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気仙坂

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弾丸より強い投票
☆★☆★2008年09月27日付

 「政界は一寸先が闇」に始まり、「苛政は虎よりも猛し」など、政治にまつわる格言は多い。ネットや格言集をちょっと覗いただけでも際限がないほどで、むしろ誰でも政治に一家言持つことこそ民主主義には大事かもしれない。
 明日にも衆院解散を控える時期だけに、政治や政治家絡みの格言を取り上げてみたいが、「『自己がすべてである。他はとるに足りない』――これが独裁政治・貴族政治と、その支持者の考え方である」は、フランスの警句家シャンフォールの言葉だという。
 現代日本で独裁政治はありえないものの、自己がすべての言葉から“俺がスター内閣”の麻生太郎新首相をついつい連想してしまった。しかし、シャンフォールは「『自己は他者である。他者は白己である』――これが民衆とその支持者の政治である」と続けてもいる。自己を他者として国民の苦しみを理解した政治を行うかどうか、今後の仕事ぶりを拝見させてもらうこととしたい。
 「下院のために選挙が存在するのであって、選挙のために下院が存在するのではない」は、イギリスの首相を務めたウィリアム・ピットの言葉。本来、衆院の解散は党利党略で行うべきものではないのだということを、新首相には忘れてほしくない。
 「国民を短期的に欺くことは可能だが、長期的に欺くことは不可能だ」との格言もある。いくら大衆受けする公約を並べても、国民を長期に欺くことはできないものだということは、各党・各政治家にも肝に銘じてもらいたい。
 むしろ国の置かれた状態が困難であればあるほど、一時しのぎでなくしっかりとした政策を打ち出すべきだ。たとえそれが苦いものでも、良薬であれば国民は確実に受け止めるだろう。
 「権力は人を酔わせる。酒に酔った者はいつか醒めるが、権力に酔ってしまった者は、醒めることを知らない」。これはアメリカの政治家ジェームズ・バーンズの言葉だという。権力ほしさの政治からは早く醒めてほしいものだ。
 「政治の目的は善をなすに易(やす)く、悪をなすに難き社会をつくるにあり」はイギリスの政治家グラッドストン、「人間は自然のままならば善である。現代の社会組織によってのみ邪悪にさせられる」はフランスの哲学者ルソーの言葉とされる。
 工業向けの事故米を食用に加工し、“濡れ手に粉”のぼろ儲けをしていた経営者がいた。一時は旨い汁を吸っても、悪事は天知る、地知る、人知る。もともと善だったのに、どのような現代の社会組織が邪悪なもうけに走らせたものか。
 「政治においては、世襲の権利によって統(す)べる愚かな殿様ひとりのほうが、権勢を欲しがってなぐり合いをする無数の生半可な利口者よりも危険性が少ない」は、パスカルの言葉。自民・民主二大政党の真っ向対決は良いとして、生半可な“あめ玉公約”ばかりでは、ツケの反動こそ心配だ。
 イギリスの政治学者ハロルド・ラスキは、「少数者がきわめて富み、多数者がきわめて貧しいために、人々がたえず自分の富もしくは貧困を考えざるを得ないような社会は、実は戦争状態にある社会である」と語った。日本はいま、戦争状態を迎えているのか。
 アメリカの神学者ジェームス・フリーマン・クラークは「政治屋は次の選挙のことを考え、政治家は次の時代のことを考える」と語り、リンカーンは「投票は弾丸よりも強い」と言い切った。政治屋と政治家をどう見極めるか。
 「イギリスの人民は自由だと思っているが、それは大間違いである。彼らが自由なのは、議員を選挙する間だけのことであって、議員が選ばれるや否や、イギリス人民は彼らの奴隷となり、無に帰してしまう」(ルソー)ともされるだけに、有権者自身もまたしっかりしなければならないようだ。(谷)

