Hatena::Diary

吾輩は馬鹿である

2008-09-09

ブルータスお前もか

そもそも私がこの「トリアージ騒動」に参入したのは、「物言えば唇寒し」という風潮に一石を投じたかったからである。

いわゆる進歩的な人たちから蛇蝎のごとく嫌われた安倍政権下、"KY"という言葉が流行語となり、「絆創膏騒動」や「産む機械」発言などによって多くの政治家マスコミによって首を狩られた。彼らにはその他に確かに批判されて然るべき言動があったのかも知れない。しかしながら、皮膚の状態などといった個人的なことを隠すことや、人間を比喩と断った上で機械に喩えることが問題であるはずがない。そうでなければ、他人のカツラを引っぺがすようなことも肯定されるようになってしまうし、イチローを「安打製造機」と呼ぶことも許されなくなってしまうからだ。

だが、世間はそうは問屋が卸さなかった。誰がどのように上のような正論で抗弁しようとも、「不適切」「不適切」の一点張りだった。そして、何が不適切かを突き詰めても、最後は「空気が読めない」という、説明になってすらいない断罪で終わってしまうのだった。

「国家安康」を思い起こし「文字の獄」とつぶやいたのは独り私だけではあるまい。いわゆる進歩派の人は安倍政権を散々ファシズム呼ばわりしていたが、私に言わせれば"KY"の方がよほどファシズムに近かったと思う。

そして、今回の「トリアージ」の一件にも同じようなことを感じるのだ。問題となった記事をどう読んでも、「トリアージ」が「ホロコースト」に結びつくようには思えない。それなのに、普段は良識の溢れる人たちがこぞって「ホロコースト」「ホロコースト」と言っている。心底背筋が寒くなったものである。

「話せばわかる」「問答無用」

こうした人たちに共通する論法は、「文脈を読む」ことである。その文脈というのがどこから現れるのか私には到底理解できないのだが、どうも、発言者の意図を辿っていくと「ホロコースト」との決定的な一致点が見つかるということのようだ。だが、百歩譲ってそうだとしても、おそらく「国家安康」についても同じことが言えるだろう。当時の豊臣家が徳川家康を内心呪詛していたとしても何の不思議はない。しかし「国家安康」ごときのことが、当時の道徳観を持ってしても攻め滅ぼされるほどのことであるはずがないのだ。それだけのことから、豊臣家が敵意を実際に行動に移すという確証は到底読み取れないからだ。

産む機械」や「トリアージ」もこれと同じである。そして「絆創膏」はそのレベルにすら達していないことは言うまでもないだろう。

この種の属人論法はことほど左様に不毛なのだ。相手が何を考えているかを最初から色眼鏡で見ていれば、全てを悪意に解釈できる。それだけのことで何でも悪意に解釈されてはたまらない。

議論というものは、相手の意見だけを虚心坦懐に読み解いて解釈しなければならない。相手の人格と、相手の言ったことの間には何の関係もない。ニュートンフォン・ノイマンが人間的に最低であったといくら言ってみても、彼らの科学的発見の価値を貶めることはできないのだ。

K416氏へ

私が約3名にまともな対応を取らないのはそういうことなのです。彼らは最初から、私の主張自体ではなく、私の人格自体をターゲットにしている。まともに相手にすればするだけ損なのはおわかりでしょう?だからこそ、怒りにまかせて極めていい加減で不誠実な対応をしている。本気で相手にすればするだけ、邪推の刃によって傷口を拡げてくるだけだから。

そのことを、例の約3名が理解できるとは端から期待していませんが、例の約3名とは異なり誠意を十分にお持ちのid:K416氏にご理解いただけないのは極めて残念に感じています。

あと、「明日は晴れ」「一日後は雨」っていう比喩に倣ってこの話をたとえるなら(この比喩もちょっと微妙な気がしないではないのですが)、「明日は晴れるよ」と言った人が、一方で今日の天気予報をはずしてたら、明日の予報の妥当性がまだ判断できない状況では、「え、この人の予報信じれるのかしら」って気になりますよね。って感じの話になると思うのですが。

http://d.hatena.ne.jp/by-shimauma/20080905#c1220895936

私自身は大した人間ではないし、あの手の輩に信用してもらいたいとも最初から期待していません。ただ、私が信用できない人間であるとしても、私が言ったことから逃げる口実にはならないはずで、例の人がやっているのは極めて無意味な批判なのです。

加藤智大が殺人者であるからといって、彼がネットに書いていたワーキングプアの絶望自体が無効になるわけではありません。ワーキングプアはやはり問題なのです。

相手を批判する際に相手に求めるものよりも低い水準の論理性や根拠から文章をお書きになる傾向があるような。下で書く「蒸し返し」や「揚げ足取り」もそうなんですけど。何か、相手の批判を小さくするような表現を用い、ご自身の主張を大きくするような表現を用いられる傾向がおありになるような気がします(おそらく意図はされてないんでしょうけど)。

http://d.hatena.ne.jp/by-shimauma/20080905#c1220895936

仮に、これが例の約3名以外に向けられた批判に関してであればご指摘いただきたいのですが、最初から例の約3名には真面目に対応する気がないので、それはわざとやっていることです。私は不誠実な相手には基本的に不誠実にしか対応しないことにしています。

たとえばhokusyuさんの文章(http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20080812/p1)とかを読むと、「fuku33さんの文章全体にトリアージが貫徹してる」ってことが批判されてるんじゃなくて(そういう批判ってありましたっけ)、トリアージを一般的な経営学の文脈で(百貨店の運営と同列のものとして)例示として持ち出したことが批判されてるわけです。

http://d.hatena.ne.jp/Sokalian/20080901/1220276877#c1220896827

まず、hokusy氏の記事には「ここが重要なのですが、福耳先生がトリアージをたとえに経営学を説明したという誤りは、単なる軽率ではなく、彼の思想そのものに内在しているということです」と書かれており、それは同氏が「テクストから読み取る」ことをした結果だということです。とすればこれは「fuku33さんの文章全体にトリアージが貫徹してる」ということになるのではないですか?

