麻生太郎首相の祖父吉田茂元首相には三つ嫌いなものがあったそうだ。日記と新聞記者、そして演説である。
ノンフィクション作家小林弘忠著「歴代首相 知れば知るほど」(実業之日本社)は「演説は苦手でかなりシャイなところがあった。議会でぶっきら棒な答弁をしたり、木で鼻をくくったような受け答えをしたりしたのは、演説が苦手だったせいかもしれない」と書く。
孫の麻生首相は「元々が、スピーチというものの苦にならない性質です」と自著「自由と繁栄の弧」(幻冬舎)で言っている。外務大臣だった当時、外交で使う武器は一にも二にも言葉だと繰り返した。
首相になって初の所信表明演説でも「言葉」に力を込めた。「この言葉よ、届けと念じます。全国民の皆さん方のもとに」「申し上げます。日本は強くあらねばなりません」「日本は、明るくなければなりません」。
日本と日本人が底力を発揮できるよう、日本経済の立て直しや暮らしの安心のための政策を提示し、迫り来る衆院選を視野に、民主党と正面からの論戦を求めた。難局打破に、自ら先頭に立つ意欲も語った。
言葉は難しい。いかに信念でも、認識不足や独善があっては反発を招く。辞任した中山成彬国土交通相の任命責任を問われる首相は、肝に銘じているはずだ。