2008-09-28
Pくんがギャンブルで得たものと失ったもの
友人Pくんの話。
Pくんはまじめな高校生だった。高校までは勉強にクラブにとても忙しい毎日を送っており、受験勉強も頑張った。おかげでストレートで大学に合格することができた。
さて、そうして大学に入ったわけなのだが、そこで驚いた。そこではありあまるほどの自由と時間があったからだ。
自由はまず大学の新歓コンパで感じた。みんなで居酒屋に行ったのが、教授がいるにも関わらず、未成年者の自分がビールを一気飲みさせられたのだ。そんなこと、高校ではあり得なかった。酒など飲もうものなら軽く停学だし、二度くり返せば退学だ。Pくんは校則のとても厳しい学校の出だったのだ。それでPくんは、ああ大学とはなんと自由なところだと感じだ。校則どころか法律もへったくれもない感じだった。
もう一つ感じたのは時間だ。大学では、なんと授業を上手くやりくりすれば週休3日は確保できた。これまで土日もなく暮らしてきたPくんにとってそれは衝撃だった。文字通り盆と正月がいっぺんに来たようなものだった。それも毎週やってくるのだ! さらにPくんはその後の年次の取らなければいけない単位も計算してみた。すると、2年生では週休4日、3年生では週休5日を確保できることが分かった。
さらに驚くなかれ、4年生になると週休6日、つまり週に1日学校に行けばそれで事足りるのだった。しかも大学には休みが多く、夏休みは3ヶ月、冬休みは1ヶ月、春休みは2ヶ月あった。つまり1年の半分が休みなのだ。半分が休みということは、授業があるのは26週間。学校に行かなければならないのは週に1日だから、つまり合計で26日。4年生になると、365日のうち26日しか学校に行く必要はなく、あとの339日は何をしようとかまわないのだった。
Pくんは呆然とした。Pくんの前には自由と時間の大海原という、これまでの18年間の人生で一度も味わったことのないものが広々と広がっていたのだった。
そこでPくんが何を始めたかというとパチンコだった。初めは興味本位で下宿していた街の駅前のパチンコ店に入った。しかしこの時は、ものの数分で1000円スって、ほうほうの体で逃げてきた。1000円と言えば、当時のPくんには大金も大金だった。それをものの数分でスってしまうということに、Pくんはついていけなかった。パチンコをやってPくんがまず初めに感じたのは、「これはけっして娯楽ではない」という感慨だった。「1000円を数分でスってしまうようなものは、もはや遊びとは言えない」
しかしそれからしばらくして、Pくんは再びパチンコ店に突入する。あまりにもヒマだったからだ。それまでヒマというものをほとんど味わったことのないPくんにとって、突然与えられた自由と時間をどのように使えば良いのか分からなかったのである。
ところが今度は、少ない賭け金で大きく勝った。大きくと言っても6000円くらいだったが、しかしそれはPくんにとっては大金も大金だった。6000千円あれば本当にいろんなことができた。そこでPくんの夢は一気に広がった。そうして、二度目の挑戦ではあったもののPくんにもビギナーズラックが訪れ、これがPくんがパチンコにはまるきっかけになったのである。
それから3ヶ月、Pくんはギャンブルの洗礼に苦しめられていた。勝ったり負けたりをくり返していたが、累計の負け金は20万円にまでふくれあがっていた。もはやPくんの小遣いは底をつき、親からの仕送りにまで手をつける始末だった。しかしそれでも足りなくなって、カードローンにまで手を出し始めていた。もうすっかり止まらなくなっていたのである。
中毒だった。Pくんは一気にギャンブル中毒に冒されてしまったのだ。それまで真面目に、また純情に生きてきたPくんに、それに抗う術はなかった。彼はすっかりギャンブルの魔力に絡め取られていたのだった。
しかしそんなPくんに転機が訪れる。それは、夏休みを利用して実家に帰っていた時のことだった。実家でも、ギャンブル中毒から抜けられず、毎日こそこそとパチンコ店に通っていたPくんは、ある日そこで驚くべき光景を目にする。なんと、一人の高校生がパチンコを打っていたのだった。なぜ高校生と分かったかといえば、制服を着ていたからだ。しかもそれはPくんの母校の制服だった。つまりその人物はPくんの高校の後輩だったわけである。校則の厳しさで知られるPくんの母校の生徒が、制服姿でパチンコを打っている。それだけで十分停学ものだが、その高校生はあまつさえ煙草を吸っていた。煙草を吸いながら制服姿でパチンコを打っているのだ。それはもう一発で退学にされてもおかしくないような状況だった。それを目の当たりにした瞬間、真面目で純情なPくんはクラクラと目眩を覚えた。そんな破廉恥な行為は、Pくんには考えられないことだった。
しかしこの後さらなる衝撃が待ち受けていようとは、Pくんは想像だにしていなかった。一体どんなやつがそういう破廉恥な行為をしているのか確かめてやろうと、その高校生のもとにつかつかと歩み寄っていったPくんを待ちかまえていたのは、一生忘れ得ない驚きであった。
なんと、その高校生はPくんの弟だったのである。Pくんの2つ下の、その時はまだ高校2年生だったKだった。
「K、おまえ何してんだ!」