意外な肩凝りの原因
☆★☆★2008年09月26日付

 実は、私は“凝り性”なのだ。はまってしまうと、とことん凝らないと気がすまない。読む本にしてもそうだ。一度気に入ってしまえば、その作家の本を全て読まずにはいられない。
 そんな私が最近また、少しばかり凝り出したものがある。と言っても、こちらは “凝り性”ならぬ
“凝り症”。
 実は、私は自他ともに認める「肩凝り症」でもあるのだ。肩が張って張って、頭まで痛くなる。我慢ができず、週一回ペースでマッサージに通った時期もあった。
 数年前、出かけた先でマッサージを受けた時のこと。私の職業など知らないマッサージ師さんが肩をもみながら尋ねてきたものだ。
「お客さんは海の仕事をなさってるんですか?」
「?????」
 返答に困ってしまった。
 自慢ではないが、“ペンより重い物”を持ったことがない。しかも、当時の体はと言えば、緩みきって肥満状態にあった。
 そんな私のことを、こともあろうに「浜の漁師さん」と間違えたのだ。肩だけ触れれば、そう思わせるほど、私の肩は固く、パンパンに張っていたに違いない。
 肩凝りの原因を調べてみると、どの資料も長時間の無理な姿勢やデスクワーク、ストレス、運動不足などを挙げている。馴染みのマッサージ師さんに言わせれば、私の場合はパソコンを使うことによる眼精疲労も原因の一つとか。まっ、これは仕事柄、致し方ない。
 ところが、私の肩凝りにはもう一つ、思いがけない“原因”があったようだ。
 話は昨年暮れにさかのぼる。一部上場企業の社長も務めたSさん(東京)にインタビューした折、宗教や信仰に話題が広がった。
 合いの手を入れるつもりでついつい、口をはさんだ。
「私も朝晩、お仏壇にお参りを欠かさないんです。長女が大学受験なので今は毎日、仏様やご先祖様に『何とか合格させてください』とお願いしてます」
 私の話に表情を強ばらせたSさん。余計なことかもしれないが、と前置きし、その昔、あるご住職から教えられた話を語り始めた。
 聞けば、Sさんはご住職に、
「お願いごとをするのは神様。仏様とご先祖は感謝するもの。それなのに、仏様やご先祖にお願いごとばっかりするバカがいる」
 そう、叱られたのだという。
 仏様やご先祖様にお願いごとをするとどうなるか。いわく、
「極楽にいる仏様やご先祖が『おまえ、大丈夫か!大丈夫か!』ってみんな寄ってきて、肩に乗る。だから肩が凝る。肩が凝って、しまいには体を壊すことになる」
 では、肩が凝らないようにするには、どうすればいいのか。
 「『今日も一日無事でした』と仏様とご先祖に感謝する。そうすると、肩に乗っていた仏様やご先祖は上がっていき、肩の荷がなくなり、健康体に戻る。そして、仏様とご先祖は高い位置から見守ってくれる」
 そう聞かされて以来、Sさんも仏壇に向かっては、「今日もありがとうございました」としか言わなくなった、とのことだった。
 思えば、それまでの私は毎朝毎晩仏壇に向かい、あれやこれやとお願いごとばかりしてきた。これでは仏様もご先祖様も、さぞや、心配でならなかったに違いない。
 Sさんの話を拝聴して以来、私も“宗旨替え”をした。おかげさまで、今年に入ってからマッサージへ行く回数が減った。家人には笑われるが、私は何につけ、その気になりやすい質でもある。
 もちろん、私の肩凝りの最大要因が運動不足にあることは、私自身が一番よく知っている。
 さて、今度は次女が受験の時を迎えている。今回はSさんの教えに従い、願掛けしながら、神様方に合格を祈願する日々だ。祈り、願うしか、頑張る娘を応援してあげられない父でもある。(下)

賢治と種山ケ原と先駆者たち
☆★☆★2008年09月25日付

 広大な草原が広がる種山ケ原を、車で走った。
 宮沢賢治が「海かと思ったら光る山だった」と詩に詠んだように、幾重にも連なる草原が輝き、光る海のようだった。
 その種山ケ原の一角で、白いんげんの栽培研究が行われている。今年の収穫作業が始まったというので、先日、取材に向かった。場所は、住田町側にある旧肉牛生産公社住田第二牧場の跡地。畜舎など何棟もの大型施設がもったいないことに朽ち始めていた。廃虚のようなその場所を過ぎて、どんどん走っていくと、未舗装の道路沿いにススキが波のように揺れ、開放的な空間が広がり、賢治の詩や童話の世界に誘われるような感覚を覚えた。
 牧歌的な風景の中で、白いんげんが栽培されていた。牧場跡の遊休地を活用して、気仙地区の建設業と食品製造業の三社の異業種連携による食品原料契約栽培システム構築研究会が、種山ケ原の冷涼な気候を生かして菓子や味噌・醤油の原料となる白いんげんや大豆を作付けている。
 県内では珍しい白いんげんの栽培にそこで挑んでおり、丁寧に耕された畑が創る美しい景観。その大地に立つ研究会のメンバーは先駆者(パイオニア)の風ぼうを漂わせて、それぞれが産業おこし、地域活性化への熱い思いを語っていた。
 「山はとんでもねえ力を持ってる」が、宮沢賢治の口癖だったという。
 稗貫郡立稗貫農学校(のちの県立花巻農学校)の教諭となった賢治は、生徒を誘い山歩きしたという。種山ケ原にもよく訪れ、詩や童話「風の又三郎」、戯曲「種山ケ原の夜」など賢治の作品の源泉となった種山ケ原の自然風景は、国の名勝「イーハトーブの風景地」にも指定されている。
 今月二十一日は、三十七歳で亡くなった宮沢賢治の命日。ちょうど命日のころ、仙台在住の宮沢賢治学会イーハトーブセンター会員の佐藤成さん(陸前高田市小友町出身)から、「イーハトーブ農学校の賢治先生」(「佼成」に連載)と題する漫画が届いた。原作が佐藤さんで、漫画家の魚戸おさむさん作画のその漫画を、第一回の時に贈呈して頂き、今回はその続きが送られてきた。全二十四回連載予定とかで、賢治の熱血教師像を紹介している。
 それによると、賢治は八教科の授業を受け持ったが、作物の教科書の内容が関東地方中心に書かれ、岩手の農業試験場の資料とはだいぶ違っていたため、岩手の農業や花巻の稲作とは合わないとして、「君たちは東京や九州で農業をするわけではないのだから、岩手の農業を知ることが大切です。教科書は参考程度にしなさい」と言って、黒板に丹念に必要な知識や情報を書き、生徒が分かるまで何度も繰り返し説明したというエピソードを紹介している。農業実習も楽しく愉快なものだったという。
 「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」という文章で知られる賢治の「農民藝術概論綱要」の序論は、「おれたちはみな農民である ずいぶん忙しく仕事もつらい もっと明るく生き生きと生活をする道を見付けたい」という文章で始まる。
 概論の後半では、「おお朋(とも)だちよ いっしょに正しい力を併せ われらのすべての田園とわれらのすべての生活を一つの巨きな第四次元の藝術に創りあげようではないか」と呼びかけ、さらに「われらに要るものは銀河を包む透明な意思巨きな力と熱である…われらの前途は輝きながら峻険である」と述べている。
 賢治は二十代のころ、気仙で仕事に従事したい、働きたいと願っていた。その賢治ゆかりの気仙で、種山ケ原で、いま、峻険な夢に挑む先駆者たち。その前途を見守り、声援を送りたい。(ゆ)

