“みんな北の崩壊は近いので力を出そう”

脱北孤児 “夢は北朝鮮で経済政策を作ること”
金素烈記者
[2008-09-29 19:23 ]   韓国語の記事を読む
▲現在、日本で国際関係学を学んでいるパク・チュンシクさんが、いつか北朝鮮で経済政策を作りたいという抱負を語った.c。デイリーNK
25日夜、北朝鮮人権コンサート‘脱北孤児に愛を’という行事が開かれたソウル広場。中国で捨てられ、一人で放浪している脱北孤児の姿が舞台の画面に映された。

その場にいたのは妹と一緒に脱北して中国、韓国と経て、現在は日本で大学に通い、国際関係学を学んでいるパク・チュンシクさん。彼もやはり、10年前には中国を放浪していた脱北孤児だった。パクさん兄妹の手記は‘国境のアリア’という題で出版され、2008北朝鮮人権国際キャンペーンで配布された。

[次はパク・チュンシクさんとのインタビューの内容]

- 子供の時、故郷ではどのように暮らしていたのか?

“私が生まれた時から、北朝鮮は食糧難が深刻だった。1997年度から一層深刻な状況に変わった。1994年、10歳の時から私は商売をしたが、私だけでなく、当時多くの地域を行き交って商売をしていた子供が多かった。平安南道のスンチョンから咸境北道の金策まで汽車で移動して品物を売った。韓国語にすれば‘風呂敷包み商売’と言えるだろう。

家で空のリュックサックを担いでスンチョンに行き、学習帳(ノート)を買って金策にまた行って品物を売り、金策では安い塩を買ってまたスンチョンに行き、塩を売った。リュックサックいっぱいに塩をつめたら15kgほどになる。

私が汽車に乗る度に、同じ車両に6~7人くらい、商売をする子供がいた。運が悪い時は、汽車の屋根に上って汽車に乗らなければならなかった。汽車の屋根から落ちて死んだ子供もいたし、電気に感電して死ぬこともあった”

- 当時北朝鮮にはそういう子供が多かったのか?

“コッチェビも多かったし、大人の助けを得られずに自力で暮らさなければならない子供も多かった。当時、汽車が止まる駅には全て、コッチェビが真っ黒く集まっていた。制服が黒色で洗うこともできずに野宿をする子が多くて、一層真っ黒く見えたようだ。

スンチョン駅だけにも、ちょっと見てもいつも100人以上いた。コッチェビは2~3人ずつ組になって、駅でお客さんが食べる品物を盗んで食べている子供もいたが、どうしてもそういうことができない子供は飢え死にするか、誰かが食べ物をくれるのを待っていた”

- 北朝鮮で幼い時の思い出はあるか?

“私の町内にはお父さんと一緒に働いていた軍人の社宅が6~8軒程度あり、一般の農民も15世帯ほどいた。そのためか、私たちは町内で遊ぶ時にやっきょうを持って遊んだ思い出もある。薬きょうの中にくぎを6~7個入れて、相手のを打って取る遊びをたくさんした。放射砲のやっきょうを持って遊んで、火薬が爆発して指を失う子もいた。

軍人の社宅で暮らしていた私は、9歳までは豊かに暮らした。けれども当時、農民たちはとても苦労していた時期だったようだ。農民の子供は食べることもできずに、洗うこともあまりできずに、彼らを‘ノンポ’(農民の乞食)と呼んだりしていた。

最近、Googleアース(Google earth)で私の家を見たが、地形の変化がほとんどなくて驚いた。今は他の人が改造をしたためか、家の戸の方向が変わったこと以外、変化がなかった”

- 日本の生活はどうか?

“日本に渡ったのは2005年3月だった。当時、韓国で会社に勤めていたが、社長とのひんぱんな摩擦で仕事をやめて日本に行った。

最初は意思疎通ができずに大変だった。今は大阪で生活している。大学に通っているが、およそ2時間30分通学して、京都にある立命館大学で国際関係学を勉強している。妹のソニは大阪にある関西大学で社会学を勉強している。

コンビニ、喫茶、料理の補助の仕事などのアルバイトや、少し翻訳をして学費と生活費を稼いでいる”

- 国際関係学を勉強する理由は?

“私は北朝鮮社会、中国社会、韓国社会、日本社会を経験した。日本は北朝鮮に対する関心が高い国なので、将来の北朝鮮をめぐる国際関係の変化に対して勉強することが多いと思った。根本的には、世界各国の様々な現象を勉強したくて国際関係学を選択した”

- 将来、どの分野で仕事をしたいと思うか?

“何をするのか、最近もよく変わる(笑)。けれども、まず勉強をたくさんしたい。北朝鮮よりは中国、中国よりは日本がより発展した社会だと思うが、日本で勉強した後はスウェーデンでもう少し勉強したい。

その後はまた必ず帰って来て、私の役割を果たしたい。統一した朝鮮半島で働くことが私の夢だ。私が先進国で勉強したい理由も、後で北朝鮮に帰るためだ。北朝鮮が最も立ち後れている分野が社会政治の分野だ。将来、北朝鮮で経済政策を作る仕事をしたいし、北朝鮮の住民の市民意識の発展のためにも働きたい。

妹のソニは私とは違い、素朴な夢を持っている(笑)。まず、人並みによい暮らしがしたいと考えているようだ”

- 日本の北朝鮮を見る視覚はどうか?

“日本の人は韓国の人と比べて、世界化の水準が発展している。日本では北朝鮮だけでなく、アフリカの難民、中国の自然災害問題にも関心が高い。

また、日本のインターネットを見ても、世界各国の言語パックがあり、すべての言語を使うことができるようになっている。カラオケに行っても、日本の最新の歌の数ほど他の国の歌も多い。

北朝鮮に対する関心もこうした次元での関心のようだ。もう一つは、北朝鮮に対する‘反感’だ。日本の場合、拉致被害者問題があり、核問題と人権問題など、北朝鮮に対する怒りが大きい。同時に、同じ人間として北朝鮮の住民に対して同情する気持ちが大きい。

日本で映画‘クロッシング’の試写会があったが、多くの日本の人が北朝鮮の住民のために共に泣いた。また、‘クロッシング’という映画の素材になった、モンゴルで亡くなったチョル・フン一家の話が、最近日本で紹介されたことがあるが、この時も多くの日本人が一緒に泣いてくれた”

- 脱北者に対する日本社会の視覚はどのようなものか?

“私が韓国で生活していた時、一番大変だった点は人間関係だった。韓国の人とは一緒にいても一緒に呼吸すると感じにくかった。韓国の人は、‘あの人たちは北朝鮮で洗脳教育を受けて正常な人ではない’と考えて、脱北者を眺める。簡単に人を評価してしまう。

脱北者も韓国社会に適応するために、いつも努力している。けれども脱北者全体で群れにして、集団全体をののしることが多い。もし北朝鮮が崩壊して、韓国の人が2千万の北朝鮮の住民と交流するようになったら、そのようなやり方で対応するのではないかと非常に心配だ。

けれども、日本はそうではない。脱北者集団全体に対する反感もなく、脱北者個人もそのまま個人として認めてくれる。先入観や差別を感じなかった”

- 中国など第3国に滞在している脱北孤児に伝えたいメッセージがあったら?

“その子たちは私よりももっと大変な環境に置かれているようだ。絶対に見付からないで、北送されることなく暮らせたらよい。

そして、どのような夢でも絶対にあきらめないで、暮らしてほしい。北朝鮮が崩壊する日も遠くないから、もう少し我慢して暮らしてほしい。夢は叶うだろう”
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