と驚くPくんに、Kはこともなげな顔をして「いや、この台けっこう出るんだよ」と言った。それから「もう1個良い台があるんだよ。Pもそれを打てよ」と言って、店の端にある1つの台へと連れて行かれた。するとその台には、煙草とライターが置いてあった。煙草とライターは、その台に誰かが座っていることを示すサインだった。だからPくんは「ここ、誰かが座ってるよ」と言ったのだが、それに対してKは、やっぱりこともなげに「いや、これおれの煙草だから」と答えたのだった。
そこでもPくんは驚かされた。台の複数占有は禁止行為で、店にバレれば即刻出入り禁止である。しかしKは、そうした店のルールでさえ、平気の平左で破っていたのだ。そこにはPくんの全く知らない世界が広がっていた。法律も、校則も、店のルールも、何もかも破ってなお平然としていられるその人物に、Pくんは自分の弟ながら強い戦慄を伴った恐怖心を覚えた。
しかし、とにもかくにもその台を打ち始めたPくんは驚いた。なんと、その台はよく出たのである。その日は結局1万円くらいの勝ちになった。その日はKも勝ったので、二人で祝勝も兼ねて焼き肉を食べにいった。
その席でPくんは、Kから「パチンコ店の仕組み」というものを教えてもらった。
パチンコ店というのは、簡単に言うと出る台と出ない台がある。もちろん出ない台の方が多いのだが、出る台がないわけではない。だから、出る台だけやっていれば必ず勝てるのだ。
そうなると、あとはどうやって出る台を押さえるかというのが、パチンコの勝負ということになる。こんなもの、運も技術もない。ただ、出る台を押さえたり、あるいは押さえる方法を確立してしまえば、絶対に勝てるし、勝ち続けることができるのだということだった。
その時のKが使っていた出る台を押さえる方法とは、打ち止めになった台の再解放を狙うということだった。昔のパチンコ店は、ある一定数球が出ると「打ち止め」と言って、その場で打つのをやめなければならなかった。そうして打ち止めになった台は、時間が来ると再び解放して、他の客に打たせる。そうやって、一人の客が出る台を独占することを避けていたのだ。
その解放の仕方はさまざまだけれども、一般的なのは時間が来ると抽選をして、客に分け与えるというものだった。打ち止め台は出る確率が高いから、客には人気なのだ。そのため、解放の時間が来ると、客たちはその抽選の列に並ぶのである。
この日のKも、その抽選の列に並んだのだった。しかもKは、素知らぬ顔をして横入りし、列に2度並んで2つの台をもらい受けていた。そうして、片方の台には煙草を置いて、自分はもう1台の方を打っていた。その台の調子が悪ければ、もう1台の方に移動するつもりだった。そうやって、出ないことのリスクを分散させていたのである。
そこへ、彼の兄であるPがやってきたから、その台を分け与えたのだった。Kによると、そういうふうに台を複数押さえ、誰かに分け与えるのはよくやるのだということだった。そういうふうに誰かに恩を売っておけば、いつか良い台を教えてくれるといった形で返してくれることもあるので、パチンコで勝つためには、そんな客同士の横のつながりもだいじにしていかなければならないということだった。
この日の出来事は、Pくんにとっては大きな転機となった。純情でうぶではあったが頭の良かったPくんは、このKの説明でパチンコ店というものの仕組みをだいたい理解することができたからである。そうしてその仕組みの間隙を縫う方法を、Pくんなりに編み出すことができるようになったのだ。この日以来、Pくんの負け組人生はピタリと終わった。そこから、彼の勝ち組人生がスタートしたのである。
そこからPくんのパチンコ勝ち組人生が始まった。それはもう、V字回復という言葉が相応しいくらい、一気に勝ちの波へと乗っかっていった。20万円までふくらんだ負け分を、そこから1ヶ月ほどで取り返し、ところどころ停滞はあったものの、結局その年は100万円の黒字にまで持っていったのである。
Pくんは、パチンコ勝ち組人生の中でいろいろな攻略法を独自に編み出していった。しかしそれらはどれも長続きしなかった。長続きしない理由は主に二つあって、一つは、他人に真似をされるからあまり旨みがなくなること。もう一つは、店側にばれてそれが禁止になることであった。
ここでは、Pくんが今でも印象に残っているという二つの攻略法を紹介しよう。
一つは、単純だが「モーニング狙い」というのがあった。これはパチンコではなくパチスロなのだが、店側が、朝一番に台にわざと大当たりを仕込んでおいて、客にそれを振る舞うことで出足を良くする「モーニングサービス」という施策が当時は取られていた。そこでPくんは、このモーニングを狙うために、毎朝開店前にパチンコ店に並ぶのだった。
