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企画特集1

【アート】

ドキュメンタリー「フツーの仕事がしたい」

2008年09月25日

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「低い目線から社会を撮りたい」と話す映像ディレクター、土屋トカチさん=横浜市港北区

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大型車を運転する皆倉さん 「フツーの仕事がしたい」より

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皆倉さんが退社を迫られる場面 「フツーの仕事がしたい」より

 満足に眠ることなく走り続け、残業手当も社会保障もない。そんな生活の末、病気になって生死をさまよったトラック運転手。彼が人間らしい生活を取り戻すまでを撮り続けたドキュメンタリー「フツーの仕事がしたい」は、働く現場の「異常さ」に焦点を当てた作品だ。

 監督は横浜市港北区の映像ディレクター土屋トカチさん(37)。労働組合を通して知った都筑区のセメント輸送運転手の皆倉(かいくら)信和さん(37)を2年にわたり撮った。

 高校卒業後、皆倉さんは運送関係の仕事を転々とし、30歳のとき、大手セメント会社の孫請け会社に入った。

 勤務は過酷だった。朝から夕方まで働き、数時間の休憩を経て、今度は夜通しの運転を強いられた。ひどい時は1カ月552時間も働いたという。給料は歩合制。その給料も「経営が苦しい」という理由で予告もなく減らされた。

 社長は「嫌ならいつでもやめろ」が口癖。社員は次々に辞めた。「これが当たり前だと思っていた。感覚がまひしていた」

 06年夏、腸の病気・クローン病を発病し緊急手術。2週間意識が戻らず生死の境をさまよった。ストレスが原因だった。

 倒れる前、皆倉さんは個人でも入れる社外の労組に入った。会社からは「そんな組合やめろ」と圧力を受け、退職願を書くよう迫られた。拒むと、会社側は母親の葬儀にまで来て嫌がらせをした。

 劣悪な労働環境の改善を求めて、労組が親会社と交渉した結果、会社は廃業となって新会社が設立された。皆倉さんも新会社に移った。社会保障も整い、無理してスピードを出したり、過積載したりする必要もなくなったという。

 土屋監督自身も、勤めていた映像制作会社を「経営が苦しい」との理由で解雇されそうになった経験を持つ。記録用に撮り始めたが、多くの人に見てもらい、考えてもらいたいと映画化した。

 土屋監督は「『この業界では普通』『うちは特殊だから』と自分に言い聞かせながら働いている人が多いのではないか。フツーの仕事って何だろう。あなたはフツーに働いてますか」と問いかける。

     ◇

 10月11〜24日、ジャック&ベティで上映。

(三輪さち子)

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