「ロシアの韓国系メディアが安重根の義挙を主導」
「日本で政治家として有名だった伊藤博文がハルビンに向かう途中、偶然停車場に降りた際、一人の韓国人が伊藤に向け銃を撃ち、重傷だと…」
- 1923年にロシアのウラジオストクで創刊された新聞『先鋒』の第100号(1925年11月21日)。社会主義と抗日運動の色彩が強く出ていた。
最近、方一栄(パン・イルヨン)文化財団の支援を受けて研究書『ロシア地域の韓人メディアと民族運動』(景仁文化社)を出版した水原大史学科の朴桓(パク・ファン)教授は、この理由について「ロシアの韓国人向け新聞こそ、まさに安重根の義挙を主導した核心だったからだ」と語った。伊藤博文狙撃の謀議がなされた場所は大東共報社の事務室で、安重根は同紙の通信員だった。
朴教授の研究書は、ロシア地域初のハングル新聞「海朝新聞」の創刊100周年に合わせて出版された。本書はこの100年の間にロシア沿海州や中央アジアで発行された韓国人向け新聞に関する、初の研究書にして通史だ。「ロシア側の資料をなかなか手に入れられず、現在までこの分野の研究ができなかった。しかし20世紀初めの沿海州は、抗日独立運動の中心地も同然で、ここで発刊された新聞は独立運動の主導的役割を果たした」。朴教授は本書の執筆のため、16年間かけてウラジオストク極東文書保管所などロシア各地から5万件余りの資料を収集した。
旧韓末の「海朝新聞」と「大東共報」で始まるロシアの韓国人向けメディアは、1910年代の「勧業新聞」と「大韓人正教報」に継承された。これらの新聞は民族意識を励まし、日本の蛮行を糾弾した。「勧業新聞」で記事を書いていた人物には申采浩(シン・チェホ)、イ・サンソル、張道斌(チャン・ドビン)らがおり、105人事件や義兵運動をはじめとする数多くの抗日運動記事が紙面に載った。
また1917年のロシア革命勃発後の韓国人向けメディアの状況について、今まではベールに包まれていたが、これについても同書は詳細を明らかにした。特に、革命期の韓国人メディアの中でも共産主義系のものが注目されるが、「東亜共産」「赤い耳」「新世界」「新生活」「労働者」などが該当する。これらのメディアは、社会主義思想を独立運動の手段として受け入れ、朝鮮の独立を追及する様相を示した。朴教授は「当時、日本がシベリアに出兵し帝政ロシアを支持していた状況で、ロシアの韓国人にとっては、革命に参加するということがすなわち抗日と同じ意味だった」と語った。
革命期以降、30年代まで発行された「先鋒」「沿海州漁夫」「鉱夫」などの社会主義宣伝紙は、民族主義と抗日意識を励ます役割を継承した。しかし37年に韓国人が沿海州から中央アジアに強制移住させられたことに伴い、「先鋒」だけが「レーニンの旗」と紙名を変えて生き残り、38年にカザフスタンで第1号を発行した。87年まではソ連の新聞のハングル版という性格が強かったが、88年からは再び韓国人の民族的問題を扱い始め、91年に「高麗日報」と紙名を変更して現在に至っている。積極的に韓国人の権利を主張し、改革・開放で新たな境地を開拓しようという努力が現れているという。
- 水原大史学科の朴桓教授は自著『ロシア地域の韓人メディアと民族運動』で、1909年の安重根の義挙を報じる「大東共報」の紙面を示しつつ説明している。/写真=イ・ジンハン記者
兪碩在(ユ・ソクジェ)記者
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