随想…(新鬼の城のジオログ)

随想(新鬼の城のジオログ)へようこそ。なお考古学専門用語は画面左下の"かもしかみちさん"のホームページを参考にして下さい。

← 2008年9月

1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30
My Yahoo!に追加 RSS

2008年9月26日(金)

占いというもの…

今仕事が一段落した。「何でも精神鑑定団」というホームページがある。さっそく試したがこのような結果である。全く当たっていない。占いというものはこの程度だろう。私を知っている皆さん、笑ってやってください。http://www.advancejp.com/kantei/index.html

 

適職鑑定結果







積極度42%



あなたの積極性は人よりやや劣ります。前向きな意識を持つ事に心がけましょう。もう少し積極的になれば、いざという時あなたの底力が発揮されるようになるでしょう。

人任せ度66%



あなたは少々人に頼っていますが、良きパートナーがそばにいると何事も無難にこなせるでしょう。

現実度70%



あなたは常に冷静でよく現実を見つめています。反面大きな目標を失わないように心がけて下さい。。

目指せ!こんな職業(適職)








あなたの最適職業:IT関連技術者

その他の職業候補: 中学生、銀行員


近年の日本にもポジティブ思考を持つ事の方が良いとされています。国際社会になりつつある現代では積極的な意識はあなたのこれからの生活に大きく影響するでしょう。しかしただ意識すれば良いという訳でもなく、あまりにも意識しすぎて空回りしたり、何も行動しなければせっかくのプラス面を生かしきれないという結果にもなってしまいます。

必ずしも目指す必要はありませんが、「目指せ!こんな職業」には積極度、人任せ度、現実度のそれぞれの観点から分析しあなたの性格がより発揮できる職業を表示してあります。

ほんの少しでも経験を積んだ明日のあなたは違う自分になっているはずです。日を改めてもう1度鑑定するのも良いかもしれません。

作成者 鬼の城 : 2008年9月26日(金) 13:45

2008年9月24日(水)

秋の訪れ。。。

秋とは言えまだ暑い日が続いている。それでも朝晩は涼しい。季節の移り変わりはじわじわと感じる方が逆に実感がある。新潟県津南町の遺跡の調査現場に行ったが、稲の穂が黄金色に変化し、ある田ではもう稲刈りが終了している。


そこの人に聞いたら、品種により刈りる時期があるそうだ。もう津南町では一部で冬の準備をしている。11月頃から長い冬となる。大雪となるのが1月からだそうだ。縄文時代このような地域で冬の時代は大変だっただろうと思う。


しかし、津南町教委の佐藤さんによると冬の時期こそ縄文人の活動が盛んだったとのこと。大雪が積もる、住居の中でじっとしていたのではないらしい。狩りを仕掛け、雪が積もる故に集落間の交通も盛んだったと言う。


雪国と言うと「北越雪譜(ほくえつせっぷ)」のイメージがあるが、農耕社会では厳しい生活だったのだ。しかし、非農耕社会である縄文時代はそういうイメージではない。今まで私など北越雪譜」イメージを縄文時代に当てはめて見ていた。そういうのを先入観と言うのだろう。


冬こそ縄文人の活動の場として生き生きと存在していた。無論夏や春、秋もそうだ。環境に応じて活動を変化させ、その環境を充分に生かすことが縄文文化の基底に存在していたと思う。その活動性があの火炎土器、そして北陸地方の後期・晩期の独自の文化を生んだとも言える。つまり、単なる活動性ではなくそれを裏付ける充分な精神文化があったのだ。その精神文化は生活の安定性と密接にリンクしていたのだろう。

作成者 鬼の城 : 2008年9月24日(水) 17:34

2008年9月20日(土)

お詫び

先般は問題ある書き込みをしました。それを原因として会社関係、学会、友人、家族の皆さんにご心配と様々なご配慮を賜り、心から感謝いたします。また、伏して謝罪いたします。特に会社関係者の方々(元の会社関係者を含みます)には、何から何まで動いて戴き、あわせてご心配をおかけしましたこと、この場を持ちまして重ねてお礼と謝罪します。


今後このような問題を起こさないよう、時間がかかろうとも再発防止に努めますとともに仕事の方にも精進致します。誠心から誠に申し訳ございませんでした、と言わせてください。簡単ですがお詫びとさせて戴きます。

作成者 鬼の城 : 2008年9月20日(土) 11:28

2008年9月13日(土)

終日デスクワーク。。。

ここのところ終日デスクワークだ。報告書関係や雑誌依頼文章(とても論文とはいえない)などや、事業関係の書類とか連絡を取る。連絡はパソコンとか携帯電話、メールとかである。近くに喫茶店などが無いので、自宅とか事業所で行う。


