2008年09月28日

自分にとって大切なものとは

水葉さんに質問を投げかけてから1週間経ちました。
回答は頂けそうにないので、今まで水葉さんが書かれたものを元に、批判(?)させて頂くことにします。

私が抱いた一番大きな疑問は
「なぜ、この時期にご自身の信念に反してまであの記事を書いたのか?」
つまり「誰のために?何のために?」でした。

エントリを書くに至った過程で、方々のblogで一連の騒動の過去ログを出来る限り読みました。
「幻の謝罪要求」「連合赤軍発言」「水葉さんのblog閉鎖」「居酒屋談義」「絨毯爆撃」「コメ欄占拠」「セクハラ発言」などなど、その度に、自分にとって大切な「ここだけは譲れない線」を守るべく沢山の方が関わってこられたのだと思います。(中には、興味本位や批判のための批判をしている方もいるようですが)
それは、自尊心、家族、名誉、価値観、アイデンティティーなど関わった人それぞれでしょうが、この騒ぎが起きる前から大切にしていた「もの」だったように思います。

水葉さんの文章は旧blog時代から時折読んでいました。
正直言って閉鎖はショックでした。
なぜなら、そこで積み上げられた有意義な議論までも全て失われてしまったから。

しかし、水葉さんは戻ってこられました。
それはなぜなのでしょう。
ご自身の言葉で、自分が大切にしている事を語り続けるためなのではないですか。「はじめにお読みください」で水葉さんご自身がおっしゃっているように。

『「personal is political(個人的なことは政治的なこと)」というフェミニズムの思想』は、水葉さんの背骨のようなものなのだろうと思います。そして、新しい場所で、フェミニストの水葉さんが考える、性暴力や女性に対する暴力の問題を語り続けてこられました。
たとえば以下のような文章で。

私のスタート
http://aqualeafree2.blog50.fc2.com/blog-entry-8.html
「強姦」を「婦女暴行」に、
「強制わいせつ」を「いたずら」に。


犯罪を矮小化する「言い換え」です。言い換えられて得をするのは、一体誰でしょうか?

被害者でしょうか。
加害者でしょうか。

「たいした罪ではない」というニュアンスを与える「言い換え」は、加害者を擁護するものです。


水葉さんは「性暴力被害の告白」の中で、被害者が痛みを「セクハラ」という言葉で表現することを「言葉の濫用」と言って切り捨ててしまわれた。「その程度のことで騒ぐな」という、フェミニストが一番嫌悪するであろう言葉で。

そしてこれは、他でもなく、水葉さんご自身に向けられた刃でもあります。この文章によって傷つけたのは被害者だけでなく、実はフェミニストとしての自分自身だろうと思います。

私は、水葉さんを糾弾したいのではありません。自分がどこに立っているかを俯瞰して、立ち位置を確認して欲しいのです。
そして、あなたは今、誰と共にいるのですか?と聞きたいだけです。

(ここに書いてあった7行ほどの文章は、読み直してみると本論には必要ないものだったと思い、up30分後に削除しました)

本当なら、あのまま、コメント欄でのやりとりを続けた方が良かったのかもしれません。でも、水葉さんのコメントの扱い方に不信感を持ってしまった私は、自分のblogでやるしかなかったというのが正直なところです。
このような形で、水葉さんの言動に言及し続けてしまったことは、本当に申し訳ないと思っています。
もしかして、袖すり合うかもしれない同じ業界にいるからこそ、余計なお節介をしてしまいました。

静かに経緯を見守ってくださった皆さま、ありがとうございました。
お心遣いに感謝します。
また、はてぶにブクマコメントを書いてくださった方、当blogでコメントをお寄せ頂いた方、ありがとうございました。