それが、攻略法だったのである。それは、後略と呼ぶのさえはばかれるほどのシンプルさだが、しかしこれが意外に効いたということだった。なぜなら、パチンコをやるような人間はものぐさな怠け者が多く、毎朝決まった時間にパチンコ店に並ぶことができない人が多いらしいのだ。そのため、時間は余るほどありしかも真面目で勤勉だったPくんは、他の客に先んじていつも並ぶことができたということだった。おかげで、そこで安定的な収入が確保できたという。モーニングを取ると約4000円の収入になるらしいのだが、それを元手に他の台を打ち、勝ったらそれはそのまま儲けになるし、負けても4000円でやめておけば、理論上は絶対に損をしなくなる。そのことの安心感が、絶大な心理的効果をもたらしてくれ、安定的な勝ちに大きく寄与してくれたのだという。おかげでPくんは、もうずるずると負け戦に引っ張られるようなこともなくなり、その攻略法をやっていた時期は、年間で200万円くらい稼いでいたのだそうだ。
もう一つの印象に残っている攻略法は、「右打ち」というやつだった。これは「権利もの」と呼ばれるパチンコの台で、あるタイミングで台の右側を狙うと球が減らないから絶対に勝てるという方法だった。これはパチンコ雑誌に載っていたとある記事をヒントにPくんが独自に編み出したもので、成功した時には小躍りしたという。それを見つけてから2週間ほど、Pくんはその台で稼ぎに稼ぎ、また周囲にバレないよう細心の注意を払っていたという。
しかしそれにも関わらず、その台は2週間ほどで撤去されてしまった。どうやら、その攻略法を見つけ出したのはPくんだけではなかったらしく、他の店でも問題になっていたため、それに対処するようお達しが回ってきたのだということだった。おかげでPくんのその攻略法は短命に終わってしまったが、しかし稼ぎに稼いだその2週間の興奮は、今でも忘れられないという。
そうしてPくんは大学生活のほとんど全てをパチンコに費やした。そしてパチンコを打ちながら、次第にある感慨へととらわれていった。
それは、人生を、そして時間を浪費していることの大いなる空虚感であった。
パチンコを楽しんで打っている感覚は、初めからPくんにはなかった。最初の負けが込んでいた時期には、ぽっかりと広がった自由と時間を埋めるためのものとしてやっている部分が強かった。あるいは、そういうふうに堕ちていく自分をどこか楽しんでいるといっては語弊があるが、純情だった分そういう堕落した自分に酔っているところがあったのだという。だから、パチンコを楽しいと思ったことは一度もないらしい。
それが勝ちに転じ始めてからは、もう完全にアルバイト感覚だった。毎朝決まった時間にパチンコ店を訪れ、そこで長い時間を消費し、不安定ながらも毎日なにがしかの金額をもらい受ける。それはもう、働いていることと一緒のような感覚だった。だから、やっぱり楽しいという思いはこれっぽっちもなかったのだという。
そういうふうに楽しくないのに続けていると、そこにぴゅうと虚しさの風が吹き込んでくるのだということだった。パチンコは特に時間を消費するので、台の前に8時間座っていることもざらだった。
そんな時、Pくんはずっと自問自答をしていたのだという。
「この蓄積していく空虚さは一体何なのだ?」
「確かにお金は入ったかも知れないが、時間だけが刻々と削られていって、おれは本当に得をしているのだろうか?」
「おれは、もしかしたらお金以上に大切な何かを失ってしまっているのではないか?」
そういう焦燥感が、どんどん蓄積していったらしい。
そうしたやるせない感慨が積もりに積もった結果、大学4年生の時、Pくんはパチンコをやめた。ちょうど引越をし、また卒論や就職活動などで忙しくなったこともあって、それは本当に驚くほどすっぱりとやめられることができたのだという。
それ以来、Pくんはほとんどパチンコを打ってないのだそうだ。何度か暇つぶしに打ったことがあるけれども、そんなやり方では勝てるはずもなく、やがて次第に足が遠のき、もう全くやらなくなったということだった。
Pくんは言う。「パチンコをやって確かにお金を得ることはできたが、しかし学生の時に感じたあの時間を浪費しているという感覚は、今でも消えることがない」と。そして、大学時代にそのだいじな時間というものを浪費したおかげで、その後の人生をいくらか遠回りしなければならなくなったという後悔も、またあるのだそうだ。そのことに、もう少し早く気付いていればという気持ちは、今でも時々抱くという。
では逆に、そこでお金以外に何か得るものはなかったのかと聞くと、Pくんはこう答えた。
「やっぱり、いろんなことを知ることができたのは、一つの収穫だったかも知れない。特に、人間の抱く『虚しさ』という感慨や、負けることの焦燥や、勝つことの興奮。それと中毒。人間が中毒になるとこうなるのだというのも、そこで知ることができた。堕ちていく人間はこういう気持ちなのだというのを知ることができたのも、一つの財産かも知れない」
そして最後に、こう付け加えた。
「そこでは、人生の負の側面というものを、いろいろ見たり聞いたり体験したりして、学ぶことができた。しかしそれが今の人生に役立っているかというと、必ずしもそういうことはない。大学時代に経験したあの負の生活は、今のところ、ぼくの人生になんの役にも立っていない。それをこれからなんらかの形で役立たせることができれば、あの時代も無駄ではなかったと思うことができるかも知れない。そういう時期が来るような気もするけれど、来ないような気もする。それがどうなるか、今のぼくには分からない」
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