それに、「トリアージを一般的な経営学の文脈で(百貨店の運営と同列のものとして)例示として持ち出したことが批判されてる」のだとしたら既に私が批判したことで片が付いていますよ。「彼のテクストを純論理的に解釈すれば、ナチスだって適切な組織となってしまうであろう」というのは、「適切」さを測る基準次第によってはそうなってしまうのは当たり前であり、そしてそれは経営学の守備範囲外だと、コメントの元記事で指摘した通りです。

この文章内で、B(百貨店の話題)とC(トリアージ)は全く並列なのです。

というのは、tikani_nemuru_Mさんのところで書いておられた

そして、福耳氏の講義で持ち出された例は「トリアージ」でした。トリアージ経営学の文脈で読み解くことは、災害救助のための組織(救急隊など)の運営を意味していることは明らかであり、こうした組織があなたの言われる「有用性」を目的することはあり得ません。

という文章と食い違っているように思われます。百貨店と並列的に出されていると言うことは、「災害救助のための組織」に限定されるものではなくて、もっと一般的な合目的的組織(あるいはその運営)の例として出されているんですよね。

http://d.hatena.ne.jp/Sokalian/20080901/1220276877#c1220896827

何も食い違っていませんが。百貨店も「災害救助のための組織」も「一般的な合目的的組織(あるいはその運営)の例」であるという点で「並列」なのです。

そうではなく、まさにあなたがいま言われているように、「百貨店」を一つの例示と見なし、「トリアージ」を「もっと一般的な合目的的組織(あるいはその運営)の例」という次元の違ったものとして読み取ることが、原文から読み取れない飛躍的な解釈、端的に言って誤読であると私は言っているわけです。福耳氏の文章の構成からは、トリアージ百貨店と次元の違う特別なものとして読み取るべき、という含意はどうやっても読み取れません。

K416K416 2008/09/10 01:59 エントリを立ててお返事いただきありがとうございます。
ただ、根本的な誤解がいくつかあるようなので、そこから。

>仮に、これが例の約3名以外に向けられた批判に関してであればご指摘いただきたいのですが
「約3名」が誰か(想像は付くけど、それで合ってるのかどうかという意味で)分からないのですが。ともあれ、「全員」って表現も「言い過ぎだな」って思ったことは書いたとおりですけど、下にも書くように、hokusyuさん(たち)の論の要約も厳密じゃない(結果的に矮小な主張となるような)ものを出しておられるように感じます。その辺が感じた部分でしょうか。

>ただ、私が信用できない人間であるとしても、私が言ったことから逃げる口実にはならないはずで、例の人がやっているのは極めて無意味な批判なのです。
俺、「Sokalianさんが信用できない」なんて言ってるんじゃなくて、比喩の不適切さを指摘させていただこうと思って、「その比喩だと、『単にそんなこと言う人は信用できない』って話になりますよ(だから別の比喩の方がいいんじゃないですか)」ってことを言っているわけです。あと、by-shimaumaさんが逃げている部分ってのがどこなのか分からないし、by-shimaumaさんは「『信用できない人柄だから論も信用できない』と言っているわけではない」とおっしゃっているように思います。

>hokusy氏の記事には「ここが重要なのですが、福耳先生がトリアージをたとえに経営学を説明したという誤りは、単なる軽率ではなく、彼の思想そのものに内在しているということです」と書かれており、
まずここから。「トリアージをたとえに経営学を説明した」という部分は、Sokalianさんによるfuku33さんの文章読解と同様だと感じるのですが。この点で、「全員」ってのはどうだろう、と。

>とすればこれは「fuku33さんの文章全体にトリアージが貫徹してる」ということになるのではないですか?
俺にはそうは読めません。なぜなら、引用されているように、hokusyuさんの主張は、「トリアージを説明した誤りは、(中略)彼の思想に内在している」なので、説明方法の誤りに象徴されるものが(Sokalianさんの表現を借りるなら)「文章に貫徹している」とするべきです。つまり、「トリアージが貫徹してる」と言われているのではなくて、「誤った説明方法が貫徹している」とhokusyuさんは言っているわけです。で、「トリアージ」と「誤った説明方法」は別物ですよね。こうしたところも、「相手の主張の要約については厳密さが薄れることがあるな」って感じた部分です。hokusyuさんが「約3名」の中に入っているのか自信があまりないのですが。

>それに、「トリアージを一般的な経営学の文脈で(百貨店の運営と同列のものとして)例示として持ち出したことが批判されてる」のだとしたら既に私が批判したことで片が付いていますよ
次段で述べるとおり、片がついているとは俺は思ってないのですが、ともあれ。このことは俺が指摘したこととは別の話です。ここ(fuku33さんの主張への判断)を議論するつもりは、既にある程度の合意が得られたと俺は思っているので、ないのです。現在の論点(に俺がしていること)は、「批判者全員が誤読してるかどうか」って話なので、そこに限れば、そんなことはないと(上記の通り)思うという話です。

>そしてそれは経営学の守備範囲外だと、コメントの元記事で指摘した通りです
で、「片がついてる」の話ですが。これはSokalianさんの指摘として理解できますが、それが妥当かどうかという部分では、「依拠する立場の異なりから埋まらない部分もあるかもですね」ということである程度の共通理解が得られたように思うのですが(たとえばhttp://d.hatena.ne.jp/Sokalian/20080831)。(思想を問うか問わないかとか、相手の前提に乗るか乗らないで問うかとか、前提や思想を問うならどれくらいまで問うかとかと同様に)守備範囲外と見なすか見なさないかどっちが正しいかってのは、一概に言えることではないと思います。というのは、既に通ってきた議論で、「立場の違いかな」という意味で「片がついている」とおっしゃっているのなら完全に同意するのですが。

