2008年9月27日(土)
ゾウ
ここで、改めてアスペルガー症候群「像」と言うものを考えてみる。
数少ない、「アスペルガー症候群」という診断を受けた人間は、
先ず「自分」を中心に考え、「ああ、自分と同じ様な人が何処かに居るんだな」と考え、
ネット情報等を漁り、上手くすれば、話が合う人間を見つけているかもしれない。
ところが、「アスペルガー症候群」の診断基準でさえ、担当した医師の個人的判断に委ねるところがあったり、
日本では、恐ろしいことに心理士まで診断を与えていいことになっている。
中には、私を文章だけで判定出来ると言い切り、「ニセアスペ」との診断を下す、杉山登志郎のような医者まで居る。
「アスペルガー症候群」は、知能70以上が該当する。
知能指数70と言うと、私たちの頃なら特殊学級、今でも養護学校に行っている子供達だ。
一方では、そんな子供達が、何かを「誤飲」したり、自傷したり、けがが悪化したりしてかつぎ込まれる現場と、
自分を中心にいつか逢える同志に想いを馳せる側と、齟齬、行き違いが起きても当然だろう。
私も、この事はすぐ忘れてしまうが、アスペルガー症候群と言う中の巾はものすごく大きい。
その中で、私は、何処かにいる私の言葉を理解する人に向かって話し続ける。
これは、本当は自分に話しているんだろうけど、SAMが無いから、そこにいる誰かに話すことで、
一生懸命考えをまとめているんだな。
皆さん、気長につきあって下さい。
こちらこそ、この間メールでも書きましたが、山岸さんが考えをまとめてくれる糸口を見つけてくれるので腑に落ちることが多いです。
でも、この腑に落ちたときの自分の立ち居地をふと見ると、定型の考え方はもちろんそうだけど自閉関係の本やホームページなどから引き出した立ち位置とがらっと違うということに驚かされます。
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