その理由は、彼の文章が創造論者と大差無いレベルの進化生物学に対する誤解、中傷に満ちていること。
最近ではとうとうラマルク進化論がどうとか、いよいよ明後日の方向に飛び立ちつつあり、それをLiber Studiorumさんが批判しているので、うちでも協力しておくことにする。
Liber Studiorum: 福岡伸一批判強化週間
今週は福岡伸一批判強化週間です。
いま私がそう決めました。
最近、福岡伸一の文章を目にする機会が急激に増えてきて、目障りでしかたがないし、色々ネタもたまってきたので。
茂木健一郎に胡散臭さを感じる人は多いようですが、福岡に対して同じように感じる人はほとんどいないようです。
一見誠実そうで、落ち着いた雰囲気があるからでしょう。
茂木は信用できないが、福岡はマトモな学者だ、と思っている人も多いでしょう。
ハッキリ言いますが、福岡伸一はマトモな科学者ではありません。
同意。
私はこの一連のエントリで紹介されている文章の一部しか知らなかったけれど、それでも彼の胡散臭さは十分嗅ぎ取ることが出来た。
そして一連のエントリで批判されている文章を読んで改めて確信した。
彼は確かにまともな科学者じゃない。
進化論をちょっとでも学んだことがあるものは、当然ダーウィンとラマルクと進化論の違いを知っているし、少なくとも大学で進化生物学を学んだものなら、なぜラマルクの説が棄却されたかも説明できるはずだ。
なのに福岡氏はこんなことを主張する。
Liber Studiorum: 福岡伸一 vs. ダーウィニズム(1)
福岡 川上さんは、境目に対してちょっと病的なこだわりがあるわけですね。そこをサラッと通り過ぎちゃう人と、ダメな人がいて、すごくこだわってしまうというのはものを考えていく上で大事な資質だと思いますよ。
進化については、大きく分けて二つの説明の仕方があります。ひとつはダーウィンが唱えた「淘汰説」。自然界は、遺伝子のレベルでもタンパク質のレベルでも常に揺らいでいますから、突然変異が生じ得る。さっきの指の話になぞらえるなら、指のない人、一本指の人、二本指の人、さらには六本指の人もできるかもしれない。ある時代の環境の中でそれぞれが生存競争を行い、結果として五本指の人たちがもっとも有利だったから生き残った−大雑把にいえば、それがダーウィンの考え方です。
川上 もう一つの考え方というのは?
福岡 十九世紀フランスの博物学者ラマルクが唱えた「用不用説」です。たとえば個体の中に五木指になりたいという内的な欲求があったら、それが世代を超えて引き継がれ、やがては形質が変化するというものです。
川上 思っているだけでなりたいようになれたらいいですよね(笑)。
ラマルクの説の説明としては、「個体の中に五木指になりたいという内的な欲求があったら、それが世代を超えて引き継がれ、やがては形質が変化する」というのは少々トンチンカンである。ラマルクの説は、「よく用いる器官は発達し、そうでない器官は萎縮退化することで進化が起こった」とするのが用不用説と、「生涯の間に身につけた形質が、子孫に伝わる」のが獲得形質の遺伝である。
Wikipediaの「用不用説」の項を参照。
福岡氏はここで、ダーウィン進化論にけちをつけるためにラマルクを持ち出しているが、彼の説明するラマルク説はトンチンカンもいいところだ。
おまけにラマルク説はとうの昔に棄却されているし、一方ダーウィン進化論は150年にわたって膨大な証拠を積み上げ、現在では進化生物学として確立されている。
にもかかわらずこんなことを主張できるのは、よほどのものしらずか、あるいは確信犯的に事実を捻じ曲げる人間だ。
福岡氏が前者だとは到底思えないので、恐らく後者なのだろう。
「生物と無生物のあいだ」でも何度か見られたが、彼は自分の都合のいいように主張を捻じ曲げるために他者を引き合いに出すことをしばしば行う。それが意図的なものかどうかは知らないが。
福岡 ただ残念ながら、「思った方向に進化する」というメカニズムぱいまのところ発見されていません。親がどんなに頑張って特殊な能力を身につけても、子供には引き継がれない。だから後天的に獲得した形質は遺伝しない、というのが現在の生物学のセオリーで、ラマルクとその弟子たちぱ歴史から完全に消されてしまったんです。
「ラマルクとその弟子たちぱ歴史から完全に消されてしまった」というのは実にイヤラシイ言い方だ。まるでラマルクたちが学問的な議論によってではなく、政治的な力によって葬られたかのようだ。