>何も食い違っていませんが。百貨店も「災害救助のための組織」も「一般的な合目的的組織(あるいはその運営)の例」であるという点で「並列」なのです。
「並列の例示です」って話に何も反論はありません。俺も「fuku33さんはそうおっしゃってるんだろうな」と思ってます。俺が言っているのは、「『並列』とは異なる(ように読める)書き方をしてたことがありますよね。で、それが一部の誤解の元になってるような(←これも先に書けばよかったのですが、書いてなかったせいで意図が伝わらなかったと思います。すみません)」という話でして。
tikani_nemuru_Mさんのところでは、「トリアージを経営学の文脈で読み解くことは、“合目的的組織の運営を”意味している」とは書かれずに、「トリアージを経営学の文脈で読み解くことは、災害救助のための組織(救急隊など)の運営を意味している」とお書きになっておられたわけです。で、後者の書き方だと「並列」であることがむしろ読み取りづらくなってしまうように感じたるんですね。なぜなら、合目的的組織の下位カテゴリーとして「災害救助のための組織」があるわけで。上位カテゴリー(の運営)の説明をするための例示と捉えるか、下位カテゴリー(の運営)の説明をするための例示と捉えるかでは、やっぱり議論の焦点が変わるでしょうから。「災害救助のための組織(の運営)の説明をするための例示」ってしてしまうと、「百貨店」は並列的な位置にはなくなって、別の話に(下位カテゴリーである「災害救助のための組織」に「百貨店」は含まれないわけで)なりかねませんよね。おそらくSokalianさんは意図しておられなかったと思うんですが、誤解を招きやすい書き方だよなと思ったわけでして(実際に下に書くように招いたわけですし)。
という意味合いで、文章によって書き方が食い違っている(意図は同じかもしれないけれど、表現の面で)のでは、と感じたんですね。もちろん、新しい方の読み(並列的例示)で俺も同意するんですが。で、何でこういうことを書いたかと言うと、吾輩こそ馬鹿であろさんのコメントは多分、以前のSokalianさんがお書きになった「災害救助のための組織の運営を説明するため」という文章を受けてのものなんだろうと感じ、「このコメントが出てきたのはこういう食い違いがあるからじゃないですか(=過去の誤解を呼びそうな文章は修正した方がいいのでは)」と指摘させていただこうという意図があったからでした。が、意図を書いてなかったので伝わらなかったかと思います。すみません。

>「百貨店」を一つの例示と見なし、「トリアージ」を「もっと一般的な合目的的組織(あるいはその運営)の例」という次元の違ったものとして読み取る
で、上記の通り、俺は「fuku33さんは、百貨店ももトリアージも合目的的組織(の運営)の例として並列的に出されたんだろうな」と読んでいますし、hokusyuさん(たち)もそう読まれているわけでして。引用しておられる文の中でもhokusyuさんは「トリアージをたとえに経営学を説明した」と書かれてますし、あるいは(別の日ですが)「トリアージがいったん、たとえば我らが経営学者様の手にかかって、救急救命の手を離れ一般的に通用する理論としてみなされたとき」(http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20080523/p1)等と書かれてますよね。つまりhokusyuさんも、Sokalianさんや俺と同じく「fuku33さんは、トリアージを『経営学』の『一般的に通用する理論』としている」と読まれているように思えます。なので、「誤読」は(「Sokalianさんと同じ読みをしてますよ」って意味において)ないように思いますよ。その上で、複数の人が引っかかったのは、「fuku33さんは、百貨店もトリアージも並列的に例示してるけど、それって妥当?」って部分(で、これについてはSokalianさんとhokusyuさんと俺とでは判断が異なる部分でしょうが)なんでしょうね、と。つまり、Sokalianさんも俺もhokusyuさん(たちも)読みは同様なんです。書かれた内容に対する判断が異なるだけで。

>トリアージを百貨店と次元の違う特別なものとして読み取るべき、という含意はどうやっても読み取れません
したがって、これもその通りです。fuku33さんが「次元が違う」と言っているとはhokusyuさん(たち)や俺も主張していません。むしろ、「次元違うでしょ(いろいろな意味で)」ってところから、「でも、fuku33さんの文章にはそういう含意がないよね」って部分で引っかかっているわけなので。

Soklianさんのご指摘は、「立場が違うから、最終的な判断が違うかもな(たとえば研究者自身の思想(≠人格)を問うことの意味だとか、論者が依拠してる前提に沿うべきか/それも疑ってOKかという部分等で)」とは思いつつ、興味深く読ませていただいていて、勉強になるところも多いのです。でも一方で、「全員誤読」ですとか明らかな言い過ぎをさしはさんで、読者の誤解を招きかねないことをするのはどうかな、と引っかかった感じでした。以前似たような話をさせていただいたときは、「(誤解するしないは)読者の責任である」(http://d.hatena.ne.jp/Sokalian/20080820/1219417922#c1220090529、大意)とおっしゃってて、それも分かるのですが、でも書き手の努力で減らせる誤解もあり得ると思うわけでして。

K416K416 2008/09/10 02:01 たびたびすみません。
終わりから2つ目の段落の、「次元違うでしょ(いろいろな意味で)」は、「トリアージと百貨店は次元違うでしょ(いろいろな意味で)」って意味です。ちょっと分かりにくかったかなと思うので。なおこれは、批判が出た背景を解釈したもので、(先のコメントでも書いたように)「この批判は正当だ」という点で議論をするつもりのものではないので。あくまでも、「誤読してるかどうか」って点に限った話です。

SokalianSokalian 2008/09/11 00:25 >「約 3名」が誰か(想像は付くけど、それで合ってるのかどうかという意味で)分からないのですが。

私がコメントを拒否している人たちのことを指しているつもりでした。hokusyu氏は含まれていません。うまく伝わらずに済みません。

>「その比喩だと、『単にそんなこと言う人は信用できない』って話になりますよ(だから別の比喩の方がいいんじゃないですか)」ってことを言っているわけです。

了解しました。

>by-shimaumaさんは「『信用できない人柄だから論も信用できない』と言っているわけではない」とおっしゃっているように思います。

とはいえ、同氏の目的が私の評判を貶めること以外でないのは確かだと思います。

> まずここから。「トリアージをたとえに経営学を説明した」という部分は、Sokalianさんによるfuku33さんの文章読解と同様だと感じるのですが。

そうすると、文脈と関係なく、トリアージを例として用いること自体が悪いということなのでしょうか?しかし、

>「誤った説明方法が貫徹している」とhokusyuさんは言っているわけです。で、「トリアージ」と「誤った説明方法」は別物ですよね。

となると、結局「トリアージ」に集約される「誤った説明」が文章全体に波及している、とも解釈できるようにも思えます。あなたに言っても仕方がないことではありますが、結局hokusyu氏やその賛同者が何を言いたいのか、どう解釈しても「違う」と言われてしまい、正直、正しい解釈というのがそもそも存在する文章なのだろうかと思えてしまいます。