nagonaguの日記
かめ?
遠方からの手紙
たんぽぽのなみだ〜運営日誌

 
Posted by akiras_room at 14:55  |Comments(7)TrackBack(1) | 性暴力被害

この記事へのトラックバックURL

http://blogs.dion.ne.jp/akiras_room/tb.cgi/7656126
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
※半角英数字のみのトラックバックは受信されません。
この記事へのトラックバック
http://blogs.dion.ne.jp/akiras_room/  の「自分にとって大切なものとは」より まずは自分にとって大切なものを他人にあれこれ言われる筋合いはないと思うのだが、貴殿の...
くれぐれも余計なお世話だ【徒然なるままに】 at 2008年09月29日 00:11
この記事へのコメント
私自身はDVもセクハラも受けたことはなく、カウンセリングに関わったこともないので、専門的なことは書けませんが、一般的な点で気になったことがあります。
akiraさんの問いかけに、水葉さんから期待するほど十分な回答を得られなかったことは、akiraさんにとっては大変残念なことだったろうと想像します。また、そのご不満からか(そこはすみません、私の勝手な想像かも知れません)、水葉さんを批判されることについて、お気持ちはお察しいたします。
しかし、水葉さんが実際には書いていないことについて批判されていることはご自分で気づいていらっしゃいますか?
たとえば、
>>
被害者が痛みを「セクハラ」という言葉で表現することを「言葉の濫用」と言って切り捨ててしまわれた。「その程度のことで騒ぐな」という、フェミニストが一番嫌悪するであろう言葉で。
<<
これは本当にそう書かれていましたか?
私には「セクハラ被害者にとって、セクハラ被害は深刻である」と書かれていると読み取れます。(このことは最後にももう一度取り上げます)

(長くなりましたのでここで分けます)
Posted by alice at 2008年09月28日 18:28
あれ、最初にご挨拶を書いたのですが、切れてしまいました。すみません。
改めまして、aliceと申します。

つづきです。

おそらくakiraさんは、結びにある、
>>
人権侵害にあたるような性被害は、軽々しく反復できるような、生やさしいものではない
<<
この文を「性被害を反復して語る人にとって被害は生やさしい」という意味に取り違えて考えていらっしゃるのではないでしょうか。
私は最初読んだとき、この「軽々しく反復する」主体はTVや職場で、セクハラという言葉を流行語を使うごとく、被害と無関係にしゃべる人々のことを指していると読みました。

akiraさんのようにセクハラやDVを社会的な問題としてとらえ、人々にその重大さを知らしめる活動をされている方は、どのようにつらくてもご自分の体験を何度も語る必要と責任感を感じ、実施されていらっしゃると思います。そのような行為を、水葉さんのような活動をされている方が、生やさしいなどと表現することはないと思うのです。ごく素直に書かれたことを読めば、akiraさんの行動を貶めるようなことは一切かかれていないと思われるのではないかと。私のような素人が考えても(やむを得ない理由で反復しようがしまいが)人権侵害にあたるような性・暴力被害が生やさしいものであるはずがないです。

また、akiraさんへの水葉さんの簡潔な回答を見れば、深刻な被害を受けたクライアントと、社会的な(たとえばお笑い番組や漫画などでの)軽々しい使われ方とを一緒くたに論じるべきでないと言われていることがわかります。本当のセクハラ被害と、社会的な言葉の濫用を分けて論じるべきだということでしょう。

akiraさんにとってその回答が不十分であったことは残念なことだとは思います。しかし、それに答えるか答えないかは水葉さんの判断です。それは強要できるようなものではありません。「ああ、答えはなかった」と認識するだけのことです。そこで敢えて「こうかな、ああかな、きっとこうだろう」と元の文章を発展させてしまい、批判をすることは少々行き過ぎのように感じました。

もちろん、ここで申し上げた水葉さんの文章に関する私の考え方も誤っている可能性もあります。しかしご本人の回答を強制などできないのですから、議論にもならないでしょう。

ひょっとすると、いつか回答もあるかも知れないし、ずっとないかも知れない。でも個人的活動としてのブログであれば、それで良しと考えておいたほうが、精神衛生上も良いかと思います。
Posted by alice at 2008年09月28日 18:39
こんばんわ 初めましてHANAと申します。
akiraさんのブログはgegengaさんのブログのコメントなどから辿って読ませていただいておりました。
今回のエントリの元になっている水葉さんのエントリ「性暴力被害の告白」を読んで言葉にならない違和感を感じましたが水葉さんがプロのカウンセラーとしての経験をもとに感じたエントリですので素人の私には
カウンセリングとはそういうもの?
カウンセラーの立ち位置や考え方とはそういうものなのかな?

