4. 栄養素による健康障害
鹿児島大学獣医公衆衛生学教授 岡本嘉六
化学物質の用量―反応関係について、WHOは栄養素の用量―反応曲線を追加していることを紹介し、栄養不足が発展途上国の深刻な問題となっていることを紹介したが、今回は、先進国における栄養過多による健康障害を考えよう。
栄養過多による代表的疾病として糖尿病についてみると、1960年には10万人当り男性で3.2、女性で3.6だったものが、2004年にはそれぞれ10.9と9.2に激増している。 「食べすぎと運動不足による病気は怖くない!」、「1万人に1人という確率は小さく、自分はそれに入らない」という無関心層が大半であろうが、果たしてそうだろうか? 厚生労働省の調査結果の概要には、詳細な分析が加えられており、2002年には、糖尿病が強く疑われる人が約749万人、糖尿病の可能性を否定できない人が約880万人、両者を合わせると約1,620万人に達すると推定されている。飽食の時代を代表する国民的疾患といっても過言ではなかろう。 |
(厚生労働省 第1−29表 死亡率(人口10万対),死因年次推移分類・性別) |
「1万人に1人」というのは全人口に対してであり、年齢別にみると60〜69歳で男性の17.9%、女性の11.5%が糖尿病で治療を受けており、糖尿病予備群は、それぞれ、13.4%と16%である。糖尿病と予備群を併せると、男性は31.3%、女性は27.5%に上っており、容易ならざる事態である。<リスク>は決して小さくないことがお分かりでしょうか?
「それじゃー、食べるのよそう!」とはいかないのが、ロボットではない生物の宿命である。食品には三つの機能があり、栄養補給の第一次機能が最も重要であるが、不味いものを我慢して食べるのも辛い。そこで、第二次機能として、嗜好性がある。これが過ぎると、美味過ぎて、ついつい食べ過ぎる。TVのグルメ番組は、糖尿病を広げるために企画されているのだろう!? それでは、第三次機能とは何だろうか? 完全栄養食品という概念があり、食べたものが全て吸収・活用され、排泄物とならないものである。たとえば、卵は雛を育て、孵化した時には内容物が空になっている。卵の成分がそっくりと雛の体になったのである。「ウンコがでない」完全栄養食品は理想的と思われたが、実は、便秘促進剤ともなった。「無用の用」ともいえる「消化吸収されないウンコの元」繊維素が見直されたのはこの20年のことであり、第三次機能とは、健康増進に寄与することである。
初期の糖尿病には自覚症状がなく、合併症が現れて初めて気付く方もいる。糖尿病で治療を受けている60〜69歳では、神経障害が19.5%、網膜症が16.1%、腎症が14.9%、足壊疽が1.1%となっている。糖尿病は血管障害を起こし、それによって合併症が発生するのだが、この他に、心臓病の既往歴との関係を60歳以上についてみると、血糖値が正常の人は12.3%であったのに比べ、糖尿病治療中の人は20.5%に達していた。
他方、食中毒による死亡者数は、どのように推移してきたのだろうか? 十分な食料がなかった第二次大戦後には毎年数百人が食中毒で死亡していたが、1960年においても213人に上っていた。その後、経済発展とともに食料の国内生産が増大し、海外からの輸入食料も増え、飽食の時代になってからは食中毒による年間死亡数は10人以下となった。食品の安全性は確実に高まってきたことを確認していただきたい。
食中毒による死亡者数は、1981年以降は厚生労働省の「年次別食中毒発生状況」にあるものを、それ以前は「食品衛生研究(日本食品衛生協会発行)」に掲載されてきた過去の厚生省資料に基づいた。10万人当り死亡率を計算するための人口は、国立社会保障・人口問題研究所の「一般人口統計 −人口統計資料集(2006年版)」に基づいた。 |
食中毒による10万人当り死亡率は、1960年において0.23であったが、2004年においては0.0039にまで減少している。これを先に示した糖尿病による死亡率と比べてみると、一方は減少し、他方は増加していることが明らかである。毎日食べる食品が安全であることは全ての国民の願いであるが、食品に起因する健康障害の発生は、病原菌や有害化学物質の汚染による確率より、栄養過多による確率がはるかに高く、しかも、年々その傾向が強まっていることを理解しなければならない。高齢化社会を迎え、食品に起因する健康障害の発生を防止し、健康で快適な生活を営むためには、<安全に食べる>ことが、何よりも大切である。
このような栄養過多による健康障害は、欧米の先進諸国でも同様である。日本では2005年7月から「食育基本法」が施行されているが、その「前文」には、次のような問題点が指摘されている。
「・・・国民の食生活においては、栄養の偏り、不規則な食事、肥満や生活習慣病の増加、過度の痩身志向などの問題に加え、新たな「食」の安全上の問題や、「食」の海外への依存の問題が生じており、「食」に関する情報が社会に氾濫する中で、人々は、食生活の改善の面からも、「食」の安全の確保の面からも、自ら「食」のあり方を学ぶことが求められている。また、豊かな緑と水に恵まれた自然の下で先人からはぐくまれてきた、地域の多様性と豊かな味覚や文化の香りあふれる日本の「食」が失われる危機にある。・・・」
目を三角にして農業者や製造業者を責め立てるエネルギーの一部を、どうしたら<安全に食べる>ことができるのかという自己改良に費やすことができたら理想的なのだが、それよりも他人を罵倒する快感が堪えられない。こんな消費者が多いために、食べるという基本的行動において、生命観が損なわれてしまい、様々な凶悪犯罪の根源を作っているのではなかろうか? 食料は動物や植物が形を変えたものであり、生命(いのち)をいただく感謝の気持ちを育てることが「食育」の精神であり、目を三角にして他人を罵倒する風潮は日本民族を危うくする。まさしく「豊かな緑と水に恵まれた自然」の恵みを食料に換えてくれるのが農業者であり、それを罵倒する消費者は犯罪の温床を育てている。