今回のゲストはラノ漫―ライトノベルのマンガを本気で作る編集者の雑記―の多摩坂さんです。電撃大王でお仕事をする、現役の編集者でいらっしゃいます。『灼眼のシャナ』『狼と香辛料』『とある科学の超電磁砲』など、主にメディアミックス作品で活躍されています。
文字数47917、原稿用紙約120枚あります。気になるものから、ゆっくり読むことを推奨します。


■HNの由来について
■ブログのアクセスアップ
■ウェブマンガの未来
■マンガブログの流行
■マンガの次のメディア
■ニコニコ
■オススメのマンガ
■編集者のキッカケ
■大王の面白さ
■叩かれる価値
■喜ばれる努力
■編集者の仕事
■創作の真剣さ
■マンガ家列伝
■20本に1本は当たる
■10万部売れない作家
■同人流通
■編集者の役割
■メディアミックスの少なさ
■良いメディアミックスの作り方 - 『狼と香辛料』&『レールガン』の場合
■インデックスポーカー
■インデックスポーカーの売り時期
■アナログゲームへ恩返し
■編集者=黒子
■多摩坂さんが表に出る理由
■編集者の重要性
■マンガを編集者で選ぶ
■マンガ編集者のなり方
■編集者になれた理由
■色々な立場として

■HNの由来について


 なぜ「多摩坂」というHNなんですか?

多摩坂
 たまたまなんですけど、私はと学会ってグループに所属していまして。あそこはと学会として年に何冊か本を出してるんです。

 そこで初めて載せる時ペンネームが必要になった。最初に作ったペンネームが、五十音順でかなり早いもので始まってる。と学会の面子の名前が後の方でずらっと並んで、そこの一番上に来ちゃう感じだった。

 それはちょっと非常に心苦しいな、もっと下のところに行きたいな、と思って最初のペンネームを変えたんです。その時に姓が問題なわけです。名前だけ残して、その名前と韻を踏む形で、なんか面白い言葉はないかなって探した結果、多摩坂になった。

 実はあれ、多摩坂は途中で止まってて、多摩坂まさかっていうんですよ


 そうなんですか?

多摩坂
 ええ、最後に「まさか」。真実の真に逆。今まぎゃくって読む人多いんですが、本来まさかと読むんです。そこらへんがちょっと面白いな、と。で、「まさかまさか」って続くのが面白いな、と見てたら日本語の用語で「偶さか」ってのがありまして。「あれをほんじゃもじってみるか」っていう感じで今の名前になりました。

 実際に使ってみると、わりと座りがよかった。ていうか、今は元になった名前の部分が微妙に、恥ずかしいので使わなくなった結果、今に至る。字面的には何の意味もないです。


 本名かどうか迷いました。いそうないなそうな。

多摩坂
 「いっそ本名プレイにしたら」って編集長に言われたこともあるんですけど。まあ、やっぱりちょっとね。別に悪かないんですけど、質の悪いのに捕まると怖いよね、なんて。

 とはいえ、単行本なんかは本名で出してるんですけど。ウェブで本名公開するのと、自分の仕事に本名が載るのは、やっぱり広がり方の意味合いがだいぶ違うだろう。そういう意味で、ちょっと使い分けてますね。

■ブログのアクセスアップ


 そういえば、
多摩坂さんはブログも素早く人気が出ましたよね。

多摩坂
 やっぱり、チャンスって誰の手にも転がってくるんですよ。それをどう使うかなんですけれども。三木一馬が業務日誌にいらんことを書いたんで、ググッて誰か見に来るかなと思って「売れるライトノベルの作り方、コミカライズの作り方」を書いた。

 そしたら、偶さかカトゆー家断絶にリンクされた。そっから先は速いです。一回注目されれば、カトゆーさん見てるとこもいっぱいあるわけで。あとは他所の大手サイトさんが好きなタイプの話題は何かっていうところで、ゴルゴさんに広めていったり、かーずさんに繋げていったりとか。

 やっぱり、私らって凡人だし、そんな才能があるわけじゃないじゃないですか。知名度もないし。っていうことはどういうことかっていうと、脚光を浴びるっていう機会はホントに少ないわけです。その脚光を浴びたときに何をするか。もう、それで勝負が決まっちゃうんですよ。

 だから、ただ単に面白いものを思いついたじゃなくて、それで脚光を浴びる形を作れたら、そこで畳みかけて何をアピールするかって話ですね。

■ウェブマンガの未来


 ネットのインタビューなので、最初にネットの話を。現役編集者から見て、ウェブ雑誌はどうですか?

多摩坂
 雑誌っていう形にこだわってる段階でダメだと思います。だって、1つの雑誌に例えば20本のマンガが載ってるとします。17本はいらないんですよ。ウェブコミックっていって20本マンガが並んでても、見たいものしか見ませんって。ウェブコミックの場合、2,3読んだら、興味ないものはそもそもクリックする必要すらない。

 それは雑誌みたいな形を取ってる時点でちょっと古い。元々雑誌っていうのは読みたいマンガのついでに新しいものを読ませて、そっちの興味を喚起するってモデルじゃないですか。そういう宣伝の形を取ってる。

 言ってみりゃやらしいですよね、テレビの合間にCMが流れてるようなもので(笑) それをウェブでもやりたいっていうのはちょっと古いよね。そんなモデルに乗っからないもの。ウェブコミックのアクセス数とか聞きましたけど、ホントに、見たいものしか見ないですよ。


 作品によって、そんなに違ってるんですか?

多摩坂
 雑誌を読み流すどころの話じゃない。雑誌だったら、まだ読み流してても、なんかすごい目に付く上手い絵とか、変な台詞とかあったら、「ん?」ってちょっと手を止めたりすることもあるじゃないですか。そもそも、ウェブ雑誌はバラバラめくるというとこすらない。クリックしなかったら絶対見ないんだから。やっぱり、紙のものと同じモデルでは商売できませんよ。


 ウェブでマンガを売るのは難しいんでしょうか?

多摩坂
 一つは決済の観点、もう一つは手数料をどこまで落とせるかっていう問題。

 例えば、好きなマンガがあったとして、やっぱり単行本なら400円とか500円とか出すんですよ。紙のものとしてちゃんとしてあって、コレクター性もある。これがデータになると、やっぱりウェブはタダっていう意識がすごく強い。同じものだとしても、150円じゃ買わないでしょ。120円でも買わない気がするんです。かろうじて1つの作品で100円。

 でも、100円ってした場合、何が問題になるかというと、100円を決済したら手数料の方が高くつく。さらにいうと、その決済も18歳未満は、親の許可やらなんやらいるわけです。すごい敷居が高いですよ。

 まず、決済を可能にするシステムまでのハードルがあって、さらに小額決済をやろうにも手数料のモデルが成り立たない。小額決済ができない。やるにしても、今の形だと暗証番号どうのこうのっていってめんどくさい。とにかくめんどくさいんです。

 ここをクリアしないと無理ですね。逆に言うと、ここをクリアすれば可能です。


 技術的な問題なんですね。

多摩坂
 さらにいうと、出版社の人たちって、なんだかんだでウェブコミックにマンガが完全に移行することはない信じてる人が大部分。やっぱり紙は強いし、絶対に紙はなくならない、とという風に思ってる人が多いんですね。

 私はそれはウソだと思います。今のウェブコミックや携帯コミックが微妙なのは、使ってる道具が紙よりもアクセサビリティが低い。マンガってのはあったら手にとってすぐ開いて、自分の好きなペースで読めるわけです。この簡便さっていうのがやっぱり最大の武器なんですよね。

 これがウェブコミックだったら、まずパソコンを立ち上げて、そのサイトまで飛んで、その作品を選んで、さらにいうと、自分のペースで読むこともできないわけです。すごくめんどくさいですよね。そこの差に過ぎない。

 でも、逆に言うと、例えば、今のマンガ本よりも薄い端末ができて、マンガよりも簡便なもの。例えば、ディスプレイがあって、指の力をほんの少し左方向に加えるくわえる。そしたら、紙がめくれる、アクションをする。

 マンガ単行本だったらなかなか厚さとか手の大きさの関係で、そんなに完璧にコントロールできないじゃないですか。でも、この機械はマンガ雑誌、単行本より薄いから、ボタン操作でもっと絶妙に操作できて見れる。紙の単行本を完全に凌ぐツールっていうのが出たら、そっちに流れると思いますよ。


 iTunesやiPodみたいなものですか?

多摩坂
 そうそう。あれと同じものがマンガにできない、と何故言える。だって、iPodみたいなものがマンガで成立しちゃえば、自分が好きなマンガを今言った機械に全部ぶち込んで、いつでも好きなものを指の細かな、微妙な操作だけで、流して読めるわけです。そしたらそっち見ますよ。そういうものがまだ出てきてないだけ。

 まあ、なんでそういうとこに行ってないかっていうと、今はまだそれ以外のとこでのシェア争いってのがすごいわけです。例えば、最終的に、この業界がどういう風に流れるかっていったら、やっぱり個人の持ち歩く端末で誰が覇権を握るか。

 今なんだかんだでめんどくさいじゃないですか。携帯電話とPSPとiPod持って歩く。一つでいいやってなるわけで。で、今ある意味iPodも携帯電話もPSPも、どんどん機能を拡張していって、同じく携帯しているもののシェアを奪おうと動いていくわけじゃないですか。どれが勝つかって話でね(笑)

 そこで勝敗が完璧に決まってしまったら、それがもっと最適化していく。だから、今はiPodや携帯電話はライバルかもしれないけど、もっと他のものも取り込める。PSPは割りといい線いってますよね。パソコンとの連携とかもうちょっと進んでいってPSPが優勢になったらテレビのシェアを奪える。

 で、テレビのシェアをクリアしてしまったら、その後だったら別にボチボチマンガとか小説も切り崩しておくか(笑) まだまだマンガとかは市場規模が小さいから、後回しにされてるだけ。順番が来たら一瞬ですよ。そんな本気になったら勝てるわけないもの。

■マンガブログの流行


 出版社はマンガブログの流行をどう思ってるんですか?

多摩坂
 私はフリーランスで、一編集者ですので、出版社がどう思ってるかていうのはちょっと難しい。

 出版社はたぶん必要悪ていうか言っても止められるもんじゃないし、けなされるのは迷惑だけど、取り上げられて知名度が上がったり、注目される分にはいいってくらいじゃないかな。それ以上の意識はないかと。

 一部の大手のニュースサイトとかだと、最近は出版社から積極的に情報をリークする、というのはありますけども。秋田書店は何気に積極的ですよね。MOON PHASEチャンピオンRED系の情報を流して紹介してもらったり。

 私個人がどう思うかって話になるかっていうと、雑誌が潰れて、そのうちなくなっちゃうというのはもう止めようがない事実なので、それに代わる作品を知る媒体が必要である。であるからには、どうしてもニュースサイトとかマンガのサイトってのが、そういう役割を担うようになっていくんだろうな、って思ってます。

 元々オイルショック以降、マンガは単行本で利益を上げる、雑誌は赤字を垂れ流しってのが長く続いてて。なんで雑誌をやってるかっていったら、もちろん、原稿料を払ったり、締め切りを設定するとかもありますけど、宣伝要素が一番大きい。雑誌に連載してないと、どんなマンガがやってるのか分からない。

 逆に言うと、雑誌の赤字が宣伝費なんだと考えるんだったら、その宣伝の代わりになるものが出てきて、それで認知されて単行本が売れるんならOKなんですよね。ウェブコミックとか、そういうところに成り立ってる。

 ていうか、今みんな雑誌読んでないでしょ。昔はそのマンガってのは雑誌で読むもので、単行本買うのはマニアだったんですよ。マンガは雑誌で読んで、読み捨てにするもんだったんですね。今は状況が逆で、今は読み捨てにするようなものには興味を示さなくなってきたんですね。今はマンガってのは単行本で読むものであって、雑誌を読むってのはマニアなんですよ。逆転しちゃってる。

 よほどマンガが好きなヤツ、マンガに執着してる人じゃないと雑誌は読まない。だって、20作品とか一冊に載ってても、面白いのはせいぜん3,4本じゃないですか。そんな十何本も無駄なものが載ってるもんに何百円も支払って、あんなかさばるものを買ったりするのはよほどの物好き、っていう風な話だと思ってるんですよ。

 今、マンガを読んでる人たち、特に若い人たちはマンガの単行本を買う時、何を参考にしてるかって考えた時に、雑誌は大したことないと思うんですよね。実際、連載を始めて単行本が出るまでは、全然話題とかならないんですよね。雑誌はやっぱ見てないんだなと感じます。

 話題になるのは単行本1巻が出てからなるんですね。そこでいきなり読む人が増える。なので、その作品が認知されるのに必要なのは、まず単行本の一冊。そっから先については雑誌ではなくて、例えば、テレビでやってるランキングだったり、幾ら売れたっていうセールスの話だったり、口コミだったり。それこそ書評ブログだったり、マンガを取り上げるネトゲのサイトだったりっていう形なんだと思うんですね。

■マンガの次のメディア

多摩坂
 どんなメディアにも終わりは来ます。例えば、みんな、マンガっていうのが当たり前だって思ってる。特に、30台以上の人はやたらマンガに執着してるんですけど、今の10台ってマンガってそんな大したことじゃないです。娯楽の一つ、別になくても困らないぐらいのもんなんですよね。他に面白いものがいっぱいありますので。

 いってしまえば、例えば、手塚治虫さんたちが今のマンガの形を作って、流通が広まって、マンガが大きくなった結果、紙芝居は滅びたんですよ。

 映画に音がついた。音とか声が自分で出る、トーキになった結果、弁士は滅びたんですね。テレビが出た結果、ラジオは衰退した。まあ、そんなもんですって。そういう文脈だと、マンガってのは言っちゃ悪いですけど、小説とアニメの中間にある、すごい中途半端なメディアだと思いますので。

 作り手側の視点でいうと、今作家が本当にデジタル化してるんですねパソコンでマンガを書いてるんですよ。パソコンで、フォトショップとかであの人たちはマンガをかなり書いたりしてますよ。フォトショップってなんですかね? あれは何のソフトでしょう?

