3.   化学物質の用量・反応関係(2

鹿児島大学獣医公衆衛生学教授 岡本嘉六

 

「安全性(Safety)」についての科学的考え方として、パラケルサスの説が広く受け入れられているが、一般国民においては「ゼロ・リスク」思考が根強い。この基本的問題についてもう少し解説する。

 

全てのものは毒である。毒でないものはない。適正な用量が毒と薬を分ける。

All substances are poisons; there is none which is not a poison. The right dose differentiates a poison and a remedy.

パラケルサス(Paracelsus1493-1541

 

毒性学や薬理学の教科書には、用量―反応関係についての記述が必ずある。そこでは、「閾値がある化学物質」と「閾値がない化学物質」の2種類に分けて説明されているが、国際保健機構(WHO)は、さらに、栄養素の用量―反応曲線を追加している。前回は「閾値がある化学物質」についての例を説明したので、今回は他の二者について概説する。

「閾値がない化学物質」とは、DNA障害作用を持つ物質のことであり、突然変異原性や発癌性などを示す物質として知られている。「閾値がある化学物質」の場合は、標的となる細胞膜、酵素、蛋白合成系などに結合して作用する。濃度が限られているので、結合した細胞だけに対する影響に留まり、結合しなかった他の細胞には影響しない。他方、DNAに障害が加わると、異常な情報が「DNA→RNA→蛋白合成系」と伝わり、様々な影響が発生する。DNA障害が修復されない限り、この影響は継続することになる。

DNAは、A(アデニン)T(チミン)G(グアニン)、C(シトシン)4種類の塩基二重螺旋状に並んだ構造をしているが、種々の発癌物質がそれらの塩基のどの部位に結合するかが解明されている。赤線を引いたBPは有機物質が焦げた際にできるペンズピレンであり、Aflatoxin(アフラトキシン)は有名なカビ毒であるが、ともにグアニンに結合する。このように、発癌性の有無だけでなく、DNAとの結合部位まで明らかにされている。

ここで強調しておきたいのは、発癌性などのDNA障害作用を持つ物質は限られており、一般的な化学物質とは明確に区別することができることである。農薬や食品添加物などの人工産物に発癌性が認められた場合には、国際的に、製造・販売・使用が禁止されている。ただし、上記の例に挙げたペンズピレンやアフラトキシンなどの自然界にあるものは、汚染を防ぐ手段しかない。

「閾値がない化学物質」の点線部分は、使用する動物数に限りがあるために求めることができない範囲である。11000匹使ってその内1匹に影響が認められた場合に陽性率が0.1%と計算されるが、その数値の信頼性は低い。0.1%が統計的に有意と判断されるためには、数万匹使って数十匹に影響が認められた時に初めて有意と判断される。したがって、0.1%以下の陽性率を実験的に求めることは事実上不可能である。影響が確認された用量を結んだ直線を延長すると原点を通ることから、どれだけ低用量でも悪影響があると判断される。

栄養素の過多あるいは偏りが健康障害を起こす事態は先進諸国において深刻であり、糖尿病、高血圧症、高脂血症などが多発し、主要な疾病要因となっている。他方、発展途上国における栄養素の不足は、年少者の死亡率を高めており、妊婦や胎児においてとくに深刻である。日本でも、平均寿命が50歳を超えたのは第二次世界大戦後であり、平均寿命の伸びに最も影響するのは新生児と乳児の死亡率であり、母体の健康がそれらを左右している。

国際連合は2005年に「新世紀の発展目標に関する報告(UN Millennium Development Goals」を出し、2015年までの8つの発展目標を示した。その筆頭に上げたのは、「極度の貧困と飢餓の克服」であり、上の図は説明のための1枚で、1日当りカロリー摂取量を示している。3000キロカロリー以上を摂取している先進国とは対照的に、2000キロカロリー以下(日本の糖尿病食と同等かそれ以下)の黄色から白に塗られた国々がアフリカからアジアの発展途上国にあり、次の要約が付けられている。「世界の貧困率は低下しており、それはアジアがもたらした。しかし、サハラ以南のアフリカだけで100万人以上が貧困に喘いでおり、しかも貧困が更なる貧困を生んでいる。飢餓対策は進展してきたが、農業生産高の成長が遅く、ある地域では増大する人口が後戻りさせている。1990年以降、サハラ以南のアフリカと南アジアにおいて数100万人が恒常的な飢餓状態にあり、それらの地域では5歳以下の子供達の半数が栄養失調に陥っている。

発展途上地域では21世紀に入っても17%もの人々が満足な食事を採っていない。5歳以下の子供達の中で体重が足りない割合は、東アジアが最も高く47%に達しており、発展途上地域では28%にも及んでいます。これらの子供達にとって、「食の安全」とは何だろうか?

「そんなことはその国の政府が考えることであって、私には関係ない!」という日本人が大半だと思われるが、それでは、日本の食料自給率が40%を切っていることをどう思うのか? 団塊の世代が停年を迎え、少子化の時代が進行している中で、日本の貿易が何時まで黒字を維持して食料を買い漁ることが可能なのだろうか? そのことを考えたことがありますか?

「食の安全と自給率の対比は、農水省が国民を欺き、責任回避するための常套手段である!」というタカリ屋評論家が多いのだが、それで納得できますか? BSE問題を巡って日米関係がギクシャクしているが、日本が輸入している食料の多くが米国圏からであり、「隣国の専制君主の核脅迫のような全頭検査などという理不尽なことを主張するならば、制裁措置として日本への食糧輸出を禁じる」と竹薮大統領が宣言したら、日本人は12食もママならない状況に陥ってしまうことを理解できる日本人が何割いるのか・・・。

NASAが開発した安全確保のHACCPシステム」ということで訳も分からす日本の食料供給システムを批判していたタカリ屋評論家が、BSE問題以降、「全頭検査もしていない安全性軽視の国」としてアメリカを批判しているのは、まさしく、チンドン屋である。しかし、多くの国民がタカリ屋評論の「○×が危ない」という<危ない本>に踊らされている。