>現在の論点(に俺がしていること)は、「批判者全員が誤読してるかどうか」って話なので、そこに限れば、そんなことはないと(上記の通り)思うという話です。

了解しました。「全員が誤読」というのは愚痴混じりな筆が滑り気味な言葉だとは思うので、ひとまず撤回しておきます。

> 既に通ってきた議論で、「立場の違いかな」という意味で「片がついている」とおっしゃっているのなら完全に同意するのですが。

はい、まあ、それはそうなのですが、「立場の違い」であるのならば、福耳氏がそもそも一方的に糾弾される筋のものではなかったということになるわけで、その意味で私には「片が付いたこと」になります。

>「『並列』とは異なる(ように読める)書き方をしてたことがありますよね。で、それが一部の誤解の元になってるような(←これも先に書けばよかったのですが、書いてなかったせいで意図が伝わらなかったと思います。すみません)」という話でして。

了解しました。そのときは、まさか「並列ではない」などと言われるとは思っていなかったので、そこは暗黙の了解としてトリアージの部分だけを取り上げて論ずる、というつもりで書いていたのです。某氏がそれを「並列ではなく百貨店の話だ」と強弁され、こともあろうにApeman氏がそれに賛同したときは本当に何とも言えず不快な気持ちになりました。
単なる愚痴ですね。申し訳ありません。

>つまり hokusyuさんも、Sokalianさんや俺と同じく「fuku33さんは、トリアージを『経営学』の『一般的に通用する理論』としている」と読まれているように思えます。なので、「誤読」は(「Sokalianさんと同じ読みをしてますよ」って意味において)ないように思いますよ。

いや、私はそこは違うんです。私が言っているのは、「トリアージをたとえに経営学を説明すること」ということと「トリアージは経営学上一般的に通用する理論である」というのは全然違う、ということなんです。そして、この両者が同一視されてしまう理路が理解できない、という話なんです。
そして、「一般論の一具体例」と「一般的に通用する理論」は並べて語れるものではない、という意味で「次元が違う」と言っているつもりです。

K416K416 2008/09/11 00:52 お返事ありがとうございます。
もしかしたら入れ違いになるかもな…と思いつつ、了解いただけたところは省いて再度コメントさせていただきます。
>結局「トリアージ」に集約される「誤った説明」が文章全体に波及している、とも解釈できるようにも思えます。
俺はそう解釈してますよ。正確に言うと、トリアージそのものが「誤った説明」を含んでいるということではなく、fuku33さんのトリアージの持ち出し方を指して「誤った説明」としておられるように思いますが。hokusyuさんの指摘は、「概念や実践としてのトリアージがfuku33さんの文章に波及してる」という話ではなくて、「トリアージの誤った持ち出し方に象徴されるものが文章全体にある」って話だと理解してます。つまり、「妙な持ち出し方をしてるけど、それはfuku33さんの思想に基盤を持つものではないか」っていう捉え方と言うか。もちろん、「誤った」とか「妙」といった判断の部分についてはここでは措きますが。hokusyuさんの批判(から見えるhokusyuさんの読解)に関する解釈として。

>「トリアージをたとえに経営学を説明すること」ということと「トリアージは経営学上一般的に通用する理論である」
ここは率直に言ってよく分かりません。「トリアージを経営学の説明のたとえとして持ち出しうる」ってことであれば、「トリアージは経営学一般に通用(通用するというのは、「通じる」とか「同様の論理を持つ」ってことだと考えますが)する」ってことと違うんですかね。hokusyuさんは、「fuku33さんは、トリアージが合目的的組織の経営を論じるときにたとえとして持ち出しうる」と考えておられると俺は読んだんですが。で、合目的的組織の経営を論じるのって、(それだけとは言いませんが)経営学の目的とするものの結構大きな部分を占めてますよね。
ちょっと話を変えて、Sokalianさんとhokushuさんの読み(と俺が思っているもの)の共通点を抽出すると、「fuku33さんは、トリアージを『緊急救命』という枠からはずして、組織運営一般の例としようとしている」ということかと思います。で、そのことへの賛否はお2人で分かれているわけですが、読み自体はやっぱり共通しているように感じました。

「全員誤読」って部分をご了解いただきありがとうございます。そこが一番引っかかった部分だったので。

SokalianSokalian 2008/09/11 01:21 > 「トリアージの誤った持ち出し方に象徴されるものが文章全体にある」って話だと理解してます。つまり、「妙な持ち出し方をしてるけど、それはfuku33さんの思想に基盤を持つものではないか」っていう捉え方と言うか。

了解しました。そうすると、hokusyu氏の文章は「トリアージの持ち出し方がどういった点で誤っているか」というhokusyu氏の主張(「生-権力」とか「ホモ・サケル」とかいったくだりのことでしょうか)を理解しなければ全体的に読解できない、ということになるでしょうか?

>「トリアージは経営学一般に通用(通用するというのは、「通じる」とか「同様の論理を持つ」ってことだと考えますが)する」ってことと違うんですかね。

そこはそうです。ただ、あなたは「トリアージは経営学上一般的に通用する理論である」とおっしゃったので。具体例は具体例であって「理論」とは「次元が違う」と言いたかったのです。その意味での「通じる」ということと、理論として「通用する」というのは言葉として意味が違うでしょうし。

> hokusyuさんは、「fuku33さんは、トリアージが合目的的組織の経営を論じるときにたとえとして持ち出しうる」と考えておられると俺は読んだんですが。で、合目的的組織の経営を論じるのって、(それだけとは言いませんが)経営学の目的とするものの結構大きな部分を占めてますよね。

はい、そこには異論はありません。

> ちょっと話を変えて、Sokalianさんとhokushuさんの読み(と俺が思っているもの)の共通点を抽出すると、「fuku33さんは、トリアージを『緊急救命』という枠からはずして、組織運営一般の例としようとしている」ということかと思います。

