食肉偽装に始まった食品偽装問題は、土産物の賞味期限改ざん、一流料亭での産地偽造と料理の使い回しに発展した。善良な市民には信じられない犯罪的行為だが、終止符が打たれる気配はない。
事故米転売事件は、さらに大がかりな犯罪的行為だ。残留農薬、腐敗、カビ発生など、もはや食品とは言えないコメを市民に供給。法外な利益を得ていたとは、許し難い。
中国製の「毒入りギョーザ」事件では、中国の食品工場すべてが無管理状態で、食品全部が危険、という論調が目立った。しかし、「毒入りギョーザ」事件は、個人の犯罪とみられ、恐喝や強盗のたぐいだ。
一方、日本の食品偽装事件や事故米転売事件は、トップが指揮した企業ぐるみの事件で、社会に対する無差別犯罪と同じような悪質さだ。それなのに「実行犯」たる企業経営者は、罪の大きさにほとんど気づいていない。
社会への貢献、地域への奉仕といった企業活動の理念を忘れ、利益追求しか頭にないような企業経営者は、守銭奴でしかない。
事件が発覚した企業のトップは、記者会見で頭を下げてわびを言う。だが、どこまで自らが犯した「罪」の重さを分かっているのか。たとえ刑事事件として立件できないとしても、許される行為ではなく、社会的な制裁は免れないだろう。
事故米の転売を見逃した農林水産省の職員らも同罪だ。大臣や事務次官が辞任したのは、当事者意識に欠けていたからで、反省の弁もひとごとにしか聞こえない。
新内閣は、一連の食品偽装問題にしっかり向き合ってほしい。企業経営者は、不正でいくらもうかっても、崇高な理念を忘れては、世間に堂々と誇ることはできない。(樹)