| プロ野球担当 前田 聡 |
記者プロフィール 2004年入社 早稲田大学卒 巨人担当 大学には勉強が好きなので5年通った。酒の失敗が多いのが悩みの種。休日前に飲みすぎると翌朝、いつも郵便局の前で目が覚める。目撃者によると「郵便局は国が運営しているから大丈夫。安全」と主張しているらしい。泥酔時は壁やテレビにいる妖精さん≠ニ会話ができるのが自慢。 |
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憧れの巨人山本ヘッドが取材のイロハを教えてくれた(05年8月23日掲載) |
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| 学生時代からこっそりロッテファンをやっている。初めてサインをもらったのは山本監督(現・巨人ヘッドコーチ)だった。それだけに記者になって1か月ほどたった昨年、初めて山本ヘッドを取材した時は緊張した。学生時代にサインをもらったことを告げると「そうなんや」と微笑み、取材すると「そういう聞き方は失礼。こういうふうに聞けば…」と教えてくれたりした。想像通りのいい人だ。 しかしチームが不調だからか、もともとの気質なのか、たまに理不尽要求を突きつけてくる。鈴木が今季一軍に初めて昇格した日だった。「鈴木が(開幕直前に)ひじを痛めたのは両打ちと二塁コンバートを同時にさせたから。オレの責任やて」と話したのも束の間。「でもオマエは自主トレの時、鈴木を『頑張ってください』って励ましただろ!」。「3回くらい言いました」と答えると「3回で十分だて。そのせいで鈴木は頑張りすぎたんやて。責任の半分はオマエが持て」。そりゃないですよ。 ある時には「オマエが来ないと勝つな。もう来るな」。そりゃない…ってそうでもないか。現に記者が巨人担当になってから巨人は弱くなったんです。すいません、ヘッド。 |
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| プロ野球担当 関根香世子 |
記者プロフィール 1997年入社 成蹊大学卒 ゴルフ担当を経て野球担当となる。日本ハム、横浜、ヤクルトと担当し、今季は新規参入球団の東北楽天ゴールデンイーグルス担当。栄えある本紙初代楽天担当記者となった。趣味は食べ歩きとお酒。最大酒量はワイン4本。「女ドカベン記者」と呼ばれる。春から赴任する仙台では牛タン店の全店制覇をもくろんでいる。 |
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ボンズパパの笑顔に救われた初メジャー取材(05年8月16日掲載) |
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| 2002年春。SFジャイアンツに所属していた新庄剛志外野手(現日本ハム)の取材でアリゾナに訪れた時のことだ。メジャー初取材で、何も分からず途方に暮れていた私に優しく声をかけてくれる人がいた。「ヘイ、ガール、どうしたんだ?」バリー・ボンズの父、ボビー・ボンズだった。 5度の30本塁打、30盗塁を達成し、名選手として知られたボビーは当時、球団アドバイザーの職に就き、息子の活躍を見守っていた。当然、話題は息子のことばかり。「息子はすごいんだ。両手、両足それぞれ違うトレーナーを雇い、トレーニングを1日も休まないんだよ」「家族思いでいい息子なんだ」。自慢話に終始する顔はまさに親バカ≠サのものだった。 その時すでに、ボンズには筋肉増強剤ステロイドの使用疑惑がかけられていた。しかし父は03年に息を引き取るまで息子を信じていたに違いない。 右ひざの故障で現在、リハビリ中のボンズは今季の出場機会がないが、あと52本と迫ったハンク・アーロンの持つ最多本塁打記録(755本)超えをあきらめていないという。あの笑顔に報いるためにも復活≠遂げてほしいと願っている。 |
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| プロ野球担当 霞上誠次 |
記者プロフィール 1995年入社 日本大学法学部新聞学科卒 編集局名古屋分室・中京スポーツ配属となりレース部、文化社会部を経て昨年から野球担当。いきなり落合・中日のV1を取材し、優勝直後のベンチ裏で信子夫人に歓喜の抱擁を受けた唯一の記者。何をしでかすか分からず、他社の記者仲間から「スター」と呼ばれている。 |
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落合監督の“幻のカツ丼”(05年8月9日掲載) |
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| 遠征中はチーム宿舎の取材が欠かせない。ユニホーム姿の時とはひと味違う話が聞けて面白い反面、思うようなネタが仕込めず苦しむ時もある。特に試合後は「これから食事に行くから」と足早に外出する首脳陣、ナインがほとんど。そりゃそうだ。取材を受けるより気のあった仲間と遠征先の名物料理に舌鼓を打った方が楽しいに決まっている。 そんな中で、落合監督の姿だけは見たことがない。宿舎のレストランで食事を済ませるチョー出不精なのだ。その理由について落合監督自身が説明したことがある。6月下旬の北陸遠征中のことだ。「この遠征ではどんなおいしいものを食べに行きますか」と問われると「オレはいつもホテルから出ないもん。メシはホテルで食べればいい。オレは何を食べてもウマいとは思わないんだ。まあマズイとも思わないけどな」。 続けて「オレの小さい頃のごちそうっていえばカレーライスだった。生まれて初めて食ったカツ丼なんて、こんなウマいものが世の中にあるのかと思ったけどな。今はそんなカツ丼にはお目にかかれない」。ん? 食べ物に無頓着ということではないようだ。幻のカツ丼があれば、足を向けるのではないか。探してみる価値はありそうだ。 |
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| プロ野球担当 山田 洋 |
記者プロフィール 1997年入社 野球部ひと筋で横浜、巨人、西武、ダイエーと渡り歩き、今年1月から広島担当。強豪チームばかり担当しながら優勝は一昨年の王・ダイエーの1回のみ。かなりのインケツぶりを発揮している。 |
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メジャー取材帰りの記者を質問攻めにした松坂(05年8月2日掲載) |
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| 西武担当記者だったころ、松坂とよくメジャーの話で盛り上がった。「マッチャン、今日メジャー見た?」があいさつ代わりで、いつもそこから取材がスタートしていた。 ちょうどメッツ1年目の新庄を米国で約1か月半取材する機会があり、どっぷりメジャーに浸かって帰国すると、松坂は「ペドロは見ましたか? クレメンスは凄かったですか? マダックスはどんなボールを投げるんですか?」。取材する側とされる側の立場がすっかり逆転し、怒涛の質問攻めが待っていた。 自分のささやかなメジャー情報に何度もうなずき、お土産のペドロ・マルティネス人形に喜ぶ姿を見て「マッチャンは本当にメジャーが好きなんだな。オレもいつかメジャーで投げる姿が見たいぜ」と、今度は自分が立場を忘れて松坂のメジャー移籍を応援するようになっていた。 今もその気持ちは変わっていない。ちなみに自分も松坂もレッドソックスのファン。しかし、こうなったらどこだっていい。松坂がメジャーデビューする時は、その第1球、第一声を現場で取材できれば最高だと思っている。 |
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| プロ野球担当 渡辺卓幸 |
記者プロフィール 2003年入社 早稲田大学政経学部卒 競馬記者志望だったが、野球部に配属され、すぐに巨人担当に任命される。学生時代は合コン王と呼ばれたものの、多忙のため最近はごぶさた…。だが、名古屋遠征の際、コッソリ合コンしていたことが先輩記者にバレ、大ひんしゅくを買う。特技は大食い。相撲取りもビックリの食欲でいつも周囲を驚かせている。 |
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R・ジョンソンの日本語講師に就任°ウえた言葉は…(05年7月26日掲載) |