と思ってしまいましたが akiraさんの水葉さんへのエントリを読む事で私が感じた違和感の在処を見つけられた気がいたします。

>「セクハラ、セクハラ」と軽々しく連呼することが、セクシュアルハラスメントの認識を矮小化させる

との水葉さんの見解に
「セクハラや性暴力被害の重篤さを第三者が判断するのはおかしいのではないか」
というakiraさんのご意見に深く共感いたします。
セクハラを受けた本人しか伺い知る事ができない精神的被害の重篤さをカウンセラーという立場の方がセクハラ加害の言動やカウンセラー自身の感じている風潮で軽々しい判断するというのはカウンセラーという職業の根底さえも揺るがすような事ではないかとも思えます。

一般人として「言葉の濫用による社会的な影響」と判断するのは許容できますが プロのカウンセラーという立場を押し出した言葉のプロである水葉さんの主張であるならば同じカウンセラーとしてakiraさんがエントリをあげて質問 批判することは当然だと思います。

私は水伝騒動をずっと追っていますが 水葉さんからakiraさんへの返答がないということは非常に残念だと思っています。


初見で長文失礼いたしました。
Posted by HANA at 2008年09月28日 23:47
>aliceさん >HANAさん
はじめまして。コメントありがとうございます。

単に私の脳機能の問題なんですが、長文を理解するのにとても時間がかかります。大変申し訳ありませんが、レスは明日になってしまいそうです。すみません。

Posted by akira at 2008年09月29日 00:26
どの話題にコミットするのか?(もっと個人的に言えば、今日、わたしに、akiraさんのブルグ読んだり、コメントしたりしている時間はあるのか?) ちゃんと考えなくちゃ、と思いつつ、ちょっとみなさんのコメント等で話題になっている(あるいはakiraさんご自身が話題として提供されている)「日記に対するコメントをアップするか?」「コメントに返事をすること」「返事がないコメントの話題を自分のブログで発展させること」について、わたしの思いを。

「全部、じゆうだ〜〜〜!」

う〜〜ん、わたしが読み解く範囲によれば、akiraさんもご同様のご意見だと存じますが、違うように読んでおられる方もおられるようなので、どうなんだろう。
Posted by tibimama at 2008年09月29日 12:01
シーラの会の方に昔にコメントした事がありますが、ブログでは初めまして。mimiと言います。
akiraさんのブログはずっと読んでいました。
今回の件は静観しようと思っていたのですが、思う所があるので。初めてで長文失礼します。

水葉さまのブログは旧ブログから見ていましたし、旧ブログではコメントもしました。
性犯罪に遭い、法廷で証言する辛さを書いたときに水葉さまは共感して下さり、とても励まされました。
だから「性暴力被害の告白」には、akiraさまと同様に違和感を感じましたし、正直なところショックも受けました。
セクハラに軽いも重いもないと思います。
そもそも「その程度のもの」と思われるセクハラがあるなら具体例を出して欲しいです。
私はセクハラが原因で会社を辞めました。
被害に悩んでいる最中、セクハラの専門相談に行きましたが女性相談員に「その程度のこと」「性犯罪は被害を受ける側にも問題がある」と言われました。
相談しても取り合ってもらえない所かあなたに問題があると責められて、生活がある以上会社を簡単に辞めるわけにもいかない。
「20代で結婚して子供を産むのが女の仕事、結婚したら女は仕事をやめて家事に専念する事」という価値観が当たり前の田舎で育ちました。
そういう土地柄でセクハラがない会社の方が珍しいくらいでした。
上司に「それセクハラですよ〜」と笑いながら言った事があります。
そうしないとクビにされる、怒らすと更にエスカレートすると思ったからです。
「課長、それセクハラですよ」と笑いながら言わねばならない雇用状況、立場に置かれ、恐怖を感じながらそれでも仕事を続けて来た身としては、セクハラに軽い被害と重篤な被害があるという区別がそもそもおかしいと感じます。
心底笑いながら「課長〜、それセクハラですよ〜」と上司に対して言える女性が存在すると思えません。
「課長〜、それセクハラですよ〜」という表現自体、完全な男性目線です。
akiraさんの仰るとおり、セクハラは徐々にエスカレートしてきます。
上司は最初は言葉だけでしたが(それでも充分嫌でしたし、恐怖も感じていました)、抵抗しないと思われたのか徐々にエスカレートして脅迫、強姦未遂を受けました。
会社は退職しました。今では資格を取り、スタッフもお客さんも全員女性という職場で働いています。
それでやっと解放され、仕事に専念出来るようになりました。
セクハラに遭わないために女性のみの職場を選ぶという折り合いをつけて、職を捨ててから今の職場に辿り着くまでは本当に辛かったです。

