6.  実質安全量(1

鹿児島大学獣医公衆衛生学教授 岡本嘉六

 

前回は「閾値がある化学物質」の安全性基準を説明したが、今回は「閾値がない化学物質」についての国際的安全性基準を紹介する。最初に登場するのが、1958 年に施行された米国の「連邦食品・医薬品・化粧品法」の「デラニー条項」である。ヒトや動物に発癌性を示す食品添加物は安全とは見なさないとする考え方である。「当然のことではないか」と思う方が大半だと思うが、それ以降、この考え方を適用する際に、様々な問題点が生じてきた。

実際の動物実験成績を上図に示したが、「3.   化学物質の用量・反応関係(2」で言及したように低濃度での影響を調べることはできない。また、標的となる臓器によっては、「閾値がある」ことも知られ、発癌物質の低濃度における影響を判断することは難しいことが判ってきた。

他方、天然の発癌物質について様々な知見が集積されてきた。1957年にノルウェーで起きた牛や羊の多量死事故の原因が1964年に解明され、防腐剤として魚粉に添加された亜硝酸ナトリウムが、魚粉の成分であるジメチルアミンと反応して、ジメチル・ニトロソ・アミンが生成された結果であった。この事実は、魚と野菜の組み合わせによっても起き得ることを意味しており、普通に食べる食品が発癌物質に変わることから世界に大きな衝撃を与えた。また、1960年代に炭焼きビフテキから8μgKgのベンズピレンが検出され、この古典的発癌物質は有機物の高温過熱によって生じ得ることが判明した。さらに、1977年に日本の国立がんセンターから、焼き魚の焦げに強力な突然変異原性のあることが報告され、アミノ酸が高温過熱されることでこの活性が発現することが判った。アミノ酸家熱分解物の脅威は分かったが、秋刀魚を美味しくいただくには、多少の焦げ目が付かないといけない。その後、生野菜がアミノ酸家熱分解物の突然変異原性を低くすることが解明され、多少の焦げ目が付いた秋刀魚を大根下ろしと一緒に食べる古来の食習慣に感心したものである。

さて、代表的な発癌物質であるアフラトキシンは、熱帯地方に広く分布する真菌(カビ)Aspergillus flavusが産生するが、これが見つかったのは、「デラニー条項」施行後の1960年にイギリスで起きた七面鳥の大量死であった。餌に加えられた落花生粕にA. flavusが着生し、毒物を産生していたのである。致死活性は、ボツリヌス毒より遥かに低いものの、その後、動物実験において発癌性のあることが判明し、疫学的にもヒトの肝癌の原因となっていることが確認された(アフラトキシン問題については、別途解説する)。

食品添加物や農薬のような人工産物については「デラニー条項」を適用することはできても、天然物について適用するとほとんど全ての食料が該当してしまうことにならざるを得ない。たとえば、世界最強の発癌物質であるアフラトキシンが、様々な食品を汚染していることが明らかになり、日本でも198年ごろにピーナッツや乳製品等の輸入食品の汚染が問題となった。微量でもアフラトキシンが検出された食品を廃棄処分とすると、高度汚染が知られている落花生やナッツ類だけでなく、トウモロコシ等の穀類も該当し、A. flavusが分布する熱帯および亜熱帯地域では飢餓が更に拡大する。米国南部も毎年のように、旱魃等による影響でA. flavusが繁茂し、トウモロコシ生産に深刻な問題を投げかけてきた。

上図は、岡山大学大学院 多田幹郎教授の「農産物の安全性はいかに確保されているか」という講演のスライドである。古典的発癌物質ベンズピレンは有機物の燃焼によって発生し、焚き火等でできたものが土壌中に含まれており、全ての農産物が汚染されている。一切の発癌物質を拒否する<勇気>がありますか? 言い換えると、餓死する<勇気>がありますか? こうした事実が次々に明らかになり、「デラニー条項」で定めたゼロ・リスクを天然物に適用することは不可能であり、むしろ、健康増進に逆行する結果を招くとされるようになった。FAOは、「食品の品質と安全性システムFood Quality and Safety Systems)」の中で「危害を減らすこととリスクを減らすことの関係を理解することは、適切な食品の安全性制御を発展させる上でとくに重要である。 不幸なことに、食品について『ゼロ・リスク』のような事態はありえない(その他の何についても言えることだが)」と記載している。

下図は、米国の「食品安全リスク解析情報センター(Food Safety Risk Analysis Clearinghouse)」に掲示されている「アフラトキシンのリスク査定: <レッド・ブック>モデル教材(Aflatoxin Risk Assessment Red Book” Model Exercise)」の1枚である。世界の科学者が、発癌物質の低濃度領域における影響を推定するために努力してきた。数々の数理モデルが作成されているが、飽くまでも推定の世界であり、それを実証することは、現在採用している基準が、過度の発癌に繋がらなかったという歴史的経験を積み重ねることによってしか達成されない。

さて、低濃度領域における影響をどの程度許容できるのかということが、「閾値がない化学物質」の安全性に関する主要問題であることがお判りだと思うが、自然界における発癌物質の存在によって生じる影響程度を許容すること以外に道はない。微量のアフラトキシンやベンズピレンを拒否したら、餓死する道しか残されていないのだから・・・。こうした認識に立って、低濃度領域における用量―反応の数理モデルから、一生涯食べても100万人に一人の影響しか見られない濃度を、実質安全量VSD: Virtually Safe Dose)とすることになった。

この考え方は、放射線障害防止基準におけるバックグラウンドの考え方と共通する。我々が普通に生活していても、天空から降り注ぐ宇宙線や土壌中の放射性物質によって微量の被爆を受けている。これによって、低い確率ではあるがDNA障害が引き起こされている。放射線より波長がずっと長い紫外線によってもDNA障害が惹起されるが、オゾンホールが発見された際に、有色人種では皮膚のメラニン色素で遮蔽されるために真皮まで紫外線が届かないが、白色人種では癌の増加が懸念されるため深刻に受止められ、世界的環境問題が認識される契機となった。遺伝的にDNA修復能が欠損している色素乾皮症の方々には、このリスクは通常の健康人よりも高くなる。

自然界には健康に悪影響を及ぼす危害因子が無数に潜んでいて、人間が制御できないことから、それらのリスク水準は許容するしかないというのが実質安全量である。ナチュラル思考が広がっているが、こうした考え方を受け入れられますか?