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| 世界最強左腕といわれるランディ・ジョンソン(ヤンキース)は親日家で知られる。今春のキャンプでのこと。日本から取材にやって来たと自己紹介すると「日本は大好きだ。トーキョー・ジャイアンツは有名だな」とニコニコしながらこたえてくれた。だが、巨人担当記者としては小さな間違いが許せない。「トーキョーじゃなくてヨミウリですよ」。 ジョンソンは「そうだったのか」と驚いた。そりゃそうだろう。メジャーはみんな企業名ではなく本拠地都市の名前をつけているのだから。「せっかくだから他の球団の名前も教えてくれ」というジョンソンに「ハンシン、チューニチ…」と教えていくと、何度も声に出して繰り返した。 さらに「それじゃあ、オレの知ってる日本語を聞いてくれ。オハヨウ、コンニチワ…」。今度はあいさつの発音練習だ。取材のはずがジョンソンの日本語講師となってしまった。 その後、ジョンソンは私を見かけるたびに「コンニチワ」。「グッド」と返すと「アリガトウ」。本当に日本が好きなのだろう。 そんなに好きなら巨人に来てくれないか。今、巨人担当記者として心からそう思う。 |
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| プロ野球担当 伊藤順一 |
記者プロフィール 1992年入社 早稲田大学卒 3年間の整理記者を経て野球担当。ヤクルト、西武、ロッテ、日本ハム、メジャー、遊軍記者と巡って、今年3度目の西武担当に。西武の球団社長からは「またオマエか」と嫌がられている。餃子を含め2度ご馳走になっている王・ホークスの担当経験はない。中日のMVP左腕・野口に似ているとタマにいわれる。 |
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若松から岩村まで名選手を発掘し続けた名スカウトの鼻歌(05年7月19日掲載) |
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| 「会えない時間が愛育てるのさー」。郷ひろみのヒット曲『よろしく哀愁』を聞くと思い出す名スカウトがいる。2003年暮れにヤクルトを退団した片岡宏雄さん(69)だ。1996年、片岡さんは、よく『よろしく哀愁』を口ずさんでいた。 オマリーに代わる主砲として、当時の逆指名枠でヤクルトが獲得を目指していたのが新日鉄君津の松中信彦(現ソフトバンク)。だが松中は「高校時代、自分を侮辱したアノ人には絶対に会わない」と過去の確執から片岡さんとの対面を頑なに拒否し続けた。 何度訪問しても門前払い。それでも片岡さんは嫌われていることを承知で君津に通い続けた。「女と選手の相性は、実際寝てみるまで分かんねぇんだよ」。品のない真理を吐きながら郷ひろみをハミングしていたっけ。ストーカーまがいの行動といったら失礼かもしれないが、若松、尾花、池山、古田、高津、宮本、石井、川崎、伊藤智、藤井の獲得に手腕を発揮した名スカウトの執念をこの一曲に垣間見た気がする。 ちなみにその年、片岡さんが松中の代わりに獲得したのは岩村明憲。昨年、松中と同じ44本塁打をマークしている。 |
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| プロ野球担当 水香和美 |
記者プロフィール 2004年入社 岡山県出身 28歳の独身。あまりに化粧が濃いため、巨人・元木に「場所をわきまえて化粧をしろ!」と説教されたことがある。久本雅美とTMレボリューション、柴咲コウを足して2時間半煮込んだような顔。チャームポイントはガラガラ声。同姓から第一印象で嫌われることが多いのが悩みのタネ。 |
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工藤に怒鳴られ教えられた「取材者の心得」(05年7月12日掲載) |
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| 巨人担当になったばかりの2001年のこと。ケガで二軍落ちしていた工藤に「そろそろ調整登板ですね」と話しかけた瞬間、あの大きな目でギロリとにらみつけられ、一気にこうまくしたてられた。「オマエは休みなくファームに来て、毎日オレの練習を見てたのか? 今オレはどんな練習をしてる? きちんと答えられるか?」 その場で呆然と立ち尽くす私に、さらに追い討ちをかけるように「取材をしたいなら、完ペキに相手の状態を知って質問するのが礼儀だろ。オマエは毎日ファームに来てない。少しの知識しかないのに話を聞いてくるのは失礼だ」と工藤は怒鳴った。 巨人は球界一報道陣が多いチームだ。しかも、私がファームに行かなかったのは3日ほど。それにもかかわらず、しっかりチェックされていたのには本当に驚かされた。ダテに長いことやっていない。「取材を受ける側も相手を知っておくのが礼儀」を見事に実践している工藤に教えられた取材者の心得≠ヘ教訓として私の心にしっかりと刻まれている。 |
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| プロ野球担当 三島俊夫 |
記者プロフィール 1995年入社 九州スポーツ配属となり、Jリーグ・アビスパ福岡を5年間担当。中田を追ってセリエAも取材。2001年から東京野球部に異動し、現在は巨人担当。肉体を誇示したがる悪癖があり、昨年のメジャー取材では、ジーターにピタピタのポロシャツ姿を気味悪がられ「キミはゲイ?」と聞かれたことも。もちろんノンケです。 |
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コワモテのボンズが見せた優しい気配り(05年7月5日掲載) |
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| 人を見かけで判断してはいけない。そう痛感させられたことがあった。2002年5月、サンフランシスコ・ジャイアンツの本拠地パシフィックベル・パーク(現SBCパーク)でのこと。ロッカールームでは当時在籍していた新庄(日本ハム)ら多くのメジャーリーガーが試合を終え、汗を拭っていた。 その時だった。あのバリー・ボンズがこちらに近づくや、早口でまくし立てた。「オマエ、ランバゴに苦しめられているのか? 気をつけろよ!」 ランバゴ、ランバゴ…。はて? 意味が分からない。「きっとランバダみたいな踊りのことだろう」。こう勝手に解釈した記者は、ウケを狙って「イエ〜ス、ランバーゴ!」と腰をクネクネさせてみた。これにボンズはただ呆然とこちらをながめていた。 後でランバゴ(Lumbago)が腰痛という意味だと知って、ハッとした。1週間ほど前にグラウンドでギックリ腰を患い、悶絶していた私の姿を見たボンズは、ずっと心配していてくれたらしい。数日後、ボンズに勉強不足を詫びると腰をパシッと叩かれた。マスコミ嫌いと言われるが、根はいいヤツのようだ。 |
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| プロ野球担当 藤野高司 |
記者プロフィール 1978年入社 関西大学文学部フランス文学科卒業 南海を皮切りに阪神、阪急、オリックス、近鉄と関西全球団を担当した。今年から合併球団・オリックスの担当。20年を越える記者生活で優勝経験は2001年の梨田・近鉄での1回だけ。「インケツ記者」と呼ばれる。 |
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穴吹監督の教えを聞き入れていれば…(05年6月28日掲載) |
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| 記者1年目の1979年、パ・リーグ最下位に沈んだ南海(現ソフトバンク)はシーズン終盤、広瀬監督の去就問題で激しく揺れていた。解任は間違いない。次期監督の本命とにらんで夜討ち朝駆けを繰り返したのが当時の二軍監督・穴吹義雄さんだ。 穴吹さんは香川・高松高から中大に進み、鳴り物入りで南海入りした。松竹の野球映画「あなた買います」(小林正樹監督)のモデルとしても有名だ。穴吹さんは右も左も分からない記者に実に優しく接してくれた。愛車にもよく同乗させてもらったが、その車中で思わず腰を抜かした。カーステレオから流ちょうな英語が流れていたのだ。 当方はチンプンカンプン。聞くと「野球について英語で語るテープなんだ。勉強になるぞ」。穴吹さんは真剣な表情で耳を傾けていた。「これを聞くには英語力をつけなければいけない。英語の勉強をしなさい」とも言われた。 あの時穴吹さんの教えを守って英会話を勉強をすればよかったと、今つくづく思う。担当するオリックスにはブライアント打撃コーチと5人の助っ人がいる。そして新たに2人の外国人選手も入団が内定した。英語がしゃべれたら、助っ人ネタで独壇場だったのに。ああ、後悔先に立たず…。 |
