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06/12/09() 21:53

「エピクテートス ―ストア哲学入門―」

「エピクテートス ―ストア哲学入門―」(鹿野治助・岩波書店/岩波新書黄24)読破。
奴隷として生まれ、解放された後にローマで哲学を学び、ニコポリスで学園を開いた後期ストアの哲学者エピクテトス。この新書は、教科書には載りつつもなかなか日本語文献の少ない、ストア哲学の入門書です。

ストア哲学の思想は、「思い通りにならないことは耐えよ。世界の面倒なことに心を煩わされるな。いいことは行い、悪いことは避けよ」といった感じにまとめられます。さまざまな思想が乱立したヘレニズム期を乗り越え、古代ローマの時代まで生き残って発達してきたのがストア哲学です。
特にこのエピクテートスは、奴隷身分の生まれ、しかも足が不自由な身体障害者でありながらストア哲学を極めた人物なのです。

彼は論理を重視しますが、基礎的な議論から行動な議論へ、丁寧に順序立てることを大事にします。そしてその思想を自らのためだけに使うのではなく、(ストア派の思想にも見られるように)できるだけ多くの人にその恩恵を与えようとして学校を開き、平民にも教えたのです。ストア哲学は、この本の中で比較されるように、日本における禅宗のようなところがあって、修行次第でこの世の苦しみから逃れられる思想ですから、非常に実践的でありました。プラトンやアリストテレスのように、概念そのものについてや形而上学の領域に及ぶ問題を取り扱うよりも、最初に個人の、次に集団の、究極的には世界の生き方についてを取り扱うのがストア哲学です。

エピクテートスの面白いところは、セネカのような富豪哲学者をも許容したストア哲学に生きながらも、「樽のディオゲネス」に代表される犬儒派の実践が含まれているところにあるように思えます。ストア哲学は、本来自分の思い通りにならないものごとを無意味とみなしますから、セネカとキケロが、自らの資産を「賢者は金にこだわらないからいいじゃないか」と弁解していることと比べると、確かにエピクテートスはストア哲学者によりふさわしいわけですが。
賢者の落ち着きは、どうせ消えて行くであろうものには惑わされません。ランプの材質が変わっても気にしません。ストア派の哲学においては、命でさえストア派の自然=神からの預かり物ですから、運命がそれを要求するときは惜しまずに手放さなければいけないのです。命さえ惜しまないのですから、他に惜しむものなどないのです。自らの身分や地位、身体障害者という属性も相まって、それらの思想はエピクテトスの常に感じているところであったのでしょう。
カテゴリ:読書
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バトン
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秋葉原4
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