ついでですが、フォン・ノイマンらが解いたのは差分方程式ですよ。もともと偏微分方程式だったものを手計算するために差分にしたのです。

ちなみに、ぼくも日常的に選択公理にもフォン・ノイマンの結果にもお世話になっています。彼がよいこと『も』したのには疑いがありません。

K416K416 2008/08/14 14:34 応答ありがとうございます。

俺のコメントは、ある人の論にホロコーストと同型の論理が忍び込んでいることが批判されることを、ある人の論に見られる権威主義が批判されることを例と用いることで、「『同じ人間だから』論法は不適切では?」と言いたかったのが趣旨でした。

で、
>権威主義が全体主義を導く蓋然性はかなり強いですが、この件の福耳先生の講義がホロコーストを導く蓋然性
というのは、微妙に話が変わっている気がします。上で引用した文だと、権威主義が全体主義(=個人の思想)へと展開しかねないことと、fuku33さんの論がホロコースト(=状況・出来事)へと展開しかねないることが併記されているようですが、(俺の書き方が悪かったのかもしれませんが)俺はそういう意図で例を示したわけではないですし、そもそも「ある思想がある思想に結びつきかねないこと」と「ある思想がある状況を実現してしまいかねないこと」とで、結びつきやすさの次元が異なる(後者の方が蓋然性は低い)のは当然かと思います。(権威主義的パーソナリティの持ち主が数名いたとして、「その人たちの思想が全体主義的思想とつながりやすい」ことの蓋然性は結構高いと思いますが、「その人たちが暮らす社会において全体主義体制が成立する」ことはかなり蓋然性が低くなるわけです。それと同様に。)
そして、この件でhokusyuさんたちが批判されている際に論点となっているのは、fuku33さんの論(に象徴される論理展開)が、いかなる思想と親縁性を持つのかということなのではないでしょうか。つまり、問題とされているのは、「ある思想が、ある状況や出来事を実現してしまいかねない」ってことじゃなくて、「ある思想と、ある状況や出来事を導いた思想とは構造的に類似している/同型の思想である」という話です。
したがって、原文に沿いながら、引用させていただいた文を改訂すると、
>権威主義が全体主義を導く蓋然性はかなり強いですが、この件の福耳先生の講義がホロコースト“と同型の思想”を導く蓋然性がどれほどありますか?
の方がより正しいし、なされている批判に沿った反問だと思います。ただこれには多分、俺が「萌芽」って表現を用いたことに原因があるのかもなとも思いました。「萌芽」という表現のせいで、「ある思想がある状況・出来事を導く蓋然性の高さ」ってのが問題とされているように読めてしまうのかも、と。俺としては、上記したとおり「fuku33さんの論がホロコースト的状況を実際にもたらすかどうか」ってことは、批判の主題にされていないと思ってるので、蓋然性が論点とされているとするような表現は不適切でした。すみません。
あと、「蓋然性」という形で論じられてはいませんが、両思想・両論間の構造的な結びつきはhokusyuさんが論じられているので、それへの批判はやはりhokusyuさんの批判に沿った上で(さらに)なされるといいのかな、と蛇足ながら思いました。
なおもちろん、
>権威主義が全体主義“体制”を導く蓋然性はかなり強いですが、この件の福耳先生の講義がホロコーストを導く蓋然性がどれほどありますか?
という形の修正もありえますが、「ある思想が実際にある状況や出来事を起こすかどうか」ってことが論点となってはいないように(俺は)理解しておりますので、こちらの修正は採用しませんでした。

Sokalianさんの指摘には、「なるほど」と思わされる部分も非常に多く、(横で見ていて口を挟んでいる立場でこんなこと言うのも申し訳ないのですが)勉強になるのでありがたいのです。でも、たとえば「○○は人間である、ヒットラーも人間である」といった形で批判をまとめてしまわれると、若干論がずれてしまうわけです(また、上で書いたように、「権威主義が全体主義を導く蓋然性はかなり強いですが、この件の福耳先生の講義がホロコーストを導く蓋然性がどれほどありますか」も同様に若干ずれていると思います)。「せっかく時間を割いて議論してるのに、相手の論を要約する際に話がずれる(そのことで本筋とは異なる議論に時間が割かれる)のはもったいないな。相手の論に沿った上で、『それは違うんじゃない?なぜなら』とやった方が、実りが多い議論や批判になるかな」と思い、横から申し訳ないと思いつつ、「こういう論の筋なんじゃない?」とブクマでコメントをした次第でした。
コメントの趣旨と、コメントの内容について、(ご賛同いただけるかどうかは別として)ご理解いただければ幸いです。

kamekame 2008/08/14 14:39 > そりゃそうでしょう。だが、それは「私情」以上のものにはなるまい。そのことを指摘することで何か建設的な提案がおできになるのであろうか。できないのであれば、あなたのその言い分は単なる「難癖」である。