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| プロ野球担当 西山俊彦 |
記者プロフィール 1991年入社 95年にオリックス担当記者になり、震災からの優勝ドラマを見届ける。一方で人気絶頂だったイチローに次々と辛ラツな記事を浴びせた。99年から阪神担当となり、ノムさん叩きを経て、2003年の優勝を経験。今季は阪神付き遊軍記者。こってこての大阪人である。 |
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イチローに感謝された唯一の瞬間(05年6月21日掲載) |
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| 1997年の夏に米クリーブランドで開催されたメジャーの球宴を取材した。華やかな雰囲気の中、大勢の外国人プレスに囲まれていたのは押しも押されぬスーパースター、ケン・グリフィーJr(当時マリナーズ、現レッズ)だった。一人ひとりの質問に丁寧に答え、取材を終えた記者は輪から離れていく。最後の最後に順番が回ってきた。 緊張と興奮で何を聞いたかは覚えていない(おそらくイチローのことだと思うが…)。それより誰もいなくなるまでその場を離れず、きちんと応対するグリフィーのプロ意識に感心した。「さすがグリフィー」と調子に乗ってしまい、大胆にも「私は日本から来たイチローの友人だ。メジャー志望の彼にメッセージを書いてほしい」と小さなメモ用紙を差し出した。するとグリフィーは「ALL THE BEST(すべてに幸運を)」と書いてくれた。 イチローの憧れのプレーヤーであり、グリフィーもイチローの動向を気にかけていた。帰国してイチローにメモをプレゼントした。クールなイチローは「マジっすか。ヤッター!」と子供のように大喜びした。オリックス担当を4年務めたが、イチローに感謝されたのは後にも先にもその時だけだ。サンキュー、グリフィー。 |
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| プロ野球担当 山口真司 |
記者プロフィール 1986年入社 國學院大学卒 昨年まで阪神担当キャップ。今年から遊軍。中日、広島、オリックス、阪神と入社以来プロ野球担当一筋。星野番、落合番、イチロー番などを務めた。闘将・星野監督には怒鳴られ、蹴られ、ハタかれたこと多数。星野監督の中日2年目X(88年)、阪神2年目X(03年)を両方担当した唯一の番記者でもある。長崎県佐世保市出身。 |
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Jリーグデビュー!? 広島・野村の仰天両立計画(05年6月14日掲載 28日加筆) |
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| 広島・野村が史上33人目の2000本安打を達成した。1988年に駒大からドラフト1位入団、プロ17年目にしての偉業達成だ。そんな野村に仰天構想を聞かされたことがある。 「野球とサッカーの両方でプロになったらどうかな。サッカーは秋から春にかけてになるけど。サテライトからね。どう、1面に載せてくれる?」 当時はJリーグが始まったばかり。野村はサンフレッチェ広島の選手と交流を深めていた。米国ではボー・ジャクソンがMLBとNFLで活躍して、両方でオールスターゲームに出場していた。野村は日本版ジャクソン≠思い描いていたわけだ。 野村はとにかく「日本初」を目指していた。メジャー挑戦を広島球団に直訴したこともある。「日本人初の野手のメジャーリーガーになりたい」という理由からだった。 残念ながら、二刀流もメジャー入りもかなわなかった。しかし、絶えず限界に挑戦する向上心の表れだったのは間違いない。そんな野村のこと、2000本達成したことだし、また何かとてつもないことを言い出すような…。そんな気がする。 |
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| プロ野球担当 本間壮児 |
記者プロフィール 1989年入社 青山学院大卒 整理記者として入社したが、わずか8か月で野球部に異動。大洋(現横浜)1年、西武6年、巨人9年の合計16年の野球記者生活のストレスが原因で(?)ふさふさだった髪が見事になくなってしまった。労災を主張するも、当然のように却下された。昨年は野球部初の五輪取材を経験。今年から遊軍。 |
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ヒントもらってたのに…「清原結婚」逃して大後悔(05年6月7日掲載) |
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| 17年を超える記者稼業で「あと少し勘を働かせていれば…」と後悔したことが何度かある。その中で最大の痛恨事は2000年の清原の結婚だ。 1999年1月31日、キャンプのため宮崎入りした巨人は、青島神社で恒例の必勝祈願を行った。参拝後、参道を歩いていた清原が「絵馬に何を書いたか分かる?」と話しかけてきた。「3冠王じゃないの」と答えると返ってきたのは意外な言葉だった。「結婚できますように─に決まっとるやろ。青島神社は縁結びの神様やで」 確認に走ったカメラマンは「結婚」と黒々と書かれた清原の絵馬の写真を撮ってきた。それでも六本木の帝王≠ニ呼ばれていた清原に結婚願望があるとは思えなかった。結局、記事にはしたものの、記憶の片隅に追いやってしまった。 そして1年3か月後、「清原結婚」の大見出しが某スポーツ紙の1面を飾った。99年夏に知人に亜希夫人を紹介されたという。後日「絵馬は本気だったんだ」と聞くと「残念やったな」と清原はいたずらっぽく笑った。ヒントはどこに転がっているか分からない。 |
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| プロ野球担当 宮本泰春 |
記者プロフィール 1992年入社 早稲田大学卒 横浜―ヤクルト担当を経て94年からずっと中日ドラゴンズ担当。東スポ入社前はあの山一證券で証券マンとして働いていた。口癖は「オレに資産を預けろ。年利10%で回してやる」。だがこの男が株で儲けたという話は誰も聞いたことがない。 |
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ノムさんに嫌われた記者を励ましてくれた王さん(05年5月31日掲載) |
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| ヤクルト担当だった駆け出し時代は、毎日が本当に辛かった。記者ひとりだけ、当時の野村監督の話を聞くことができなかったからだ。野村監督は必ず「東スポはおらんな?」とチェックし、見つかると「変なことを書かれるからオマエがいる間はしゃべらん」と退去命令だ。他社の冷たい視線を浴びながら監督を囲む輪から離れるミジメな毎日…。 だが、ある時「キミ、そういう時は離れたフリをしてこっそり聞けばいいんだよ」と話しかけてくれた人がいた。当時は評論家だったソフトバンクの王監督だった。「監督に顔も覚えてもらえない記者もいっぱいいるんだ。覚えてもらえるだけいいじゃないか。辛いこともあるだろうけど、頑張れよ」。世界の王≠ゥら肩を叩かれた時は、本当に涙がこぼれそうになった。王監督と言葉を交わしたのは、後にも先にもあの時の一度だけ。あの励ましがなければ東スポの野球記者を続けていられたかどうか。 今は中日担当としてオレ流軍団を取材する毎日だ。落合監督も口が重くくじけそうになることもある。それでも今季から始まった交流戦のグラウンドで王監督を目にするたびに奮い立つ。あの時の言葉を思い出して。 |
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| プロ野球担当 渡辺将司 |
記者プロフィール 2003年入社 早稲田大卒 山口県下関市育ち。プロ野球選手を目指すも、高校時代、宇和島東高・岩村(現ヤクルト)と対戦して撃沈し、断念。一般スポーツ担当を経て、ダイエー担当。打倒・城島(麻雀で)を夢見る。 |
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やり過ぎ記事への対応でわかった城島の器のデカさ(05年5月24日掲載) |