いえ、私はそこが違うんです。福耳氏の「組織運営一般」の議論の枠組みでは、「組織の運営には、まず組織の目的が設定されなければ適否を議論できない」ということになっていると私は読みます。そして、「組織の目的」として「救急救命」を設定する。それではじめて「トリアージ」が出てくるわけです。逆に言えば、福耳氏の話の中で「トリアージ」は「緊急救命」という枠と不可避的に結びついている、というのが素直な解釈だと思ったわけです(この件に参入していない人たちを含め、福耳氏に同情的な人たちほとんど全員に共通する解釈だと思います)。だからこそ、(あなたの想像される)hokusyu氏の読みは理解に苦しむと考えているのです。

K416K416 2008/09/11 03:31 早速ありがとうございます。
>hokusyu氏の文章は「トリアージの持ち出し方がどういった点で誤っているか」というhokusyu氏の主張(「生-権力」とか「ホモ・サケル」とかいったくだりのことでしょうか)を理解しなければ全体的に読解できない、ということになるでしょうか?
ここはよく質問の意味が分かりませんでした。「全体」の中には「『どういった点で誤っているか』という主張」も当然含まれますので、全体的に読解するには、主張を理解することは必要不可欠だと思います。
と、書いた後でちょっと思ったのですが、生-権力やホモ・サケルといった概念に関する理解を指しておられるのであれば(また、「文章の読解」ではなく「批判の根拠の理解」という意味であれば)、主張全体を理解するためにはどういう概念か理解する必要はあるかと思います。ただ、hokusyuさんは、生-権力やホモ・サケルに関して、ここで必要なだけの説明は書かれていたと思います。

>具体例は具体例であって「理論」とは「次元が違う」と言いたかったのです。
それはおっしゃるとおりですね。表現がおかしかったです。すみません。新しいコメントのほうで書いたこと(具体例としてのトリアージが、経営に「通じる」とか「同様の論理を持つ」ってこと)に修正させてください。また、hokusyuさんも同様の(修正した方の)読みをしておられるのかなと思いました。

>逆に言えば、福耳氏の話の中で「トリアージ」は「緊急救命」という枠と不可避的に結びついている、というのが素直な解釈だと思ったわけです
なるほど。そうでしたか。Sokalianさんの主張を誤読してました。すみません。
この辺が、「素直な解釈」(俺は以前「好意的」と書きましたが――で、それは表現が悪かったかと今では思ってますが――)を採用するかどうかで変わってくることかもしれないな、と思いました。「組織の目的」として「救急救命」という限定的な(また、トリアージという例に沿った)状況を前提として設定していると読むか、もっと一般的に(百貨店と同様に、効率的な・合目的的な・最適な組織運営の一例として、目的を限定しないまま)設定していると読むかの違いというか。
ただ、http://d.hatena.ne.jp/font-da/20080523/1211540162のコメント欄で、fuku33さんが書かれている
>(前略)「資源の有限性の制約下で、それでも決断を下さなければならないときにこそ、行為の目的や価値観が問われる」ことを、はっきりと伝えたかったのです。それはもちろん災害の時にシビアに観察されますが、小規模企業の日々の生存についても事情は同じ(後略)
という文章を読むと、一般的な枠で(救急救命という前提に限定されるということを設定してはいない状況で)適用可能な組織運営のあり方として「トリアージ」を持ち出しているとも読めてしまうな、と思いました。「有限の資源である」という点とか、「何かの目的に沿って運営される」って点では、トリアージも小規模企業も同じなのですが、質的に(有限さだとか緊急性だとか、あるいは後で述べるように目的とするものが)異なる部分があるよね、と思ったりします(もちろん、『ナニワ金融道』に出てくるような潰れる寸前の企業だとかなり緊急度は高いでしょうが、そういう話でもなさそうですし)。で、その辺の質的に異なるものを、「事情は同じ」とするような文章が、hokusyuさんたちが批判の対象としたものなのかな、と。組織の目的として設定されるものは、トリアージをする組織と小規模企業とでは、やはり結構違う(のに、fuku33さんは現れ方が異なるだけで「事情は同じ」と言ってしまってる)ように読めてしまうな、と。
ただ、もしかしたら、「こういう枠(それぞれの組織によって目的とするものは違ってて、それは話の前提として組み込まれてるんですよってこと)を前提とした話ですよ」(分かりにくいですが、「『ある枠が前提となっている』という前提」と言うか)ってことがあまりにfuku33さんの中で自明だったために、こういう書き方になっているのかな、とも今となっては思えました。
ただ一方ではやっぱり、
>「組織の運営には、まず組織の目的が設定されなければ適否を議論できない」ということになっていると私は読みます。
というのは、fuku33さんと同じ前提に立っていればこう読めるのかもですが、こういう設定をした講義ですよ」ってことが明示されていない場合、読者がfuku33さんと同じ前提に立つとは限らないかもな、と思ったりしました。
>別の回に、資源の有限性がその合目的的な最適配分を促し、戦略性やリーダーシップや組織内の規範意識も意思決定も価値判断もそこから始まる、ということをわかりやすく説明したくって、四川の震災のニュースを挙げてトリアージの概念を説明した。絶対的に医療資源が不足しているところでは、「もう助かりそうにない患者」と「患者自身が処置したら大丈夫な患者」はカテゴライズして分けて、その間の「治療しなければ助からないが治療すれば助かるかも」というところに有限の医療資源を配分する、というシステムがあるんだよ、ということを説明した
って辺りや、あるいはfont-daさんのコメント欄での文章を読むと、不可避的に結びついているはずの「救急救命」と「トリアージ」を、最終的にはより組織運営一般を説明しようとして持ち出したように読んでいましたので。少なくとも、たとえば「トリアージってのは救急救命と不可避的に結びついてるんだから、組織運営一般と質的に異なる部分があるよ(要素として同じものはあるから持ち出したけど)」という説明が付されていたとは、明示されていないですよね。もちろん、「明示されていなくても共有できる前提」ってのはありえるし、Sokalianさんはそういう立場に立っておられますが、そういう立場に立たない読者もいるだろうなと思います。
で、どっちが正しいのかは何とも言いがたいように、個人的には思いました。これは「片が付いた」部分と関わる話(依拠する立場に拠って判断が異なるであろう部分)かと思うのですが。