 お絵かきソフトじゃないです。あれは文字通り、写真を加工するためのソフトですよ。画像加工ソフトです。それをマンガに応用してみようっていって、みんな使って、ノウハウが詰まれていってるわけで、別にマンガを作るためのソフトじゃない。元々写真用だから色がついてる。

 さらにいうと、今、パソコンでマンガを作るわけじゃないですか。パソコンには色んなソフトがついてるじゃないですか。これが例えば雑誌がなくなりました。さらに進んだとして、みんな携帯だのウェブだのでマンガを読むようになって、手軽に100円払ってマンガ読めるようになって、マンガ単行本もなくてよくなりました、っていう風になったとしましょう。

 今のマンガがマンガの形を取ってるのは、お金を集金する媒体が紙だからなんです。紙の制約があるんですね。紙じゃなくなったら、パソコン上でマンガ家がマンガ書いてるんですから、色つけてもいいし動いてもいいし喋ってもいいんです。別にマンガっていう枠組みにこだわらなくてもよくね、ってなったりもするんですね。

 実際ここ竹熊さんがアピールしてました。フラッシュアニメ、やわらか戦車だったり、蛙男商会だったりっていうのは、紙にこだわらなくても、今のアニメみたいにぐりぐり動かさなくても、面白いものは作れるし、あれぐらいのフラッシュアニメだったら一人で十分やれるものも十分出てきてる。逆に、気合さえいれれば、新海誠みたいな人のようなこともできるわけです。

 手塚治虫さんが現代の日本に生まれていたら、マンガ書いてないと思います。あの人、元々ディズニーアニメが好きで、アニメが作りたかった人。でも、当時金も人脈も何もなかったから、代わりにマンガをやったってことになるわけです。実際、お金ができたら、虫プロ作ったわけでね。

 もし今現代社会に手塚さんが生まれ変わってたら、たぶん、ちゃんと医者になって、趣味のブログ、サイトを作って、そのサイトで昆虫写真とフラッシュアニメを公開してるんじゃないかと。

 私はマンガを作る側にいるんで、マンガっていうものの限界とか、これから先どうなるかとか、やっぱり考えるんです。そういう意味で行くと、自分たちが生まれた頃からあるからっていって、いつまでもあると思うのは間違いですよ。そのビジネスモデルは10年先はないかもしれない。マンガはたぶん10年先はあるけど、20年先は微妙です。


 そうですか?

多摩坂
 うん。今我々がマンガって言ってるものが今の形に近くなったのは手塚さん以降。手塚さん以前はコマの多い紙芝居みたいなもんで、全然マンガっていえるもんじゃない。それでいうとマンガっていう今のビジネスモデルって、たかだか5,60年しか歴史がないんです。映画は既に100年越えてるんですよ。

 映画の方が長いんです。だって、マンガって映画に影響を受けてできた表現技法なわけで、手塚さんたちも石ノ森さんたちも、「すげえ、これを紙の上に再現して盗みにはどうしたらいいんだ」って試行錯誤した結果、コマの形や大きさが変わったり擬音が入ったり変化していったわけで。50年しかやってないものが、これから先永久に続くと思っちゃいけませんぜ。

 それは音楽業界。カセットテープとかレコードから始まったビジネスモデルをチェンジしてなんとかそのままやってこうと思ってる音楽業界と一緒。音楽があんだけ完全にデータ化して、オンラインストアやらなんやらで売られてて、そんなCDを売ってもうどうこうなんてモデルを維持しようと思う方がダメなわけで。

 10年前はwindows98ですよ。1998年です。さらに遡れば、インターネット、パソコンを普通の人が使えるようになったの95年です。13年前ですよ。

 実際、物心ついたときに最初に接したゲーム機がプレステとか、学校の授業にパソコンがあるとかいうのは今の30台以上の人たちにとっては信じられない、想像できない世界なんです。昔は犬さんが考えるよりずっとずっとアナログな世界だったんです。

 今やgoogleがない世界、世の中なんて想像もつかないでしょう。googleがない頃って、ホントに調べなきゃいけなかったんです。データはMOとかフロッピーに入れて、郵送しなきゃいけなかったんです。


 メールとかないんですね。

多摩坂
 ないんですよ。国際電話のバカ高い金を払って通話しなきゃいけなかったんです。個人が自分の意見を誰もが見るネットに発表するなんてSFの世界の話なわけなんですね。携帯電話ですら夢物語だったんです。SF全盛期に携帯電話を予言した話、小説とか一冊もないですから。全部テレビ電話、スーツケース型の。馬鹿じゃないのっていう(笑)

 今我々はとんでもない時代に生きてる。産業革命どころの話じゃない、ものすごい時代の過渡期にいるんです。これから10年後も今から想像もつかんほど便利な状態になってます。

 そもそも昔って本は一度絶版になったら二度と手に入らない。古本屋で運良く手に入れるしかなかったんです。それどころか、手に入らない。売ってるはずなんだけど、近所の本屋に売ってない本があったら、注文をして、その本が早くて3ヶ月。半年後とかざらだったんですよ。昔はホントにそれくらいかかった。amazonプライムで注文したその日に届くなんてどこの夢物語なんですかって世界なんです。

 それくらいアクティブに世の中は変わってるんです、今は。

■ニコニコ


 今というと、ニコニコはどうですか?

多摩坂
 私はニコニコ動画は好きです。取り上げると絶対に炎上するので一切語ることすらしませんけど。あるんですよ、そういうのって。その時代時代、みんなにとっては当たり前なんだけど、クリエイターが触れてはいけない領分ってのが。ちょっと前までは、クリエイターが2ちゃんねるのことについて書いただけで叩かれましたから。


 確かに。

多摩坂
 新しい、もうちょっとやばいものが出ると、古いものはOKになる。だから、今編集者が2ちゃんねるの話をしても何も言われないけど、昔はあんな便所の落書きについて語ることはすごい叩かれたりしたわけでですね。

 今はニコニコ動画。あの辺は非常にデリケートなんで、例えば、作家さんがニコニコ動画について語るってのはすごいリスキーなんですね。だって、クリエイターじゃないですか。クリエイターの権利を一番侵害してるメディアなわけで。

 もちろん、ニコニコ動画ってもの全体について語るのはまだ許容範囲なんだけど、例えば、どっかの作家さんがですよ、「こんな面白いものがあった」っていってアニメのMADとか、どっかのアニメ作品の最新話をペタペタ貼ってたら、それは炎上しますでしょ。そういう道具なわけです。

 やっぱりニコニコの最大の問題は「権利関係をどうクリアするか」と「どうやって稼ぐか」ってとこ。未だに黒字にはなってないわけです。結局ウェブ2.0とか言われてるものってのはそこが一番難しい。お金を安定して稼ぐ道筋が立たない。結局広告収入しかないわけで。そこがクリアできれば、とても面白い。

■オススメのマンガ


 オススメのマンガはなんでしょう? 終わってる作品と、今連載が続いている作品で一冊ずつでお願いします。

とらドラ! 1 (1) (電撃コミックス)
とらドラ!:竹宮ゆゆこ×絶叫


多摩坂
 自分らしい作品と自分らしくない作品で出しときましょうか。今連載している中で、私がオススメなのが、『とらドラ!』。とても良いものです。

 私も電撃文庫の作品をマンガにするっていうのを中心にやってるんで、その手のマンガは目を通してるんですけど、ここ最近出た中で図抜けて出来が良い。

 ある意味、原作を超えてるところもちゃんとあって、表情の豊かさとかキャラの魅力の立て方っていうところでいくと、もう本当にすごい。元々ちょっとこの作品は私も手を上げたんですよ。で、負けて取られたわけですね(笑)

 取られたんだけども、やっぱり、こうやってまとめてみて、「あ、俺、担当しなくてよかった」って思った。これ以上は、たぶん俺は作れない。そういう意味では本当によかったって思いました。それぐらい評価してます。

 電撃大王に移籍して、アニメ化も発表されましたし、これから注目度上がっていって、もっと色んな人に見て欲しいな。


 この中で一番良いシーンというか、編集者から見てすごいシーンは?

多摩坂
 うーん、やっぱり普通にものを作ってると、ヒロインとかを魅力的に見せたいって思う。で、そういう風に思ったら、やっぱり、読者にヒかれるようなところをあんまり作りたがらないし、なるべく冒険したくない、ってのあるんですね。やっぱり安定して、魅力的に読まれるのがいいじゃないですか。

 でも、それでやってると無難なものにしかならないんです。キャラを立てる、しっかり立てて、突き抜けさせるためには、やっぱりそこで読者の想像の斜め上を行くところが必要なんで。そういう風に言いますと、私が負けたって思ったのは。

ココ(注:99ページ。大河の睨み。画像は用意しませんので、持ってる人だけご確認を)

 これを描く、描かせられるちゅうのは素晴らしい。


 相当腹黒いシーンですからね。

多摩坂
 この眼がね、いいんですよ。ヒロインにこの眼をさせる。マンガとして素晴らしいなと思いまして。こういうことができると、やっぱり、作品としての幅が広がる。そういう意味で、とても良いものです。作家と担当編集者に嫉妬(笑)

国民クイズ (上巻) (Ohta comics)
国民クイズ:杉元伶一×加藤伸吉


 もう一つ、オールタイムっていうか、マンガ全般で何かひとつ挙げろって言われると、私は大体『国民クイズ』を上げるんです。昔、モーニングでやっていたもので、時代背景的には料理の鉄人の元ネタの一つなんですよ。元々ウルトラクイズのエッセンスをもっとオーバーにしたような作品。

 どういう作品かっていうと、ここの舞台になってる国って、まあ、日本なんですけども政変が起こって、クイズ至上主義の国になったんですよ。毎週一回国民クイズっていう、ものすごいクイズ番組が開かれてですね。そこで優勝した人は望みを何でも国に叶えてもらえる。国家権力で叶えてもらえるんですよもう、どれくらいこの体勢がすごいかというとですね。

 えーと、日本国憲法の第104条。ざっと読んでもらえれば分かるんですけど。


 「国民クイズは国権の最高機関であり、その決定は最高意思、最高法規として行政立法司法、その他あらゆるものに絶対無制限に優先する。本憲法もその例外ではない。」

多摩坂
 うん、国民クイズは憲法より上にあるんです。だから、例えば、エッフェル塔がほしいって言われたらフランスから引っこ抜いてきたり。

 どういうわけか、この国民クイズ体制ってのは大成功していて、日本は世界最強の国になってるんですね。だから、誰も逆らえない。主役はその番組の司会者。でも、この司会者は実はクイズで一回失敗していて。失敗した人は欲をかいた罰として罪人になるんです。その罪の一環として、牢獄にいて、出獄して司会者をするっていう立場なの。本人は何の権力もないんだけど。でも、実際、彼が煽ることで日本全体がこの煽られて影響されて。


 皮肉ですね。

多摩坂
 そういう意味では、ものすごい影響力を持ってるんですね。もう、ウルトラクイズとか比較にならない、そういう番組。この司会者のオーバーなアクションとか見せ方っていうのに影響受けて、料理の鉄人が生まれた。

 話自体も、そういう狂った世界を舞台にしていて、その体勢を覆そうとする革命集団がいたり、この主人公の置かれている複雑な家庭環境とかが絡んできたり。で、この国を何とかしようと、世界中が虎視眈々と「なんとかいつかぼこる」って思ってたりですね。

 あとクイズ番組ですから、合間合間にCMが入るんですけど、そのCMのね、皮肉さ加減がすごくいいんですよ。もう、隅から隅までですね、センスの塊。

 まあ、私が少しウルトラクイズとかの世代だったりするので、局とか会社とか国とか、そういうものを利用して、とんでもないバカをやるってのが大好きなんですね(笑)

■編集者のキッカケ

多摩坂
 大学時代マジック・ザ・ギャザリングっていうカードゲームで大いに暴れていたこともあります。日本選手権招待選手で、日本ランキング4位まで行きました。プロ一歩手前まで言ったんですけど。日本と世界、アジアのトーナメントとか招待されて行ってきて、世界のトップレベルを見てですね、ちょっとこいつらにはついていけんわ、と。


 ものすごい速度なんですか?

多摩坂
 速度じゃないです。人生の賭け方と運の強さがおかしい。特に運の強さがありえないていうのがちょっとあってですね。例えば、『アカギ』。もう十年戦ってる、鷲巣マージャンの鷲巣さん。超引きの強い人がいます。あんな感じみたいのが本当にいるんです。おかしいですよ。

 例えば、マジックだと同じカードを4枚まで入れられる。引きたいものほど枚数入れるじゃないですか。でも、フィニッシャー。最後の最後で決められれば勝ちっていうものを4枚も入れたりしない。そこらへんのバランス。

 例えば、本当に強いレベルになってくると、決め手のカードを2枚とか、中には1枚にする人たちがいる。どういうことかっていうと、「俺の引きだったら、終盤戦の、本当に欲しいタイミングで、これ、引けるから一枚でいいよね」ってなるんですね。


 一般的な確率論でデッキを組まないんですね。

多摩坂
 私はあんまり運がよくない方なんです。だから、60枚のデッキを組むときも、自分の運の悪さに応じたカスタマイズで作るんですね。そうすると、割と安全な風に作る代わりに、どうしてもとんがり方で運の強い人に勝てない。逆に言うと、運の強い人は自分の運の強さを追い込んだチューニングをするんです。しかも、本当に引いてくる。そんなヤツには勝てないんです(笑)

 本当に戦場でランボーにあった兵士みたいな気分ですよ。いやいや、こんなやつらがいる世界で一兵士としては戦えない、と。

 ちょうど私が一プレイヤーとしての限界を感じた頃、実際にイベントそのものの主催者を経験したり、あとはカードのバイヤーとかも経験してて。特にイベンターをやったときに気づいたんですね。

 ああ、トッププレイヤーとか強いプレイヤーっていうのは、その世界では英雄かもしれないけど、その会社にとっては一番美味しい上得意のお客さんなんだ。一番お金を使ってくれて、しかも、そこで目立って、アピールして、その存在そのものが広告になる。こんな会社にとってありがたい存在はいない。っていうか、俺たち、利用されてる? あれっ、じゃあ、ひょっとしたら、彼らを使う側に立った方がよくね?