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| その記事が掲載された日の試合が終わって?分とたたないうちに私の携帯電話が鳴った。「オマエ何書いてんだよ!」。怒鳴り散らしたのは城島だった。城島とのプライベートでの付き合いの中で出た発言を記事にしてしまったからだ。 選手と食事をともにするなどプライベートで付き合う時、その場は基本的にはオフレコとなる。どうしても記事にする必要があれば、改めて取材として聞く。ところが、この作業を怠ってしまった。城島の怒りを買うのも当然だと唇を噛んだものの、もう遅い。球団からは取材禁止が発令されそうになった。 窮地。だが、助けてくれたのは誰あろう、城島本人だった。「若いし、反省してると思うから」と取材禁止令を差し止めてくれたばかりか「次はないぞ」とクギを刺した上で、記者歴2年の私に取材のやり方まで伝授してくれた。 記者と選手はどんなに仲よくなっても、最後には「記事を書く側」と「書かれる側」に分かれる運命にある。そこでトラブルになることもある。そんな時でも「人と人のつながり、人と人としての付き合い」を大事にする。改めて城島健司という男の大きさを知らされた。 |
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| プロ野球担当 前田 聡 |
記者プロフィール 2004年入社 早稲田大学卒 巨人担当 大学には勉強が好きなので5年通った。酒の失敗が多いのが悩みの種。休日前に飲みすぎると翌朝、いつも郵便局の前で目が覚める。目撃者によると「郵便局は国が運営しているから大丈夫。安全」と主張しているらしい。泥酔時は壁やテレビにいる妖精さん≠ニ会話ができるのが自慢。 |
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桑田が語る球界への恩返し(05年5月17日掲載) |
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| 巨人・桑田はジャイアンツ球場に一日に2度来ることがある。1度目は自分の練習のため、2度目は自身が主催するボーイズリーグのチームの練習のためだ。桑田自身もボーイズリーグ出身。チームを作った理由は「ボクもそろそろこんな年だし、野球界に恩返しがしたい」からだとか。 さらには「もちろん、いずれは高校球界にも恩返ししたい。ただ、今は元プロが監督とかできないでしょ? やっぱりおかしいよ。恩返しできるように、これからはいろいろ発言するつもり。まずは大学かな。教員を2年やれば大学野球に関われるからね。そのためにも大学…行きたいなぁ」と桑田はいう。 そういえば桑田は巨人に指名される前、早大進学を表明していたっけ。私が早大出身と知ると桑田は「そうなの!? いいねぇ」。やっぱり今でも早大が本命なのか。それはともかく、桑田は引退後の”球界への恩返し“を本気で考えている。「最近の若い人は義理とかないだろうけど、一番大事なことなんだよ」(桑田)。なぜかズシリときたひと言だった。 |
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| プロ野球担当 田才 亮 |
記者プロフィール 2004年入社 早稲田大学卒 就職活動していた当時、同棲していた彼女に「東スポなんてイヤ!」と言われてケンカになり、しまいには刺されそうになった苦い経験がある。彼女とはその翌日、高尾山へハイキングに出掛けて仲直りするも結局、ジ・エンド。ヤクルト担当の間に、仕事かこつけてチェンジアップ≠フ修得を目論んでいる。 |
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3年で10億円稼ぐラミレスが貸した200円を返してくれない…(05年5月6日掲載) |
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| いくら陽気なヤツでも人当たりがいいとは限らない。だが、ヤクルト・ラミレスは正真正銘、できたヤツだ。どんなに打撃不振で悩んでいても、人前では決して笑顔を忘れない。周囲を気遣って無理ができる、チームにとって欠かせない選手だ。そんなラミレスがシーズンイン直後に記者に声を掛けてきた。「ねえ、200円持ってない?」。 ラミレスは昨オフ、3年総額10億円(推定)で契約した。年収なら約3億3000万円、月給にして約2700万円の超高給取りだ。それに比べ、こっちは駆け出しのペーペー記者。給料はラミレスの100分の1にも満たない。しかし、たかが200円ぐらいでガタガタ言ってはニッポン男児の名がすたる。とはいえ、そのまま素直に「ハイ、どうぞ」と渡す気にもなれなかった。 実はラミレス、マネジャーにコーラを買いに行かせては代金を払わないことがしばしばある、相当なちゃっかり者≠ネのだ。ベネズエラ人の気質なのか、ペタジーニもそうだったらしい。 結局、日本語で「トイチ≠セからね」と念を押して応じたが、意味が通じたかどうかは定かではない。やっぱり未だに返済はなく、ただ今266円。たっぷり利子で膨れ上がったシーズン終了後にきっちり回収するつもりだ。 |
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| プロ野球担当 岩崎正範 |
記者プロフィール 1992年入社 龍谷大卒 入社時からプロ野球担当として万年Bクラスのダメ虎・阪神を担当。監督問題などお家騒動≠フ連続で野球の記事を書かせてもらえない日々を過ごす。その後、巨人担当として、長嶋茂雄、松井秀喜らを擁して達成した2000年ミレニアムVを取材。01年から再びトラ番.。03年に阪神が優勝したことで、過去にいないであろうGT優勝経験記者となった。 |
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猛女のイメージが消えた サッチーからの手紙(05年4月29日掲載) |
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| 一通のハガキが届いた。「球春の候 お手紙ありがとう カツノリをどうかよろしく またお会いしましょう」。差し出し人はサッチーこと野村沙知代さんだった。 先日の阪神の東京遠征の際、都内の高級ホテルのレストランで沙知代さんとバッタリ出会った。息子のカツノリとは今も親交はあるが、母親とは面識がない。不覚にも名刺を切らし、恐る恐る名乗ると「座って好きなものを頼みなさい」と同席を勧められた。話は弾む。「長嶋さんが病に倒れてから主人は『寂しい』と言ってばかり。ヒマワリがあってこその月見草なのよ」「カツノリは他人を蹴落としてまで野球ができない。占い師によると、もう一人子供を作れば運勢が上向くというから早く3人目をつくれと言っているの」。家族の近況からとても書けない某大企業の重役の裏話まで、実に楽しい時間だった。 後日、ご馳走になったお礼の手紙を送った。頂いた返信の、毛筆でていねいに書かれた文面には、猛女のイメージはどこにもない。カツノリはよく「あんな母親ですけど、ボクを生んでくれた大事な親なんですよ」と話していた。分かったような気がした。 |
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| プロ野球担当 霞上誠次 |
記者プロフィール 1995年入社 日本大学法学部新聞学科卒 編集局名古屋分室・中京スポーツ配属となりレース部、文化社会部を経て昨年から野球担当。いきなり落合・中日のV1を取材し、優勝直後のベンチ裏で信子夫人に歓喜の抱擁を受けた唯一の記者。何をしでかすか分からず、他社の記者仲間から「スター」と呼ばれている。 |
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結婚しない川上に「ホモ疑惑」を直撃してみたら…(05年4月22日掲載) |
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| 中日担当になった時から、ずっと疑問に思っていたことがある。エース・川上が30歳を目前(誕生日は6月22日)にして、いまだに独身でいることだ。実績は申し分ない。見た目も織田裕二をマッチョにした感じで実にさわやかな好青年だ。なぜ回りの女性が放っておくのだろうか。そう思っているのはボクだけじゃないハズだ。 今春の沖縄・北谷キャンプで「あいつはオトコが好きなんだからしょうがない」と、ホモ説が耳に飛び込んできた。まさか川上が…。真偽を確かめるため「清水の舞台」から飛び降りる覚悟でアタックした。 「最初に言っとくけど、絶対に怒らないでよ」と予防線を張った。心臓がバクバクしてきたが「川上君はホモじゃないのかっていう声があるんだけど」と恐る恐る切り出した。川上は別に怒るでもなく「違いますよ。この年で結婚してないと、そういう噂を立てられちゃうんですかね」と首をかしげ「いい人がいたら紹介してください。だけど、結婚を決心した時は報告しなきゃいけないんですかねえ…」と逆取材された。こりゃ間違いなく彼女がいる。川上君、まずボクに紹介しなさい |
