記者は長野県日中友好協会の案内で4月26日、聖火リレーの出発式会場と到着式会場を中心に長野市の1日を体験した。
まず、新華社通信が「長野市が『紅色海洋』になった」と絶賛した五星紅旗の林立する様。
はじめて目にする市民は「異様な感じ」に襲われたに違いない。
配られた真新しい国旗を掲げる旗棹がなく、マントのように肩から羽織る中国人留学生も少なくなく、せめて半分は五輪旗であったら「異様な感じ」はずいぶんと緩和されただろう。
学生たちも気付いていて、長野県日中は五星紅旗と半々に日の丸の小旗も用意していたが、日の丸のほうはアッという間になくなってしまった。
「なんとしても北京五輪の聖火を守る」という学生たちの真情は本物だったのだが、中国マスコミの演出にどうしても躍らされてしまう。
到着式では、中国から来た「聖火アテンダント」が繰り返し繰り返し会場をかけまわって、柵ごしに見守る学生たちに「祖国は皆さんに感謝する」と礼を述べて回るのだが、それを式の取材そっちのけで写真に収める中国マスコミもあって、ついには学生たちからさえ「もういいよ」と声があがり、それでもカメラが向くと学生たちは歓声をあげてポーズをとってしまう。
降りつのる雨にたまらず傘をさす一群があると、学生たちのなかから、「いま、日本の子どもたちが雨のなか踊ってくれている。『収傘! 収傘!』」と声があがり、ひらいていた傘がさっと閉じられる場面もあった。
学生たちは真摯(紳士?)であり、それだけにシナリオどうりの映像を漁るマスコミの執拗さが目に付いてしかたなかった。
ことは中国マスコミに限らない。日本のテレビも「ご覧ください! 長野市が中国人で埋め尽くされています」と、ちょうど記者のすぐ後ろで「実況中継」をはじめたのにはギョッとした。
長野市民も遠巻きながら、あるいは小旗を振り、拍手をして、80人のリレーを温かく見守っていたのである。
到着式会場では、初老の物静かな男性から「あなたがた友好協会の皆さんは、きっと中国の要路にパイプがあるのでしょうから、こうしたお門違いな動員は決していい印象を与えないということを伝えてほしい」と声をかけられた。たしかに。真情は真情として、動機は動機として、しかし効果のことも考えなければ、悪人に口実を与えてしまう。
長野県日中ではお祝いの饅頭を配ったが、受け取る学生たちの笑顔はほんとうに爽やかだったのである。
(文責 編集部)
(「日本と中国」2008年5月25日号掲載)
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