ここ、すごく引っかかります。

ご自分の家族がトリアージの選別に漏れて見殺しにされたとしても、あなたそう思えますか? 仮にあなたはそう思えるとして、では、あなたではなくあなたの友人の家族がそうなったとして、悲嘆にくれるその友人に同じことを言えますか?

だからといって、わたしはトリアージ自体を非難しようとは思いません。災害時の極限状態ではそれが「建設的な提案」であることも理解できますし賛同もします。

でも、それは苦渋の決断や葛藤とともになされて欲しい。涼しい顔で「資源の有限性がその合目的的な最適配分を」などとは言って欲しくない。たとえ、トリアージの本質が経済的合理性に根差しているとしてもです。

hokusyuさんたちが言いたいことって、要するにこういうことだと思いますが、いかがでしょう。

K416K416 2008/08/14 15:17 たびたびすみません。2箇所訂正します。
>批判の主題にされていないと思ってるので、蓋然性が論点とされているとするような表現は不適切でした。すみません。

>批判の主題にされていないと思ってるので、状況や出来事が起こる蓋然性が論点とされているとするような表現は不適切でした。すみません。
に、また、最後の、
>コメントの趣旨と、コメントの内容について、

>コメントを書いた趣旨と、コメントの内容について、
にそれぞれ修正させてください。

CloseToTheWallCloseToTheWall 2008/08/14 23:36 はじめまして。
わたしは、福耳先生の「トリアージ経営学」批判において「ホロコースト」を持ち出すことがなぜ理解されないのかよくわからなかったのですが、「包丁に罪はない」という言い方でちょっと分かったような気がします。喩えを多用するのは趣味ではないのですが、「包丁」の喩えに乗っかって言うとすれば、もちろん、包丁にも料理人にも罪はないのは当然ですが、包丁が「危険」であることはご理解頂けるかと思います。良く切れる包丁ほどちょっとしたことで手を切ることになる。包丁の便利さはその危険性と表裏一体のものであり、だからこそ、使用には注意深くなければならない。町中で抜き身の包丁を持ち歩くのは犯罪です。危険だからです。罪はなくとも危険なものについて、取り扱いに注意を求められるのは当たり前のことです。

批判派が再三言っていることは、包丁は便利だけど「危険」だよ、気をつけろよ、ということに尽きるのではないでしょうか。「トリアージ経営学」の問題点は、包丁の便利さを強調するあまり、それが使いどころを間違えると意図的でなくとも人を傷つけるという危険性にまったく顧慮していないように見えたからです。

あなたはどうも「トリアージ」に内在する論理の危険性の指摘、が「トリアージ」そのものの批判(トリアージの断罪)に見えているようですが、そこは分けてください。包丁の危険性を指摘することは罪に問うこととは異なります。適切に使うなら有用であることは誰も否定していません。

以下に書いたわたしのコメントも参照して貰えるとうれしいです。
http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20080812/p1#c

SokalianSokalian 2008/08/14 23:52 >hoyt様
ええ、おっしゃることはわかりますし、全面同意します。
おそらく、私とあなたの問題意識と価値観は非常に近いところにあるものと思います。単に言葉の選び方が違うだけだと思います。

>K416様
詳しくは改めて記事を書いてお返事しようとは思いますが、人文系の方々に比べて私が「思想的近縁性」については鈍感であるとは言えるかも知れません。それがよいことか悪いことかは別としまして。