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| プロ野球担当 溝口拓也 |
記者プロフィール 1993年入社 千葉大学教育学部卒 入社時から野球取材ひと筋。巨人担当として長嶋、原、堀内の歴代監督を取材。1998年には横浜担当としてベイスターズVに立ち会う。巨人担当として密着していた現ヤンキース・松井を、あのノーパンシャブシャブに招待した張本人。独特の関係を築き、松井自身も「ミゾの下ネタ」はお気に入り。 |
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今だから明かそう2松井がノーパンしゃぶしゃぶ店に行ったてん末(05年4月15日掲載) |
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| ヤンキースの4番に座る松井は今や「世界の松井」である。しかし、記者にとってはいつまでも「ノーパンしゃぶしゃぶ嬢のスカートを下から覗きこんでいる松井」だ。 松井から「凄い店があるんだよ!」とノーパンしゃぶしゃぶの存在を聞かされたのは、巨人入団2年目のことだった。その時のやりとりを記事にしたのだが、翌日から「書いたからには絶対に連れて行ってくださいよ!」と矢の催促。彼の凄まじい執念に根負けして、その年のオフに店に連れていった。 松井の喜びようはハンパではなかった。「絶対にまた来ます!」と宣言して、その後はせっせと店通いだ。官僚接待の場に使われていたことが発覚しても、SMAPの中居クンが騒動に巻き込まれてもお構いなし。店通いを胸を張って公言した松井は逆に「堂々としている」と男を上げたものだった。 「東スポのおかげだよ」と妙な感謝をされてしまったが、庶民派・松井の原点となったあの店は今どうしているのだろう。久しぶりに店に電話してみたら「松井さんも溝口さんもまだ会員登録されてますよ」。残念ながら「今はパンツをはいて営業しておりますが」と付け加えられてしまったが…。 |
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| プロ野球担当 水香和美 |
記者プロフィール 2004年入社 岡山県出身 28歳の独身。あまりに化粧が濃いため、巨人・元木に「場所をわきまえて化粧をしろ!」と説教されたことがある。久本雅美とTMレボリューション、柴咲コウを足して2時間半煮込んだような顔。チャームポイントはガラガラ声。同姓から第一印象で嫌われることが多いのが悩みのタネ。 |
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鋼の精神力?小久保が深夜に見せた素の部分(05年4月8日掲載) |
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| ダイエー(現ソフトバンク)から無償トレードで巨人に移籍した小久保はいきなり41本塁打、打率3割1分4厘と大活躍した。そのシーズンを終えた直後の秋季キャンプでのことだ。深夜、誰もいない選手宿舎のロビーに小久保が現れた。そして「新聞なんか持ってないか?」。 その言葉に違和感を覚えた。なぜなら小久保はシーズン中、私に「テレビのスポーツ番組は見ないし、新聞は一切読まない」と話し、私の質問を「情報を知らないから答えようがない」と突っぱね続けていたからだ。「新聞は読まない主義ですよね?」と聞くと、返事は「最近やっと読めるようになった」。巨人移籍以来、自分に関する記事を読まない≠ナはなく読めない¥態になっていたのだ。 理由は名前の前に必ず「無償トレードで移籍した」という枕詞がついていること。これが耐えられなかった。このフレーズは小久保の心の傷をうずかせ、そして重圧を加える。ハガネの精神力を持つといわれる男の意外な一面というか、素の心に直に触れた気がして言葉を失ってしまった。 「凄まじい精神力」などと小久保が評されるたびに、私はあの夜のことを思い出す。 |
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| プロ野球担当 平野達哉 |
記者プロフィール 1987年入社 青学大卒 校閲部、レジャー部を経て。8年半前からプロ野球担当。大の巨人ファンだったが、野球を取材するようになってからアンチ巨人に。“イタリア系”のキャラがアダになり(?)いまだ独身。飼い猫の名前(ニーノ)もイタリア系。 |
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落合監督さえグウの音も出ない信子夫人の説得力(05年4月1日掲載) |
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| 中日・落合監督夫人の信子さんは「おっかあ」と呼ばれるとおり、肝っ玉が座っている。落合監督が巨人から日本ハムに2年契約で移籍した1997年のことだった。ある夜、試合後の東京ドーム駐車場で信子夫人を発見した記者は迷わず突撃した。 不振が続いていた旦那様へはもちろん厳しいゲキを飛ばす。そして、たまたまプロ野球OBクラブの話になると信子夫人は日ごろから思うところがあったのだろう。幹部への不満を目一杯、一気にぶちまけたのだ。筋が通っていて、しかも説得力がある。「これは1面だ」と心臓がドキドキしてきたところで担当記者たちをゾロゾロと引き連れた落合監督が現れた。 記者を一べつして信子夫人に「何話しているの? (相手は)東スポだよ」。すると信子夫人は目をつり上げてこう一喝した。「あんた、東スポだったら何なの? ちゃんと取材してくれてるんだから、話して何が悪いのよ!」。 これまた筋が通っている。さすがの落合監督もグウの音も出なかった。信子夫人はその後もイヤな顔ひとつせず、いつでも本音で語ってくれる。本紙中日担当記者を今後ともよろしくお願いします。 |
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| プロ野球担当 小原太郎 |
記者プロフィール 1998年入社 早稲田大学卒 校閲部を経て野球部。ヤクルトを半年間担当したのち広島を5年間担当。今年から阪神担当。金本の広島在籍時代は格闘技の実験台としてサンドバッグを務めた。今でも金本とすれ違うときは思わず身構えてしまうなどトラウマが消えない。 |
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山本監督の怒りを消した記者が保証します…丸刈り効果(05年3月25日掲載) |
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| 阪神・鳥谷が勝負の2年目の開幕を前に頭を丸めた。その頭を眺めるたびに2年前の自分を思い出す。当時、広島担当だった記者は春季キャンプ中に起きた珍事件をキャッチした。熱狂的な女性ファンが深夜に選手宿舎に侵入し、某選手が部屋で押し倒されそうになったというもの。「プロ野球選手逆レイプ未遂℃膜潤vの見出しで本紙の1面を飾った。 翌日、山本監督に呼び出された。「何やこれは。野球とは全然関係ないやんか!」と、その場で取材禁止を通達された。記事に抜かりはない。だが、いくら説明しても理解してもらえるとは思えないほど怒っていた。仕方ないので3日間ほど顔を合わせず、困り果てた末に思いついたのが生涯初の丸刈りだった。思い切って5_に刈り込み、囲み会見の場で山本監督の真正面に立った。 山本監督 小原のヤツ、まだ逃げとるんか。 記者 ここです。 山本監督 オ、オマエ、頭を…。分からんかったわ。ガッハッハ。許す。全部許したるわ! 起死回生の逆転打。人間、言葉より行動が大事な時もあると痛感した。その教訓から、今年の鳥谷は相当やるのではないかと思っている。 |
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| プロ野球担当 山田 洋 |
記者プロフィール 1997年入社 野球部ひと筋で横浜、巨人、西武、ダイエーと渡り歩き、今年1月から広島担当。強豪チームばかり担当しながら優勝は一昨年の王・ダイエーの1回のみ。かなりのインケツぶりを発揮している。 |
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阪神ファンだった記者を転向させた王監督の器の大きさ(05年3月18日掲載) |