やつらだ氏のたんぽぽさまへのセクハラ発言を見たのは最近なのですが、私もakiraさまが【「性暴力被害の告白」は「たんぽぽさんへのセクハラ発言」と、その反響を想定して書かれたのではないですか?】と書いていたような関連性を感じました。
言葉のセクハラは「その程度」「泣き寝入りしろ」と論じている風にも読めたのですが、風月堂のセクハラ事例についてはどう思われているのでしょうね。
熊本県の男性県職員が部下の男性職員へ行ったセクハラもありました。
色々と調べて見ましたが、セクハラに抗議した被害男性へのバッシングはひどいものでした。
被害男性をバッシングしているのは、主に男性でした。男性は同性の被害者に対してもそうなので。
強姦にしてもセクハラにしてもセカンドレイプにしても共通しているのは根底には「肉食獣が獲物に向ける目線」があるという事です。
セクハラはエスカレートして、強姦につながる事もあります。
前首相の発言にもあったけれど(現首相も似たようなことを言っているけれど)「男はクロヒョウだ」と散々恐怖心を植えつけて、強姦事件が起きれば被害者の落ち度を責め立てる社会の「常識」の中でセクハラを受けるのはとてつもない恐怖でした。
たんぽぽさまへのセクハラ発言で嫌だと感じるのは、男性の共犯意識を利用して獲物を性的に侮辱して黙らせようとする、強姦神話を悪用したやり方です。性的侮辱なんてたいしたことはないという価値観がダダモレです。
セクハラの恐怖なんて肉食獣としてのびのびと生活してきた男性には到底理解出来ない事だろうし、レイピストがレイプを擁護するように、たんぽぽさまへのセクハラ発言を矮小化する人は女性に対し言葉のセクハラ(と自分では思っていない)をやっているのでしょう。
加害性に無自覚な事が嫌です。かつての上司もセクハラをしている自覚はこれっぽっちもないと言っていました。

aliceさんへ

水葉さんは、【例えば、セクシュアルハラスメントの場合、重篤な被害と「課長〜、それセクハラですよ〜」という程度のものが、同じ「セクハラ」という言葉で一緒くたに語られていることが、問題の深刻さを見えなくしている。「セクハラ、セクハラ」と軽々しく連呼することが、セクシュアルハラスメントの認識を矮小化させ、「その程度のもの」だと、深刻な被害を受けた人たちを更に追い込む結果になっているのだ。】と書いています。
「課長〜、それセクハラですよ〜」はその程度の事と書いています。
「セクハラ、セクハラ」と軽々しく連呼することが、セクシュアルハラスメントの認識を矮小化させ、と書いています。

セクハラを軽い被害と重篤な被害に区別している事に対してはどう思っているのでしょうか。

この騒動、一言「男はクマ」で説明がつくような気がします。
Posted by mimi at 2008年09月29日 12:11
akiraさん、はじめまして。
トラックバックをありがとうございました。

この間のエントリ及び状況の推移を、固唾を呑んで拝見させていただきながら、akiraさんの真摯な問いかけに感銘しておりました。

一連の騒動では、それぞれが自らの「解釈」に基づき主張するだけで不毛なやりとりを繰り返す場面を幾度もみてきました。不当なコメントやトラックバックを使っての常軌を逸した行為も続き、セクハラでしかない発言もありました。その事実を矮小化ないしは無視して被害当事者や関係者のセクハラという指摘を「言葉の濫用」で切り捨てることは、是認されるべき行為でないのは論を待ちません。

私が言及することで、akiraさんの真摯な質問(それに対する応答)をいたずらに煽るような形になってはいけないと思い、拙日記でのリンクも名をあげての言及も差し控えてきましたが、akiraさんの本エントリで、akiraさんの質問に関する件は一応の区切りがついたのだとして、何を語れるか心もとないですが、一連の経過を拝見していて考えたこと感じたことを自分自身のためにも整理したいと思います。
(仕事が急に忙しくなったため、いつ時間が捻出できるか定かではないのですが...)

エントリを書き上げトラックバックすることで、トラックバックの返答にしようとも思ったのですが、いつになるかわからないので、取り急ぎ、お礼とねぎらいの思いを届けたくてコメントしました。

私も長文になってしまいました。すみません。ご容赦を。
一連のエントリーに感謝を。
Posted by nagonagu at 2008年09月29日 12:40
 
※半角英数字のみのコメントは投稿できません。