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[私の新人時代]トイレで嘔吐 帝国ホテルで「精神」学んだ…野田聖子議員

試練?の帝国ホテル勤務時代を振り返った野田氏(カメラ・二川 雅年)

 希望に燃えて社会人となった新入社員のみなさん、お仕事にはもう慣れたでしょうか? えっ想像以上に仕事がキツイ…5月病だ…辞めたい…。そんな悩めるルーキーたちに、第一線で活躍する著名人が、自らの「新人時代」を振り返りエールを送ります。第1回は自民党の野田聖子衆院議員(47)。極めつきのお嬢さまが、就職先の名門ホテルで経験した「大人の洗礼」とは?

 「トイレで嘔吐(おうと)」で野田氏の新人時代は幕を開けた。1983年の春。米国留学を経て上智大学を卒業、「英語は即戦力」とアピールして滑り込んだ帝国ホテル。フロントや営業の仕事と心構えをしていた野田氏に任されたのは、客室清掃係だった。

 「英語どころか、日本語すらしゃべっちゃいけない職場」で担当したのは風呂とトイレ清掃。男性の先輩が、便器掃除の手本を見せてくれた。素手でスポンジを持ち、便器の中に「ガポッと行った。うぇ~本当ですかって。あのすごさって、鮮明に覚えてます」。

 それまでの22年間とはあまりにかけ離れた仕事だった。「破壊王」の異名もとったおてんばガールとはいえ、小学校から田園調布雙葉、トイレ掃除はお手伝いさんの仕事というお嬢さま。初めて便器に手を突っ込んだとき、思わず「吐いちゃった」という。

 それでも「ここで辞めたら格好悪い」と、反骨精神で便器に食らいついた。「1日何十個も便器との対話ですよ。あ、きょう奇麗ですね? とか…あれっ、どうしたんですか? みたいな」。ある日、最初にお手本を見せてくれた先輩に倣って便器の水をこっそり飲んでみた。

 「先輩は自分の仕事に自信を持って、手を抜いてない、絶対に奇麗にしたというプライドがあるから、私の前で水を飲んだんです」

 特に希望した就職ではない。友人らに後れをとり、1社だけ受かったのが帝国ホテル。英語にばかり接していた帰国子女は、入社試験の国語で「仏作って□入れず」の「魂」と書くべきところを「墓に」と記入する大ボケ。これを「面白い」と評価して採用したのが、当時人事担当だった小林哲也・現帝国ホテル代表取締役社長だった。

 清掃係の後は、メード姿でコーヒールームのウエートレス。「ヤンキーみたいな」年下の女上司から、ドレッシングをぶっかけられ、足を踏まれるスパルタ教育を受けた。どんな先輩にも敬意を払う精神を学び「今に生きている」と言う。

 初任給は10万円前後。飲み代と、車の購入資金に消えた。学生時代から付き合っていた彼氏から振られることにはなったが必死で働き、フロントを経て女性初の営業職に。そして86年、祖父の故・野田卯一元建設相の地元・岐阜から、県議選出馬の声がかかり、政界に足を踏み入れた。

 「働くとは、つまらないこと、厳しいこと。でも給料を得るというのはそういうことだとたたき込まれた」という野田氏の新人時代。「どんな仕事でも一番を目指してほしい。ただ“仕事で自己実現”はフィクションです。仕事は生きるための手段」と、リアルなエールを送った。

 ◆野田 聖子(のだ・せいこ)1960年9月3日、福岡生まれ。47歳。田園調布雙葉高校を高2で中退、アメリカ・ミシガン州のジョーンズビルハイスクールを卒業後、上智大学外国学部比較文化学科を卒業し、帝国ホテル入社。87年、26歳で岐阜県議選初当選。93年、岐阜1区から衆院選当選、小渕内閣では郵政相を務めた。2001年には鶴保庸介参院議員と事実婚の関係を結ぶも後に解消。「郵政民営化」に反対し無所属で戦った05年の総選挙で、佐藤ゆかり衆院議員との激闘を制し5選を果たす。復党し現在、自民党広報本部本部長代理兼広報局長。趣味は愛犬の世話とカラオケ。血液型A。

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(2008年5月20日06時03分  スポーツ報知)

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