 私が後に編集者になるキッカケになるところです。


 なるほど。

多摩坂
 私は凡人ですから、クリエイターとしては二流三流なんです。でも、会社とか使う側はむしろ超一流とか狂ったとんがり方ではいけないんですね。会社経営しなきゃいけないから。むしろ、使う側は凡人でいいんです。ランボー司令官だったら困るんです。


 作戦がランボー基準だったら困りますよね。

多摩坂
 司令官はランボーである必要はないけれども、ランボーでないからこそ、何千何万っていう兵隊を指揮できる。今に至る発端だったりしますね。

■大王の面白さ

多摩坂
 大王って上位陣、すごい強いんですよ。『よつばと』があって、『月姫』があって、『ガンスリ』があって、『苺ましまろ』があるんですよ。この中に今『シャナ』があって『レールガン』がある。こういうところで揉まれてるんで、大王のアンケートで5位以内に入るの尋常じゃない。

 アンケートの話も面白いのはいっぱいあるんですよ。例えば、大王のアンケートって「面白かったものを3つ書いてください」って項目があるんです。枠が3つあるんです。あの20何作品の中で、面白いの3つって言われて、そこに『よつばと』が含まれない確率なんて。

 じゃあ、逆に言うと、それはどういうことかっていったら、『よつばと』を抜いて大王で一位になるってものすごい難しいんです。もう、決め打ちで1つ埋まってるようなもんなんで、あと2つに入って。しかも、ごくまれに一位を外れる『よつばと』の隙をついて、数字を伸ばして一位になるしかない。

■叩かれる価値

多摩坂
 実は「つまらなかった」に票が集まる作品も人気作品。本当にダメな作品はアンケートで一切触れられない作品なんです。


 ダメですらない?

多摩坂
 うん、意識に認識されないですから。「ふざけんな、このやろう」、「こんな作品はダメだ」、「すぐなくせ」っていうのは、逆にいうと、そんだけ認知されている。そういうような意見を読者に言わせるだけのエネルギーを持っている。

 人間が喜怒哀楽の感情を持つ、ものを言うってのは結構エネルギーがいる。怒るだけでも結構エネルギーいるんですよ。逆にいうと、怒らせるだけのエネルギーを引き出すパワーがその作品にはある。そういう意味では嫌われる作品ってのは必ずしも悪いわけではない。


 ベクトルが違うだけ?

多摩坂
 うん、ベクトルが違う。だから、2ちゃんねるとかで叩かれても見方を変えればいいんです。人生の貴重なひと時を、私の作品を罵倒するために使ってくれてるんですよ。そんなありがたいことはない。


 ものすごいポジティブですね。

多摩坂
 だって、ホントそうでしょ。もっと、その時間を有効に使えるはずなわけで、自分の作品に対してそんなに熱心にものを言ってくれてる。そこは感謝しないとウソです。私はそう思えますし、そうやってます。もちろん、言われたらへこみもするんですけど。

 ただ、作家はそうでもないんです。作家さんって繊細な人がやっぱ多いんですよ。よく読者の中では、「作家なんだから発表された作品をボロクソに言われるのは当たり前だ」、「それに耐えられないようなヤツは作家としての資格がない」くらいのことを言う人はいます。読者としての論理としては、全くもってその通り。

 でも、編集者とか作り手の側からいうと、読者を楽しませる才能を持っている人間っていうのは本当に少ないんです。その少ない中には線が太い人と細い人がいる。細い人をバッシングで失ってしまうっていうのはエンターテイメント業界にとってはあまりにもったいないんですよ。

 だから、ファンなんだったら納得しなくていいから、文句は言ってやるな。君が文句を言っても線が細い作家は心が折れるだけでフェイドアウトするだけだから。出来が悪かったら無視してやれ、本当に好きなら。と、今年の年頭ぐらいに書いて、炎上しました(笑)


 炎上したんですか?(笑)

多摩坂
 すげえ、いろんなとこに波及してめちゃめちゃ叩かれました。

 なんでこんなことを言うかっていったら、やっぱり担当作家の中にいるわけです。一万人誉める人がいても、一人貶す人がいたら、その一つを見てへこむ人がいるんですよ。そういうのを見てると、非常にもったいない。

 だって、君、ファンなんだろ? 作品いっぱい見たいじゃない。そこでファンがモチベーションを削ってどうするのよ。もちろん、私も作家にはさっき言ったように、「語ってくれるだけでもありがたいと思え」、「そんだけ世の中が動かせてるんだ」って言ってはいるんですが。


 耐える才能と作る才能は違いますよね。

多摩坂
 全員に誉められるってのは無理なんで。人間みんなツボが違う、好きなものってのが違うんで、好きな人がいれば嫌いな人がいるのはしょうがない。そこをまあ把握した上で、いかに好きって言ってくれる人を増やすかっていう感じです。

■喜ばれる努力

多摩坂
 メディアミックスは非常に面白い。なんせ原作があって、原作ファンってのが見えていて、彼らがどういう特性を持っているかって分かってる。そこに向けて何を打ち込むとどんな反応が返ってくるってのが、かなり読みやすいんですよ。なので、私は実はこの仕事すっごい好きで、面白いんです。

 でも、周りはそうではないらしいってのは、不思議でね。なんだかな。どうでもよさそうなギャルゲーとかを持ってきて、わりと今っぽい同人作家を連れてきて、適当に流して、適当に流れて消えるわけです。君たち、それの何が楽しいの。何のためそれをやってるのって思うんですけどね。

 そら、2,3万部くらい売れるかもしらんけどさ、じゃあ、それは埋め草なの、最低限の数字が稼げればいいの。そんなんだったらクリエイターなんかやめてサラリーマンでもやった方がいい。クリエイターを目指すんならもっと山師的なものやった方が儲かるんじゃね。君たちのやっている仕事はなんなのか、と思うわけですよ。

 ファンの人に喜ばれるってのは楽しんですよ。よく分かる人だけ分かればいいとか、好きな人だけが買って読んでくれればいいってな物言いをする作家とか編集者がいるじゃないですか。私、あれ、大っ嫌いなんです。そういうこと言うのは、売れない作家とかクリエイターのタワゴトです。一度売れるっていうのを経験したら、絶対に認識が変わります。自分の作品が10万人とか100万人とか、いっぱいの人に支持されて、楽しんで、喜んでもらえる。これに勝る喜びはないです。


 そうなんですか?

多摩坂
 うん。自分の自己満足なんかよりもはるかに大きい。だって、自分が作った作品を10万人が楽しんでくれるんですよ。例えば、持込に来る人とか、あとダメな月刊誌のダメな作家とかダメな編集者はダメなマンガを作るわけですよ。彼らはその認識が足りないんですね。

 持込に来て、ダメな原稿を持ってきた人によく言う話なんですけど、例えば、あなたが芸人だとして、今スタジオアルタのステージに立っているとしましょう。300人のお客さんがずらりと並んで、あなたの芸を見ています。

 あなたが今から披露する芸ってのは、今あなたが書いて持ってきた原稿の、このネタだとしよう。あなた300人の目の前でこのネタ披露できるかって話をするんですね。月刊マンガの20本中17本のネタを、目の前の数百人の客に披露してみろや、ウケると思うかって話になるわけです。

 できゃしないんですよ。じゃあ、何で君は雑誌、マンガならこれをやれるの? やっちゃうの?

 それは見えてないんだ。おまえはその原稿と俺しか見えてないかもしれないけど、これが雑誌になった時に、その雑誌を通して、10万人がこれを見てんだよ。その10万人の反応をリアルタイムに感じてみろや。自分が原稿を書いてるときに、10万人がその芸でどういう反応をするかを考えて来い、と。


 耳が痛いです。

多摩坂
 マンガの場合、読者と作家の距離が離れすぎている。そこが最大の問題なんです。テレビって散々叩かれるけど、なんだかんだでテレビに出て芸を見せてるヤツらのやってることって、それなりに面白いじゃないですか。

 不思議だと思いません? 他のメディアに比べると、やっぱり平均で見たら、えらい面白いんですよ。なんであれがそんなに面白いのか。それはやっぱり目の前に客がいて反応がすぐ返ってくる。そういう環境がよく作ってあって、普段の舞台やっててそれが見えてる。

 あと自分の芸が目の前で見られていて反応がすぐ返ってくるっていうことの怖さをよく知っている。だから、表舞台に立つ前に見えないところで自分の芸を色んな人に見せて、リサーチをしている。なんかのイベントがあって、そこで客に芸を見せるんだったら、その前に自分の同僚とか所属している仲間とか友達とか親兄弟に片っ端から新しい芸を見せる。そん時に感想も聞くし、感想だけじゃなくて、見てるヤツらの表情をちゃんと観察してるんですよ。それを積み重ねていけば、そら、面白くなる。

 大多数のマンガ家だと思ってる人たちには、それが足りないの。そこのところが分かって、読者の代表として指示ができるのが編集者なんですね。でも、それを分かってない人が多い。

■編集者の仕事

多摩坂
 すごい大手どころになったら、やっぱり色々とマニュアルとかノウハウ伝承とかあると思うんだけど、中小になると、そういうのもなかったりするんです。現場で覚えろみたいに言われて、そうすると、ボンクラは何も分からない。ていうか、何を学べばいいのかわかんないって話になっちゃうんですよね。

 これもやっぱり私が塾講師とかやってなかったら、カードゲームのプレイヤーやってなかったら分かんなかったことだと思うんですね。普通に大学出て、いきなり新卒で入ったら、作家とどう話せばいいのか分かんない。読者をどうやって作ればいいのかきっとわからない。

 例えば、授業やってる最中なんか遊びたい盛りの中高生とか小学生とか教えるわけですよ。塾ってちょっと長いじゃないですか。私の時は90分授業。90分、集中力を切らせないためにはどう楽しませるか。どう注目を集めるか。

 やっぱり40人、並んでるヤツらの顔色を見ながら考えるわけですよ。前の教室だとここはちょっと盛り上がらなかったから、このネタはパスして。このネタをもっと膨らませて、強調したら、この場がもっと盛り上がるんじゃないか、とか。

 カードゲームをやってても、一挙手一投足。普段だったら引いて出してのパターン決まってるのに、たまに表情が動いたり、いつもとちょっと違う手の動きの仕方とか筋肉の動きが出るわけです。やっぱり、強いプレイヤーっていうのはそれを見てるわけですよ。

 そこのところを教えてあげなきゃいけない。やっぱり作家っていっても、たかだか2,30年しか生きてない人生経験の足りない人たちです。そういう人たちに、読者にとっては何がツボなのか教えるわけです。特に最初のうちはかなり熱心に言うんです。

 読者が反応するところ、もしくはマンガブログの人たちが切り出すコマ、ホントに些細なことだったりするんです。最近割りと考えますよ。今回のマンガの肝、ネット上の読者にとっての肝っての実はこのコマのような気がするから、このコマもっとこういう風に変えてみよう。普通ココってそのまま流されてすぐオチまでいっちゃうけど、実はこの子のこの表情はすごくいいんだ。ココでこの子の目じりに涙浮かべてもらえるかな、とか(笑)

 そういうことができるかどうか。ほんのちょっとしたことなんですよ。このちょっとしたことができるかどうかが、やっぱり売れる作家と売れない作家の差。例えば、野球でいえば10打席中2打席打てるヤツと3打席打てるヤツは年俸がたぶん一桁違うんです。10分の1じゃないですか。違いって10%でしかない。でも、この10%が肝なんですよ。この10%をかさ上げするのが編集者の仕事だと考えています。

■創作の真剣さ

多摩坂
 やっぱり真剣さが足りないわけなんです。例えば、カレーが好きで、カレーを仕事にできればいい、カレー屋を作ろうと思いました。としたら、どんだけのことを考えなきゃいけないかってあるわけです。

 お金の問題はないとしましょう。お金の問題はないとしても、まず、どこに店を作るか。その立地っていうのは一日にどれくらいの人数の人が通って、しかもその客層がどんな人たちで、時間帯によってどう変わるのか。

 一日回さなきゃいけないから、通る人たちのうち、何%・何人ぐらいが自分の店に入ってくれる可能性があるか。だから、回転率が出てきますよね。そこらへんの数字が計算できたら、じゃあ、果たして一日にどれくらいの皿数が出るか。

 一日辺りどれくらいの材料を発注する必要があるか。常にないといけないわけで、材料がなかったら困るわけです。だから、それで一日の仕入れとかそれの額だなんだって見えて、それにかかるお金も分かる。

 さらにいうと、一人で一日中いることもできませんからバイトを雇う必要があるわけで、何人の人間をどうゆうローテーションで何交代でどんぐらいの賃金でまわす必要があるか。どういうメニューを用意するか、それぞれどれくらいの%で注文されるのか。それらの単価がどれくらいで利益率がどんだけなのか。

 一日当たり、利益がどんだけ上がって、それが人件費とか材料費でどんだけ消えて、純利益でどんだけ残って。その残りがどれくらいのペースで溜まっていって、店舗を改装したり大きくしたりできるのか。数限りなく考えることがあるわけです。

 でも、自営業ってそういうことじゃないですか。じゃあ、改めて、持込で原稿を持ってきた君、マンガで食ってくことについてこんなに考えたことある? って話になるわけですよ。


 ものすごいですね。

多摩坂
 そんなことを昔は持ち込みに来る人に、嫌がらせのようにやったり。今はもうフリーになって持ち込みから外れてるんで、言ったりはしないんですけど。

 やっぱり、本気度が足りないんですよ。よくある例が、アニメの専門学校とか代アニ。ああいうとこでたまに審査に来てくれって連絡がくるんですね。マンガ部門の人たちが卒業制作でマンガを作るから、それをプロの人に講評してもらいたい。色んな雑誌の編集者が一堂に介して、そこで一人当たり何十人をざっと見てその場で感想を言っていく。出張持込みたいなのがあるわけです。

 なんかひどいものを作ってくるわけです。で、そういう時にやっぱり私が最初に聞くことがあって、「君は大体専門学校で2年くらいなわけですけど、君はこの2年間で完成原稿を何Pくらい描きましたか?」。その卒業制作が初めてなんて人はざらにいて。

 よく書いてる人でも2年で40Pとか、ごくまれに100P。ごくまれです。100Pなんて何年に一人くらい。普通は多くても4,50Pだったりするんですけど、おかしいじゃないですか。

 例えば、プロのマンガ家だったら年間単行本2冊出すんだったら、年に400P書いてるわけですよ。それにたいして、これからプロになりたいという君はこの2年間で40Pだという。それでプロに追いつけるわけないと君は思わないかね。

 プロになるってそういうことじゃない。年間最低400P書いてるヤツらと同じ土俵に立って、彼らの単行本じゃなくて君の単行本が買われるようにならなきゃいけないんだよ。それは甘いと思わないかって話になるわけです。

 追いつけるわけがない。例えばアニメの世界でいけば、動画を1万枚描いたら一人前といわれるわけで、1万枚ってすごい枚数なわけじゃないですか。1日1枚で365枚なわけじゃないですか。じゃあ、1万枚って何も考えずに1日1枚やってったら30年かかるわけです。絶対に追いつけないですよね。

 でも、本当にすごい人たちってのはあっという間にプロになって、1万枚達成してのし上がってくわけですよね。彼らはどうか、1日30枚書けば一年でクリアできるんです。その差。さすがにそこまでのバケモノはそうそういません。でも、できるやつはできちゃうんですよ。そこはもう才能とかじゃない。物量の差。生まれたときからすぐ絵が描けるなんて人間はいないわけですよ。じゃあ、絵が上手い下手の差は何っていったら、やっぱり鉛筆を握ってた時間の差です。

■マンガ家列伝

多摩坂
 もう一つマンガ家志望の人を絶望させるために使ってるネタとして。

 「君、マンガ家を目指してるわけですよね? じゃあ、当然絵を描いて、それで食ってこうってわけだけど。もちろん、頭の中で色々考えて、考えたものを絵にするじゃないか。頭の中で思い浮かんだものを絵に完璧に再現できる?」

 ま、普通できません。よっぽどの大先生じゃない限りできない領域なんですけど。でも、変なんですよ。マンガ家ってのは考えてることを紙の上で再現する仕事である。なのに、頭の中に思い描いてるものを書きたいのに右手が言うことを利かない。それは変じゃないですか。そうする仕事じゃないんですか?