居心地の良い空間
☆★☆★2008年09月24日付

 東京近郊に住んでいた大学時代、本の時間に浸りたい時、ホームタウンがあった。電車に乗り、池袋に向かうことが多かった。
 池袋駅から南方向に歩き、「リブロ池袋本店」がある。さらに少し移動すると「ジュンク堂池袋本店」が立地している。どちらも全国規模の書店企業で本店を名乗るだけあり、デパートのような造りをエスカレーターで移動する。各フロアで足を止めるうちに、半日は過ごすことができた。
 洋書も豊富で、本棚を回るだけで感性が刺激されるような気がするリブロと、おそらく滅多に売れない専門図書も充実しているジュンク堂。オススメの本や、入荷する図書は微妙に異なり、両店を巡るだけで本を二、三冊読みきったような充実感を得られた。
 今では珍しくなくなったが、当たり前のように備えられていた共通点があった。溢れるような本とともに、各階に置いてある椅子。何冊か手にして椅子に座り、机まである空間で周囲を気にすることなく読むことができる。
 一見、冷やかしで訪れる“座り読み”ばかりを招き、売り上げに貢献しない印象を抱く。しかし巨大書店では、本を買うというよりも、選ぶという表現が近い。
 じっくり本を選ぶことで、購入後にページをめくってもハズレが少なくなる。その傾向は書店への信頼となり、タイトルや作家名、事前の評判などで購入するインターネットとは大きな違いとなる。
 腰を落ち着かせて時間を過ごせることも、大きな理由だった。椅子がなければ、両店を回る体力と気力はなかなかわかないような気がする。巨大なスペースに、自分の時間を見つけることができた。
 加えて、両店の近くにはコーヒーチェーンのスターバックスがあった。今では全国各地に店舗を構えるが、当時はまだ首都圏に出始めたばかり。店内に入り、どちらかの書店で買った本を開いた。
 豆の違いや挽き方、香りなどコーヒーでウンチクを語る通ではないが、チェーン店としてはソファの座り心地が抜群だった。安価なコーヒー店では長時間座ると椅子の固さが気になりはじめ、飲んだら早く出て行って、というメッセージに感じることもある。
 書店もコーヒー店も、商品自体の明確な違いで選んでいた訳ではなかった。与えられた空間や時間の中に、居心地の良い場所を見つけることができた。抽象的な表現だが、しかし自分にとっては足を運ぶ十分な理由となった。
 今、大船渡市内では市民文化会館「リアスホール」の建設が大詰めの段階を迎えている。千百席を誇る大ホール、一体的に整備される図書館などの施設機能や運営、集客や芸術性が求められる事業企画に関心が高まっている。
 国道を通るたびに思わず見上げてしまう巨大な施設だが、その一方で、会館の中に落ち着いて自分の時間を感じられるスペースはあるだろうか。また、我々が見つけることはできるだろうか。
 著名な出演者による舞台を鑑賞する、趣味を楽しむ、本を借りるといった目的で足を運ぶのはもちろんだが、居心地の良さや落ち着ける時間を楽しむために訪れることがあってもいい。どんな時間帯であっても、何気なく訪れる住民の姿があることは、愛着ある施設といえる大きな証しとなる。
 一つの椅子、窓から広がる景色、植栽された木々、コンクリートの構造美など、それぞれが居心地の良さを感じられる空間を見つけてほしいと思う。複合的で多様な性格を持つ施設であり、季節や曜日によっても違った時間が流れる。
 二十八日には現場見学会が企画されている。この先数十年にわたって、施設の成長を見守る使命が住民には課せられている。多数の動員を考え、アイデアを膨らませることも大事だが、まずは一人の利用者として足を踏み入れ、その空間を知ることから運営という長い歴史は始まる気がする(壮)