「用不用説」を復活させようとする試みる人間は何度も現れた。だが、結局誰も獲得形質が遺伝するような仕組みを考えつくことができなかった、ただそれだけの話である(エピジェネティクスはまた別な話)。
「いまのところ発見されてい」ない「メカニズム」を必要とする理論など、無視されて当たり前ではないか。もっともダーウィンの説もあくまで仮説に過ぎず、五本指が私たちの形質になった真の理由を証明できるわけじやありません。たしかに四本指族と六本指族がいて、その間で五本指族が生き残ったという物的証拠は何もないわけですから。
「ダーウィンの説もあくまで仮説に過ぎない」というのも妙な言い草だ。
「仮説」だから正しいとは限らない、とほのめかしたいのだろうか。
その「仮説」が高い説明能力を持つ一貫した体系を形作り、明白な反証もないのであれば、その「仮説」は「正しい」と見なされるのである。
「用不用説」と「淘汰説」の2つの考え方があって、「用不用説」がダメなら「淘汰説」を取るしかない。
実際、「淘汰説」は進化を説明する唯一の考えであり、その説明能力は極めて強力である。
なぜ「用不用説」などに未練がましく色目を使わなければならないのか。
ここまでの発言でも推測できるだろうが、福岡はダーウィニズムに反感を持っている。
ダーウィニズムに反感を持つ人間がラマルク主義に肩入れするのはよくあることだ。
福岡のアンチ・ダーウィニズム的な態度は、これからもっと見ていくことになる。
私はこのセンテンスを読んだとき、あまりの内容に思わずため息を付いた。
インテリジェントデザイン論者もどきの主張に加え、素敵な印象操作のおまけ付き。
「ダーウィンの説はあくまで仮説に過ぎない」
創造論者やID論者をはじめとするダーウィン進化論に対する攻撃者の主張の中に、一体何度このセンテンスを目にしただろうか。
そして何度このお馬鹿なセンテンスに肩をすくめたことか。
進化生物学の発展の歴史の中で一体どれほど進化論の検証が行われてきたと思っているのだろうか。
一体どれほど突然変異による新たな形質の獲得とその再現の実験が行われてきたと思っているのだろうか。
つい最近も他段階の進化の再現実験に成功したばかりだというのに。
幻影随想: 大腸菌4万4千世代の進化―Evolution in Test Tube―
いやしくも現役の分子生物学者にこんなお馬鹿な主張をされては、ため息を付くしかない。
忘却からの帰還: Nothing in Biology Makes Sense Except in the Light of Evolution
"Nothing in Biology Makes Sense Except in the Light of Evolution"
進化の光に当ててみなければ、生物学のどんな知識も意味を持たない
By Theodosius Dobzhansky (1900-1975)
進化生物学というのは分子生物学、というよりも生物学そのものの土台となる学問領域の一つであり、これをまともに理解できていないとあちらこちらで不都合があるはずなのだが。
というか学生に一体どんな教育をしているのか心配だ。
さて、次になぜ彼がこういう主張をするのか背景をもう少し分析してみよう。
福岡氏の主張に色濃く見られるのは、今西進化論の影である。
彼の文章の端々に伺える、
・全体主義的な考えをよしとし、還元主義を否定する思想
・ダーウィニズムに対する拒絶
・進化における生物の能動性の主張
などは、みな今西進化論に見られる特徴であり、彼が今西の強い影響下にあることを伺わせる。
今西錦司 - Wikipedia
「生物と無生物のあいだ」の冒頭においても、福岡氏の今西に対する傾倒は
P.5
「ファーブルや今西錦司のようなナチュラリストを夢見ていた私」
という分かりやすい表現で出てくる。
今西は霊長類の生態学においては大家であったが、彼の提唱した今西進化論は当時のレベルで見てもお世辞にも出来の良いものとは言えなかった。
しかし京大を中心に日本で今西の説は大いにもてはやされ、ルイセンコ学説の影響と合わせ、日本の進化生物学の発展を阻害する要因となった。
福岡氏の母校は京大であり、彼が在籍していた1970〜80年代にかけては今西進化論の影響が最も強かった時期であった。
無論今西進化論はGenomeベースの進化生物学の発展とともにあっさり棄却されており、今ではまともな科学者なら相手にしない代物だが、福岡氏はいまだに今西進化論の亡霊に取り付かれた人間ということなのだろう。