 アニメーターだってそうでしょ。言われたもの、頭の中に思い浮かんだものっていうのを動きとして再現できる絵っていうのを、なんでも描けるようになるのがアニメーターなわけで。それができないっていうのは、やっぱりなんでっていうしかないですよね。右手が言うことを聞いて、思った通りに動くのがマンガ家です。


 思った通りに手が動くって、ものすごいハードルですよね?

多摩坂
 私が聞いた話のレベルだと、北条司さんっているじゃないですか。あの人、定規一切使わない。フリーハンドで自分が書きたい線全部引けるそうです。直線も引けるし、完璧な円も引ける。

 それをどうやればやれるか。才能じゃない。そんなん訓練しかないです。どんだけ手を動かしとんっだって話。

 あと、つのだじろうさん。その昔、『空手バカ一代』というすごくヒットしたマンガがあるんですけど、極真会館の大山倍達さんを主人公にしたマンガですね。あれを途中まで担当するんですけど、担当するに当たってもちろん空手とか当時やったことない。それじゃあリアルに格闘マンガが書けるわけないので、極真に入門するんです。入門して、その直々にマスオオヤマに稽古つけてもらったりするんだけども。

 ここで面白い話。担当編集もついてて、確か一緒に入門して練習してるんだけども、ここでこの担当、気づいて言ったことがあるんですね。

 大山総裁つのだ先生も手を使う仕事じゃないですか。方や空手家、方やマンガ家。両方とも指をものすごい酷使する仕事なのに、お二人ともすごく指が柔らかいですね。


 空手家って柔らかいんですか?

多摩坂
 うん、柔らかい指で瓶を切ったりする。

 で、そこでつのださんが言った話がある。この当時の巨匠の人たちは今のマンガ家の十倍、二十倍の量描きますんで、当然すぐペンダコが潰れて、タコの上にタコができて。どんどん皮が硬く厚くなってくんだけども、それでも酷使してやってると、その盛り上がった、硬くなってすごい大きさになったタコがある日突然ぽろっと落ちるらしいんです。落ちたらしいのね、つのだ先生

 落ちたら、普通の、赤ちゃんみたいな、柔らかい指の皮になってて、それから先はどんなに指を酷使して、普段どおりマンガ書いてももうタコができなくなった。タコができない体になったらしい。

 大山さんも何十年も正拳突きをかましてってやって、もちろん、硬くなってったはずなんだけど今は柔らかい。たぶん、おんなじような経験で。

 ようするに、そういうことをひたすら続けていった結果、指が酷使される環境に完全に適応しちゃったんですね。原稿で指を酷使する、空手で指を酷使するっていうのを完全に前提した状態になっちゃってる。だから、柔らかいんだって話があって、これすごくないですか?


 どれだけやればそんなに適応するんだっていう。

多摩坂
 ジャンプの連載作家ですら、よく言われるのはタコの上にタコができる。タコが盛り上がるくらいで、タコが取れて柔らかくなるなんて話、他に聞いたことないですよ。

 でもね、分かるような気はするんですよね。そんなことありえないっていうかもしれないけど、じゃあ例えば恐竜。ティラノザウルスとか弾力はあるけど柔らかいはずで、硬い鎧に身を守られてるわけじゃないわけで。ライオンだって体が柔らかじゃないですか。そのしなやかさが力を生む。緊張と弛緩が打撃の要じゃないですけど(笑)

 振り返ってみて、君はどうかね? それくらいに道を究めてみたいと思わんかね?

■20本に1本は当たる

多摩坂
 今の作家には数と集中、あと問題意識が全然足りない。一番大事なのは数ですね、とにかく数が足りない。売れない売れないって、そもそも売れる売れないをどうこう言うほど作品を世に問うたことがないから、売れないのは当たり前なんですよ。

 よくマンガの世界では、「なんでこの作家にこんなもの描かせるんだ」とか「売れなかったのはその編集が悪い」みたいな言われ方をするじゃないですか。どうもマンガ読みの人は、マンガ家というのは才能のある人たちだ、それを潰しているのは編集者である、という風潮が強いんですね。

 逆ですから。編集者の本音として言わしてもらうと、世の中に才能がある人なんてのはホント一握りなんですよ。マンガ雑誌に載って、世間一般ではマンガ家として認知されてる人たちがいるかもしれない。けど、そん中でホントにマンガ家といっていいのは、そん中でもさらに10%。

 マンガ雑誌が一冊あったら、そん中でホントにマンガ家って言っていいのは2,3人。残り18人はマンガでたまたま食べていられる人であって、マンガ家ではない、と私は思ってます。その10分の1に入んなきゃいけない。

 マンガ家になったらそれで食っていけてるのに満足してるんじゃなく、そこがスタートライン。そこでどうするかっていうとやっぱり数を稼いで、色んな読者の反応を得て、読者はこういうものを望んでるんだって学んでいって、だんだん最適化して売れていくわけですよ。

 そんためには数が必要。数が必要なんだったら連載を数稼ぐ必要もあるし、連載を確保する、手に入れる必要もあるわけです。そういうところの意識が全然足りない。

 例えば、プロフィールのところに担当作品ズラズラ並べてる。一番多かったころは17作品くらい並べてましたけど、やっぱり異常な数なわけですよ。例えば、大王の編集者は多くても3,4本なんですね。


 そうなんですか?

多摩坂
 例えば、週刊誌の編集者なら担当作品は1つか2つぐらいのもの。月刊の編集者で、3,4本。4コマとかだとちょっと話が変わるので。4コマ誌だと1人で20人とか30人とか担当したりしますし、エロマンガ誌の中には1人か2人で雑誌を1冊作っちゃってるところがあったりします。

 私、今、たぶん11本やってますけど、ちゃんと全部の作品、普通の編集者並に見てます。


 時間は足りるんですか?

多摩坂
 だって、休んでないもん。あと、密度がちゃんと濃いですから。適当に流してないです。4,5人に連続で電話かけて、電話で一日終わるなんてざらにあります。

 じゃあ、なんでそんなムチャな数をやってるかっていうと、やっぱり数が力だし、数をやらないとわかんないことがあるからなんですよね。

 才能の話でいうと、実はマンガって才能だけじゃない。確率、運っていうのもどうしてもあるんですよ。「天の時、地の利、人の和」では天の時が一番大事なんです。編集者と作家が、真面目に、売れるものを作ろうと考えて作品を作れば、20本に1本は必ず当たるんです。

 月刊誌とかマニア誌とか眺めてたら、看板が1本だけってすごく多いじゃないですか。あれはどういうことかっていうと、20何本1つの雑誌に載ってれば、20分の1の確率でヒットは出るんです。


 作家がどうこうではなく、確率?

多摩坂
 そう。確率上、ちゃんと真面目に20本やれば1本は当たるんです。じゃあ、逆に言うと、20本担当すれば、1本当たるんです。じゃあ、20本やればいいじゃん(笑)

 私の発想の基本はこれ。普通の編集者の3倍から5倍の仕事してます。3倍から5倍担当するってことは、ヒット率が3倍から5倍になるってこと。実際私、今十万部越えの作品を3本持ってるけど、これは3倍やってるからですね。

 逆に言うと、作家も20本やりゃ1本当たるんです。じゃあ、20本の連載を確保すればいいじゃない。ダメだったらすぐに連載打ち切って、次の作品やればいいじゃないと思うんですけど。どうもそういう風にはいかないらしいです。


 連載を続けて安定したいんじゃないですか?

多摩坂
 安定したいならヒットしないとまずい。需要がある、売れる、儲かるから、安定が生まれるわけで、売れもしてない状態は、ただ連載があるって状態は、安定とは言わない。って私は思うんですけどね。どうもそうは思っていただけない。

 だから、私はすごく安定するんですよ。作家の何倍も安定する。だって、私は自分でマンガ書くわけじゃないから、一人で十何本とか同時に世に問える。それで当たらない方がおかしい。作家は自分の手で生むしかないわけで、すごい。

 すごいギャンブラーだと思います。私はとても怖くてできない。それこそランボーたちを見て、俺はあいつらにはなれない。あんなに自分の才能を信用できないと思った口ですから。

 でも、こんな戦い方がある。私今、自分がホントにクリエイターだと思ってる。ある意味、普通の作家よりよっぽど面白いと思ってるんですけど、一回作家に聞かれたことあるんですよ。

 「でも、それって、結局話を最終的に作ってるのは作家で、
多摩坂さんが思った通り、イメージした通りの作品が作れてるわけじゃないでしょ。それはどうなんですか? 満足してるんですか?」

 じゃあ、君の右手は思った通りに動くのか。どうせ思い通りに行かないんなら、一人で書くのもそれを担当するのも変わらない。だったら、一人の作家の15倍の数の作品を、自分がなるべく理想に近い形へ誘導する。思う通りには動かない右手と変わんない。

■10万部売れない作家

多摩坂
 同人誌と商業ってどんぐらい儲かりますかって言われたら、10万部以上売れないんなら同人やった方が儲かる。できれば、20万部ぐらい売らないと割に合わない気がする。

 例えば、マンガが好きな人だったらマンガ家は単行本印税ってのをもらっていて、それは10%らしいというくらいの知識はあるじゃないですか。それを知識として持ってるけど、計算したことある人少ないんですね。

 例えば、電撃コミックスだったら1冊550円。印税10%だから1冊55円なんです。55円てことは10万部売ったときの印税って550万、源泉徴収引かれて500万。単行本1冊10万部売って500万なんですよ。なんかしみったれてないですか。これが20万部になると、1冊で1000万になる。ここまで来ると、ちょっと夢がある。

 しかも、単行本って月刊だったら大体年に2冊くらい出します。20万部売れれば、年間単行本2冊の2000万。プラス原稿料も合わして、年間に3000万がちょっと見えるかどうか。まあ、そこまでやってれば、アニメ化だなんだって出てきてるはずなんで、いい具合にジャパニーズドリーム(笑)

 でも、ここまできて初めてなんですよ。当然ご存知の通り、10万部売れればヒットと呼ばれる業界なわけでございます。これが例えば3万部だったら。3万部で入る印税は1冊150万。年間2冊だして300万。これで原稿料まで加えて、年収5-600万ちょい。

 でも、じゃあ、同人誌。同人誌で500万稼ごうって思ったらどんぐらい売ればいいかっていうと、700円の本を1万部売ればいいかな。商業で1万部売らなきゃ稼げない金を、同人誌なら1万部で達成できる。

 これだけでも理不尽なのに、マンガの単行本は200P貯まらないと作れない。しかも、それを500円で売らなきゃいけないのに、同人誌は30Pの本を500円で売って、誰も文句を言わない。素人の落書き30Pを500円で買う業界があるんです。しかも、それがトップまでいけば、コミケの壁サークルで千部から2000部。シャッター前で5000部。とらのあなでベストセラーってとこまでいけば1万部売れちゃうんですよ。


 なるほど。

多摩坂
 そういうのがあるんで、私は最近周りの編集者に対して言ってるんですよ。10万部売る気のない作家はいらない。幸せにならないから。3万部売れる作家とか3万部売れる作品とかやってたら誰も幸せにならないから、そもそも、そんな作家はいらない。

 3万部くらいだったら安定して売れる作家っているんですよ。でも、逆に言うと、運が良くてもせいぜい5万部、ヒットしても10万部まではいかないっていう子。私はもうそういう子はいらないって最近言ってます。


 仕事でマンガ描ければ幸せって人もいますからね。

多摩坂
 そういう子だと思ったら、他の編集にふったりしてます。それだったら同人やってた方が幸せだし、自分が持ってても甲斐がない。


 商業で顔売って、同人で儲ける人もいるみたいですが?

多摩坂
 そんなスケールの小さいヤツはいらない。10万部売る気のないヤツは去れ、と。

■同人流通

多摩坂
 同人誌はちょっと面白いな、と思っててですね。この業界の最大の悩みとして本当に面白い作品っていうのはマニアックだから売れなくて絶版になっちゃう。続きが出なくなっちゃうていうのがあるじゃないですか。これって出版社が商業流通に載せちゃうからダメなんだよね、ってのがあるんですね。

 なんで出版社が絶版にしちゃう、打ち切りにしちゃうかっていうと、利益、採算が取れないから。出版社ってやっぱり大所帯。総務とか編集者とかに食わせなきゃいけないから、その結果、数を売らなきゃいけない。何万部とか売らなきゃいけないです。これが1万とか5000とかだったら、商売にならないわけですよ。

 でも、逆に言えば、関係者が少なければ5000とか1万でも十分関係者全員が食っていけるんです。さらにいえば、今や5000とか1万って同人誌で全然クリアできちゃう数字なんですよ。とらのあなとかメロンブックスとか使えば日本中にばらまける。今の商業流通、トーハンとか日販とか使わなくてもとらのあなの流通で日本中に商品が運べるんです。であるならば、商業出版である必要はあるのかって話になるんですよね。


 本当にそんなことできるんですか?