>kame様
おっしゃりたいことはわかりますが、それは次元の違う問題ではないでしょうか。
そこで考えて頂きたいのは、もし私が例えば権力者あるいは金持ちで、医者を買収して自分の家族に治療を受けさせた、その結果私の家族は助かったが、トリアージを行っていれば助かるはずの人が10人死んだ、としたらどうでしょうか?どう考えてもその場合の私の行動は倫理的に許されないでしょう。私は「トリアージ」は「命は平等」と思えばこその措置だと思うので、そのような感情論を持ち出して相対化することからは何も生まれないと思います。
少なくとも、福耳先生は「涼しい顔」なんかでものを言ってはおられなかったと私は思います。

>CloseToTheWall様
包丁の危険性は事実ですが、その危険の指摘を恣意的に行えば暴力になると思うのです。秋葉原でカッターナイフを持ち歩いただけで取り調べを受けるという例をご存じでしょうか。
今回の件について福耳先生は何の悪意もなく、また現実に誰かを傷つけるような言動を行っていなかったにもかかわらず、向けられた批判は法外に大きかったと言わざるを得ません。それが私がこのような言説を行う最大の理由です。

K416K416 2008/08/15 11:42 お返事ありがとうございます。書いていただいた記事のコメント欄にてまたコメントをさせていただきました。

ApemanApeman 2008/08/15 15:57 私はそもそも「トリアージ=道具」論を受け入れませんが、あえて。

>その危険の指摘を恣意的に行えば暴力になると思うのです。

恣意的でなければいいわけですね? 「恣意的」とか「法外」とかこそ私には「恣意的」な評価にしか思えないんですが。

>今回の件について福耳先生は何の悪意もなく、また現実に誰かを傷つけるような言動を行っていなかったにもかかわらず、

「悪意」の有無が問題なんですか? そんなはなしでいいんですか?

>また現実に誰かを傷つけるような言動を行っていなかったにもかかわらず、

そもそも思想を問題にする時に「現実に誰かを傷つけるような言動」かどうかなんて評価基準を持ちこむのですか? 福耳先生が小沢健二を「ポル・ポト」呼ばわりしたのは、小沢健二の発言が「現実に誰かを傷つけ」たことを確認したからなんでしょうか?
以上が原則的なはなしですが、実際の問題として学生があのエントリを(初期バージョンを)読んでたらどう思ってたでしょうね。また、あまりひきあいに出したくはないですが
http://childdoc.exblog.jp/7140736
を無視して“誰も傷つけてない”と言われても・・・。

CloseToTheWallCloseToTheWall 2008/08/15 21:11 >包丁の危険性は事実ですが、その危険の指摘を恣意的に行えば暴力になると思うのです。秋葉原でカッターナイフを持ち歩いただけで取り調べを受けるという例をご存じでしょうか。

「町中で抜き身の包丁を持ち歩くのは犯罪です。危険だからです」と書いたんです。「抜き身」でと書いたことを無視しないでください。
包丁だってきちんとケースに入れて鞄の中にしまい込んでいれば誰も文句を言わないでしょう(警察は分かりませんが)。抜き身で包丁振り回す人間を注意することが「恣意的」な「暴力」ですか? どこに暴力がありますか。知って知らずか危険なものを危険な使い方をしているところで、危険だと指摘したのであって、危険な代物でも、十分注意して安全に使っている人につっかかったのではないんですよ。秋葉の警察の振る舞いは後者のそれです。福耳先生の主張は前者だとわたしは主張しているんです。

>今回の件について福耳先生は何の悪意もなく、また現実に誰かを傷つけるような言動を行っていなかったにもかかわらず、向けられた批判は法外に大きかったと言わざるを得ません。それが私がこのような言説を行う最大の理由です。

繰り返し書いたように、意図が問題ではないし、その論理は現実に適用されれば人を傷つける、という指摘なんです。経営学という実学での主張は、主張それ自体は人を傷つけないから大丈夫だとまさか仰いませんよね? 学問がフィクションではない以上、そこでの(思考実験そのものではなくそれを通して結論された)主張は現実に遂行されるべし、という意味を持つのであり、だからこそ学問には倫理が求められるんです。

それに、悪意を問題にするなら、Apemanさんも言うとおり、当初の記事はかなりアレでしたよ。わりと陳腐な女叩きで。あの記事が強く叩かれたのは、そのせいでもあります。

SokalianSokalian 2008/08/16 01:44 >Apeman様
> 恣意的でなければいいわけですね? 「恣意的」とか「法外」とかこそ私には「恣意的」な評価にしか思えないんですが。

そういうことではなく、福耳氏の主張に害意や危険がなかったのであれば、結果として不当だったことには変わりがないでしょう。

> 「悪意」の有無が問題なんですか? そんなはなしでいいんですか?