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| ソフトバンク・王監督には本当にお世話になった。ダイエー担当だった昨年までの3年間は、王監督の器の大きさと懐の深さを思い知る毎日だった。ネタ探しに苦労して自宅マンション前で張り込んでいると「何だよ、今日もネタがないのか。車に乗りなさい」と嫌な顔もせずに昼食に誘ってくれた。行き先は馴染みの中華料理店や定食屋、そば屋といった庶民的な店がほとんど。「若いんだからもっと食べなさい」とまるで母親のようだった。 そんな王監督を怒らせたことがある。フロント批判をそのまま記事にした時だ。すぐさま福岡ドームの監督室に呼ばれ「東スポだからって何でも書いていいわけじゃないぞ。少しはオレの立場も考えてくれよ」と怖い顔で一喝された。王監督の主張に正当性があったから迷うことなく記事にしたのだが、その迫力にひたすら謝るしかなかった。 しかしその直後、王監督は自ら寄ってきて「そんなに気にしなくてもいいぞ。ああいう事を書かれたらオレは怒らなきゃいけないんだ。これからもドンドン書いていいんだぞ」と背中をドンを叩いて笑った。少年時代から阪神ファンだった記者が、完全に王貞治ファンになった瞬間だった。 |
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| プロ野球担当 石川隆議 |
記者プロフィール 1994年入社 早稲田大学卒 横浜、阪神、オリックス担当を経て今季から阪神担当に復帰。野球記者として12年目を迎えるが、担当球団の戦績はAクラスなし。4位2回、5位2回、最下位7回と惨たんたるもの。2年目で背水の陣となる岡田・阪神の運命は? |
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1リーグ制提唱したオリックス宮内オーナーの“本性”(05年3月11日掲載) |
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| 昨年はオリックス担当として球団合併、球界再編の取材に追われた。ターゲットはもちろん総帥・宮内オーナーだ。結局巨人・渡辺前オーナー、西武・堤前オーナーらと共謀した1リーグ制はトン挫し、宮内オーナーも「悪人」のレッテルを貼られてしまった。 だが、記者は必ずしもそうは思わない。宮内オーナーは私利私欲で突っ走ったワケではなく、「このままではパが滅びる」と球界の将来を真剣に考えていたのを知っていたからだ。実際、この人ほど野球が好きなオーナーもいない。キャンプ視察では本部席に座らず、グラウンドに立ちっぱなし。フリー打撃に夢中になってケージに近寄り「打球が当たるゾ」と球団関係者をいつもヒヤヒヤさせる。また「震災10年。神戸のファンに喜んでもらいたい」と渡辺前オーナーに頭を下げて巨人とのオープン戦(12日、スカイマーク)を組み、両軍ナインによるファン交歓イベントを実現した。 そんな宮内オーナーがファンを省みずに1リーグ制を提唱したとは思えない。草野球では喜々としてマウンドに立つ野球少年。誤解を解いてあげてもいいかもしれない。 |
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| プロ野球担当 三島俊夫 |
記者プロフィール 1995年入社 九州スポーツ配属となり、Jリーグ・アビスパ福岡を5年間担当。中田を追ってセリエAも取材。2001年から東京野球部に異動し、現在は巨人担当。肉体を誇示したがる悪癖があり、昨年のメジャー取材では、ジーターにピタピタのポロシャツ姿を気味悪がられ「キミはゲイ?」と聞かれたことも。もちろんノンケです。 |
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ステロイド使用… ジオンビー、記者に叫んだあの言葉を思い出して欲しい(05年3月4日掲載) |
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| 2年前の4月、試合前のヤンキースタジアム・クラブハウス。私とプロレス談義に花を咲かせていたジェイソン・ジオンビーは「宝物を見せよう」とロッカーの奥から何やら小さな物を取り出した。見ると十字架模様のプラチナ・ネックレス。あのハルク・ホーガンから譲り受けたものだという。 「ホーガンはオレのアイドル。ホーガンのようにファンに夢を与えるヒーローになりたい。そう思っているからこそ、ここまで逃げずに頑張れたんだ」。 少年のように目を輝かせ、うれしそうに話したジオンビーは上半身裸になってマッスルポーズまで披露した。そしてこう叫んだ。「マイ・ボディ・イズ・ノット・フェイク! ノー・ウェイ・アウト!」 オレの体はインチキで作ったものではない。逃げも隠れもしないというような意味だ。 だから昨年末、ステロイド使用が発覚するなんて夢にも思わなかった…。ノー・ウェイ・アウト。直訳すれば「出口はない」「逃げられない」。この言葉を今こそ思い出して復活してほしい。それしか償う道はない。ジオンビー、あなたなら必ずできる。 |
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| プロ野球担当 関根香世子 |
記者プロフィール 1997年入社 成蹊大学卒 ゴルフ担当を経て野球担当となる。日本ハム、横浜、ヤクルトと担当し、今季は新規参入球団の東北楽天ゴールデンイーグルス担当。栄えある本紙初代楽天担当記者となった。趣味は食べ歩きとお酒。最大酒量はワイン4本。「女ドカベン記者」と呼ばれる。春から赴任する仙台では牛タン店の全店制覇をもくろんでいる。 |
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谷繁との不仲を書いても取材拒否はしなかった横浜時代の森監督(05年2月25日掲載) |
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| ようやくスコアのつけ方を覚え始めた頃、横浜担当を命じられた。監督は森祇晶。西武黄金時代を築き上げた名将だ。しかし「野球初心者だから」といって気後れしないのが東スポ魂=Bギッチリ取材して「森監督と谷繁が不仲」「森監督に選手が大ブーイング」と厳しい記事を連発した。 森監督は面白くなかったろう。谷繁と私を前に「シゲ、オレとオマエが仲悪いんだってな。東スポに書いてあるよ」と言われたこともある。もちろん不仲は事実で、谷繁はその後FAで中日に移籍したのだが、森監督も私にひと言ぶつけなければ気持ちが収まらなかったようだ。 それなのに、森監督はいついかなる時でも私を取材拒否することはなかった。チクリとはやられたが、自宅に行けば必ず横浜スタジアムに向かうタクシーに同乗させてくれた。そして様々な野球に関する話を聞かせてくれたものだ。今にして思えば、あの車中の30分間が野球初心者だった私には貴重な野球講座≠セった。 今季は楽天担当としてさわやかな田尾監督を取材しているが、森監督のあのグチ交じりの野球談義をなぜかたまに聞きたくなってしまう。 |
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| プロ野球担当 西山俊彦 |
記者プロフィール 1991年入社 95年にオリックス担当記者になり、震災からの優勝ドラマを見届ける。一方で人気絶頂だったイチローに次々と辛ラツな記事を浴びせた。99年から阪神担当となり、ノムさん叩きを経て、2003年の優勝を経験。今季は阪神付き遊軍記者。こってこての大阪人である。 |
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記者を開き直らせたチチローのひとこと(05年2月18日掲載) |
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| 1995年、大震災の年に私はオリックスを担当していた。震災の影響で現場に向かうだけでも大変だったが、クールなイチローの口を開かせる作業はもっと困難だった。そうした中で貴重な存在だったのが、当時よく合宿所に顔を見せていたイチローの父・宣之さん。ネタがもらえる。「この人だけは敵に回してはいけない」と、情けないことにヘコヘコとご機嫌うかがいを続けていた。 ところが、イチローが「チーム内で浮いている」状況が判明してしまった。記事を書かざるを得なくなり、1面に大見出しで「イチロー、出て行け!」。宣之さんが私のところに飛んできた。「西山さん、アンタ言ってることとやってることが違うじゃないか。アンタみたいな人は神戸をダメにする。いや、日本をダメにするんだ。もう私に近づかないでくれ」とまくしたて、私のいないところで他紙の記者を集めて「みなさんはあんな記事を書いちゃいけませんよ」などと大演説だ。 ああ、そうでっか。私は開き直って楽になり、逆にイチローの周辺取材がやりやすくなった。記者としてのスタンスを決めるキッカケをくれた宣之さん。あれ以来和解していないが、そういう意味では感謝している。 |