多摩坂
 月姫とかひぐらしとか同人ゲームだけど、それがどういう流通経路をもって日本中に広まったか、君たちは分かっているかい。ひぐらし何万本を日本中にばらまく流通網は既にできている。とらだけでもそれぐらいできちゃうんです。

 ていうのがあると、考え方の抜本的な見直しってのができるんですよ。すごい、5000人のコアなファンがつくんだけど、商業では出せないような作家さんの本を、例えば、私が編集する。ちょっと商業の、普通のより高くなっちゃう。例えば、電撃コミックスが500円だったら、1冊すまんけど1000円になる。

 で、1000円で5000部を日本中にばらまく。これなら、全然採算が立つ。ていうか、印税よりはるかに高い額を作家に払える。これはちょっと考えどころだと思います。それで食っていくってのはようするに、食っていくためにいくら必要で、そのいくらを作るために何をいくつ作るかっていう話になってくるんです。

 そこがクリアできれば、今までみたいにマスプロダクトっていうことにこだわらなくていんじゃないかな。1円のものを100万個作るのと100万円のものを1個売るの。財布の上では変わらないんです。

■編集者の役割


 マンガを作る中で、編集者の役割というのは?

多摩坂
 マンガの編集者って他の業界で例えると何に当たるかって話になるんですけど、これは大体2つくらいに分かれる。普通のマンガ、本当にマンガ家と編集者の二人だけでオリジナル作品を作る。こういう場合は、トレーナーとかコーチに近いのかな。メディアミックスの場合もコーチやトレーナーのつもりでやってる人間が多いんですけど、私はそうじゃないと思ってるんですね。

 私はメディアミックス作品の編集者の役割っていうのは、むしろ、映画監督とかテレビ番組のディレクターに近い感じだと思ってるんです。どういう企画をやるのか。タイトルを選んできて、そのタイトルに合う作家を選ぶ。それらを組み合わせた結果、どういう風な見せ方、枠組みで、どういう切り口で見せていくか、っていうのを組む。脚本を選んで、それに合う俳優を選んで、自分の思い通りの切り口で画を撮る映画監督と変わらないわけです。

 まあ、同人的ではあるんですけど。アレンジ? いいじゃん別に。そら小説で『ハリーポッター』はいいものかもしらんけど、それが映画になった結果、全世界に広がって、凄腕な作品なわけで。いいじゃん、それでって思うわけなんですね。

 結局みんな経済活動でやってるわけじゃないですか。食うためにその仕事をしているわけでね。そういうとこでいけば、お金が儲かれば、その作品が一次創作だろうと二次創作だろうとお金に代わりはないわけなんですね。

 もうちょっと数字を大きくしていきたいってのはあるし、もっと骨の太いとか大衆的なものをメディアミックスしてみたいってのはあるんですけど、今はステップとしてこの辺ですね。

 マンガもぼちぼち成熟して、いつまでもオリジナル至上主義っていう姿勢でやってないで、他のジャンルで面白いものがあったら、それをマンガにして評価に入れるって時代が来ていいんじゃないかなって思うんですね。やっと自分みたいな世代になって、そういうことを考える奴らがやっと出てきだした。

■メディアミックスの少なさ


 あまり面白いメディアミックス作品に当たらないんですが、なぜなんでしょう?

多摩坂
 マンガ業界そのものがオリジナル至上主義ってのがあって、メディアミックスというのはオマケっていうか。とりあえず、最低限の売上を確保するためにやらざるをえないっていう臭いがどうしてもあるんですね。編集者が100人いたら99人嫌いじゃないかな。


 そ、そうなんですか?

多摩坂
 だって、やっぱりマンガの編集者やってるんだったら、良い子を見つけ出して、その子を育てて、その子と一緒に成長していって、オリジナルでヒット作を出したいと思うじゃないですか。ただ、メディアミックスは固いよね。原作モノのゲームとか。逆にいうと、固いから会社がやれっていって、下がやらされてるってのがあると思うんですね。


 なるほど。

多摩坂
 私なんか元々全然違う畑から来た人間なんで「変だな」と思ってて。原作持ってくるってことは、その原作はすごく売れてるわけじゃないですか。ヒット作なのになんで、ほとんどのメディアミックスのマンガはあんなに面白くないのか。作家もマンガも微妙で、どう見ても売れてるようには見えないわけじゃないですか。

 作家一人の才能? その人に絵も話も作らせる。オリジナル作品だから見た目が大きい。で、こけるかもしれないし、これから面白くなるかもしれないのに打ち切られるかもしれない。すごい博打じゃないですか。

 私はメディアミックスを専門にしている、かなり珍しいタイプの編集者です。私がやってるものって、良い本を選んで、それに合う俳優を選んで、こういう風な切り口でコントロールすれば売れるだろうってやり方なんですね。作家に全てを賭けるよりもよっぽど勝率高いと思いませんか? なんでみんなこれをやらないのかな?

 だって、変じゃないですか。例えば、アニメ業界とかテレビドラマは原作ものばっかりじゃないですか。しかも、それで蔑まれてるかっていったら、むしろ、ハリウッドを支えてるのは原作もの映画ですよね。『ハリーポッター』だって、『ロードオブザリング』だって、『タイタニック』だって原作があるわけです。なのに、それがマンガになってくるとオリジナルが一番偉いんだ、メディアミックスはダメだ。ていうか、メディアミックスをやるなんて恥ずかしい。

 「それは変だな」と思ったんですよ。ライトノベルで10万部売れたんなら、それくらい面白い作品なんだったら、マンガにして10万部売れないのはおかしいんじゃないかと思ったんです。

 じゃあ、なんで売れないのかって思った結果、編集者自身がその作品をマンガにすることに愛情とか熱意を持ってないっていうのが1つ。その作品に適した俳優、作家をあてがうという概念そのものがないっていうのが1つ。たぶん、この2つなんだろうという結論に達したんです。


 2つ目はノウハウの問題なんですか?

多摩坂
 ノウハウっていうか、ほんとに概念の問題なんですよ。そんなこと、たぶん、みんな考えたこともなかった。例えば、私が仕事してると、たまに野次として「そら、あのタイトルで、あの作家連れてくれば売れるのは当たり前じゃねえか」みたいなことを言われるんですよ。

 軽々とおっしゃられるんですけれども、それはちょっと話がおかしいんですね。まあ、その人たちはいきなり結果を見て判断するわけだから、それができるなら売れるのは当たり前だ、おまえは別に偉くない、と言われるわけなんですけど。

 そもそも普通編集者っていうのは、持ち込みに来る人とか賞を応募してきた人、もしくはコミケで声かけた人たちとの付き合いがある。自分が付き合っている作家の担当グループっていうのがあって、それを上手くまわしてヒット作が出るのを待つ、というのが基本姿勢。

 となると、メディアミックス。例えば、今度こういうゲームのマンガをやることになったから、作家を連れてこいって言われたら、普通の人は担当作家の中から出すんですよ。


 手持ちからですね。

多摩坂
 それじゃあダメなんですね(笑)

 そんな都合の良い話があるわけないじゃないですか。例えば、どっかに映画監督がいて、その人が俳優ともそこそこ付き合いがあるとしましょう。「じゃあ、今度タイタニック映画にすることになったから、ちょっと俳優を見繕って」って言われた時に、自分の手持ちから選びますか? そんな馬鹿なことはないわけです。そんな都合の良い作家、いや、付き合いがあるわけないんですよ。

 さらにいうと、マンガの編集者でいえば、大体そこそこ育ってきた人ってのはもう仕事があって忙しいから振れないです。どうしても、手が空いている手持ちの作家。経験もなかったり、実力も未知数だったりする新人なんですよ。それは映画業界でいえば、どこの馬の骨とも知らん素人、もしくは新人の俳優を主役に抜擢するみたいなもんです。そんないい加減な仕事はないでしょ。

■良いメディアミックスの作り方 - 『狼と香辛料』&『レールガン』の場合

多摩坂
 原則私は手持ちの作家がどうこうという考え方はしないで、メディアミックスの場合は、良い本を見つけたら、その本に一番合う俳優をまず探す、っていうことをやるわけです。ちゃんと同人誌なりエロマンガなり、もしくは同業他社で仕事をしていて、どういう仕事をする人間なのか、はっきり見えている作家。さらに、例えば、この作品をあてがった場合、絵柄がどういう風に変わるだろうか。この作品でやられている表現をマスターしたらこの子はどんだけ伸びるだろうか。そういう相性とかまで考えて組む。


 例えば、『狼と香辛料』の場合は?

多摩坂
 『狼と香辛料』の場合はちょっと特殊で、元々私が小梅けいとさん担当だった。ただ、実際なかなかちょっと癖の強い作家さんなので、なかなかメディアミックスに使いにくい人ではあったんですよね。なので、ちょっと前連載やってから『狼と香辛料』まで3年くらい空いたのかな。カラーマンガをちょっとやったりはしていたんですけど、その間、新しいタイトルは振れなかった。

 ていうのは、前の作品失敗しちゃったんですよ、売れなかったんですね。それもあって申し訳ないし、でも実力は持ってるし、次に声かける時は絶対あててやんなきゃいけない。だから、彼に合う作品が出てくるまでずっと声かけなかったんです。

 で、『狼と香辛料』が出てきた時、 「もう、これしかない」と。当時彼は『くじびきアンバランス』の連載までやってて、よそ様からも声はかかってたんです。実は、2回断られてるんです。そこをですね、ホントに無理を通して。ここは交渉するしかないんで、「おまえは一生色物作家でいるつもりか」、「花粉少女とか何かスピンオフ企画とか、おまえ、その作品を親に自慢できるのか?」と。


 そこまで言ったんですか?

多摩坂
 ええ、言いましたよ、はっきりこの辺は。親に自慢できる、「小梅けいと」の代表作といって恥ずかしくなく出せる作品をやろう、と。絶対に売る、もう、この作品しかないんだ、もしこのチャンスを棒に振るようだったら、そんなセンスのない作家はこちらから願い下げだ、と。そこまで言わないと折れなかったんですよ。


 実際『狼と香辛料』はすごく面白いですもんね。

多摩坂
 これはかなり特殊な例。私も最近メディアミックス作品をやる時は企画をいただいたり提示したりする時、作家一人しか提示しないです。やっぱり理想とする作家がいたとしても断られることはあるんです。でも、今までの経験からすると、やっぱり第一志望。「この人だ!」って人じゃないと当たらないんですよ。

 第二志望、第三志望と落ちていくと、だんだん理想というかイメージから外れて、ぶれていくわけじゃないですか。それで上手くいくはずがないんですね。だから、ものによってはこの作家しかいない、この作家がダメならこの企画はなしで。そういう風な感じでやったりします。

 最近の例でいうと、『とある科学の超電磁砲(レールガン)』。これをやる時に三木一馬、文庫の担当編集が元々ちょっとやるかどうか、あまり乗り気でなかった部分があって。こっちとしてはもう提案する作家はこいつしかいない。ここで見てもらって、これでダメだったら、この企画はなしで。

 まあ、でも、言われる側にとってはたまったもんじゃないですけどね。彼はデビュー作で、同人作家ですから。「ええ、ほんとに?」っていう部分もあると思う。同人誌の世界ではそこそこ知られてきだしたかな、ってとこ。そんなの電撃文庫にしてみれば、知ったこっちゃないわけで。大王編集部でもすごく微妙な顔されたんですよ。


 『レールガン』もメチャクチャ面白いですけど。

多摩坂
 だって、インデックスって別にアニメ化されたわけでもなく、しかも、本編はガンガンで連載する作品じゃないですか。それを「本編ガンガンでやるんですけど、スピンオフを大王でやっていいですか」っていう話をするわけです。この企画って私が全部一から起こしていったものなので、やっぱり微妙な顔されるんですよね。

 「タイトルは『とある科学の超電磁砲』って言います」。今は済んだ後ですから、みんな、なんとも思わないですけど、『とある科学の超電磁砲』ってマンガ。編集会議に名前が出ると「なんだそれは?」って言われるわけですよ。いや、初めて編集会議に出した時、非常にタイトルを言うのが恥ずかしかった(笑)

 でもそこはやっぱり自信があるわけです。この作家はホントにすごい、絶対いけるからやらしてくれっていうのは、そうそうないんですよ。やっぱりこの世界、そんな天才は5年10年やって一人掴まるか掴まらないかって話なわけで。私もさすがにそこまでまだ言える作家に出会ってない。でも、この本をこの俳優でこの雑誌でこのタイミングで出したら、売れないはずがないくらいは言える。

■インデックスポーカー

多摩坂
 そういえば、『とある科学の超電磁砲』の2巻には禁書目録ポーカーなるゲームがついてるとか。

多摩坂
 あれは、元々私のマジック・ザ・ギャザリングの師匠。私にマジック・ザ・ギャザリングを教えて、日本選手権に招待されるぐらいにまでマジックの戦い方や考え方を教えてくれた人なんですけど。今九州でアナログゲームとかいっぱいやって、趣味人として生活している。まあ、変わった人です。『へうげもの』で言えばへちかに当たる。

 で、この人とその友達のたぶん九州でも3本の指に入るボードゲームの収集してる人が、去年の秋ぐらいに遊びに来ていて。その人たちが都産貿で開かれるテーブルゲームフェスティバルにちょっと遊びに行ってきて、それの戦利品を見せてくれたんです。

 その中にフォーチュンポーカーがあって、実際に遊んでみて。ああ、これはよくできてて面白いし、しかも元のテーマがポーカーだから普通の人でも分かる。最悪難しいと思ったら普通にトランプとしてポーカーやればいいし、これならインデックスのファンにも出せるだろうと思ってですね。そういうところから始まってるんです。


 オリジナルじゃなかったんですね。

多摩坂
 例えば、ちょっと前に同人業界でカードゲームが流行ったことがあるんですよね。MARI・UN・ZEROとかザレゴトコートとか。あれにもキングスコートって元ネタがあって。キングスコートってようするに、非常に豪快なUNOじゃないですか。なので、私もぼちぼちカードゲームとかグッズ、ちょっと面白いゲームを付録につけたいなと思ってたんですね。

 実は今キングスコートの権利ってウィザーズ・オブ・ザ・コースト(上述のマジックを制作した会社)が持ってる。ウィザーズ・オブ・ザ・コーストって色んな会社を買収してて。まあ、ウィザーズそのものが、ハズブロに買収されてるんですけど。

 その買収した中の一つにブルークエストとか出してるテーブルトークの会社があって、そこがキングスコートの権利を持ってたんです。なので、その権利はウィザーズが持ってて、持ってるだけで完全に忘れてるっていう(笑)

 でもね、パクッちゃう以上、連絡と契約料を払わなきゃいけない。「だったら、やめとこうかなぁ、権利料ってバカにならない」。当面は同人ゲームとかから探すのがいい。アナログゲームはなるべく権利的なところできつくならないように盛り上げていけたらいいなぁ、と。

 それに、私の認識ではUNOでも敷居が高いと思ったんです。


 ポーカーよりもUNOの方が敷居が高いですか?