でしたら、「悪意と危険」とお読み換え下さい。

> 福耳先生が小沢健二を「ポル・ポト」呼ばわりしたのは、小沢健二の発言が「現実に誰かを傷つけ」たことを確認したからなんでしょうか?

福耳氏の記述によりますと、小沢氏は『「ひとびとの敵」をまず想定して、それへの攻撃を印象論で繰り広げていくレトリックなど』を展開したとあります(http://d.hatena.ne.jp/fuku33/20070623/1182580528)。これが事実であるならば、「ひとびとの敵」扱いされた人は「攻撃」を受けて「傷つけられた」と解釈してよいでしょう。

> 実際の問題として学生があのエントリを(初期バージョンを)読んでたらどう思ってたでしょうね。

憶測でものを言うのは差し控えたいですが、批判されて反発したとしても当然でしょうね。ただし、その反発が正当かどうかは疑問があると思います。

> http://childdoc.exblog.jp/7140736
> を無視して“誰も傷つけてない”と言われても・・・。

引用元記事には「トリアージに関しては、まじめに正面から語るか、黙るかの、どっちかにして欲しいです」とあります。
私は福耳氏は「まじめに正面から」語っていたと思います。そして残念ながら引用元記事著者は、その意図を誤解したと思います。もちろん、引用元記事著者にはそれだけの事情があるのだから誤解したことを責めるつもりはありません。しかし、誤解は誤解です。

>CloseToTheWall様
> 「町中で抜き身の包丁を持ち歩くのは犯罪です。危険だからです」と書いたんです。「抜き身」でと書いたことを無視しないでください。

では、「抜き身」に当たると判断なさった根拠はなんですか?思考実験で架空の人間を実験台にすることの何に危険性がありますか?

> 繰り返し書いたように、意図が問題ではないし、その論理は現実に適用されれば人を傷つける、という指摘なんです。

将棋の戦略も現実に適用されれば人を傷つけます。その指摘には殆ど意味がありません。

> 悪意を問題にするなら、Apemanさんも言うとおり、当初の記事はかなりアレでしたよ。わりと陳腐な女叩きで。

当初の記事を「女叩き」と読むのは相当無理があると思います。
福耳氏がある種の類型を引き合いに出して語っており、そういう類型が誤解の種となるのは事実かと思いますが、例えば「お金持ちのお嬢さんが多いミッション系」「小学校の学級会の(略)女子たちによる吊し上げ」という記述から「お金持ち」や「小学校」ではなく「女子」を拾い出すのはなぜですか?
そして、福耳氏はその部分の記述を削除したし、現在の批判は「トリアージとホロコーストの類似性」に絞られているのでしょう。だとすれば、その点に今更何の問題があるのでしょうか。

ApemanApeman 2008/08/16 09:35 >そういうことではなく、福耳氏の主張に害意や危険がなかったのであれば、結果として不当だったことには変わりがないでしょう。

そんなこと言ったらそもそも思想的な批判なんて不可能だよ。やれやれ・・・。で、「ナイーブ」だの「学級会」だのは「実害」がない、しかし「ひとびとの敵」扱いは「実害」があるんですか。意味不明だ・・・。要するにあなたのは全部為にする議論ですよ。HALTAN擁護先にありきの。

SokalianSokalian 2008/08/16 16:03 > そんなこと言ったらそもそも思想的な批判なんて不可能だよ。やれやれ・・・。

今回の騒動の最大の問題は、福耳氏が思想ではなく「このような仮定の下ではこのような結論が生じる」という「事実」を語ったものが「思想」と混同されて批判されていることだと考えています。

> 「ナイーブ」だの「学級会」だのは「実害」がない、しかし「ひとびとの敵」扱いは「実害」があるんですか。

そりゃ、「ナイーブ」だの「学級会」だのの言葉がきついとは言えるでしょう。そういう愚痴を外部に向けて言うことへの嫌悪感を持つ人もいるでしょう。しかし、話の前提を踏まえないで感情だけで反応することは実際に「ナイーブ」であって、言葉の選び方に問題があるとしても正当な批判と言うことは可能です。
一方で、小沢氏の件については、福耳氏の言を信用するならば、根拠のないレッテル張りをしたのですから。