加速度的に進むエコ技術
☆★☆★2008年09月23日付

 大船渡商工会議所のエコ先進地視察団(団長=宮沢信平副会頭)の一員として今月上旬に幕張メッセで開催された「エコメッセ2008inちば」をのぞいてきた。千葉県をはじめとする県内自治体と、エコ問題と取り組む民間団体、企業、NPOなどの活動実践例を紹介するローカルなイベントだが、産官学が文字通り一体となったその積極的な展開には感心させられ、実際収穫も多かった。
 事前から特に関心を抱いていたのは参考出品される電気自動車、燃料電池車で、現物を間近で見る機会など滅多にないため、これは千載一遇の好機だった。展示車はいずれも搭乗体験ができるようになっていて、これは希望者殺到で長蛇の列が出来上がっていたため、外から眺めるだけで我慢した。電気自動車が静かなことは当然だが、水素と酸素の化学反応によって発電した電気エネルギーでモーターを回す燃料電池車も同様。水素を燃料としてロータリーエンジンを回す水素燃料車もこれまたクール。しかし見なくとも理屈のわかる電気自動車はともかく、水素自動車、燃料電池車の中味がどうなっているのかエンジンルームを開けて見せてくれと頼んだが、企業秘密とかでそれはかなわず。
 東京電力が自動車メーカー各社と提携して電気自動車開発に力を入れているのは容易に理解できるが、展示出品された燃料電池車を提供していたのが石油元売りの「出光」だったことは意外だった。しかし化石燃料の代替として次なるエネルギーの開発が進めば、いずれガソリンスタンドには新たな商品が登場する。生き残りのためにはもはや化石燃料にだけ拘っていられないという、未来を見据えた選択なのだろう。自動車向け水素供給インフラの整備・普及を視野に入れた見事な取り組みだといえよう。
 一県単独のイベントであるにもかかわらず、いや、だからこそかえってこのイベントの持つ意味を考えさせられた。地球上からいかに二酸化炭素を減らし、その排出の最大の元となっている化石燃料に代わるクリーンなエネルギーをどうやって生み出すか、そして使わずムダにしている資源に命を吹き込み、社会生活の中で活用して行くためにはどのようなことが考えられるのか、いま地球は有史上最大の課題を突きつけられている。つまり時代のキーワードは、「脳の活用」といえまいか。資源を最大限に活かしつつ新たなるエネルギーをも開発し、しかし二酸化炭素を出さないという、ある意味では二律背反する目的を達成するためには、徹底的に頭を使うことが求められ、それが喫緊の課題になっているというところに、この時代の象徴的な一面があると思う。
 このところバイオエタノール、バイオディーゼルに関する取り組みが次々と報道されている。住友商事、双日などの商社がブラジルで現地企業と合弁会社を設立したのは現実的選択だが、エタノールをトウモロコシや大豆などの食料からではなく、競合しない有機物質から取り出す試みが内外で盛んになっている。
 米国では油を含む藻からエタノールを抽出する研究がベンチャービジネスとして競うように始まっており、コストの問題さえ解決すれば有望な代替燃料となりそうだという。国内でもさまざまな植物を使ったエタノール抽出技術が開発されているが、昨日のNHKによると、秋田県ではそれぞれ杉とワラを使った別々の研究が進められており、これがやはり実用化はコスト次第というところまでさしかかった。いずれも酵素と酵母を使って原料を糖化させ、そこからエタノールを取り出す仕組みだが、これまでは厄介な繊維質を分解する酵素や発酵させる酵母が見つからずに難渋していた。それが関係者のたゆまぬ努力によって解決、あとは収集や運搬のコストをどう削減するかにかかっている。以前小欄で書いた竹のエタノール化も実用化はそう遠い将来ではないと思う。(英)