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| プロ野球担当 渡辺卓幸 |
記者プロフィール 2003年入社 早稲田大学政経学部卒 競馬記者志望だったが、野球部に配属され、すぐに巨人担当に任命される。学生時代は合コン王と呼ばれたものの、多忙のため最近はごぶさた…。だが、名古屋遠征の際、コッソリ合コンしていたことが先輩記者にバレ、大ひんしゅくを買う。特技は大食い。相撲取りもビックリの食欲でいつも周囲を驚かせている。 |
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阿部の東スポ嫌いに変化が(05年2月11日掲載) |
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| 「東スポは嫌いなんだよ」。これが巨人・阿部の口グセだった。昨年の4月、阿部は月間本塁打のプロ野球記録に並ぶ16本のホームランを放った。連日、新聞やテレビでその神がかり的な活躍が報じられたが、私はあえて「勝って兜の緒を締めよ」的な記事を書いた。もちろん阿部にとっては気分のいいものではない。「悪いことばかり書くならもう絶対話さない」と完全取材拒否≠ウれてしまった。 それ以降、阿部は私の半径5b以内に近づこうとせず、話しかけても無視される日々が続いた。それでも引き下がるわけにはいかない。何とか話を聞こうと、阿部の姿を見るたびに追いかけた。そして確か10日目のことだったと思う。「分かったよ。話聞くから」。やっと阿部の声を聞くことができた。 雪解け成ったその日は野球のことだけでなく、報道に対する考え方や取材される側の悩みなどを阿部は本音で熱く語ってくれた。雨降って地固まる。それ以来、阿部は「今日は何だよ」と私の質問を楽しみに待っていてくれる。 |
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| プロ野球担当 藤野高司 |
記者プロフィール 1978年入社 関西大学文学部フランス文学科卒業 南海を皮切りに阪神、阪急、オリックス、近鉄と関西全球団を担当した。今年から合併球団・オリックスの担当。20年を越える記者生活で優勝経験は2001年の梨田・近鉄での1回だけ。「インケツ記者」と呼ばれる。 |
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仰木監督が女性にモテる理由がわかった!(05年2月4日掲載) |
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| 今でも忘れられないことがある。そのシーズン2位と検討しながら、仰木監督が5年間指揮した近鉄の監督を辞任した1992年のシーズン終盤。当時、仰木監督が住む新大阪のマンションから藤井寺球場まで、何度も同行取材して去就を追っていた。ようやく「ゆっくりと日本国内を旅して食べ歩きをしたい」という仰木監督のコメントを引き出し、一問一答で「仰木辞任」と書いた。 記事が掲載された日のナイター前だった。仰木監督の呼び出しを受け、監督室に入ると怒鳴り声が飛んできた。「お前、オレのコメントは使うなと言ったやろ!」。「これは殴られる」と覚悟を決め、30分間、直立不動で説教を聞いた。仰木監督から条件をつけられた記憶は現在もないが、当事者が神経質になる監督人事の難しさを痛感した。 仰木監督の度量の大きさを痛感したのはその翌日。何事もなかったように取材に応じてくれたのだ。まさに竹を割った性格。女性にモテる理由がわかった。 69歳の球界最年長監督、健康に気をつけて戦ってほしいものだ。 |
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| プロ野球担当 伊藤順一 |
記者プロフィール 1992年入社 早稲田大学卒 3年間の整理記者を経て野球担当。ヤクルト、西武、ロッテ、日本ハム、メジャー、遊軍記者と巡って、今年3度目の西武担当に。西武の球団社長からは「またオマエか」と嫌がられている。餃子を含め2度ご馳走になっている王・ホークスの担当経験はない。中日のMVP左腕・野口に似ているとタマにいわれる。 |
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王監督の器のデカさを実感した餃子屋台での一夜(05年1月28日掲載) |
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| キャンプが近づいてくると王さんの餃子を思い出す。ソフトバンク・王監督にご馳走になった屋台の餃子だ。1999年2月の高知。朝も夜もなく西武のゴールデンルーキー・松坂を追いかけ回していた。その晩は、前夜松坂と王監督が偶然ハチ合わせしたという名物の餃子屋台に張り込み、松坂が現れるのを待っていた。 しかし、連投してきたのは王監督だった。「監督、スミマセン。松坂の件で張り込んでます。東スポの伊藤です」と事情を話し、名刺を切った初対面の私に王監督は「おう、そうか。ごくろうさん。まぁ飲んで食べなさい」。ざっくばらんにビールと餃子を勧めてくれた。世界の王の歓待に恐縮しながらも、松坂に関して聞いてみると「彼は八重歯を抜いた方がいいな。勝負師としては顔がかわいすぎる」とおいしい<Rメントまでゴチになってしまった。 「ボクはラーメン屋のセガレだから、こういう屋台が大好きなんだよ」と気さくに話した王監督。人間性、度量の大きさ、気配りなどを伝え聞いてはいたが、それを実感させられた一夜だった。今年のキャンプではどんな偶然が待っているのか。そのために早く仕事を終わらせよう。 |
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| プロ野球担当 本間壮児 |
記者プロフィール 1989年入社 青山学院大卒 整理記者として入社したが、わずか8か月で野球部に異動。大洋(現横浜)1年、西武6年、巨人9年の合計16年の野球記者生活のストレスが原因で(?)ふさふさだった髪が見事になくなってしまった。労災を主張するも、当然のように却下された。昨年は野球部初の五輪取材を経験。今年から遊軍。 |
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「清原バント」の必要性 熱く語った長嶋監督(05年1月21日掲載) |
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| 巨人軍・長嶋茂雄終身名誉監督には、いつ話を聞きに行っても嫌な顔をされたことがない。おかげでいい記事を数え切れないぐらい書かせてもらった。そんな長嶋さんが時々「どうした本間君。何かあるのか」と呼び止めることがあった。報道に反論したい時だ。 一番印象深いのは2001年7月18日、甲子園球場の監督室でのやりとりだ。前夜、2―2の8回無死二塁で長嶋監督は清原に犠打を命じた。清原はキッチリ成功させ一死三塁としたが、続く高橋由が凡退したため無得点。結局それが響き、巨人は9回サヨナラ負け。翌朝のスポーツ紙は清原にバントさせたことを一斉に「采配ミス」と書きたてた。 「どうした本間君」。長嶋監督は決まり文句で私を監督室に招き入れると「結果だけで判断されては困る。勝つことの厳しさを選手に徹底するためだった」と熱弁をふるった。時間にしておよそ30分。あの時の長嶋監督の真剣な眼差しと口調を忘れることはできない。 4月1日の今季開幕戦での現場復帰を目指している長嶋さん。その時は「どうした本間君。何かあるのか」と声をかけて、また熱く語ってほしい。 |
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| プロ野球担当 山口真司 |
記者プロフィール 1986年入社 國學院大学卒 昨年まで阪神担当キャップ。今年から遊軍。中日、広島、オリックス、阪神と入社以来プロ野球担当一筋。星野番、落合番、イチロー番などを務めた。闘将・星野監督には怒鳴られ、蹴られ、ハタかれたこと多数。星野監督の中日2年目X(88年)、阪神2年目X(03年)を両方担当した唯一の番記者でもある。長崎県佐世保市出身。 |
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いつ実現? 落合監督が現役時代に語った「一軍キャンプしない」(05年1月14日掲載) |
