記念式典には在校生や卒業生、学校関係者らおよそ1000人が出席しました。はじめに19期生でもある永井裕(ながい・ゆたか)校長が「100周年を迎えた今日、『倉敷青陵』の名は自信と誇りであるとともに、地域から信頼され、全国にも知られる学校になりました。地域の教育に対する支えがあってこそです」と挨拶しました。そして同窓会やPTAの功労者に感謝状を贈りました。倉敷青陵高校は、明治41年に開校した精思女学校に始まります。その後、校名を変えながら昭和13年に現在の倉敷市美和に校舎を移転。昭和24年に岡山県立倉敷高等学校と統合し、現在の校名になりました。『永遠の理想を追求する青春の陵(おか)』の校名のゆらいのもと、県内有数の進学校に。また、部活動においても古くはハンドボールや剣道、現在はバスケットボールや将棋などで輝かしい成績を収めています。記念式典では同窓会長の石原隆司さんは「明治・大正・昭和・平成と激動の時代を乗り越え、大きな足跡を残してきました。100周年を迎えることができ、感慨ひとしおです」とこれまでの歴史を振り返りました。また、在校生を代表して生徒会長の楢崎未悠さんが「さらに飛躍し、新たな伝統をつくっていきたいです」と決意を述べました。倉敷青陵高校は創立以来3万1000人を越える卒業生を輩出しており、国内外を問わず、各方面で多くの人が活躍しています。記念式典のあとには卒業生の一人で、現在、シャープの社長を務める、片山幹雄(かたやま・みきお)さんの記念講演が行われました。また、校内にある同窓会記念館では、現在、回顧展が行われています。会場には学校の変遷を写真で振り返ることができるほか、戦前から戦後にかけて使われていた教科書や卒業アルバムなど、歴史の重みを感じさせられる数々の品々が展示されています。こちらの校章は岡山県立倉敷高等学校の前身・岡山県倉敷中学校のものです。校章にはペンと刀がかたどられています。しかし、学校設立からまもなく、日本が第2次世界大戦で敗れ、進駐軍の指令により、校章の刀を各自で削ったということです。また、こちらは100年前の通信簿です。精思女学校1期生のもので、当時は「通告簿」と呼ばれていたようです。回顧展は10月3日(金)までの平日に開催されています。
玉野市体育協会から表彰されたのは、28年間に渡り玉野市のバスケットボールの振興に尽力した山本 利夫さんです。玉野市体育協会の廣江 正臣会長から表彰状が贈られました。また、野球の審判員育成に尽力した石井 浩一さんと長年にわたり家庭婦人バレーの普及に務めた島崎 久爾枝さんの2人には感謝状が贈られました。廣江会長は「これからも、スポーツを通じて子どもたちに心の指導してもらいたい」と3人を激励しました。受賞者を代表して山本さんが「この受賞を機にそれぞれの競技の発展に尽くしたい」と挨拶しました。また、玉野市から今月27日に開幕する「チャレンジ!おおいた国体」へ出場する選手の壮行会も行われました。壮行会には、セーリング成年男子シングルハンダー級に出場する與田 明宏選手とソフトテニス少年男子に出場する太田 涼選手の2人が出席し、廣江会長から激励金が手渡されました。玉野市から大分国体へ出場するのは自転車や卓球などの七つの競技8人の選手となっています。
清心中学と清心女子高校では、1978年から30年間、経済的に貧しくて学校に通えない子どもたちの支援活動をしています。毎月、生徒一人が100円を出し合い、一クラスで子供一人の支援費4000円を集めています。報告会では、支援団体のNPO法人チャイルド・ファンド・ジャパンが今年7月に撮影した映像を交えて現地の様子を説明しました。また、清心中学と高校が支援する12歳のメイ・アンさんとテレビ電話をつなぎ初めて対面を果たしました。将来の夢や現在の生活について質問するとメイ・アンさんは「学校の授業は科学が好きで、将来は看護師になりたい」と語るなど、生徒たちは、遠く離れた里子との会話を楽しんでいました。清心中学と高校では、今年度28人の里子を支援しており、この冬にはクリスマスカードを贈ることにしています。
総社市西郡の農マル園芸が芋掘り園の開園を記念して開いたもので、清音幼児園の5歳児58人が招かれました。農マル園芸の大代 富貴子さんから、芋の掘り方の説明を受けた園児たちは、さっそくサツマイモ畑に入って芋掘りをはじめました。ほとんどの園児が芋掘りをするのがはじめてとあって悪戦苦闘していましたが、スタッフや先生たちに手伝ってもらいながら丸々と太った大きなサツマイモを掘り出しては歓声をあげていました。園児たちが掘ったのはおよそ2000平方メートルのサツマイモ畑の一角で、畑にはスタッフが6月頃に植えたおよそ6トンのサツマイモが順調に育っています。農マル園芸では、来月4日からこの芋掘り園をオープンさせ、秋の味覚狩りとして多くの人に楽しんでもらいたいとしています。
四半世紀以上の歴史を誇る伝統の相撲大会は、今年も、「ふれあいの土俵」で開かれ、全校児童236人が、元気いっぱいの相撲をとりました。昭和56年3月に完成した「ふれあいの土俵」は、入母屋の大屋根をもつ本格的な土俵です。子どもたちは、大会の一ヵ月ほど前から練習してきた成果を発揮し、初めての経験となる1年生から最後の大会となる6年生まで学年ごと男女別の取組を見せました。小結から、関脇、大関、横綱までの番付は、各クラスで行った総当り戦の結果をもとに決められたものです。四股名も自分の名前をもじったユニークなものがつけられたほか東西の力士の呼出や、行司、柱審判なども児童たちがそれぞれ役割をきめて務めました。土俵上では、押し相撲を基本に力の入った取組が行われ、クラスメイトや応援にかけつけた保護者たちから「がんばれ!」の声援が送られました。中でも、6年生男子の大関同士の一番では、途中まわしが外れて水入りとなるほどの白熱した大相撲となりました。このあとの横綱対決では、去年と同じ「祐介丸」と「大将」の顔合わせとなり、去年負けている「祐介丸」は、リベンジを誓いました。試合は、西の横綱「大将」が勝ち連覇を果たしました。