「ブランド」をめぐって
☆★☆★2008年09月21日付

 松下電器産業(株)といえば「ナショナル」のブランド(商標)で多くの家庭電化製品を製造、販売し、ナショナルの洗濯機、ナショナルのテレビ、ナショナルの○○○などと、ブランドは社名をさしおいて有名だ。その長い歴史を持つ社名とブランドが今月限りで姿を消し、「パナソニック」に統一されるという。
 松下電器は経営の神様と称された故・松下幸之助氏が大正六年、大阪で妻と妻の弟(井植歳男氏=三洋電機創業者)の三人でソケットの製造販売を始めたのがルーツ。同十年、今なお見かける二股ソケットを発売して“ブレーク“し、昭和六年には当時の花形であるラジオの生産も始めて社業を伸張した。
 戦時中の軍需産業を経て、戦後は洗濯機や冷蔵庫、テレビなど家庭電化製品を相次いで発売し、高度成長の波にも乗って業績を拡大。全国に初の系列店(ナショナル店会)を展開して販売網を強化する一方、多くの民放ラジオ、テレビ番組、あるいはスポーツイベントのスポンサーとなって自社製品とブランドをアピール。松下電工などの子会社とともに松下グループを構成し、業界トップとして“君臨”してきた。
 その「ナショナル」ブランドは昭和二年の自転車用ランプから使い始めたというから、八十年を超す歴史を持つことになる。技術革新の著しい電機業界にあって、息の長さは驚異的。ブランド力は時代とともに衰退していくからだ。それだけ国民生活に深く浸透し、替えたくても替えられないお家事情にあったと想像がつく。
 一方の「パナソニック」ブランドは昭和三十年、特異な形状ながら一世を風靡したスピーカーの輸出に際して初めて使用。以後、主に海外向け製品に使っていたが、国内でも昭和六十年代からパソコンや音響、映像製品などに採用し、新たなイメージづくりに意を注いでいた。若い世代にはこちらのほうがお馴染みだろう。
 社名とブランドの変更、統一は「国内外においてパナソニックが浸透している」「事業をよりグローバルに展開する」などとして今年一月に発表され、六月の株主総会で十月から正式にパナソニック(株)と「パナソニック」ブランドをスタートさせることで全会一致。が、社名から創業者にちなむ「松下」と、長く親しんできた「ナショナル」ブランドがなくなることに、複雑な思いを抱く株主やファンも少なくないようだ。
 「ナショナル」は「国民の…」という意味だが、国家主義の会社と取られかねないこと、すでに商標登録がなされていたことなどから、海外向け製品にパナソニックを決めたと伝えられる。パナソニックは「全ての…」を意味するPAN、「音」を意味するSONICを合わせた造語。
 十月以降、パナソニックの洗濯機、パナソニックの冷蔵庫などとして出荷されるという。そうした白物家電や電気雑貨と、通信、音響、産業機器のブランドが同じになることに違和感は否めないが、そうした意識自体が時代遅れで、新たな飛躍の妨げになるのだろう。統一ブランドがどう浸透していくのか、注視していきたい。
 ブランドといえば、「南部鐵器」の申請が発覚した中国における商標登録の問題で、新たに「岩手」や「三陸」が登録されていたことが分かったという。県大連事務所から寄せられた情報で、「岩手」は中国人名義で登録申請され、缶詰、きのこ、肉厚シイタケ、豆腐、漬物の商品を、「三陸」は別の業者が飼料、警報機、電話機、計算機、繊維を登録しているとか。
 本県が一次産物やその加工品、伝統工芸品などの中国参入で地域活性化を図ろうという取り組みを進めている矢先で、冷水を浴びせられた感がある。登録された「三陸」(陸の漢字は簡略体)には、本家である我が三陸の水産物の名はないようだ。
 「三陸」は「ナショナル」に匹敵(?)する全国ブランド。「SANRIKU」も国際的な認知度は低くないはず。どう対応すればよいかすぐに思いつかないが、将来を見通した場合、早急に手を打たなければならない課題である。(野)

