思いを表現できることに、幸せを感じています。

陶芸家 岡井仁子さん
(福岡県美術協会員・女流陶芸会員 宮崎県在住)

岡井仁子の『やきもの夢工房』


1983年9月、大韓航空機KAL007便(乗客乗員269人)はニューヨークからソウルに向かう途中、 航路を北に外れてサハリン上空で旧ソ連のミサイルに撃墜されました。乗客の中に、 岡井さんの長男でボストンのバークリー音楽 大学を卒業して帰国途中の真(まこと)さんがいました。

 

岡井仁子さん
岡井仁子さん

 「この年の福岡県美術展に作品を応募していて、新聞で入選を知ったところへ息子が乗った飛行機が行方不明との一報が入りました。入選の喜びと大きな悲しみが同じ日の朝にやってきたんです。とても長い一日の始まりでしたね」と、岡井さんは当時を振り返ります。
その年の春に開かれた福岡市美術展にも初出品・初入賞を果たした岡井さん。「ほとんど独学」で始めた陶芸に注目と評価が集まり始めたものの、ご自身にとってはまだ趣味の範囲を越えるものではなかったそうです。
  しかし、岡井さんはこの事件を境に自分の「思い」を込めた作品づくりを始めることになります。それは表現者としての人生の始まりでもありました。 「事件を風化させてはいけない…でも自分に何が出来るのか?と悩んだとき、私には陶芸があると息子が気づかせてくれたのです」。


「事故からしばらくたったある日、親しいお友達にかねてからやりたかった『野やき』の話をしたところ『みんなでやってみようよ!』と言うことになったんです」。
 縄文時代に起源をさかのぼる野やきは、その名の通り野原で薪を燃やし、その中でうつわを焼きます。陶芸家が独特の仕上がりを計算して野やきすることはありますが、私のやっている野やきは大勢の人の労力がいるし、失敗も多いため一般的なやり方ではありません。岡井さんは陶芸家としてのチャレンジ精神の他に、この野やきにもう一つ目的を持っていました。
 「たくさんの人に野やきに参加してもらって、大きな火を焚いて、それを息子をはじめ事故の犠牲になった人々への慰霊の火にしたいと考えたのです」。
 友人達の賛同と協力が得られたのは言うまでもありません。その輪はやがて「JINの会の野やき」として各地に広がり、1989年に一回目が実現して以来、九州、北海道、そして韓国の各地で野やきが行われるようになりました。

皆で協力して釜をつくります皆で火をつけます

「撃墜地点に近い北海道で火を焚きたい」という願いがあった岡井さんとJINの会は、捜索の基地にもなった稚内でも野やきを行っています。犠牲者の遺品の一部が漂着した紋別市からは「紋別でもやれないか。それも流氷が見られる厳冬の頃に」との申し出でがありました。
「流氷はアムール川から流れ出た水が凍りながら、撃墜の海を通ってオホーツク沿岸にやってきます。ですから流氷に逢うことは〈息子に逢える〉というふうに感じられるのです。
 また野やきの起源である縄文土器は国境の隔てもなく、ただ人々の祈りと暮らしのために作られた古代人の知恵の所産ですが、その分布は日本列島からサハリン・オホーツク沿岸を通り、遠くアラスカまで及んでいます。それは息子が乗っていたKAL007便の航路と同じなのです。偶然が重なっただけと言えばそれまでですが、私はこれらの出会いを通して息子との深いつながりを感じずにはいられません」。
 野やきに雨や風は大敵。九州でも天気が安定した時期しかできないことを、全く逆の環境やろうというのですから難問は山積でした。しかし、両地の陶芸家や現地の人々の熱意で、両地の野やきは大成功。現在も地域イベントとして継続されています。「ソウルでも交流のある陶芸家たちの手で、野やきが行われました。とても私一人じゃできないことが、皆さんの手でどんどん形になっていく。そんな時、私は息子の存在を強く感じます。息子が私をどんどん引っ張ってくれているのです」。


 岡井さんの作品は、抽象的なものが多い。そして、まるで意志を持っているかのように、見る人に語りかけてくる力強さがあります。
「陶芸を始めた頃は車庫の隅や物置で作ってたんですよ。でも、だんだん手狭になって、主人に内緒で庭の片隅にアトリエを建ててしまった(笑)。私には形が揃ったものをたくさん作り上げるといった才能はないの。抽象的で、荒っぽい作風だから、陶芸展で初めてご覧になった方は男性の作品と勘違いされることがあります。作者名を表示しているのにね」と、岡井さん。
Home Comming  97年末、岡井さんの作品「還(かん)」(写真)が、息子さんが学んだバークリー音楽大学に設置収蔵されました。事故から15年の歳月が流れているにも関わらず、学校をあげての盛大なセレモニーだったそうです。
(作品の英題は「Home Coming」)

 岡井さんは今、これを一つの区切りとして次のステップへ踏み出そうとしています。99年は今後どういう作品づくりに挑戦するか、野やきをどう発展させるかを、じっくり考える年にしたいと考えておられます。

(バークリー音楽大学に設置収蔵されている「還」。8体が歌っているようにも、話しているようにも見える。 )

 

NHKギャラリー(福岡市)で開かれた「JINの会 野やき作陶展」'98/11

 

「JINの会」には途中から参加しとります。野やきには友達と会う(酒を飲む)のを楽しみに来る人もいれば、家族サービスにしている人もいる。で、日中はみんな好き勝手なことをやっているんです、秩序無く(笑)。だけど、締めるところはキチッと締めて、ちゃんと火を焚いて、各自作品を仕上げて帰ります。ちなみに私は食料班です。(ムッシュ上田談)

(真ん中はムッシュ上田です。その左隣は長男です)

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三徳