> 要するにあなたのは全部為にする議論ですよ。HALTAN擁護先にありきの。

私は福耳氏の講義手法・内容を擁護しているのであって、それがHALTAN氏の擁護であるとお考えになる理由がわかりません。
何度も申し上げるように、私にとってあなたとHALTAN氏の間の感情的軋轢は興味の乏しい問題ですので、私の論旨と無関係にその点に固執することはそろそろお控え下さい。

CloseToTheWallCloseToTheWall 2008/08/16 18:30 抜き身だと判断した根拠は、こうです。福耳先生は、かわいそうだ、とか人権侵害だ、と述べる女学生に対して、かなり強い否定的反応を示しました。邪推も交えて女性への性的偏見を露わにしてまで叩いていました。福耳先生は、まず「資源の有限性」を前提にした方法論を教えるために「トリアージ」を例示したのに、とそのせいで強く反発したとよそで語っていましたが、そんなことを知らない外から見れば、それはトリアージにおいては「資源」が「有限」だという「事実」を語ったのではなく、彼の経営学にとっては「資源の有限性」という前提が否定し得ない信念になっているように見える、ということです。

経営学を教えている人間が、資源の有限性への問いを封じるとは! というのが「抜き身」の意味で、批判を招いた原因でしょう。思考実験についての反応に対する、福耳先生の対応が問題になっています。そもそも、福耳先生は将棋のルールを人間社会をモデルにして教えたのではなく、人間社会に適用される経営学のルールを、極限の非人間的状況をモデルに教えたんです。

>当初の記事を「女叩き」と読むのは相当無理があると思います。

この意見はさすがにわたしには理解できません。あの記事は、どう読んでも女性に対する性的偏見を含んでいるし、自分の授業を理解できなかった原因を女性性に求めるばかりか、自分の授業の進め方に何ら疑問を抱かないあたり、かなり擁護できない部分だと思います。女子大生、お嬢さん、女子、嫁姑、彼女たち、という羅列目にしては、女叩きでないとは、さすがに無理があると思います。事実、福耳先生自身はコメント欄で女性の読者にその旨認めて、「性的偏見について。ちょっと身辺で少数のサンプルで目についたことを一般化したのは間違いでした」と謝罪しておられるんですが。

SokalianSokalian 2008/08/16 22:51 > そんなことを知らない外から見れば、それはトリアージにおいては「資源」が「有限」だという「事実」を語ったのではなく、彼の経営学にとっては「資源の有限性」という前提が否定し得ない信念になっているように見える、ということです。

失礼ながら、それは何の言い訳にもならないと思います。
文章には、それなりの文脈というものがあります。特に学術関係の話題は、その分野独特の用語法や仮定を無視して読めば文意が通らないことがあります。
そのような文脈を無視して読んだ結果、文章に意図せぬ誤読が可能であったとしても、責められるべきは著者ではなく読者でしょう。

> そもそも、福耳先生は将棋のルールを人間社会をモデルにして教えたのではなく、人間社会に適用される経営学のルールを、極限の非人間的状況をモデルに教えたんです。

この場合の「モデル」という言葉をお間違いではありませんか?
簡単に言えば、「将棋は戦争をモデル化したゲームである」というのがこの場合の「モデル」です。そして、福耳先生のやったことは、「経営学における最適化のモデル」に緊急時の状況を代入すれば「トリアージ」が有力な解として得られる、という例示にすぎません。違う状況を代入すれば違う解が得られますし、そうすることで「状況を変えればどうなるか」ということを体感することができます。

なお、トリアージのように人命救助に優先順位付けを迫られる状況は「極限の非人間的状況」だけで発生されるわけではありません。たとえば、医師が一人しかいない病院で患者二人の容態が急変すればどうなるでしょうか。

> 女叩きでないとは、さすがに無理があると思います。

政治的に正しくないだろう、とは思います。しかし福耳氏の発想の本質が女性性に対する攻撃でないこともあきらかですし、「自分の授業を理解できなかった原因を女性性に求める」とは到底読めません。たとえば、もし男子学生が多い状況で同様の反応があったら「お嬢様」の代わりに「お坊ちゃん」といった表現が使われていたことを想像するには容易だからです。