生け垣とスズカケ
☆★☆★2008年09月20日付

 
 出来秋の到来とともに、今まさに政界は"決戦の秋"を迎えようとしている。衆参両院で与野党の政治勢力が逆転する「ねじれ国会」の中、天王山となる総選挙が、十月にも実施されようとしている。
 衆院の解散権を握るのは首相だが、すでに福田康夫首相は「客観的な判断」でその権利を放棄。次期自民党総裁に一任することを決めているが、十八日には総裁候補五人のうち四人が岩手入りし、一関市内で遊説を行った。
 伝えられるところでは、県内でも全国的にも麻生太郎幹事長の優勢は動かないとの見方だが、その麻生氏は天文学的借金を抱える国家財政について「向こう三年は消費税の引き上げを考えない」と明言している。
 国民の間では、行革抜きの増税には猛反発する空気が強いだけに、消費税率据え置きは一定の評価はなされるとは思う。しかし、麻生公約にはどこか「当面」のにおいがしないでもない。任期中は難しい問題はできるだけ先送りし、自分は?名君?として大過なき足跡を残せればよい、とのニュアンスにも受け取られる。
 日本経済は、資源が乏しい国だけに貿易立国として屋台骨を支える必要がある。だからといって、特定地域や特定企業だけが栄えればそれでよいとはならない。東京一極集中による中央と地方の格差、非正規雇用者が全労働者の三分の一に達した雇用情勢変質に伴う社会不安、それに伴う急速な少子高齢化の進行など、長期的な課題も山積している。
 十八日に発表された地価調査でも、人口減少の影響で地方は地価下落に歯止めがかからない。その一方で、三大都市圏や一部の地方大都市では伸び鈍化とはいえ、地価上昇している所もあり、経済格差の拡大が年毎にはっきりしてきている。
 人口や産業集積のないところに投資効果がないというのは、民間の立場では致し方ないとしても、公共政策の筆頭を担う国政もまた、その考えかたで良いのだろうか。
 多くの人が知っているイソップ物語に、「生け垣とブドウ畑」という話がある。父親から財産を引き継いだ跡取りの若者が、もっと生産を上げようと考えた。そこで、ブドウ畑のまわりの生け垣は「実を実らせるわけではないし、何の役にも立たない」と思って、使用人に全部取り払わせてしまった。
 その心は、生け垣の後に何か有用な物を植えようとでも考えていたのだろうが、畑を守っていた生け垣がなくなった結果、人も動物も自由に入れるようになってしまい、やがてブドウの木はすっかり台なしになってしまった、という話だ。
 もう一つ、そっくり似た話がイソップ物語にある。「スズカケの木」の話だ。ある夏の暑い日、旅人たちが真昼の太陽にやりきれなくなって、近くにあった一本のスズカケの木を見つけ、その木陰に休んだ。しかし、旅人たちが互いに言うには「実のならないスズカケなど、人間にとってなんと役に立たない木なんだろう」。
 確かに、生け垣はブドウを実らせはしないし、スズカケもまた豊かな実りをもたらす木ではない。しかし、それらはそれぞれに存在の意味も価値もあることを、それらが無くなるまでは気が付かない人間もいる。
 生け垣撤去の影響はやや時間が経ってから生じたが、スズカケの木など今まさにその恩恵を受けているばかりなのに、「実をつけない」との理由で「全く役立たず」と評価している旅人たち。これと同じような考えしか持てない政治家や官僚がいないだろうか。
 地方には人口がない、だから投資効果がなく、ますます寂れて当然。むしろ都市部に人口を集中させ、効率よくサービスを集中させよう――などと考えたら、いずれブドウ畑の若者と同じ過ちを犯すことになる。地方の自然や人情、文化、産物がどれほど都市部に恩恵をもたらしているか。その価値が分かるかなあ、分かってほしいんだけどなあ…。  (谷)
 

上有住マップツアー
☆★☆★2008年09月19日付

 先日、住田町上有住地区で行われた同地区マップツアーに同行した。
 町の総合発展計画に盛られた地区別計画実現に向けて活動する、同地区計画推進協議会が主催した催し。同協議会が作った地元マップをもとに史跡名勝をめぐり、地区民に上有住のよさを再認識してもらうことを目的としたもの。
 この日は地元の人だけでなく、隣の下有住地区の親子らも参加した。暑いぐらいの好天のもと、「めがね橋」「上有住城跡」「八幡神社の御神木」「つきのき渕」「鏡岩」の地区内五カ所を訪ね歩いた。
 住田担当を仰せつかって二年目の当方、「めがね橋」と「鏡岩」は写真撮影で何度か足を運んだことがあるが、そのほかの三カ所はこの日初めて訪ねた場所だった。
 「上有住城跡」には、有住中校庭を通り抜け、同校の生徒たちが体力づくりに取り組む森の中のマラソンコースを歩いて向かった。道すがら、協議会のメンバーから九両ケ池と同校付近の地名のもととなった櫃割(ひつわり)長者の話を聞く。
 櫃割長者の伝説で以前聞いたことがあるのは、「大金持ちの長者が庭の真ん中にある大きな池で魚ではなく九両をすくった。やがて大判で蔵が埋まり、入れ物に困って櫃に入れたら櫃が割れたことから、この池を九両ケ池、長者を櫃割長者と呼ぶようになった」というものだった。
 この日聞いたのは、「働き者の農民が開墾のため池を埋めようとしたところ、老人が現れ『毎朝ひしゃく一杯の金をやる代わり埋めないでほしい』と言い、その言葉どおりにした働き者は、櫃を割るほどの財をなして長者になった」とのこと。
 どちらが“正史”か尋ねるのは野暮というもの。昔話の現場を見ながらの説明は、一層想像をかき立てさせてくれた。
 八日町地域を望む高台にある城跡は現在、ブランコなど遊具が置かれ、公園となっている。一角に立てられた看板によれば、東西五百メートル、南北二百五十メートルにもおよぶ超大型の山城で、奥州葛西領六郡における拠点として、南部氏へのにらみをきかせた、という。展望台に上ってみたが、床板が腐り気味だったのと、生い茂る木の葉で遠くまで望めなかったのが、少し残念だった。
 近くにある八幡神社では、御神木の「威徳杉」を眺めた。樹齢四百年以上といい、高さは三十三・五メートル、幹回りは八メートルほどあるという巨木で、大船渡市三陸町越喜来の「大王杉」、陸前高田市小友町の「姥杉」に次いで気仙三番目の大きな杉だとか。ぐっと見上げても先端が見えないほどの高さがあり、テレビで見た屋久島の杉との既視感を覚えるとともに圧倒された。
 神社の石段を下り、八日町に入る橋に近い「つきのき渕」へ。かつて小中学生がプール代わりに泳いだ深い渕で、参加者の中には「懐かしい」の声も。そこから「めがね橋」につながる水路伝いに歩き、有住中のテニスコートそばに出たところで、ちょうど次の取材へ向かう時間となっており、一足早くゴールを迎えた。
 「地元の人間が地元のよさを再認識する」との主目的があったツアーで、地元の人のみぞ知る、という観点も踏まえながらの見学であったわけだが、よそ者のこちらの目にはとても新鮮に映り、また歩いてみたいという気持ちを覚えた。
 山、川、海の自然に恵まれ、風光明美なわれらが気仙。普段、何気なく通り過ぎている場所も、今回のツアーのようにちょっと足を止め視点を変えてみれば、そこには新しい感動や発見があるかもしれない。外への情報発信だけでなく、まずは地元が地元をよく知ることが大切だと、改めて認識させられた一日だった。(弘)

