分かりやすい安全性の考え方
鹿児島大学獣医公衆衛生学教授 岡本嘉六
1. はじめに
「鳥がまた帰ってくると、ああ春がきたな、と思う。でも、朝早く起きても、鳥の鳴き声がしない。それでいて、春だけがやってくる。・・・」という強烈な表現で農薬の生態系への影響を警告したレイチェル・カールソン(Rachel Carson)の「沈黙の春(Silent Spring)」が出版されたのは1962年のことであった。それから35年後の1997年に、環境ホルモンの影響を警告した「奪われし未来(Our Stolen Future)」が出版され、ゴア副大統領が序文を寄せた。この2冊が世界の人々に与えた影響は、比類なく大きなものであり、ジャーナリストとしての評価は高い。それでは、科学者はその間何を考え、どのような成果を挙げてきたのか? それらの成果は、この2冊の警告に応えるものであったのか?
本年5月からポジティブリスト制度が施行され、農薬や動物薬などの安全性について関心が高まっている。残留基準が定められた物質については、様々な分野の科学者が最新の科学的データを基に策定したことから科学的説明が容易であるが、残留基準が定められていない物質に対して一律基準として0.01ppmが適用されることについては、科学的説明は難しい。散布対象の作物の残留基準よりも格段に厳しい0.01ppmが、風で流されて近くの別の作物に付着した場合に適用されることから、生産者は「ドリフト対策」に頭を痛めている。散布対象作物より厳しい基準を適用しなければならない科学的根拠を尋ねられる科学者は、まさに「沈黙の春」である。
そもそも、こうした情況が生まれた背景として、安全性の考え方に関する国民的合意がないことが大きい。社会政治的判断に基づいて設けられた0.01ppmという一律基準の可否を論ずることは、自然科学の範疇を超えており、まさに国民的合意に係る問題である。他方、1994年のウルグアイラウンド合意以降、農産物の国際取引は加速しており、国際的安全基準がもつ意義は益々大きくなっている。国際基準と国内基準の調和を図らないと、国内に流通する食品にダブル・スタンダードが起きてしまう。ポジティブリスト制度の狙いは、輸入食品から日本では許可されていない農薬等が検出される事態が続いたことに対する予防措置にあったが、国内生産が一律基準の落し穴に嵌ったのである。この落し穴は、事前に予測されたものであり、初年度の市場検査によってどれだけの一律基準超過事例が報告され、それに対してどの程度の社会的反響が起きるのかが危惧される。
国際基準と国内基準の調和を図るためには、国際的な安全性の考え方について国民の理解度を深めることが最も重要である。異なる物差しを当てて議論しても、収拾がつかないのであり、世界流通している食品に適用される安全性基準についての考え方を説明していきたい。(20061010 つづく)
次回は「化学物質の用量・反応関係」