ApemanApeman 2008/08/17 11:18 >今回の騒動の最大の問題は、福耳氏が思想ではなく「このような仮定の下ではこのような結論が生じる」という「事実」を語ったものが「思想」と混同されて批判されていることだと考えています。

これ、本気ですか? だとしたらやっぱりあなたは福耳先生を馬鹿にしすぎです。福耳先生を擁護するには福耳先生を(経営学者を)矮小化せざるを得ないのだな、と改めて確信しました。

>一方で、小沢氏の件については、福耳氏の言を信用するならば、根拠のないレッテル張りをしたのですから。

なんで信用するんですか? だったらhokusyuさんや私も信用してください。
それからここでの問題は「根拠」の有無じゃないでしょ? 「実害」の有無でしょ? 話をそらさないでもらいたい。


>何度も申し上げるように、私にとってあなたとHALTAN氏の間の感情的軋轢は興味の乏しい問題ですので、私の論旨と無関係にその点に固執することはそろそろお控え下さい。

あなたが最初に問題にしたんでしょうが。あなたが「あたまがわるい」タグ云々を問題にしたことを全面的に撤回するなら私ももう言いませんよ。

なお横レスですが。

>しかし福耳氏の発想の本質が女性性に対する攻撃でないこともあきらかですし、

全然明らかじゃありません。むしろ明らかなのは彼のマッチョ主義です。

>例えば「お金持ちのお嬢さんが多いミッション系」「小学校の学級会の(略)女子たちによる吊し上げ」という記述から「お金持ち」や「小学校」ではなく「女子」を拾い出すのはなぜですか?

そのなかで「女子」だけが(通常は)変更不可能な属性でしょ?

SokalianSokalian 2008/08/17 17:23 > 福耳先生を擁護するには福耳先生を(経営学者を)矮小化せざるを得ないのだな、と改めて確信しました。

講義の場で限定された話題を扱うのは誰でもやることで、福耳氏への見下しになどなり得ません。むしろ、福耳氏がマクロとミクロを混同しているなどというあなたの方が福耳氏を馬鹿にしすぎです。

> なんで信用するんですか? だったらhokusyuさんや私も信用してください。

福耳氏についてはさしあたり検証の手段がないので、留保付きで仮定の話を進めただけです。
あなたやhokusyu氏については、過去記事を追うことができます。

> それからここでの問題は「根拠」の有無じゃないでしょ? 「実害」の有無でしょ?

「根拠」のないレッテル張りに「実害」があるというだけのことです。

> あなたが「あたまがわるい」タグ云々を問題にしたことを全面的に撤回するなら私ももう言いませんよ。

いや、「あたまがわるい」という言葉は「死ねばいいのに」と同様に一線を越えているので、これは前後の経緯と無関係に撤回できません。もしHALTAN氏が「あたまがわるい」と同程度以上に行き過ぎた罵倒をしたというのであればあなた方にも同情の余地がありますが、そのような発言は見つけることができませんでした。

あと、福耳氏の発言の政治的妥当性はもうどうでもいいです。そう思いたければそうお思いください。あなた方の考えを変えることができないことはよくわかりました。

CloseToTheWallCloseToTheWall 2008/08/17 22:57 ええと、こちらでは簡単に

>福耳氏の発想の本質が女性性に対する攻撃でないこともあきらかです

発想の「本質」って、どこから読めるのですか。あなたは福耳先生でないのだから、彼の発想の本質などわかるはずがないじゃないですか。彼の文章をそのまま読めば、女性が「目の前の最善」しか考えないような感情的な動物だから、自分の理性的な経営判断の論理を理解できなかったんだろう、という風に非難しているとしか読めないのですが。
男子がこういう反応を返したら、まとめてお坊ちゃんだからダメなんだ、という反応を返したとして、それもまた差別的な若者叩きに他ならないわけですが。そして、それは両方とも批判すべきです。女性を性的偏見で一般化したしたことは、男を同じように偏見で一般化しても相殺されませんし、よりその人が差別的思考に骨まで浸かっているということを露わにするだけですよ。