K416K416 2008/09/11 03:38 若干引用部分が見づらいかもです。改行等工夫すればよかったのに、すみません。

beijaflorbeijaflor 2008/09/12 00:02 >「組織の目的」として「救急救命」を設定する

横槍ですいませんが、この「組織」って何を指しているんですか?
「「トリアージ」をしなければならない状況で「トリアージ」を執り行う為の組織」だと思うんですが、常設的なトリアージの為の組織というのは無くて、現場に駆けつけた救助のための組織の中で医療に関しての一定の資格を持つ人間のもと、たまたま居合わせた医療関係者から、場合によっては一般人までを含めた集団をもって執り行われる、と私は認識しています。
Sokalianさん曰く、fuku33さんが想定していたというこの「組織」はどこからどこまでなんでしょう?
実際執り行う全員?救助のための組織?指揮をする医師?それとも、この範囲より大きい?

guestguest 2008/09/12 11:41 beijaflorさんの問いは重要です。そこは福耳先生にしか分からないという回答だけは止めて欲しい。

SokalianSokalian 2008/09/13 02:16 >K416様

>と、書いた後でちょっと思ったのですが、生-権力やホモ・サケルといった概念に関する理解を指しておられるのであれば(また、「文章の読解」ではなく「批判の根拠の理解」という意味であれば)、主張全体を理解するためにはどういう概念か理解する必要はあるかと思います。ただ、hokusyuさんは、生-権力やホモ・サケルに関して、ここで必要なだけの説明は書かれていたと思います。

なるほど。
ただ、私が問題視しているのは、hokusyu氏は福耳氏の最初の記事からいきなり「あたまがわるい」という言葉を使っていたわけで、一方「生-権力」や「ホモ・サケル」などといった概念は当然門外漢が理解していることを期待されるべき概念ではないわけで、だとするとそのような概念を理解していないことを前提に他人を「あたまがわるい」などと非難することに妥当性があるのか、という問題がまず現れると思います。
また、私は門外漢としては思想系の学問に関心がある方だと思いますが、それでも「生-権力」や「ホモ・サケル」などといった概念を、控えめに言って「必要な程度」にも理解できなかったと感じています。少なくとも、それがどう問題になるのか、字義的に解釈しただけでは到底理解できなかったです。
だとすると、これはもはや「福耳氏が非難に値する事項」ではなく、「一部思想系の人にとっては考える材料を提供する話題」でしかないのではないか、と私は思うわけです。

>「組織の目的」として「救急救命」という限定的な(また、トリアージという例に沿った)状況を前提として設定していると読むか、もっと一般的に(百貨店と同様に、効率的な・合目的的な・最適な組織運営の一例として、目的を限定しないまま)設定していると読むかの違いというか。

そこを細かく問いますと、「目的を限定しないまま」に「合目的な」組織運営の具体的なあり方を議論することは字義的に考えても不可能に思えるわけです。それが、「トリアージ」に象徴される(とされる)「合理性」「合目的性」「最適性」を「切り捨て」の言い換えのように読み取ることが私には「邪推」にしか見えない所以です。

>「有限の資源である」という点とか、「何かの目的に沿って運営される」って点では、トリアージも小規模企業も同じなのですが、質的に(有限さだとか緊急性だとか、あるいは後で述べるように目的とするものが)異なる部分があるよね、と思ったりします

そこで、「緊急性」というのが資源の欠乏具合の「程度」であるか否かというような定量的な違いであるかどうかという考えになじんでいるかという問題はあると思います。私などは「量的な評価によって質的な違いを説明する」ということには慣れきっていますが、慣れていない人にはそういうことが可能であるという発想自体がないというのは想像はできます。

>「『ある枠が前提となっている』という前提」と言うか)ってことがあまりにfuku33さんの中で自明だったために、こういう書き方になっているのかな、とも今となっては思えました。

私はそうだと思っているのです。少なくとも福耳氏の記事は主に経営学に対して一定の理解を共有している人を想定読者として書かれていたように思えます。だからこそ、「いやあ、経営学系の人とばかり話していると、想像もできないことが世の中にあるんだなと勉強になります」などという結びが付けられていたのだと思うのです。

>beijaflor様

>横槍ですいませんが、この「組織」って何を指しているんですか?(略)
>Sokalianさん曰く、fuku33さんが想定していたというこの「組織」はどこからどこまでなんでしょう?
>実際執り行う全員?救助のための組織?指揮をする医師?それとも、この範囲より大きい?

そこは余り問題と関係ないように思うのですが、「執り行う全員」ではなく「関係者全員」です。
即ち、ここでは暗黙に「人員を配置する権限を持った人間」の立場で判断を求められる、という状況が想定されているので、その人の指揮命令下に属する人間全員が含まれる、ということになるでしょう。

>guest様

そういう言い捨てのような名前を名乗っておいて居丈高な言葉はやめていただきたい。私は別にコメントを下さった方に応答する「義務」はないのです。そこはお忘れなく。

K416K416 2008/09/13 11:47 お返事ありがとうございます。

生-権力やホモ・サケルについては、(完全に理解しているとは言えないのですが)俺の場合は以前より多少なりとも触れてた部分があったから、また感じ方が違ったのかもですね。

>そこを細かく問いますと、「目的を限定しないまま」に「合目的な」組織運営の具体的なあり方を議論することは字義的に考えても不可能に思えるわけです。
うーん。何と言いますか。質的な違いの話とも関わるんですが、「ある目的があってそれに沿うための組織運営」ってところではどちらの組織も共通するのですが、目的の内実(売り上げアップと人命救助)で、やはり質的な違いを感じてしまった人もいるんだろうなって思ったわけです。
で、こうした質的な違いを感じた人にとっては、たとえば「『(経済的な)利益を上げていこう』って目的の組織運営の話をここではするよ」ってのと、「『人の命をできるだけ救う』って目的の組織運営の話をここではするよ」ってのを、別個の問題として論じてほしい/論じるべきではって思いがあったんじゃないでしょうか。
でもそれが、「合目的的組織の運営」ってところで、並列の事例として出されていて、違和感と反発を持った、と。「合目的的組織の運営」であることは確かなのですが、「そこ、『合目的的組織』ってことで括っていいの?」っていう感じなんでしょうかね。
ただ、こうした反応もやはり、どういう考え方に慣れ親しんでいるかってところから分かれるもののようには思います。

