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【社会】米で臓器移植の宗太郎君死去 母のひざの上、安らかに2008年9月29日 12時31分
消化器官が正常に機能せず、食べ物の消化吸収ができない難病と闘い、米国で多臓器移植を受けた名古屋市東区の各務宗太郎君(九つ)が29日未明、呼吸不全のため入院先のニューヨークのコロンビア大医療センターで死亡した。 宗太郎君は2月、移植手術を受けるために渡米。マイアミ大ジャクソン記念病院で3月に胃、小腸、大腸、肝臓、膵臓(すいぞう)の移植を受けた。 手術後はおかゆなどが食べられるまでに回復し、4月上旬にいったん退院した。しかし、移植に伴う合併症で同中旬に再入院。7月には、食べることが夢だったハンバーガーを初めて口にしたが、その後は全身からの出血が続くなど一進一退の症状に。主治医の移籍に伴い、8月にコロンビア大へ転院した後は集中治療室(ICU)で、人工呼吸器をつけて治療を受けていた。 26日に9歳の誕生日を迎えたが、容体が急激に悪化。28日夜に危篤となり、29日午前3時(現地時間の28日午後1時)すぎに死亡した。最期は母・優子さんのひざの上で、静かに息を引き取ったという。 宗太郎君を支援している「そうたろうを救う会」は、治療の長期化を受けて8月から募金を再開した。これまでに全国から約1億8千万円の善意が集まり、女子フィギュアスケートの安藤美姫選手や、大リーグ・ニューヨークヤンキースの松井秀喜選手からも応援のメッセージが寄せられていた。 ◆口元にはハンバーガー 静かに目を閉じた宗太郎君の口元には、かぶりつくことが夢だった大きなハンバーガーが置かれていた。米国で練習中に危篤の報を聞き、ニューヨークの病院へ駆けつけた女子フィギュアスケートの安藤美姫選手が買ってきた。 二人が知り合ったのは今年2月。報道で宗太郎君の病気を知った安藤選手が手紙を書いた。「お互い自分の夢に向かって頑張りましょう」。安藤選手の大ファンだった宗太郎君は大喜びで、渡米前に入院先の東大病院で初面会。「挑戦することが大事だよ。米国で会おうね」。そう励ます安藤選手に宗太郎君はうなずいた。 救う会などによると、滞在先の米国コネティカット州からタクシーで駆けつけた安藤選手が病院に到着したとき、宗太郎君は人工呼吸器をつけ、母・優子さんのひざの上で抱かれていた。とっさに安藤選手がハンバーガーを買いに走り、その間に宗太郎君は息を引き取ったという。 名古屋市東区にある救う会の事務局には、29日未明から訃報(ふほう)を聞いたメンバーが集まり、インターネットのカメラで静かに眠る宗太郎君の姿を見て、死を悼んだ。室内は全国から寄せられた、回復を祈る千羽鶴や寄せ書きであふれていた。 宗太郎君と同じ難病と闘う三女がいる救う会の梶浦祐樹代表は「宗太郎がここまで生きることができたのは全国の支援者のおかげ。本当にありがとうございました」と話した。 (中日新聞)
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