ApemanApeman 2008/08/17 22:59 >福耳氏についてはさしあたり検証の手段がないので、留保付きで仮定の話を進めただけです。

これについては私のところのコメント欄で不当性を明らかにしました。

>「根拠」のないレッテル張りに「実害」があるというだけのことです。

いや、根拠の有無と実害の有無は別問題です。名誉毀損に関わる損害賠償請求訴訟でも両者は争点として区別されます。

>いや、「あたまがわるい」という言葉は「死ねばいいのに」と同様に一線を越えているので、これは前後の経緯と無関係に撤回できません。

これについては私のブログで他の方からコメントがついてますが、「人類史上の悲劇を見世物として楽しんでる」云々はタグとして記号化された「あたまがわるい」よりはるかにひどい人格的誹謗です。あなたが「あたまがわるい」を問題にしつづけるなら、私も「人類史上の悲劇を見世物として楽しんでる」云々を問題にし続けます。

>あなた方の考えを変えることができないことはよくわかりました。

あなたも考えを変えないわけですね? あたかもこちらだけが頑なであるかのような印象操作ですか。

CloseToTheWallCloseToTheWall 2008/08/17 23:02 いや、前コメントの「動物」、という語句はまずかったです。反省して撤回します。
うーん、人を差別的だと批判する文章で元の文章以上の差別的な語句を使用するのは自爆も良いところでした。

SokalianSokalian 2008/08/17 23:27 >CloseToTheWall様
> 女性を性的偏見で一般化したしたことは、男を同じように偏見で一般化しても相殺されませんし、よりその人が差別的思考に骨まで浸かっているということを露わにするだけですよ。

「骨まで浸かっている」かどうかはともかく、それはそうですよ。だから福耳氏の表現が「政治的に正しくない」ものであったことは私も同意しています。単に、福耳氏が筋金入りの差別主義者であるかのように断定するのが言いすぎだと思っただけです。

> うーん、人を差別的だと批判する文章で元の文章以上の差別的な語句を使用するのは自爆も良いところでした。

そもそもこの感覚が私は不思議でならないのですが、別にあなたが誰かのことを「感情的な動物」と思っているわけではないのでしょう?あなたの文章が「福耳氏への度が過ぎた攻撃」と受け取られることはあり得るかもしれませんが、その表現を使ったあなた自身が差別主義者だと思う人は、あなたに対して「坊主憎けりゃ袈裟まで」的憎悪を抱いている人だけではないですか?

>Apeman様
> これについては私のところのコメント欄で不当性を明らかにしました。

不当ではありません。何度でも申し上げますが、仮定に基づいて話をするということを理解してください。

> いや、根拠の有無と実害の有無は別問題です。名誉毀損に関わる損害賠償請求訴訟でも両者は争点として区別されます。

それは存じませんでした。ご教授ありがとうございます。
ただし、法律を離れた議論として、「あたまがわるい」表現はやり過ぎであると、私のマナー的感覚から再度申し上げます。

> あなたも考えを変えないわけですね?

だから、考えは変えませんけど、もう争いませんので好きなようにご解釈くださいということです。どうしてもあなたが「あたまがわるい」タグをお使いになりたいのならば、おやりになればよい。ただし、私はそれを肯定的に評価することはありませんし、あなたとHALTAN氏の言い争いを「お互い様」以上にあなたに肯定的に評価することはあり得ません。これはもう私の主観ですので、それ以上はあなたに口を出されることではありません。
そういうことでこの件からはお引き取りください。

ApemanApeman 2008/08/18 01:02 >ただし、法律を離れた議論として、「あたまがわるい」表現はやり過ぎであると、私のマナー的感覚から再度申し上げます。

本気でそう思ってるんなら、あなたがまずやり玉に上げるべきは福耳先生です。ネットでのフラットな人間関係においてではなく、教師・学生という権力関係のなかで彼は学生を「ナイーブ」と評したのですから。

CloseToTheWallCloseToTheWall 2008/08/18 21:56 すいません、「骨まで浸かっている」というのは男性も中傷していたら、という条件法つきのつもりでした。

>単に、福耳氏が筋金入りの差別主義者であるかのように断定するのが言いすぎだと思っただけです。

差別主義者であるとまで断定しては居ませんよ? 性的偏見を過度に一般化して女性叩きをしたことと、確信的な差別主義者であることはイコールではありません。謝罪しておられる以上、差別を是としていないことは明らかではないですか。しかし、そのことと差別的文言を書いたことの責任はもちろん別です。

>別にあなたが誰かのことを「感情的な動物」と思っているわけではないのでしょう?