多摩坂
 ポーカーを知らない日本人はまずいないと思う。さすがにトランプで遊んだことない人間はおらんだろう、と。でも、UNOはどうだろう。クラスの人間の半分以上、ひょっとしたら3分の2くらいは知ってるかもしれないけど、残り3分の1は知らない可能性がある。それはちょっとやだったんですね。

 だって、やっぱり、興味があって買ってみたっていってもそれで遊べなかったらしょうがないじゃないですか。特に、この手のゲームって、やってみたら簡単ですけれども、言葉で説明するのがすごく難しい。なので、これを作るに当たってちゃんと買った人が誰でも遊べるものにしたい、ってのが基本テーマだったんですよ。

 で、たまたまフォーチュンポーカーに出会った。フォーチュンポーカーがホントにポーカーとマジック・ザ・ギャザリングを混ぜたようなもので。ようするに、概念的には基本ポーカーなんですけど。

 手札、山札、捨て札、ホールド、っていう4つの場にカードがあるんですね。4つの場でカードを行き来させることでカード集めて役を作るっていう概念のゲームなわけです。その行き来はマジックの文法に準拠したカードテキストに従って移動させます。

 カードテキストがキャラクターの能力として表現されるわけです。

「アクセラレータ、カード3枚引くぜ!」「鬼か!」

 小萌先生はなんか捨てられたひねちゃった子を拾ってくるし。


 ちゃんと原作にも準拠してるんですね。

多摩坂
 神裂火織は聖人で、神に愛されているので、めちゃめちゃ運が良い、引きが強いわけですよ。神裂さんの能力って、数字かマーク(スペード・ダイヤ・クラブ・ハート)のどっちかを指定するんですね。例えば、10を指定したら、山札をどんどん捲ってく。10のカードが出たら、その時点ストップして手札に入れるんです。


 もう、なんでもありですね

多摩坂
 で、そこまで引いて出た10じゃないカードってのは全部捨て札に置かれる。だから、神裂さんの運が異常に強い、愛されてる。でも、その運の強さゆえに、周りの人が犠牲になるっていう性質をちゃんと表現できるんですよ。


 全員で1つのセットを使うんですか?

多摩坂
 みんな1つの山でやります。そういう意味ではポーカーです。1個単体で完全に完成しているゲームなので。66枚のカードで、それぞれの手札を引いていってという感じになります。なかなかアクティブで愉快。普通のポーカーではとてもお目にかかれないような役がガンガン作れる。

 今まで作ってきた『シャナ』とか『トリコロ』とはちょっと違った考え方で初回限定版を作ったんで、たぶん、みんな面食らってる(笑)


 いきなり、カードですもんね。

多摩坂
 いや、でも、悪くないですよ。灰村さんのイラストでラフだったものを全部リライトして、綺麗にしてたりしますし、絵的には良いものです。コレクターズアイテムとしては当面一番良いものになってると思いますよ。あとはアナログゲーマーの人にちょっと注目して欲しいなぁ、とは思いますけど。

 本当に初回限定版で、もう再生産しないのでスリーブに入れて遊んでください。ただ、やっぱり、結構会社としても冒険なんで、もし禁書目録ポーカーのロットが良くて、売れれば、今後そういうメディアワークスの人気作品に乗っかる形でアナログゲームを作るっていう新しい路線に活路が開ける。


 素晴らしいですね。

多摩坂
 どうしてもみんな趣味で、マニアックな、こんな新しいゲームを考えました、みたいなのをやるから売れないんですよ。もう、乗っかっとけと。ポケモンとか遊戯王みたいに(笑)

■インデックスポーカーの売り時期

多摩坂
 インデックスポーカーは今のタイミングで売るのが面白いんです。


 完全にメジャーになってからではなく?

多摩坂
 うん、初回限定版だしね。今でも結構早い段階じゃないですか。まだ禁書もアニメ化もされてないわけで。今の段階でファンである人たちはやっぱり筋金入りっていうか、素晴らしいファンたちなんで、この人たちが本当に楽しんでもらえるものを作る。で、同時にアニメから入ったニワカファンが、気づいた時には絶対に手に入らない状態になってて、地団太を踏むものを作りたい(笑)


 性格悪いですね(笑)

多摩坂
 美味しいものを食べるときは必要な人間が3人いるんです。美味しいものを作る人、美味しいものを食べる人、美味しいものを食べられない人。すごい美味い飯屋に行った時。話してたんだけど、用事が入って来れないヤツとかいるじゃないですか。そこで飯食ってる時に、そいつから電話がかかってきた時とか、いいじゃないですか。そいつが悔しがる様とかが、より料理を美味しくしてくれるわけです。


 オフ会の時、わざわざ出てない人に電話するような感じですよね。

多摩坂
 そもそも、なんで、禁書目録ポーカーが『レールガン』の付録なのかっていうと、それは私が『レールガン』の担当だからってのもあるんですけど、『レールガン』まで買うってのはインデックスのファンの中では一番コアなファンなんですよね。


 そうなんですか?

多摩坂
 いや、だって、なんも面識がないのに、いきなり『レールガン』を買いだすってのは、そこそこのマンガ好きじゃないと無理だと思いますよ。


 そういうもんですか。

多摩坂
 うん、やっぱり全体的に見ると。今コミックの方は『インデックス』『レールガン』だと、『レールガン』の方がちょびっと売れてるんです。

 それはなんでかっていったら、ガンガン版ってようするに原作と同じことをなぞってるわけです。それ、もう、原作読んでるから要らないじゃないですか。限られたお財布の中身を考えたら、オリジナルエピソードが載ってるマンガの方を買うのがお得である。

 ということは、やっぱり原作ファンがすごく支持して買ってくれてるわけです。そういう意味でいったら、やっぱりそういう一番熱心な、関連商品まで買ってくれてる人たちに対するお礼、感謝の気持ちを形にする感じですね。値段出すだけの価値あるものはちゃんと作ってます。


 付録付きなのに、お安いですよね。

多摩坂
 たぶん、なんも知らない人が見ると1680円は高いとは思うんですよ。最初はなんとか1000円以内にしたかったんですけど、トランプ、カードゲームのカードってかなり良い紙を使ってる。結構高いんですね。裏側が透けないようにする加工とか紙そのものの高級感を出すための重量感とか厚さとかニスぶきとか。

 そういうとこまで含めて、どうしても原価が高くなっちゃったんで、申し訳ないな、とは思うんです。でも、まあ、原作が550円ですか。約1000円出してオリジナルのカードゲームが1つ付きますっていうのは、コストパフォーマンス的には良いものだとは思っています。


 後々ガンガンに限定カードが1枚、とか……

多摩坂
 既にそういう相談はちょっとしてはいるんですけど、ただ、これってゲームが完全に決まってて。ゲームのデザイナーと相談した時に「やっていいけど、一つだけ条件をつけさせてくれ」、「ルールを絶対に変えないでくれ」って言われたんですね。

 そうすると、新しいカードとか作れないんですよ。ただ同じ能力のカードなんだけど、キャラ違い
っていうものしか作れなくて。で、ゲームショーのイベントで参加者に無料配布するとか、そういうのはありかな、と思ってます。実際に収録できるキャラ、インデックス多すぎなので。『レールガン』はちょっと少なすぎなんで、ちょっとできなかったんですけど(笑)

■アナログゲームへ恩返し

多摩坂
 私はマジック・ザ・ギャザリングとかテーブルトーク、アナログゲームに色々教わった人間です。それが今本当にすごい落ち目じゃないですか。本当にロットが出ないんで商売にならない。もったいないな、と思うんですよ。ちょっと恩返ししたい。

 ただ、恩返しするにしても、ただ単に作って悦に入るんじゃダメだから、ちゃんと数を売って、こういう面白い世界があるんだっていうのを別のジャンルの人たちに教えて入ってもらうっていう形が作れるといい、っていう風に思ってます。

 ドイツくらいに盛んになればベストですけども。なかなかね、日本ではそういう風には。


 ドイツは盛んなんですか?

多摩坂
 あ、カードゲームしかやってない? ボードゲームってのはですね、ドイツとアメリカがすごい盛んで、それ以外の国は全然ないんですね。特にドイツってのがものすごくボードゲームってのが盛んで。

 なんでかってと、まず、家が大きい。色んな家族とか友達が呼び合ってボードゲームとかをやる環境があるんですね。やっぱり、ボードゲームって基本、家が広くて、ホームパーティとかを開くっていう文化があるっていう国が強いんですよ。だから、日本とか絶望的なんですよ(笑)

 さらにいって、ドイツにはボードゲームの賞があるんです。直木賞みたいなヤツ。本屋大賞みたいっていうと分かるかな。毎年その候補作と大賞、優秀作っていうのが発表されて、すごく認知されてるんで大賞受賞作ってのはすげえ売れるんです。カタンも受賞作です。


 そうだったんですか。

多摩坂
 うん、それで有名になって日本でも輸入した人がいて、ちょっと話題になった。

 で、私がカタンを紹介した結果、はまった人が山口さん。カタンはめた結果、ボードゲームとかアナログゲームが大好きになって、仕舞いには自分でアナログゲームを作ってコミケで売るぐらいになった人なんですけど。

 逆に今、その人にすごく教えてもらってます。年を追うごとにボードゲームもすごく進化してるんですよ。どんどん新しい概念とか考え方があって、めちゃめちゃ洗練されて。だから、みんなに遊んで欲しい。面白いんですよ。

 カードゲームでも他に紹介したいものが幾つか、禁書目録ポーカーと同じような形で初回限定版で入れたいな、ってのがあってですね。例えば、ゴキブリポーカー


 ゴ、ゴキブリですか?

多摩坂
 聞いたことないですか? これはすごくルールが簡単っていうか、枚数だけ聞けば、もう誰でも作れちゃうんですね。難しいルール何もない。文字もない。

 カエル、コウモリ、ネズミ、クモ、ハエ、サソリ、カメムシ、ゴキブリ。好きなやつはそうそういないよね、っていう八つの嫌われ者の動物のカードがある。これを最初の山の枚数に応じて配るわけです。例えば、初期手札が5枚とか6枚とか配られるわけですね。

 スタートしたら車座になって、ターンが回っていくんです。自分のターンが来たら、まず好きな相手を一人選ぶ。例えば、そいつに向かって、裏返した状態で「カメムシ」って言って。投げるわけです。投げられたプレイヤーはカードを見られません。

 ここで投げられたプレイヤーは2つの選択ができる。イエス・ノーを答えるか、そのカードを受け取るか。

 例えば、「カメムシ」と投げられ「イエス」と答える。カードをオープンしたら、カメムシだった。この場合は当たりだから、跳ね返ってきて、投げた人のカードになる。逆に、「イエス」と言って違うカードだったら、表にして投げられた人のものになります。

 で、そういう予想を外して一つの動物のカードが4枚になる人が出たら、その時点でゲーム終了。

 「おまえはクソ虫」「おまえの負け」

 敗者を一人出すことを目的としたゲームなんです(笑)


 勝つ人じゃないんですね(笑)

多摩坂
 うん、すごい性格が悪い。

 で、このゲームの醍醐味はこっから先。イエス・ノー応えない場合。イエス・ノー応えなかったら、そのカードを受け取らなきゃいけない。

 例えば、犬さんから私に向かって「ゴキブリ」って言われて、「うーん、わかんねえなぁ」って見るわけです。で、見たら、このカードを別の人にやっぱり伏せたまま「カエル」って投げるわけです。そういう風に回していって、もちろん最後の一人になったら必ずイエス・ノーで応えなきゃいけない。

 一枚のカードをたらいまわしにして読みが外れたらその人のものになって、負けたら「ゴミ虫」。すごく性格が悪い(笑)

 これ、ちゃんと分かってる連中でやったらメチャメチャ面白いんです。ルールこれだけなんで、言い訳きかないじゃないですか。サイコロ振るとかみたいに偶然の要素がない。どうなるかっていうと、負けたらもう本当にそいつに才能がないっていうか、無能。名実共にゴミ虫なんです。運が偏らないんですから。


 素晴らしく性格が悪いですね(笑)

多摩坂
 ポーカーとはまた違う意味で、観察力がつくんですよ。その人がカードを受け取って何秒後にそれを返したとか、一瞬の間とか表情の微妙な変化とかを読んで本当かウソかを判断する。ちょっとでも手がかりが得られたら、みんな集中砲火しだす。そうすると、また体勢が崩れて切り崩されたりするんですけども、それが楽しい。ドイツが生んだ、超性格の悪いゲームです。

 古典だったら、それこそ人生ゲームとかあるじゃないですか。あれなんか比べ物にならないくらい、今ボードゲームの世界は進化してる。ドイツのボードゲームは家族が揃って楽しむことを前提にしてるんで、バランスの取り方と運の要素の混ぜ方が絶妙。すごく面白い。


 運を消すわけじゃないんですね。

多摩坂
 だって、そうすると、絶対子供が勝てなくなっちゃう。運もそこそこ混ぜつつ、でも、全体的には分かってる人が有利になるようになってますね。

 さっき言ったとおり、そもそもマンガ編集者になるつもりではなかったので、なんでも好き。いろんなことをやってみたい。今回何故かいきなりゲームを付録したりしてるわけで、他のものも作れたらいいな、と。

■編集者=黒子


 最近編集者の方を紙面で見るような気がしているのですが、何故なんでしょうか?