>そこで、「緊急性」というのが資源の欠乏具合の「程度」であるか否かというような定量的な違いであるかどうかという考えになじんでいるかという問題はあると思います。
これはそうだろうな、と思います。それこそ、生-権力とかの逆バージョンと言うか。

>私はそうだと思っているのです。少なくとも福耳氏の記事は主に経営学に対して一定の理解を共有している人を想定読者として書かれていたように思えます。だからこそ、「いやあ、経営学系の人とばかり話していると、想像もできないことが世の中にあるんだなと勉強になります」などという結びが付けられていたのだと思うのです。
これもそうでしょうね。想定している読者が「経営学をある程度知ってる人」ってことだったから、自明の前提となっているんだろうな、って感じました。ただ、異なる立場から考える人にとって(自明の前提が見えないため/自明の前提があまりに自明となっているため)違和感があったのかなって思ったりします。その違和感を持つことの是非は措きますけど。

今回のやり取りでも、Sokalianさんとの立場的な違いと、その立場から導かれるSokalianさんの考え方がかなり分かった気がしました。ありがとうございます。俺が「何で?」等問うたことに対して、立場的な異なりがあっても、Sokalianさんは「こうなんじゃない?」とか「こう思うよ」とか説明して下さろうとするので、とてもありがたいです。

SokalianSokalian 2008/09/13 12:34 >たとえば「『(経済的な)利益を上げていこう』って目的の組織運営の話をここではするよ」ってのと、「『人の命をできるだけ救う』って目的の組織運営の話をここではするよ」ってのを、別個の問題として論じてほしい/論じるべきではって思いがあったんじゃないでしょうか。
>でもそれが、「合目的的組織の運営」ってところで、並列の事例として出されていて、違和感と反発を持った、と。「合目的的組織の運営」であることは確かなのですが、「そこ、『合目的的組織』ってことで括っていいの?」っていう感じなんでしょうかね。
>ただ、こうした反応もやはり、どういう考え方に慣れ親しんでいるかってところから分かれるもののようには思います。

たぶんそういうことだと思うんですよね。そのあたりを最初から疑問型で提示されていたのならもっと実のある議論が生まれたとも思うんです。
ただそれが、いきなり冒頭に「あたまがわるい」という罵倒に始まり、「なにが批判されているのかわからない」と言われれば専門用語を持ち出し、「素人にわかるように説明しろ」と言えばまた「あたまがわるい」などという対応だから、私などは腹を立ててしまったわけです。そんなことをいうなら自分たちが露呈している無理解はいったい何なのだと。
正確には、hokusyu氏自身よりもそれに付和雷同していた人たちの方が格段に信用できないと思っていますけどね。ああいうことを言っている人のどれだけが「生-権力」や「ホモ・サケル」を理解していたのだろうかと。
また、当初の福耳氏批判には単なる極論だったり人格攻撃だったりするようなものも多く見受けられましたが(toled氏とかmujin氏とか)、それが未だに肯定的に言及されていることに対する不信感もあります。

>俺が「何で?」等問うたことに対して、立場的な異なりがあっても、Sokalianさんは「こうなんじゃない?」とか「こう思うよ」とか説明して下さろうとするので、とてもありがたいです。

こちらこそ同じ言葉をお返しします。どうもありがとうございます。
特に今回は、某氏への腹立ちのあおりで最初にかなり無礼な言葉をぶつけてしまった部分もあったかと思いますのに、寛容な対応を本当にどうもありがとうございました。同時に、申し訳ありませんでした。

K416K416 2008/09/13 14:38 ありがとうございました。お盆休みの貴重な時間を使わせた上、さらにその後もいろいろと対応をしていただき、申し訳なさとありがたさとあります。

最後にちょっと書いておくと、俺自身も罵倒・挑発・揶揄・馬鹿にするような表現は好きではなくて、結構拒否反応を覚えるところがありました。HALTANさんの「馬鹿」を引用したエントリも嫌ですし、Sokalianさんが指摘しておられるような罵倒的なタグも嫌です。使ってる本人に、「そういう表現やめたら?」と直接指摘することはありませんが。「嫌だな」と思いつつ、自分の考えるべきところを抽出してみていこうという感じでした。また、「こういう表現嫌だな」って思ってても、自分も無意識的に使うところもあるようで(HALTANさんの反応や指摘から気付いたのですが)、「それは気をつけないとな」って今回感じました。「主張や行為への批判」が、「それをやっている人への批判」にすりかわって解釈される/実際にすりかわることはよくあることなので、「表現には気をつけないと」とか、「どの部分まで批判するかってことに気をつけないと」と感じたと言いますか。
一方、発端となったfuku33さんのエントリには、「やっぱり、命に関わる話を出すと、講義で反発持つ学生さんも出るだろうな」とか「持ち出し方には注意すべきだろうな」とは感じました。そういう意味では、hokusyuさんやtoledさんのように広い文脈では考えなかったけれど、「『“命の扱い方”の扱い方』が俺と違う方法論の下にあるんだろうな」と感じたのは、俺にもありました。が、それはそれで俺とはまた異なる立場からの講義としてアリなんだろうなとは(特に今は)思います。自分の学部生時代を振り返ると、講師によって前提とする立場や主張が異なる講義が複数あるのが当然なのかとも思うので。いろいろな主張に触れながら、学生さんが考えていくってのが学問なのかなとも思います(そういう意味では、異なる立場の主張に触れるという意味で、批判もまたアリだとは思います)。
また、学生さんの反応に関する記述は、読んでいてやっぱりいい気分はしませんでした。これは上で書いた表現に対する感覚と同じ意味合いで「いい気分はしなかった」ということなのですが。もちろん、自分も講義や報告をして、意図と違う解釈をされたり、「何でそういう受け取り方をするんだろう」って思いを持つことがあるので、愚痴を書きたくなる気持ちは非常に分かる部分もあるのですが、やっぱりちょっと引っかかる表現だったかもなって思います。

