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小泉氏引退―あの熱狂はすでに遠く

 「ドン・キホーテには、狂気といわれながらも、あるべき姿のために戦い抜く男の気高さがある。そこに心を打たれる」

 政界引退を表明した小泉元首相が今春出した著書にある一節だ。

 風車に立ち向かったドン・キホーテと違い、首相の座をめざして小泉氏が突撃した相手は30年近く身を置いた自民党だった。

 「自民党をぶっ壊す」といった分かりやすい言葉と捨て身の迫力が、小泉氏を首相に押し上げた。有権者は、まるで政権交代が実現したかのような熱狂で迎えたものだ。

 「小泉改革」への反対者を与野党を問わず抵抗勢力に見立て、激しい言葉で国民に直接訴える。歴代首相にはない新しい政治スタイルだった。

 イラクへの自衛隊派遣では「自衛隊が活動する地域は非戦闘地域だ」。自身の年金にまつわる問題では「人生いろいろ」。暴言と紙一重の答弁も押し通した。不良債権の処理やイラクへの自衛隊派遣、そして、長年の悲願だった郵政民営化が実現したのは、小泉氏一流のそうした「突破力」があってのことだった。

 バブル崩壊後の日本の長い低迷と、それに有効な手の打てない自民党政権に、人々はうんでいた。そんな時代の空気をつかみ、政治のありようを一変させた規格外れの政治家、それが小泉氏だった。

 官邸を去って2年。安倍、福田と政権は移り、その後を継いだ麻生首相は景気の先行き不安のなかで、小泉改革が残した「痛み」に焦点をあてる。

 たしかに多くの劇薬を含んでいた小泉改革は、日本の社会に負の遺産も残した。それを見て、永田町の振り子は小泉政権誕生前に戻った観もある。

 だが、小泉改革が残した課題や、やり残した問題は、次に控える麻生自民党と小沢民主党の政権をかけた戦いにそのまま引き継がれる。

 それにしても、小泉氏の引退表明は多くの有権者を驚かせ、関心を引きつけた。それは、小泉政権が世の中にもたらしたあの興奮の記憶がまだ鮮やかだからだろう。再び永田町の表舞台に上ると思っていた人もいたのではあるまいか。

 元首相はきのう、同僚議員に「総理を辞めた時、本当は(議員を)辞めようかと思った」と話したという。03年の衆院選を前に、中曽根、宮沢の両元首相に引退をのませた経緯もある。そのことへのけじめがあったかも知れないし、仕事を終えた時が辞め時だというのもいかにも小泉流の「美学」を思わせる。

 だが、後継に自身の次男を指名したのは、改革者としてはいただけない。「変人」の名をほしいままにした小泉氏もふつうの親だったということか。

中山国交相―首相の門出にこの放言

 晴れの大臣就任で、つい口が滑らかになりすぎたのか。中山成彬国土交通相が、就任2日目の報道機関のインタビューで驚くべき発言を連発した。

 成田空港の整備の遅れにどう対応するかを問われ、中山氏はこう答えた。

 「ごね得というか戦後教育が悪かったと思うが、公のためにはある程度自分を犠牲にしてでもというのがなくて、自分さえよければという風潮のなかで空港拡張もできなかった」

 整備が遅れた理由に住民らの反対運動があるのはその通りだ。だが、その背景に、住民らに十分な説明をしないまま機動隊を使って強制的に土地収用を繰り返した政府の重い失政があったことを、いまは政府も認めている。

 そんな政界の常識さえ身につけていないことにあきれる。しかも中山氏は空港行政の最高責任者だ。

 大分県教委の汚職事件については、こう言い放った。「日教組の子供は成績悪くても先生になる。だから大分県の学力は低いんだよ。私がなぜ全国学力テストを提唱したかといえば、日教組の強いところは学力低いんじゃないかと思ったから。現にそうだよ」

 中山氏は文部科学相当時、全国学力調査を導入する旗を振った。その目的を「競い合う心を育てるため」などと説明してきたが、どうやらそれはごまかしだったようだ。

 それにしても、毎年ざっと60億円もの費用がかかる全国学力調査を日教組憎しで導入したというのだから、自民党政権というのは豪儀なものである。

 外国人旅行者をどう増やすかの質問に関連しては、こんな発言もあった。「日本はずいぶん内向きな、単一民族といいますか……」

 わずか3カ月前、アイヌ民族を日本の先住民族として認めるべきだという歴史的な国会決議が全会一致で採択された。国会の総意として、先住民族の名誉と尊厳を守っていこうと誓ったのだが、中山氏は反対だったのか。

 中山氏はこれらの発言を「誤解を招いた」と撤回した。だが、どれも閣僚としてという前に、国会議員としての資質を疑わせる発言である。

 中山氏は文科相時代にも「歴史教科書から従軍慰安婦や強制連行という言葉が減ってきたのは本当によかった」「そもそも従軍慰安婦という言葉はなかった」などの発言を連発した。

 そんな中山氏を閣僚に任命した麻生首相自身、数々の失言で物議をかもした過去を持つ。総裁選の際「いつも寸止めで踏みとどまってきた」と冗談交じりに語ったが、寸止めならいいということではあるまい。

 堂本暁子千葉県知事をはじめ、きのうの国交省は抗議ラッシュの様相だった。内閣支持率は48%。首相が国連で外交デビューを飾ったその日にこの体たらくでは、先が思いやられる。

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