5.  一日摂取許容量(ADI)と許容残留量(MRL

鹿児島大学獣医公衆衛生学教授 岡本嘉六

 

化学物質の安全性を討議する際に必ず出てくるのが、一日摂取許容量(ADI : Acceptable Daily Intake)と許容残留量(MRL: Maximum Residue Level)である。これを正確に理解することが大切であり、そのために、先ず安全性試験について解説する。

「閾値がある化学物質」と「閾値がない化学物質」の用量―反応関係は異なっていることから、試験管内の突然変異原性試験と、実験動物を用いた発癌性試験・催奇形性試験が実施される。実験動物の生涯に亘って、対象化学物質を餌または飲水に混ぜて投与する発癌性試験は、3用量以上、1群雌雄各50匹となっており、最小限300匹のネズミが使用される。しかも、生存率が50%以上ないといけないので、用量の設定が難しく、実際には6用量以上となり、600匹以上が使われる。投与期間は、ラットで104週、マウスで96週、ハムスターで80週以上とされており、一つの化学物質についての発癌性試験は多大な費用を必要とする。さらに、多数の動物の命を奪うことは生命倫理上問題があることから、あらかじめ試験管内の突然変異原性試験を行い、その結果が陽性であれば動物実験をするまでもなく製造禁止物質とされる。

発癌性と催奇形性が認められなかった「閾値のある化学物質」については、長期毒性試験と短期毒性試験の結果に基づいて、最小有害作用濃度( LOAEL )と無有害作用濃度( NOAEL )が求められる。「動物実験において影響がない=水平軸上にある投与量」は複数個あり、どれが無有害作用濃度であるかは直ちに判定できない。設定した投与量の内、影響が認められた最少濃度が最小有害作用濃度である。用量・反応関係は通常直線的であることから、影響が認められた用量を結んで水平軸と交わった点が無有害作用濃度である。

無有害作用濃度に基づいて一日摂取許容量(ADI)を検討するが、その際に多くの場合100分の1に設定される。その根拠は、実験動物の成績をヒトに外挿する訳だから種差を考慮しなければならず、多くの既存データ(たとえば致死量の比較)から、不確実係数として10倍としている。さらに、ヒトにも老若男女の感受性の違いがあることから、個体差として10倍の安全係数を見込んでいる。これが100分の1の根拠である。「多くの場合」の例外としては、DNA障害による発癌性や催奇形性以外の「閾値のある化学物質」による重大な疾病要因となる場合であり、1000分の1に設定される。すなわち、多方面の科学的知見に基づいて、動物実験の結果からヒトが摂取しても健康障害を起こさない用量が検討される。動物の生涯に亘る投与試験から求められた一日摂取許容量は、ヒトが生涯に亘って摂取しても健康に影響しない量である。

次に、許容残留量(MRL)について説明する。特定化学物質Xについて一日摂取許容量が設定されたら、Xが含まれる可能性のある全ての農畜水産物の一覧を作成し、国民栄養調査で求められたそれぞれの摂取量を書き加える。許容残留量は、それぞれの農畜水産物に含まれるXの上限濃度(ppm)であるが、農畜水産物の摂取総量で一日摂取許容量を割った値が基本となる。しかしながら、頻繁に食べる農畜水産物と滅多に食べないものを同等に扱うのは不合理であり、米のように毎日食べるものの安全性をより強く考慮することが合理的である。また、それぞれの農畜水産物の生産過程における病害虫の防除等にXの必要性が高いか低いかということも考慮の対象となる。すなわち、頻繁に食べる農畜水産物であって、生産過程におけるXの必要性が低い場合には、許容残留量を厳しく設定し、滅多に食べないもので生産過程におけるXの必要性が高い場合には緩めに設定される。すなわち、それぞれの農畜水産物の許容残留量を決定する際に、総和が一日摂取許容量を超えない範囲で、生産過程におけるXの必要性と生産物の有用性が考慮される。

一日摂取許容量(ADI)と許容残留量(MRL)の関係(1

 

市販の農畜水産物については、行政が定期的に検査しており、その検査結果が公表されているが、「いずれかの食品群において検出された農薬」であっても、許容残留量の数十分の1から数百分の1程度に留まっている(「4 平成3年度〜13年度 食品中の残留農薬の一日摂取量調査結果」を参照)。実際の残留量の総和は、一日摂取許容量を大幅に下回っている。下図では、赤い部分が沢山残っていることで示した。ところが、時々、ある農畜水産物が許容残留量を超えていたと発表されることがある。「基準を超えていたのだから、危ない」と判断する方が多いが、実はそうでないことを右下図に示した。たとえ数倍の濃度が残留していたとしても、総和としては一日摂取許容量に達しておらず、まだ余裕がある。しかも、一過性のことであり、一生涯を通して食べ続けることを想定した一日摂取許容量からすると、健康への悪影響は全くない。

一日摂取許容量(ADI)と許容残留量(MRL)の関係(2

 

こうしたことを理解できれば、ポジティブ・リスト制度の下でこれから発表される許容残留量を超えていたという発表に添えられる「仮に今回の○×を毎日一生涯食べ続けたとしても、健康に悪影響を及ぼすことはない」という説明が納得できるでしょう。決して、<危ない本>を読み漁って、不安を増幅することがないように願うばかりである。とくに、マスメディアの方々には、不安を煽ることがないようにお願いしたい。