ところで先週岡本孝之さんに会った。いつまでも年を感じない人である。。ニコニコと雑談とか現代の埋文状況とか、神奈川県の抱えている問題とかを話した。昔からの仲間はよい関係が続いている。というのか私の我侭な人間性を見抜かれ、その上であえて私が甘えているのかもしれない。


その前に石川県の小嶋さんに会ったが、この人も私と年が同じなのに精神的にも落ち着いており、学問的にも私より遥かに向上している。意見も論理的であり、それなりに苦労をしているのにそれを見せない。人間的にも尊敬をしている。


さらにその前に関西で友人と会う機会がある。この友人とは40年近い関係がある。非常に厳しい埋文行政のど真ん中で頑張っている。エールを送りたいが、それだけでは力になれない。


そういう人たちに囲まれているが、私自身の成長しない問題とダメさ加減を知らされる。成長する人は年齢に関係なく成長し続けているし、私みたいにダメなものはいつまでもダメであるとつくづく思う。


ところで今日から新潟に行き、例年の國學院大學による津南町本ノ木遺跡の調査に行く予定だったが、各方面とかの連絡などに追われて、明日早朝に行くことにした。越後湯沢から車で行く段取りだったが、予定していた車がスケジュールに合わないとの連絡がある。困った。。。困った。。。


至急別の人にお願いをした。そうしたら快く引きうけてくれた。そういう関係があるとこれまた日頃からの誠意ある付き合いが大事だと思う。この人間関係を大事にしたい。


写真は秋色になる井の頭公園です。。。

作成者 鬼の城 : 2008年9月13日(土) 14:32

2008年9月9日(火)

これから某大学に行く。。。

大学の経営も難しいようだ。これから都内の某大学に行くが、考古学専攻過程はもちろん文学部の存続も危ない。問題は少子化と、文学部を出ても就職先がない、ということが現実化しつつある。


就職は教師は狭き門となり、公務員も難しい。一般企業も難しい状況だ。大学院に進んでもその後がない。考古学とて同様である。こう言う現実の打破は、社会構造の問題であるからこれもそう簡単に出来ない。


したがって大学は今後の生き残りをかけ、学部体制の見直しと就職可能な学科の立ち上げなどを行うことだろう。考古学は理系の人類学に統合するか、あるいは民俗学などと統合するか、であるが就職先がない。


民間の企業もそう簡単に就職できないだろう。第一民間でも仕事がないのだ。また埋文センターなどもリストラを考えている。今まで予期しなかった時代となる。


経済状況はもっと酷くなるだろう。民主党が政権をとっても変わらない。こう言う時代に生き抜く方向性は政治とか、経済とかでは限界があると思う。それではどうするのか。いえることは地域でリサイクル型の、自己還元を行える農・魚・工・サービスの各業界の連携を形成することだろう。


また、産・官・学が地域での政治と経済のあり方を模索し、その地域にあった自立した生活構造を確立することだろう。中央志向型の政治と経済ではダメだ。地域自立の共同体を形成する。これしかないと思うのだが。。。12日NHKの番組で[地産地消]を取り上げていたが、なかなか難しいが興味がある(9月13日一部追加しました)。

作成者 鬼の城 : 2008年9月13日(土) 14:39

2008年9月2日(火)

残暑が厳しい 。。。

残暑が厳しい。先日とある発掘調査現場に行ったときは、雨天の中休みでこのまま秋になると良いのだが、と思ったがそう簡単に思うようにはいかない。どこに行ってもこの暑さではたまらない・・・・


私は寒い時、暑い時など動きが鈍くなり、思考停止状況となる。話は変わるが、この業界は人間関係が一番だ。人間関係の基本は信頼関係であるが、それと合わせて不言実行するということも大事だ。


この不言実行ということが簡単にはできない。有言実行もそうだが、約束を守るとか目的を達成するとかができないことが多い。また一度生じた不信感を払拭するには、相当の時間と実績が必要だ。


まあこの暑さをしのぎながら、不信感があることは時間をかけて取り除き、信頼関係があるのはそれを大事にしたい。これは対人関係でけではなく、学問的にも言える。あの捏造事件が未だに尾を引いており、考古学が不信感というメガネで見られている。


どうしてかというと、博物館などの展示から「捏造石器」は撤去されたものの、その方法論などは「藤村にだまされた」という次元にとどまっている。なぜだまされたのか、ということを学会として下向分析をしていない。


現状面に過ぎないう錆とかガジリに収束し、本質論まで行かないのだ。最近芹沢長介追悼論文集を本屋で見たが、そういうことは書いていない。本当に本人を追悼するのであればそういうことも触れる必要があると思う。それとも「情け」が大事であり、亡くなった人を評価し大事にするということなのか。。

作成者 鬼の城 : 2008年9月2日(火) 14:04
前の記事  |  次の記事