なお、こういった「意思が進化を引き起こした」というような主張は、スピリチュアルな人達が好む主張でもあり、彼の文章に時たま顔を出すスピリチュアルなキーワードからも彼がこういった方面からも影響を受けていることが予想される。
福岡氏は文章を書くのがうまい。ID論に手を出して自爆した村上センセあたりに比べても相当に。
いずれ彼のポジションを受け継いでテレビや産経毎日の教育欄の常連になりそうで、ちょっと寒気がする。
今西進化論が意義のあるもののように扱われている傾向がありますね。
ダーウィン展絡みの記事だったと記憶していますが、
まるで今西説がダーウィン進化論の欠点を埋めた説であるかのような
記事が読売新聞に掲載されたことがありました。
今西進化論を扱った書籍もいまだに書店に並んでいます。
ざっと今西進化論について検索エンジンで検索しても
今西説が価値ある説であるかのように扱っているところが結構あります。
もし福岡氏がメディアに多く出るようになれば、
今以上に進化論への誤解や今西説も広まってしまうことでしょう。
Liber Studiorumのブログ主のa-geminiです。
トラックバック、ありがとうございます。
ブログの方は以前から拝見してました。
福岡伸一批判に反応していただいて、とても心強いです。
今までも何度か福岡批判をしたのですが、あまり反応がなく、ネット上ではほぼ絶賛一色で、ずっと歯がゆい思いをしていたのです。
>「生物と無生物のあいだ」でも何度か見られたが、彼は自分の都合のいいように主張を捻じ曲げるために他者を引き合いに出すことをしばしば行う。それが意図的なものかどうかは知らないが。
たぶん、意図的なものだろうと私は睨んでいます。
>さて、次になぜ彼がこういう主張をするのか背景をもう少し分析してみよう。
福岡氏の主張に色濃く見られるのは、今西進化論の影である。
さすが、鋭いですね。
実は、私も今回の批判を書いている途中で今西の影響に気付き、そのことをこれから書こうとしていたのです。
今、ドロナワ式かつイモヅル式に今西の著作に目を通しているところです。
>福岡氏は文章を書くのがうまい。ID論に手を出して自爆した村上センセあたりに比べても相当に。
福岡氏の書いていることはかなりトンデモなのですが、常識を働かせれば誰でも気がつくようなトンデモではなく、進化生物学の知識がないとトンデモとは気がつかないようなギリギリの線で書いているような気がします。
福岡氏の書き方は、その辺りかなり巧妙だと思います。
>福岡氏のせいというのではありませんが、日本ではいまだに
>今西進化論が意義のあるもののように扱われている傾向がありますね。
そうなんですよね。
進化生物学者だとさすがに大丈夫ですが、
福岡氏みたいに生物学者でも結構はまる人がいるので困ります。
>a-geminiさん
こんばんは。
福岡氏の文章には私も前から思うところがあったので、便乗する形で書かせていただきました。
私のエントリがエールとなったのであれば光栄です。
今後の続きにも期待しています。
>福岡氏の書き方は、その辺りかなり巧妙だと思います。
そうなんですよね。
うまいなあと思うところが半分、やらしいなあと思うところが半分といったところです。
あれはやっぱり意図的なものなのでしょうね。
http://tb.plaza.rakuten.co.jp/gmopositive1/diary/200807300000/b851b/
> 日本ではいまだに今西進化論が意義のあるもののように扱われている傾向がありますね。
> 今西進化論を扱った書籍もいまだに書店に並んでいます。
最近でも、こんな本が出てるくらいですし‥。
「生物の謎と進化論を楽しむ本」
(AMAZONの書評でも滅多打ちにされてるが、まぁ当然だ。)
> ざっと今西進化論について検索エンジンで検索しても
> 今西説が価値ある説であるかのように扱っているところが結構あります。
前の黒影さまのエントリーでもありました。
「インテリジェントデザイン理論(ID理論)にはまっちゃった産経新聞」
で、記事に登場した、中川八洋筑波大教授ですが、著書『正統の哲学 異端の思想』の中で、ダーウィンをこき下ろすとともに、今西論を持ち上げてました。
http://blackshadow.seesaa.net/article/7460434.html
もちろんそれを見て、orzさせていただきました。