多摩坂
 昔、編集者っていうのは黒子である。黒子は表に出てはいけない、っていう職業倫理が、たぶん、空気的にあったんで、そういうことをしちゃいけないってされてたんですね。

 ただ、最近になって、長崎尚志さん(浦沢直樹担当)だったり竹熊健太郎さん(『サルまん』でお馴染み)だったり、キバヤシさん(『MMR』でお馴染み)たちが、フリーになって、出て。一応、スケールは小さいですけど、私もその一人になるかな、と思うんですけれども。


 出版社が編集者をアピールして本を売っていこうってことなんですか?

多摩坂
 そういう形ではないですね。出版社は絶対に今の流れを望んでいないと思います。

 ていうか、今そんなに編集者ってインタビューを受けてますかね。だいたいインタビュー受けるのって編集長で、編集長じゃなかったら長崎さんくらいしかいないじゃないですか。長崎さんがやっぱりインタビューを受けるっていうのは、なんだかんだいって、浦沢直樹さんの担当編集であるというのがすごく大きいわけで。


 本人の資質よりも、担当だから?

多摩坂
 そうですね。だって、結局竹熊さんなんかもこの業界では有名ですけど、『サルまん』やってなかったら絶対に声かからないですよ。

 やっぱり、すごい有名な売れたタイトルをやった人じゃないと声はかからない。それ以外は編集長にどうしてもなっちゃう。


 編集者が露出する理由ってなんでしょうか?

多摩坂
編集長の場合とフリーの場合とあるんですね。

 なんで、編集長に流れていくかというと、マンガが斜陽産業だから。だいたいどんな業界でもそうなんですけど、上り調子の時は、「もう何々は終わった」と、「何々について考える」とか、そのジャンルを学問にしてみようって流れなんか出てこないんですね。

 ボチボチ落ち目になってくると、学問とかにしてみよう、と。「武士道」とかと一緒。「武士道」も「騎士道」も、終わった後から煮詰まって初めて出てくる。「俺たちってなんなんだろう」っていう風になってくるわけなんで。

 「マンガが面白くなくなった」と言われて久しいわけじゃないですか。「面白いマンガってなんなんだろう」、「俺たちが読んでるものはなんなんだろう」って流れが出てきた結果、編集者、マンガを作ってる裏方の人たちの方に目が行ってる。

 雑誌はよく編集長のものって言われて、実際その通りです。だって、編集長が通さないと載らないんです。編集長は絶対です。売れても売れなくても、全部編集長の責任です。その重い責任を持ってる代わりに全権を握ってます。編集長の作りたいものが雑誌になるんです。経験してみて、この現場に立つと分かる。雑誌は編集長のものだし、編集長のカラーに染まる。

 ようするに、編集長に才能がないと、雑誌も売れない。でも、絶大な権力を握って、好きなものを載せられてると思うかもしれないけど、編集長はその仕事の性質上、自分で作品は担当できないわけです。自分の部下の編集者を使って、自分の思い通りの作品に近い作品に誘導するしかない。だから、私、編集長の道は途中で止めました。それは面白くないなと思ったんで。フリーを極めて、傭兵隊長になった方が面白そう。

 で、編集長は仕事ですから、自分が出れば、雑誌読んでくれるかもってのはあります。これが出版社側、編集長側っていう風に見た時の流れ。

 フリーの場合は、まず、編集者がフリーになる時点で目立つ。さらに良い仕事していたら、その人は職人として目に留まる。雑誌社の制約がないから、もっと言えないことが言えたりする、ていうのがありますね。

 もちろん、フリーの側にとっても露出すればするほど知名度が上がるし、仕事も来る。そのインタビューからお金もらったりもできる、ていうのがあるんですね。

■多摩坂さんが表に出る理由

多摩坂
 私の場合は、本当にちょっと自信がついてきた。もちろん、大手さんに比べれば部数も低いし、全然及ばないものを作ってはいるんですけど。でも、曲がりなりにも一つのジャンルでそこそこ盛り上がってる、注目されてる作品を任されるようになった。その分野においてはちゃんと原作ファンが楽しめる、納得できるものを作れて、目立つくらいのところにはきたかな。

 あと部数でいえば、ぼちぼち10万部くらいのものはコンスタントに作れるようになってきた。だったら、今こういう人間がいて、こういうことを発言したら、もうちょっと世の中面白くなるんじゃないかな。もうちょっと自分のことを、編集者ってアピールしていいんじゃないかなと思ったんですね。

 あとは、経済的な事情ってのもちょっとあります。今のマンガの市場規模ってご存知ですか?


 いや、分からないです。

多摩坂
 例えば、今から4年前くらいにビームの奥村さんが早稲田大学に講演会を開いたことがあるんですけど、4年前に彼らがその講演会で言った数字で、ですね。4年前に見た数字なんで、2000年代の頭くらいの数字ですね、数値としては。

 この頃の出版業界の事業規模っていうのは、出版業界全部合わせて年間で2兆4000億円って言ってたんです。これがどういう規模かというと、富士通一社とだいたい同じくらい。それが4年前の講演会の時点でそうなんです。で、確か去年出た数字、2007年度の数字が出版業界全体の数字が2兆800億。


 減りましたね、ずいぶん。

多摩坂
 うん、3200億減りました。その減り分はだいたい雑誌なんですけど、洒落にならないでしょ。いま、富士通は2兆8000億くらいになってます。


 水をあけられてしまいましたね。

多摩坂
 うん、水をあけられてしまいました。完全に富士通に負けちゃった(笑)

 ここ見てもらったら分かるんですけど、たかだか2兆円市場なんですよ。日本のIT産業だなんだって伸び盛りのもんとかテレビとかに比べると、全然ちっちゃいんですね。富士通一社に負けちゃう。

 で、そうなるとどうなるかっていうと、私はやっぱり本当に優秀な人たちっていうのは数字が大きいとこ、あと一番新しいところに人材が流れるって思ってるんですね。今、マンガ家もマンガ家を目指すって若者も減ってて、それもたいがい深刻なんですけど。

 ここ数年でマンガ家以上に優秀な編集者がいない、入ってこないっていうのを感じてて。むしろ、そっちの方がやばいんじゃないかって感じてきてるんですね。なんせ、元々黒子の文化があって、表に出ちゃいけない。で、出版業界そのものがこういう風にちっちゃくて。

 なんか見てると、編集者って作家の尻を叩く。で、作家の原稿の遅いのに振り回されるぐらいの仕事ぐらいしか見えないわけじゃないですか。それはパッと見目指さないと思うんですよ、優秀な人たちが。それはきつい。

 でも、今私やっててすごく面白いし、フリーになってすごい収入増えたんですよ。年収倍になりました。


 すごいですね。

多摩坂
 3倍くらいの目はもう立っていて。メディアワークスっていう中堅どころくらいの出版社の仕事くらいしか今してないわけですけど、それでも三大出版社の正社員と同じくらいか、それ以上の年収は稼げる目処はついてます。

 ちゃんと才能があれば面白いし、やりたいことやれるし、しかも儲かるんですよ。これはアピールしたら、もうちょっと人来るのかなって気はするんですね。編集者ってこんなに面白いんだぜ、こんなに好き勝手なことがやれるんだぜ、それでさらにお金も入れば言うことないじゃないですか。


 言うことないですね。

多摩坂
 アニメの世界なんかも、もうちょっと前からそういう考え方ってのが出てきてる気配があるんですけど。やっぱり、その世界でそれなりの位置に上がってきた人たちってのは、これから入ろうとしてる人や若手に対して夢を与える義務があるってのがあるんですよ。ただ良い仕事をするだけじゃなくて、この仕事はこんなに素晴らしいんだよ、っていうのを見せないと夢が持てないじゃないですか。


 なるほど。

多摩坂
 人が入ってこないし。なら、成功者はちゃんとお金が儲からなきゃいけないし、好きなことやって楽しそうにしてなきゃいけない。芸能人ってのは、だから、あんだけ楽しそうにして、お金も儲かってなきゃいけないし。功なり名を遂げた人はそれなりのね、外見をしなきゃいけないわけなんですよ。

 全然大したことないですけど、自分なんか。でも、君たちは全然大したことしてないと思ってるかもしれないけど。メディアミックス、しかも、ライトノベルとかエロゲーとか、そういうものでこんだけ好き勝手なことがやれるんだ。しかも、こんだけ目立てるんだ。あと、今日初めて言いましたけど、実はちゃんと儲かるんだ。

 どう思う?

 言ってみたいところがあるんですね。だって、ねぇ。そんじょそこらの、例えば、私が社員のままだったら、ぶっちゃけ、こういうとこ住めないわけです。都心駅近く、一軒家ですよ。


 つまり、多摩坂さんが出てきたのは夢を与えるためなんですか?

多摩坂
 夢を与えるていうか、ようするに、マンガ編集という仕事がある。それはこんなに面白くて、こんなにやりがいがある。で、実はこんなに儲かる。ってことが多少なりとですけど示せたら、もうちょっと編集者面白そうだって人が若手の中に出てくるんじゃないかな、って期待はしてる。

■編集者の重要性


 出版社は編集者に黒子のまま、フリーにはなって欲しくないのですか?

多摩坂
 そうですね。コントロールできなくなるから。生々しいこと言っちゃうと、編集者がフリーになるっていうのは、自分の仕事に対して見合う金をもらってないからなんですよ。

 たぶん、読者の方っていうのは、小説にしろマンガにしろ、そのほとんどを作家が考えて書いてる、と思ってる。


 僕のイメージもそうです。

多摩坂
 そんなことは全然なくてですね。例えば、原作モノとかあったとするじゃないですか。原作者というのが原作を切ってる。それだったら、原作者っていうのはそれなりに作品に関わってると思うじゃないですか。でも、編集者の作品に介入する度合いっていうのは、原作者の非ではないです。


 それほど?

多摩坂
 はい。本当に、何故編集者は印税をもらえないのか、それは「サラリーマンだから」の一言で解決される話で。むちゃくちゃなんですよ、ありえない。

 まだオリジナルの作品でコーチとかトレーナーという形なんだったら、サラリーでやっていてもまだ分からんでもない。でも、私の場合はもはや監督に近いんで、むしろ、監督に金出さなきゃダメでしょ。作ってるわけですから。

 私の個人事業主とかメディアミックスの監督としての意見です。まあ、こういう風に出たら、出版社は良い顔しないですね。そら、出版社はキバヤシさんとか長崎さんとか、独立しないでサラリーマンでいてくれた方がありがたい。

 さらにいうと、最近ちょっとずつ出てきたんですけども、未だに編集者っていうのは基本奥付に名前が載らない。


 確かに載ってないですね。

多摩坂
 今やって、最近小学館がやりだしたのかな。エンターブレインビームのヤツはだいたい載っていて。あと、一迅社もやりだしたかな。でも、やっぱり、2か3、多くても5つくらいしか編集者の名前がマンガの奥付に載らないんですね。ありえない。


 何故載せないんですか?

多摩坂
 黒子だから


 美学的なもの?

多摩坂
 たぶん、そうだと思います。私も一時期ちょっと噛み付いたんですよ。単行本のカバーのデザイナーの名前が奥付に載るのになぜ編集者の名前が載らないのか。そんな馬鹿な話はない。それはあなたたちはサラリーマンだから、別に載らなくても何の問題もないし、載ったら都合の悪いこともあるかもしらん。けど、私はフリーだ、と。

 でも、「いや、規則だから」と言われてですね。「奥付にはそういうフォーマットがあるから、それを曲げるには一回社長を通して話さなければいけない」と。


 いきなり社長まで。

多摩坂
 実際これはマンガに限ったことではなくて、例えば、文庫本とかでもフォーマットがあるんですね。だいたいどういう役柄の人がどこの位置に入るってのか決まっていて、裏方ですごくお世話になったのに載せられないなんて例があるんですね。

 そういう場合はどうするかっていうと、だいたい目次の辺りとかカラーの口絵のページが終わった辺りに協力者の名前を入れてるページがあってですね。


 謝辞とか?

多摩坂
 そうです。作家さんとか編集者さんが、すごくお世話になったのに奥付に名前を入れられないのは忍びないので、ちょっと別のところで何とか名前を入れられるようにしよう、と考えた結果。分かりやすい例だとカメラマンさんとか。

 ライトノベルのレーベルでも、イラストレーターの名前は奥付に載ってないと思うんですよね。だから、代わりにそのカバーの折り返しのところ辺り、口絵の1ページ辺りに。今私も自分が担当しているマンガについては目次のページに関わった人の名前を入れるようにしてるんですけど。

 でも、それっておかしいじゃないですか。

 例えば、10万部売れる作家と10万部売れる編集者がいるとします。出版社的にどっちが大事? どっちが貴重?


 作家ですか?

多摩坂
 いや、昔からね、編集の方が大事なんです。なんでかっていうと、10万部売れる作家はいたところでせいぜい1,2作品しか雑誌社に提供できないんです。10万部売れる編集者ってのは、10万部売れる作品を量産できるんです。

 もっと根っこのとこでいうと、どんなにすごい作家がいても、編集者が声かけて、ゴー出さないとその人が紙面に載ることはないわけです。作家の実力も大事ですけど、まず、それを見つけて、それを有効に使える編集者がいない限り、それがマンガになることはないんです。

 ある意味、作家よりもずっと編集者の方が大事なんです。


 そんなに上手くマネジメントできるものなんですか?

多摩坂
 編集者の才能っていうのは才能のある作家を見つけて、育てて、ちゃんと売れる形に加工して、本にして、出すというものですね。ようするに、10万部売れる編集者ってのは10万部売れるだけの才能ある人を見つけてきて、引っこ抜いてきて、その子をちゃんと育てて送り出すことができる。作家だと一人しかいないわけですが、それができる編集者がいたらやっぱり売れる人がぼんぼん育ってくわけです。


 そういうものも才能よりは運で、コントロールはできないものなんだと思ってました。

多摩坂
 私もそんなもんかな、と思ってたんですけど、最近色々考え方を改めてですね。とりあえず、10万部くらいならそこまで作るのは難しくないなって感じになってきてます。

■マンガを編集者で選ぶ


 出版社は編集者の名前でマンガを売り出すことはしないんですか?

