空中キャンプ

クボタさんのCDちょうかっこいい!

2008-09-24

さと子のおしゃれ論

繁華街に洋服を買いにいくたびに感じるのだが、あの洋服店ってやつは、一般的に店内の照明がいくぶん過剰になっていて、まぶしいくらいに明るい光が店内を包みこんでいるものである。かかる非日常的な照明環境で洋服を選別、また試着などをしているうちに、具体的にどのようなことが起こるかというと、しだいに目の感覚がぐらぐらになっていき、さと子は順当な判断がつかなくなってくるのであった。

買いものをしているときは、ただでさえテンションが上がってしまっていて、理性的な選択がむずかしくなるものだが、そこへきてあのまぶしい光。洋服がやけに輝いて見えてしまう。店で眺めていたときには、あたしこれちょうかわいい。こんなにかわいい服を着て歩いたら、風紀を紊乱してしまうのではないかしら。等の感想を持ちつつ買った商品が、自宅へ持ち帰ってみるとあきらかにちがう。店で見ていた商品とまるで異なるような気がする。そもそもなんであたしはこんな服を買ったの、という困った事態が発生する。

あの照明は、あきらかに洋服店サイドの策略であって、過剰な光でわれわれの判断力を鈍らせ、弱ったところを狙うという、ライオンのごとき獰猛な意図がある。OLエクスプロイテーション。さと子は狡猾な資本主義のからくりに怒りをおぼえた。試着をするとき、あたらしい洋服にくらべて、自分がそれまで着ていた服が、なんだかずいぶんよれよれでみすぼらしく感じられるのも、やはりあのライティングのせいだ。もっと、実家の蛍光灯みたいな白っぽい光、ひもを引っ張るとチンチロリンと音がするような、日常的な照明の下でも見劣りのしない洋服を作成し、販売するべきではないのかとさと子はおもう。

目の感覚がぐらぐらになったせいで、ださい服を買ってしまった。だからといって、せっかく買った服を着ないわけにもいかないし、お金ももったいないわけだから、見た目があまり重要ではない日、それほど服装に頓着しなくてもいい日を選んで、さと子は失敗した服を着ることにしている。ところが、今日は別にださくてもいい、誰も見ていないのだ、とおもっていても、やはりださい服を着て歩くとださいのであって、一日なんだかださい気分ですごしてしまう。今あたしはださい。自分の身なりに納得のいかない状態で交差点を渡っている。

おしゃれはとてもむずかしい。かとおもえば、「それ、どう見てももんぺだよね」みたいなファッションをきわめて優雅に着こなす女の子もいたりして、世の中はとっても不公平にできているものだとさと子はおもった。まちがえて買ってしまったださい服を着ながら、何回もそうおもった。