ドジョウのかば焼きを金沢に広めたという「浦上キリシタン」の子孫が先日、卯辰山の殉教者碑を訪れた。配流から140年の初訪問は歴史的な日といってもいい 幕末に突然、多数の隠れキリシタンが出現したのは長崎開港が遠因である。外国人用に建てた大浦天主堂に農民がやってきて、先祖代々の隠れキリシタンだと神父に告白したのである。当時はまだ禁制であり、大半が拘束され配流となったのだった 200年余の弾圧にも屈しなかった信者の存在は欧米キリスト教国を感動させた。「長崎の教会群とキリスト教関係遺産」が既に日本の世界遺産暫定リストに入っている背景に欧米に理解されやすい宗教的世界性があることは否定できまい 平泉の浄土思想は西欧に理解されなかったが、日本の城下町の価値を世界史の中で語るのも難しい。が、二重の惣構(そうがまえ)堀で守られた金沢は、16世紀の大航海時代の影響をキリシタン大名・高山右近によって具体化された稀有(けう)な城下町である 浄土真宗とキリスト教がぶつかり合ったまれな宗教都市でもある。他とは違った歴史と個性を掘り下げる課題が残っている。
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