差別というのは偏見を基盤になされます。そして偏見というのはその名の通り、偏った見方であり、偏見の持ち主にはそれが偏見であることが自覚されにくいものです。ですから、人は皆、意識せずとも差別的偏見を語ってしまうことがあるのです。そして、そんな意図(差別主義)はなかった、などというのは何の反論にもならないんです。書いたことは書いたこととして責任をとる。だからこそ、福耳先生は読者に謝罪したんです。

なんか、確信的な差別主義者以外の差別的発言を批判する必要はないんじゃないか、と思っているように聞こえますが。

SokalianSokalian 2008/08/18 22:59 >Apeman様
> ネットでのフラットな人間関係においてではなく、教師・学生という権力関係のなかで彼は学生を「ナイーブ」と評したのですから。

私は教師・学生関係のなかで教師が学生を「ナイーブ」と批判することがやりすぎであると思えません。もっと微妙な例として、とある芸術家が学生の芸術上の発言を「ナイーブ」と叱責した例を見たことがあります。ことが芸術上のことですから、全て主観の世界を「ナイーブ」とは何事かということもできるでしょう。しかし、そもそも師弟関係というのはそういうものではないでしょうか。生徒が子供でなく、教師を選ぶ権利が保証されているのであれば。

>CloseToTheWall様
倫理的に問題があるか否かの議論はあり得ても、責任追及すべきか否かとなるとやり過ぎだと思うのです。

詳しくは申しませんが、身近にかなりセンシティブな問題があったことが何度かありました。そのとき、当事者に近い立場から人の発言を聞いていると、腹の立たないことの方が珍しいくらいです。ほとんどの人間は無知故の偏見を直にぶつけてきます。殊にネット界隈で障害者関係の話題を見ると、画面に向かってわめき散らしたくなることもしばしばです。
しかし、そうであればこそ、「誤解を招く発言」と「真に偏見から(無知故のものであっても)発した発言」の間には厳密な線を引くべきではないかと思うのです。質的な差異があるとすればおそらくそこにしかないでしょうから。
少なくとも、たとえば「障害者」「障碍者」「障がい者」のどれが表記として適切かなどという下らない問題を議論している暇があるのであれば、「障害者は普通学校に来るな」というありふれた偏見を先に糾弾すべきではないのか、と私などは思ってしまいます。それで、ちょっとこのあたりの話題には過敏に反応してしまう部分があるかもしれません。

ApemanApeman 2008/08/19 00:07 >私は教師・学生関係のなかで教師が学生を「ナイーブ」と批判することがやりすぎであると思えません。

私とは根本的に感覚が違うとしか申しあげられませんね。あれは当事者が問題化すればアカデミック・ハラスメントとして認知される余地の十分ある発言でした。ありふれたネットの罵倒合戦とはレベルが違います。

SokalianSokalian 2008/08/19 00:47 「馬鹿」ならともかく、「ナイーブ」ではどうでしょうか。
と、ここまで書いて気づいたのですが、ことによると語学力の問題かも知れません。私は語学が弱いので、こういう文脈における ”naive” の意味を取り違えていたのでしょうか。私は「甘い」「未熟」「素朴」程度の意味に捉えておりましたが。
念のため、手元の英英辞典と仏和辞典に当たってみた限りではさほど的はずれでもないようですが。

flurryflurry 2008/08/19 09:49 すみません。本題ではないのかもしれませんが、Sokalianさんがフォン・ノイマンを嫌う理由というのはどのようなものなのでしょうか?
私も最適化の数理的手法などに関心があるものですから、それが分かるとSokalianさんの立場が理解できるかなと思いまして……。

SokalianSokalian 2008/08/20 00:25 核開発に積極的に協力して、しかもその後使用を強く主張し、実際に使用された後も軍に積極的に協力し続けた、その一点のみです。
フォン・ノイマンについて肯定的なことを言うと、核兵器を肯定するような気分になってしまうのです。

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