という感じが俺の立場でした。最後まで自分の立場を述べないで済ませるのも失礼かなと感じたので(明示してなくても把握されていた部分もあると思うのですが)、ちょっと書いた次第です。Sokalianさんとのやり取りによって、俺とは異なる解釈や判断のあり方ってのが理解できた感じがして、自分が当初持った思いが、自分の中で結構相対化された気がしました(もちろん今も、前段で書いたようなfuku33さんの当該エントリに対する思いが消えたわけではないのですが、その思いが絶対的なものではないということがSokalianさんの提示していただいたことによって、より見えてきたと言うか)。ありがとうございます。

>特に今回は、某氏への腹立ちのあおりで最初にかなり無礼な言葉をぶつけてしまった部分もあったかと思いますのに、寛容な対応を本当にどうもありがとうございました。
いやいや、これは全く気にしていないです。と言うか「無礼」ってことを認識しておりませんでした。お気になさらないでください。
で、以下は愚痴になってしまうのですが、別件でやり取りしていた方との対話が、「どういうこと?」とか「何で?」と問うても「何でそんなこと説明しないといけないんだ」ってことに終始して、非常に心身ともにきついもので、「こういう対話をされる方もいるんだ…」とショックを受けていたところでした。逆に言うと、そうしたスタイルの対話法に依拠する方もいるし、そうする方法もありうるんだなとしみじみ感じてたところでした。でも、Sokalianさんはそうしたスタイル(相手の問いに付き合わない対話のスタイル)を取らず、俺の問いに(俺にとっては重要でも、Sokalianさんにとっては重要ではないかもしれない部分にも)付き合って対応してくださり、ありがたさを痛感しているところです。

SokalianSokalian 2008/09/14 01:08 こちらこそどうもありがとうございます。
私としては、こういう対話ができることがこの問題に参入した際に希望していたことなので、丁寧に応答してくださって本当に助かりました。このまま、hokusyu氏やApeman氏の誠意を欠いた対応や、その尻馬に乗った約3名のような連中の罵言しか得られないのだったら完全な時間の無駄になってしまうところでした。その意味で、報われた思いがします。

HALTAN氏が最初に「馬鹿」を引用していたというのは私は見落としていました。確かに褒められたものではありませんね。まあ、話の発端がhokusyu氏の「あたまがわるい」にある以上、彼らがHALTAN氏を批判する資格はないことには変わりがないとは思っていますが…。

> また、「こういう表現嫌だな」って思ってても、自分も無意識的に使うところもあるようで(HALTANさんの反応や指摘から気付いたのですが)、「それは気をつけないとな」って今回感じました。「主張や行為への批判」が、「それをやっている人への批判」にすりかわって解釈される/実際にすりかわることはよくあることなので、「表現には気をつけないと」とか、「どの部分まで批判するかってことに気をつけないと」と感じたと言いますか。

それについては私も感じます。言いがかりを付けられたときに癇癪を起こしてしまわなければ、最近の下らない揉め事は避けられたわけですから。わかってはいるのですが、ね。
> でも、Sokalianさんはそうしたスタイル(相手の問いに付き合わない対話のスタイル)を取らず、俺の問いに(俺にとっては重要でも、Sokalianさんにとっては重要ではないかもしれない部分にも)付き合って対応してくださり、ありがたさを痛感しているところです。

そう言っていただけると本当にありがたいです。
正直、できるだけ偏見を持たないように心がけてはいても、私は今までネット上では、人文系の人からはいい思い出がなかったのです。本筋と関係のない些細な言葉の端に、専門用語を連発してまくし立てられ、どう反論しても「お前は間違っている、それが理解できないお前は『あたまがわるい』」というような強引な論法で押し切られてしまうというような例を見ることがあまりに多かったので。
たとえば、匿名ダイアリーで「モテ・非モテ」系の記事が上がったとき、「彼女を作る」といった表現に「差別的だ」「ミソジニーだ」などと噛みつく。そこは本筋でも何でもないのに。そして、女性が「彼氏を作る」という表現を使っても噛みつかれる例は見たことがない。そのあたりの傾向に非常に恣意的なものが見え隠れして、とても嫌でした。彼らの態度を総合すると、結局「男」だとか「経営者」だとか「公務員」だとか「与党」だとか、そういった「強者」とされる属性の持ち主は無条件で攻撃されて然るべき、というような決めつけがあるようにしか思えなかったのです。

今回、それまで内心かなり応援していたApeman氏やhokusyu氏から、こともあろうにそのような対応を自分が受けてしまうことになり、それは内心非常に辛かったのですが、数少なくともこちらの問題意識を理解して下さろうとする方がいらしたことには本当に嬉しく感じています。

本当にどうもありがとうございました。

beijaflorbeijaflor 2008/09/17 09:23 >そこは余り問題と関係ないように思うのですが、「執り行う全員」ではなく「関係者全員」です。
>即ち、ここでは暗黙に「人員を配置する権限を持った人間」の立場で判断を求められる、という状況が想定されているので、その人の指揮命令下に属する人間全員が含まれる、ということになるでしょう。

その関係者全員の範囲を知りたくてお尋ねしています。
Sokalianさんのおっしゃる「人員を配置する権限を持った人間」って誰ですか?
実際にトリアージが行われた事例を挙げて、たとえばでも良いです。

SokalianSokalian 2008/09/17 23:23 > Sokalianさんのおっしゃる「人員を配置する権限を持った人間」って誰ですか?

私はそのあたりの現場を知らないので具体的なことは申し上げられません。ただし、「トリアージ」というやり方が現実に決まっていて、災害現場ではそれに沿った対応がなされている以上、「人員を配置する権限を持った人間」とは「トリアージ」の詳細なルールを策定した人間、そしてそれを採用すると決めた人間、ということになるのではないでしょうか?

beijaflorbeijaflor 2008/09/30 02:18 >私はそのあたりの現場を知らないので具体的なことは申し上げられません。ただし、「トリアージ」というやり方が現実に決まっていて、災害現場ではそれに沿った対応がなされている以上、「人員を配置する権限を持った人間」とは「トリアージ」の詳細なルールを策定した人間、そしてそれを採用すると決めた人間、ということになるのではないでしょうか?

経営学が組織運営を研究する学問である以上、組織の範囲が確定していない状態で議論の俎上にあがることはないと思います。
Sokalianさんは、自分は知らないがfuku33さんは知っていたし生徒とも共有されていた、と判断されたという事ですか?

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