「時代考証」で出番逸す
☆★☆★2008年09月18日付

 NHK総合テレビで今月からスタートした時代劇ドラマ「陽炎の辻2〜居眠り磐音、江戸双紙〜」。そのロケが、先ごろ大船渡市赤崎町蛸ノ浦で行われたことが、本紙上で報じられていた。
 大船渡での撮影は、八年前に同じく蛸ノ浦で行われた司馬遼太郎原作のドラマ「菜の花の沖」を制作した関係者が「陽炎の辻2」にも加わっていることから実現したという。
 今回は、残念ながらエキストラ役は回ってこなかったが、八年前に“ちょい役”で(菜の花の沖に)出演した時のことを思い出し、ひとりで苦笑いしている。
 よく時代劇ドラマのエンドロールを見ていると、そこには頻繁に「時代考証」という表記が登場する。その役割は文字通り、いろいろな資料から当時の生活を調べて、番組内容を歴史的にチェックするものだ。
 その時代、時代に流行った髪型や衣装、習慣、言葉づかい、所作、食べ物など、古文書や絵巻物などと照らし合わせる。実は、エキストラでの苦い思い出は、この「時代考証」にあった。
 「菜の花の沖」ロケでは、名優・竹中直人さん演じる豪商・高田屋嘉兵衛を船着き場まで見送る「松前藩の官吏」という役柄をもらった。今でいえば渉外係の県職員のようなものだ。頭にちょんまげを乗せ、パリッとした裃(かみしも)を着せられた。
 そこまでは、よかった。カメリハでもしっかり竹中さんの横に並び、好位置をキープ。あとは画面にアップで登場するシーンを待つばかりだった。それが、何とオンエアでは見事にカット。役者デビューは徒労に終わった。
 あとで分かったことだが、自分が身に着けていた裃が、時代考証人からクレームがついた。衣装スタッフが選んで着せてくれたのだから、自分に非はない。が、その衣装が幕末時代にはありえないデザインと家紋がついていたのが運のツキ。
 自分の記憶では、それは元禄時代の衣装だったらしい。きっと、赤穂浪士のドラマにでも使われたのかもしれない。そのうえ自分の体型がLLサイズだったし、当時の“木っ端役人”からすれば少々メタボ気味だったのも、時代考証人には違和感があったのかもしれない。
 いずれ、「時代考証で出番を逸した」ことに違いはなかった。せめてものお情けか、テレビ放映では、かなりカメラを引いて、自分の背中が小さく映っていた。もちろんそれに気づいたのは本人だけだと思うが。
 それからというもの、時代考証には自分なりにかなりうるさくなったつもりだ。「水戸黄門」でも「篤姫」でも、「ちょっとここはおかしいぞ」とつねに色眼鏡で見ている。
 杉浦日向子さんという江戸風俗研究の第一人者がいた。NHK「お江戸でござる」では、時代考証家としてレギュラー出演していた。確か、数年前に亡くなられたと記憶しているが、時代劇ドラマの「間違い」をズバズバ指摘する場面は、痛快だった。
 例えば、履き物一つとっても、戦国時代の人は土ぼこりで汚れるので、ほとんど素足で生活していた。しかし、衣装スタッフは決まりごとのように足袋をはかせたがる。だから「それはおかしい」と物申す。飲み屋の徳利(とっくり)の出口が盃のように開いていたりすると、「当時はおちょぼ口のはず」とバッサリ切り捨てた。
 昔の女性は、結婚すると「お歯黒」にするはずなのに、今の時代劇ではめったに見ることはない。女優さんがいやがるからと言ってしまえばそれまでだが、やっぱり過去の歴史と時代劇の世界はキチッとした時代考証に基づいて再現してほしいものだ。
 「陽炎の辻2」は、NHK総合では毎週土曜日午後七時半から三十分枠(全十二回)。大船渡で撮影されたシーンは第九話(十一月一日)で放映される予定という。船着場セットでの撮影のほか、気仙船大工の技術を結集した千石船『気仙丸』も登場する。
 さぁ、時代考証人の出番がやってきた。(孝)

