支局長からの手紙

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事件事故被害者の叫び/下 /和歌山

 「重いテーマでしたね」。前回の記事に何人もの読者から、こんな声をいただきましたが、引き続き被害者問題について書きます。

 01年7月、花火見物客11人が死亡、247人がけがをした兵庫県・明石歩道橋事故があり、下村誠治さんは2歳11カ月の次男を亡くされました。事故遺族として和歌山県内で何度か話されたことがあり、またお母さんは北山村出身だそうです。私のかかわる市民団体でも昨年講演していただき、続いて毎日新聞大阪本社での記者勉強会にも来てもらいました。

 事故当夜、次男のいる病院にはすぐに連れて行かれず、警察での事情聴取に多くの時間が割かれました。やっと帰宅できたのが午前5時。自宅周辺には報道陣がびっしりいて、届いた新聞には、自分たちの知らない情報がたくさん載っていました。同じマンションの各戸のチャイムを取材記者が未明まで鳴らし続けていたと聞き、下村さんは後日、マンション内を謝って回ったそうです。

 当初は毎日100本くらいの電話がかかってきました。「なんで、そんな危ないところに、小さい子を連れていったんや」という中傷。これらは、ひきょうな匿名電話ばかりです。下村さんは遺族会会長になったことから、メディアを通じても原因究明などを求めました。すると、また中傷電話が急増します。「テレビに出て、金をなんぼもらってるんや」などと。同じようなそしりのビラが、事故現場の歩道橋にも張られました。

 このような心ない中傷は、決してこの事故に限られたことではありません。中学生のいじめ自殺で、学校が事実をごまかそうとするので、遺族が真相究明のために唯一裁判の形をとれる損害賠償請求訴訟を起こしたところ、家には「娘の命を金にかえるのか」という匿名電話が殺到しました。これが、日本社会の実態です。

 何年たっても、悲しみは癒えません。下村さんが「『前向きになれましたか』と慰められても『なれません』としか言えない。『生きていらしたら○年生ですね』と言われても、僕にとっては2歳11カ月でしか想像できない」と語る言葉が胸に迫りました。

 また、「自宅や葬儀場周辺で記者らがたばこをポイ捨てしたり、マナーがひどかった」など、さまざまなマスコミ批判をする一方で、「そのたばこを拾い集めている記者がいたので、初めて家に招き入れた。それがきっかけで記者たちと親しくなり、遺族会結成への手伝いもしてもらった」と話していました。さらに「警備責任者の警察署長に謝罪させられたのは、報道の強い後押しがあったから」とも。改めて、襟を正します。

      □

 前回も書いた第10回犯罪被害者支援全国経験交流集会では、象徴的な言葉が耳に残っています。

 「だれでも、いつでも被害者になりうるんです」

 「被害者がこれから生きていくためには、『大丈夫だよ』と優しくそっと寄り添ってくれる人が必要なんです」

 県内の支援グループの取材なども通し、今後もこの「重いテーマ」を考えていきたいです。【和歌山支局長・嶋谷泰典】

毎日新聞 2008年9月29日 地方版

 
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