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| 自主トレ期間になると、中日・落合監督の現役時代を思い出す。1990年1月17日、長野・昼神温泉で三冠獲りに引っ掛けて未明の午前3時33分に始動。「何てことを考える人なんだ」とボヤキながら、一睡もせずに現場へ駆けつけ、三冠男と雪道を黙々と歩いた。今やそれもいい思い出だが、当時のオレ流発言≠ヘ印象深い。「もしもオレが監督になることがあったら、キャンプはやらない」。選手・落合がさりげなく口にした将来の監督構想だった。 もちろん、このキャンプ不要構想は一軍選手に向けたものだ。一流どころはメジャーリーガーのような扱いをしようと考えていたのだろう。実際、昨年の春季キャンプでは立浪らベテランにオレ流調整≠許可した。それもあの構想が根底にあると思う。 有言実行を真髄とするオレ流。いつの日か本当に「一軍キャンプなし」を実現するのではないか…。当時の取材メモにはこんな落合発言もあった。「選手はマスコミに話さなくていいけど、監督はしゃべらないとダメ」。記者は今年から遊軍。X2を狙う中日で、球史を変える落合監督との再会を楽しみにしている。 |
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| プロ野球担当 岸田充之 |
記者プロフィール 1990年入社 法政大卒 経済部、レジャー部を経て02年からプロ野球担当。西武を担当後、現在は横浜担当。取材相手を怒らせることにおいては業界一を自認。昨年も、書いた原稿がもとで大魔神・佐々木を激怒させ、横浜スタジアムの駐車場で、佐々木の愛車ポルシェに突進されかけたことがある。 |
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2年前の「松坂結婚スクープ」の裏側(05年1月7日掲載) |
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| 昨年末、西武・松坂が日本テレビ・柴田倫世アナとの結婚を発表した。自分の“幻のスクープ”がようやく実を結んだ瞬間だった。西武担当だった2002年、巨人と西武が日本一の座をかけ激闘を繰り広げる中、1面で「松坂、柴田アナ結婚へ」と報じた。 それまで女性週刊誌を中心に、「松坂の両親が大反対している」と、破局説が流れていた。しかし、松坂の母・由美子さんを直撃すると「大変いいお嬢さん。大輔のことも大事にしてくれているようですし」と柴田アナをベタボメ。2人で松坂家を訪れたエピソードなどを声を弾ませながら語ってくれた。結婚に関しては「2人で決めること」とキッパリ。これ以上も以下もないコメントに破局説は完全に崩れ去り、結婚報道に至ったワケだ。 スクープが2年早くなってしまったのは残念だったが、由美子さんは当時、松坂から「余計なことを言うな」と大目玉を食らってしまったとか。由美子さん、その節は申し訳ありませんでした。そして改めて、息子さんのご結婚おめでとうございます。 |
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| プロ野球担当 渡辺将司 |
記者プロフィール 2003年入社 早稲田大卒 山口県下関市育ち。プロ野球選手を目指すも、高校時代、宇和島東高・岩村(現ヤクルト)と対戦して撃沈し、断念。一般スポーツ担当を経て、ダイエー担当。打倒・城島(麻雀で)を夢見る。独身。 |
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大物の証明?いきなり女子アナ合コンせがんだドラ1(04年12月24日掲載) |
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| ダイエーとしては最後のドラフト1位・江川智晃(宇治山田商)は「福岡は都会だし、きれいな人が多いですね。ボクの町は街灯しか光がなかったです。田舎者で分からない事だらけなので、街中を案内したりいろんなことを教えてください」と入団会見で一礼。「今の高校生で、こんなに礼儀正しくて純粋でさわやかなヤツがいるんだ」と報道陣は江川の誠実さに感心しきりだった。 だが、江川のその素敵な笑顔には裏があった。その後、福岡テレビ局6社との個別取材に臨んだ江川は各局の美人スポーツキャスター全員に「あなたが一番きれいですね」と口説きにかかったのだ。そしてすべての取材を終えた後、江川は私を見つけるや否や「あの○○局の人と合コンとかできるんですか?」。 確かに私にこの問題を逆取材してきたのは正しい選択だろう。だが、入団会見の日に美人キャスターを口説くわ、合コンを夢見て鼻の下を伸ばすわでは、大物ぶりにもほどがある。もちろん活躍すれば合コンぐらいいくらでもセッティングしてやるが、それにしても今どきの高校生、恐るべしである。 |
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| プロ野球担当 宮本泰春 |
記者プロフィール 1992年入社 早稲田大学卒 横浜―ヤクルト担当を経て94年からずっと中日ドラゴンズ担当。東スポ入社前はあの山一證券で証券マンとして働いていた。口癖は「オレに資産を預けろ。年利10%で回してやる」。だがこの男が株で儲けたという話は誰も聞いたことがない。 |
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ヤクルト宿舎 ヒモパンギャル乱入事件の真相(04年12月17日掲載) |
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| 11年前、名古屋でとんでもない事件≠ノ遭遇した。試合後のヤクルト宿舎にヒモパン姿のギャル2人組が現れ、池山にオッパイを見せるわ、石井一(現ドジャース)に抱きつくわ、の乱痴気騒ぎを繰り広げたのだ。 もちろん、翌日の本紙1面には『池山仰天! ヤクルト宿舎にヒモパンギャル乱入』の見出しが躍った。が、同時に思わぬ事態が待ち構えていた。 「東スポのヤラセだ!」。野村監督(当時)はじめヤクルトナイン、さらには他社の記者からも疑いの目を向けられたのだ。ねつ造記者の汚名… 今でもあの悔しさは忘れられない。 そして後日談。実は昨年、ヤンキース・松井の取材で訪れたニューヨークで、あの時のヒモパンギャルの1人と再会した。マンハッタンの日本人スナックにいた彼女は、当時を振り返り、こう明かした。 「あの時、一緒にいた子が××選手と前夜セックスしていて、彼女はあの晩もヤルつもりだったの。でも断られたから私も一緒になって騒いだのよ」 まさに事実は東スポより奇なり=Bこの世には面白いことがいっぱいある。 |
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| プロ野球担当 岩崎正範 |
記者プロフィール 1992年入社 龍谷大卒 入社時からプロ野球担当として万年Bクラスのダメ虎・阪神を担当。監督問題などお家騒動≠フ連続で野球の記事を書かせてもらえない日々を過ごす。その後、巨人担当として、長嶋茂雄、松井秀喜らを擁して達成した2000年ミレニアムVを取材。01年から再びトラ番.。03年に阪神が優勝したことで、過去にいないであろうGT優勝経験記者となった。 |
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阪神オーナーをやめても久万節は健在!(04年12月11日掲載) |
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| 阪神から久万節≠ェ消えて2週間ちょっとになる。しかし辞めてもなお、久万俊二郎前オーナーは血気盛んだ。今も新聞だけはしっかりチェックしており、安藤OB会長、掛布氏、真弓氏らOBが揃って「岡田監督を暖かく見守って欲しい」と応援エールを送ったことに烈火のごとく怒っていた。 「ウチのOBは甘い! 何で岡田を慰めるような肩の持ち方をするのか。腹が立つ。場合によっては私はOBが相手でもケンカしますよ。見守るなんておかしい。監督は危機感がないとアカン。結果を求められ、勝たんとアカンのやから」。自分がタイガースを離れたことで、秘蔵っ子の岡田監督がまた周囲の大甘ムードに乗ってしまわないか。そんな不安があったに違いない。 とはいえ、もはやオーナーの座から退いた身。OB会と対決する場もない。さぞかしガックリと思いきや、久万前オーナーは「球団は辞めたけど、どないなるか分かりませんよ」とニヤリ。御年83歳ですが、ま、まさか、またオーナーをやるんじゃないですよねえ? |
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