多摩坂
 そういうものがボチボチ出てきてもいいだろうなと思ってるんですよ。それこそ映画の例でいったら、何故その映画を見るのかという動機はタイトルだったりストーリーだったり、もしくは宣伝を見て面白そうだったり。この俳優が参加してるから、脚本が誰それで。それらの要素の中で、映画だったら、誰が監督かってのはかなり大きい。

 でも、マンガの世界って、雑誌の名前か作者の名前、原作が何かくらいしか今見られないんです。これはもったいないな、と思うんですよ。さっきも言った通り、私は編集者というのは監督だと捉えていて、この監督が作る新作なら、ちょっと読んでみようかってのは、あったらそんだけビジネスチャンスが広がると思うんですね。この人が連れてきた作家なら間違いないだろう。やっぱ、そういうのはあるんですよ。

 例えば、今のチャンピオンの沢編集長。どういう人かっていうと、まず、板垣恵介さん山口貴由さんを見出して、デビューさせた人。ようするに、『グラップラー刃牙』『覚悟のススメ』『シグルイ』を立ち上げた人。

 その一方で、車田正美さんをブッコ抜いてきて、チャンピオンで連載させたりとかですね。『エイリアン9』をやったり、あと『松田勇作物語』をやったりとか。

 ここらへんを見てると、やっぱりすごいじゃないですか。たぶん、プロになる前の山口貴由さんとか板垣恵介さんってものすごいアクは強いけど面白いかどうかって感じだと思うんですよ。それを「こいつは使える」って見出して、デビューさせて当てちゃうってのはすごいことだと思う。

 私も、そんな域には全然達してないので、どうやったら山口貴由さん板垣恵介さんを見つけられるかってのは分かりませんとしか言えない。作れないですもん、『シグルイ』とか『バキ』とか。無茶言うなって話で。

 これは作家もすごいけど、やっぱり、編集者がすごいと思います。そういう風に見たら、やっぱり面白いんですよね。名物編集者ってとこでいけば、ビームの奥村編集長とか面白いわけじゃないですか。やっぱり、あの人がいるから、桜玉吉さんがビームで書いたりってのがあるわけで。

 作家だけではどうしても難しい。やっぱり、編集者がその人を認めて活躍する場を与えて、その人の面白い部分を誘導してゴーサインを出してっていうのはやらないといけないわけです。そんだけ大事な役割なんで、ボチボチ読者が作品を選ぶ要素として認めてあげてもいんじゃないかな、と。

■マンガ編集者のなり方


 マンガの編集者になるには、どうしたらいいんですか?

多摩坂
 まず、ちゃんとした出版社は基本的にオタクを採用しないと思います。

 やっぱり好きっていうのと、それで面白いものを作れるってのは全然別の領域に属する話です。好きとか面白いってのは質が悪いんですよ。特に、マンガとかライトノベル、ギャルゲにはまってるような人たちはどんどん深くて狭い方向に行くんですね。「そっちの方が上等だ」、「俺はお前らとは違うんだ」と。

 それはやっぱり狭い、売れないんですよ。マニアックっていうのは客を選ぶってこと。客を選ぶってのは売れないってことなんです。そういう人は出版社としては困るんですね。編集者の仕事ってのは、一に締め切りを守らせる、二に売れるものを作るですから。売れるものを作れない人はお呼びじゃないわけで、ちゃんとソロバンがはじけないといけない。

 そうじゃないとダメですよ。ただ単にマンガが好きだから編集者になりたいっていうような人たちでは、どんどんマニアック化していくわけじゃないですか。やっぱ日本人ってそこら辺すごく上手くなくて。特に、ややマニアよりのもの。すでにここ数十年でいけば、オタクがSFとファンタジーの2つのジャンルを潰してるんですよ。


 使い潰しましたね、見事に(笑)

多摩坂
 スターウォーズでSFブームが来たのに、SFファンたちは内に篭って、ライトな層とかちょっとSFに興味を持ってるやつらを一見さん扱いして、追い出して、狭く深く行った結果、誰もついてこなくなった。

 最悪の台詞が「ガンダムはSFではない」ってのと「うる星やつらはSFではない」。当時言われた言葉です。


 SFではない論争ですね(笑)

多摩坂
 うん、問題外です。SFを滅ぼしたのはやつらですから(笑)

 で、その後でロードス島戦記だなんだのって頃。ドラクエとかに端を発する。あれなんかも、テーブルトークが盛り上がるかに見えたんですが、そのまましぼんでいきまして、ゲームだけになっちゃいました。今マンガの世界でファンタジーってないし、儲からないし、やりたがらない。

 落語なんかもそうですけど、なんかジャンルができたときにですね、そのジャンルの最初のファンの人たちってなんか創業者利益とか最初に知ったから偉いとか、そういう意識があって、どんどん狭く深くなってライト層を排除する方向に走るんですよ。狭く狭くなっていった結果、若い子は全然ついていかない。良くないですよね。

 今マンガが本当に、落語みたいな感じ。作り手がそんなんだとダメなんですよ。今までに見てきたもの抜きにして、作り手からもっと、自分がこうやったら売れるんじゃないか、こうやったら面白いんじゃないか。そういうことを考える、優秀な人が入ってこないと、マンガは絶対に伝統芸能化します。

 特に、大きいとこの会社だと大体新卒で取ったりするじゃないですか。新卒ってことは社会経験ないんですよ。世間に出て、ものを売ったことのない人間が売れるものを作れって言われるわけです。ここでオタクとか採用したら、ダメなんですよ。趣味のもの作っちゃうから。


 それでも、なりたかったら?

多摩坂
 大学生の子とかにも「どうしたら編集者になれますか」とか「
多摩坂さんみたいに好き勝手なことやれますか」って聞かれるんですけど、俺と同じ人生を歩むのはちょっと無理くさい。でも、俺と同じこと経験しないと、俺とおんなじことできない。

 ランボーを使うにはどうすればいいか、っていうようなことは教育大にいた頃とか塾講師やってた頃に、色んな人と話すことで学びました。結構私本格的ですよ。教育心理学とか学んでますし、塾講師で現場のちゃんとしたやりとりとかもやってます。営業もやってますし、商売もやってます。そういうのを全部重ねていったら、どういうわけか、作家を口説き落としたり、作家に自分の望み通りの展開の原稿を描かせるっていうことができるようになった。


 なるほど。

多摩坂
 まず、私の人生は役に立たないので、確実にマンガの編集者になりたいんだったら、まずは出版社のバイトか編プロに入りなさい。実際現場で見れば出版社ってのは新卒で見たらメチャメチャ競争率高くて入るの厳しいところなんですけど、現場は即戦力を欲してるんですよ。常に人が足りないんです。

 逆に言うと、やり方が分かってる。ちゃんとマンガが作れる。作家も知り合いがいる。単行本も作れて、ノウハウは全部分かってるっていう即戦力がいたら、欲しがられます。本当に大手ってのは無理かもしれないけど、中堅どころだったら中途で正社員で入れるはず。

 大手なんか入れると、正社員になった日にはむしろマンガをずっと続けるとか難しいですから。大会社はどんどん飛ばされていきますから。全然、マンガじゃない部署に行かされたりしますので厳しい。マンガ一本でやりたいんだったら、そういう風に手に職をつけて中途で入るのが一番かな。

 だって、ありえないですよ。メディアワークスとかエンターブレインとか、そこら辺の中堅どころですら年間の正社員採用するの2、3人で、それに対して応募がどんぐらいくるかっていったら、4-5000じゃきかなかったりするわけでですね。そんな馬鹿馬鹿しい確率。

 しかも、例えば会社が4,5人採用したとして、その会社は何百人、会社によっては何千人とかいるわけですよ。総務もあれば経理もある、マンガもあれば広告宣伝もある。どこに飛ばされるかわからんわけですよ。何万分の一やねん、その確率と。

 マンガ編集者しかないだと思うんだったら、そんな博打に賭けるのはさすがにあほらしすぎる、と私は言います。まあ、それでも難しいですけどね。そこはやっぱりチャンスだって言えるだけの準備ができてるかどうかって話。


■編集者になれた理由

多摩坂
 それと、やっぱり出版社が欲しがるくらいの条件を積み重ねるしかないんですよ。

 私は元々メディアワークスは中途採用で、それもマンガ編集者じゃないんですよ。マンガ編集とかほとんどやったことない、同人誌くらいしかやったことない。自信ないので広報志望で出したら、「編集者になるかもしれないけどいい?」って言われたので、「いいです」と(笑)

 そもそもあんまりマンガ編集者になるって発想を持ってなかったんですけど、じゃあ、なんで、会社が取ったかっていったら、「過去にサークルを扱って一番成功させられたと思ったのは何か」と聞かれて、「TYPEMOON月姫、最初に押したのは私ですかね」、って言った辺りがたぶん強い。


 売れるものが出せると判断されたんですか?

多摩坂
 少なくとも売れるものを見分ける目があって、それを取り上げるだけの行動力がある、っていう感じですかね。私が世間的に一番最初に注目された仕事っていうのはTYPEMOONさんのスタッフのロングインタビューなんですよ。私も実は商業的にはインタビュアーが最初の仕事でした。今これに収録されてるんですけど。(『月姫読本 Plus Period』)。これをやったのは私のおかげです。

 まあ、TYPEMOONさんのインタビューて腐るほどあるわけですよ。腐るほどある中で、ある日、突然、月姫の青本をちゃんとした本にして、宙出版から出すことになりました。つきましてはインタビューを収録したいんだけど、あなたのこれを収録させてくれないかと来たわけです。これは自信があったんで、「ああ、そうだろうな」と思って、後はお任せして。

 私はこれそのものの編集には関わっていないんですけど、テキストは当時のまんまなんで、そこはやっぱり考え方の違い。

 あの当時、同人ソフトでいえば、ビジュアルノベルででてきた最初の流れ。ちょっと今までのと空気が違うなぁ、この人たちは押さえておかないとやばい、と思って、かなり早い段階から動いてるんですね。で、インタビューは「やっていいですよ」と言われたんで、勇んで、レコーダーを持って、ドキドキしながらやったんですけど。

 こんときのコンセプトは、ただのインタビューをやってもダメなんだ。じゃあ、普通のインタビューとこのインタビューを差別化できるものって何があるだろう、って考えたんですね。こんときに私が得た結論。まず、本に載るインタビューとネットにアップされるインタビューの最大の違いは、ネットに掲載するインタビューは内容を削る必要がない。紙面の制約がないので、聞いたことを本当にやばいこと意外は全部掲載できる。これは圧倒的なアドバンテージである。であるからには量を聞かないといけない、というのが一つですね。

 もう一つは、TYPEMOONさんはまだ出てきたばっかりで、インタビューも1,2あったけど、本人たちを掘り下げるってものではなかった。なので、このインタビューを見れば向こう五年くらいはこの人たちに聞く必要がない、ていうか、向こう5年くらいはこのインタビュー読めば、TYPEMOONに聞く事は何もない。


 出てくる余地がない?

多摩坂
 ええ、余地がない、決定版を作っておこう。そういうコンセプトで質問項目を選んでいったという経緯があります。だから、選ばれたってのは当然だと思います。

 だって、チャンスなわけじゃないですか。チャンスってのは誰にも転がってくるもんだ、と。転がってきたら、まず、それを掴める状況が整ってなきゃいけない。掴めて初めてスタートラインなんで。チャンスってやっぱり転がってるっていっても、そんなにちょくちょく来るもんじゃない。だから、そのチャンスを有効に使えなきゃいけない。

 まあ、例えば、野球でも10打席中7打席は3振していいわけですよ、討ち取られていいわけですよ。でも、3打席はヒットを打たなければいけない。特にすごいといわれる、四番とか振られるようなエース級の打者というのは打率以上にチャンスに強くなきゃいけないんですね。


 良いタイミングに打たなきゃいけない?

多摩坂
 どうでもいいホームランじゃしょうがないわけですよ。コールド負けに近いところで打ったってしょうがないわけで、天下分け目のここでホームラン打てるのが四番なわけですよ。負けていい時は幾らでも負けていいんです。ただ、絶対に負けられない局面があるんで、そこでは必ず勝たなきゃいけないんです。その辺の緩急。


 それが一番難しそうですね。

多摩坂
 それはやっぱり全部できるかできないかは日ごろの準備かなと思ってます。準備ができていればできると私は思ってます。ま、なかなか難しいですけど。

■色々な立場として

多摩坂
 私の場合、仕事とか立場とか、すごく複雑な位置にいるんですね。こうして話す時、色んな立場のものが混ざって話してるんですよ。個人事業者としての私、マンガ編集者としての私、メディアミックス作品の監督としての私。それぞれに考え方とか立場とか方法論があって、その中で話しても面白くないものをカットしてるわけですよ。

 例えば、本来私がちゃんと持っているマンガ編集者としての私、って話は全然してないんですよ。ここだけ見ると、私ってかなりろくでなしに聞こえるじゃないですか。マンガ編集者としての考えもありますから、ちゃんと語れるんですよ? でも、たぶん、話してもそこまで面白くないんですよ。だから、ものを話すと、どうしてもとんがったところばかりになっちゃうんですね。

 さらに、私、どうしても個人事業者だし。さらにいうと、傭兵隊長?


 傭兵隊長?

多摩坂
 私が例えば、すごく面白いんだけど、売れない作品とかを作ってもしょうがない。会社から干されちゃうし、会社もそんなものを望まないですよ。会社ってのは良い試合をすることじゃなくて、成果を上げてきてって望んできて、私に仕事を振るわけです。だったら、数字を挙げるタイトルを作らなきゃいけないわけで、どうしてもそれを中心にした話になる。

 実際、そういう風なものも作ってみない、ていう話になったりはするんですけど、なってもしょうがないんですよね。総合出版社だったら、純文学とか詩とか、そういう同人誌よりも売れないような雑誌とかが文化事業としてやったりするわけですね。いやじゃないですか、赤字垂れ流しですよ、そんな部署。


 いいですけど、かかわりたくないですね

多摩坂
 私はたぶん出版社の中でも数字が計算できるし、数字を出す考え方もできる人間なので「そこを使ってくれ」ていう部分があります。どうしても、そっちよりになってしまいますね。
2008.09.27(22:38)|テキストサイト管理人コメント(0)トラックバック(0)TOP↑
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