中山成彬国土交通相が報道各社のインタビューで、成田空港建設に地元の「ごね得」があったなどと発言した。撤回し陳謝もしたが、それで落着する問題ではない。所管する課題への認識の誤りや甘さは、閣僚の資質を疑わせ、任命した麻生太郎新首相の見識も厳しく問われる。
成田空港については中山氏はこう発言した。
「昭和53(1978)年にアメリカから帰ってきた時に着陸したが、1車線(滑走路1本)がずうっと続いて日本とは情けないなあと。ごね得というか戦後教育が悪かったと思うが、公共の精神というか、公のためにはある程度自分を犠牲にしてでもというのがなくて、自分さえよければという風潮の中で、なかなか空港拡張もできなかったのは大変残念だった」
60年代に始まる成田空港建設事業は、反対する地元住民側と先を急ぐ国(旧運輸省)側とが対立し、激しい反対闘争が続いた。政府は「円卓会議」の話し合いなどを経て、95年、強引に事業を進めようとした国側に問題があったことを認め、謝罪した経緯がある。
政府が「ボタンの掛け違い」の責任を認めたもので、地元が「ごね得」狙いだったといういわれはない。
「公共の精神のなさ」や「戦後教育の悪さ」がどうこの問題と結びつくのか。その論理は判然とせず、一方的な思い込みと思われる。長年の努力で築かれてきた地元と国交省の信頼関係も突き崩しかねない。
中山氏は日教組に矛先を向け「日教組の子供は成績が悪くても先生になる。だから大分県の学力は低い」ときめつける。さらに「全国学力テストを提唱したのは日教組の強いところは学力が低いのではないかと思ったから。現にそう。だから学力テスト実施の役目は終わったと思う」と言う。
中山氏は小泉純一郎内閣で文部科学相を務め、学力テスト実施を唱えた。学力向上の指導が目的だったはずだが、日教組と低学力の関係をみたかったという。いったい何を根拠に因果関係を実証したか。「役目は終わり」とは、毎年数十億円もかけるテストを導入しながらあまりに軽々しく、無責任というほかない。
また観光政策に関し、日本について「単一民族」という言葉を用い、これも認識の誤りと問題になった。
中山氏の発言が問題になるのは初めてではないが、麻生首相は熟慮の人選をしたのか。真に「適材適所」だったか。国民の疑問と失望は小さくない。政府は今、同時進行で重要課題を抱え、閣僚は政局にかかわらず全力の職務遂行が求められる。
短命政権下で短期の閣僚交代が繰り返され、内閣は行政最高機関としての信を問われている。
首相は各閣僚の問題認識と姿勢を改めて正し、今回のような問題には厳しく対処すべきだ。
毎日新聞 2008年9月27日 東京朝刊