「食品の裏側」に驚き
☆★☆★2008年09月17日付

 「事故米」に関するニュースが連日にわたってマスコミをにぎわしている。この米は外国産米を含め、国が買い取って保管、販売する政府米のうち、水で濡れてしまったり、基準値を超える残留農薬が検出されたり、発がん性のカビ毒に汚染されたものなど、工業用のりなどにしか使用されない非食用という。農水省によると、販売価格は一キロ当たり十円前後で、食品加工用米の十分の一程度の安さらしい。
 この事故米を国から安く買い取り、焼酎の原料や食用として高値で販売していたことを報道されているのが米の卸売り加工業者・三笠フーズ(大阪市)。その危険性を十分に認識しながら数年間も不正に転売し続けてきた行為は、人の命にかかわる「食」に携わるものとして、悪質極まりないものといえる。
 食の安全性について、消費者の信頼感が失われ始めたのは平成十二年に発生した雪印乳業の乳製品による食中毒事件あたりからで、昨年は食肉加工販売会社・ミートホープ(北海道)の食品偽装が発覚。それ以後も、消費期限や賞味期限の表示偽装、産地偽装、消費期限切れ原料の使用といった事件が相次いでいる。
 これらのニュースが報道されるたびに、消費者は「一体何を信じて食事をすればいいのか」と、ただただ作り手の倫理観を疑うばかりである。
 先日、「食」に関してさらにショッキングな講演を聞く機会があった。というのも、陸前高田市の第三十一回健康のつどい(八月三十一日)と気仙地域産業活性化協議会の人材養成事業・食品の安全安心製造技術講座(今月一日)で講師を務めた食品ジャーナリスト・安部司氏(57)=北九州市在住=の語った内容が非常に興味深いものだった。
 安部氏は山口大文理学部化学科を卒業後、食品や添加物商社に勤務。トップセールスマンとなり、「添加物の神様」とまで呼ばれるようになった。退職後、海外で食品の開発輸入に携わるようになり、国内では無添加食品の開発や伝統食品の販売促進にかかわっている。
 食品添加物の現状や食生活の危機を訴えた著書『食品の裏側』(東洋経済新報社)は七十万部を突破するベストセラーとなっている。漫画「美味(おい)しんぼ」にも登場しているほどで、食品添加物研究の第一人者として知られている。
 両日の「食品の裏側」と題した講演で、安部氏は市販されている加工食品には保存性を高めたり、風味や色合いをよくするための添加物が多く含まれていることを指摘。「消費者は賞味期限を重視し、安く、食べるのが簡単で、便利で、見た目がきれいで、味が濃くておいしい食品を求めている」と説明し、「消費者の『安ければいい』との考えが業者の偽装につながっている」と言い切った。
 また、食品加工業者は植物や動物、昆虫などから特定の成分を抽出した安い添加物を駆使し、塩分や糖分を多く含んだ高カロリー食品を製造販売している実態を紹介。添加物を使った料理は安く、手間暇欠けず手軽に食べることができるなどのメリットがある一方、因果関係ははっきしないもののメタボ体型やキレやすい子どもたちの増加と「無関係ではないだろう」と強調した。
 食品添加物に溢れた現代社会において、無添加食品だけで生活するには難しい時代となっている。そうなると、食品添加物には利便性と危険性の両面あることを十分に理解した上で付き合っていくしかない。
 「飽食の時代」と言われて久しいが、「粗食」とまではいかないまでも、せめて地元でとれた安全安心な食材を無駄なく食べることに努めたいものである。さらに安心な食材を求めたいなら、自分で田畑を耕すしかない。長い人生を考え、“第二の人生”を健やかに暮らすためにも、今後は徐々に農業について学んでいきたいと思っている。(鵜)