「さわらぬミミに祟りナシ!」................................................................ Takeshi Okai

 


面白いことに、人それぞれ癖というものがある。私自身、小さい頃からボーッと考え事をしている時など、耳たぶを触るのが癖だ。しかし、耳を触るのが好きなのはどうやら私だけではないらしい。世の中の、かなり多くの人々が、つい触りたくなるのが耳であるようだ。


私の母は、世間一般で言われる女流陶芸家である。 趣味が昂じて職業になってしまったという幸せな人だ。 彼女は、高校時代は油絵で県展に入賞したり、永年、生け花の先生をしたり、常々芸術面にその才能が長けていることは知られていた。そして、息子が言うのも面映ゆいのであるが、焼き物のセンスは、これ又実に大したものである。 今では京都女流陶芸のメンバーになったり、派手な活動のおかげで地元においてはかなり名が売れている母が、未だ陶芸家として駆け出しだった頃のお話を一つ披露いたしたい。
 

福岡は、陶芸をはじめ非常に芸術の盛んな土地で、年に一回行われる福岡市美術展は、毎年かなりのハイレベルで競われることになる。 新進女流陶芸家であった母も、その年の市展は、魂を込めた力作を出品することになっていた。青銅器を模して、荒い土で作られた大きな正角柱の花瓶で、その両脇の側面にまるで耳のように張り出した取っ手のようなものが引っ付いている。 なかなかユニークかつダイナミックな素晴らしい作品である。そして、市展を目の前にして、母の師匠であり日展作家でいらっしゃる佐藤先生の自宅にあるスタジオで市展に向けての壮行会が取り行なわれることになった。


佐藤先生の弟子では、母の他にも数名の方が市展に出品することになり、その出展作品たちがスタジオに奇麗に展示され、スポットライトなども当てたりして、なかなかの凝りようである。 おでんや色々な料理と共に酒もたくさん用意され、壮行会に名を借りた飲み会の色合いが濃いのも否めないが、たくさんのゲストが作品を鑑賞しに来ることになっていた。 会場の準備も整い後援会の世話役の方が、難しい面持ちで一つ一つの作品を吟味していた。 ある作品は手に取り舐めるようにして、又ある作品は照明の角度を変えてみたりして眺めていた。 この方、母の作品の前に来ると「ホー」やら「オオッー」などと言って、大層お気に入りの様子である。 おもむろに手を伸ばすと、何を考えたのか高さ50cm幅30cmはあろうずっしりと大きな花瓶を、両耳の取っ手を掴んで持ち上げようとした。「ぱりっ」と音を立て片耳が根元から割れた。「うひゃ〜!」その方は大パニックとなり、「先生〜!佐藤先生〜!」と助けを求めた。 佐藤先生は、その叫び声を聞いて慌てて駆けつけてきた。 そして、その場の状況を一目見るなり、全てを把握した。青ざめた二人はコソコソとスタジオの隅に行き、「すみません!どうしたらよかでしょう?」「誰か見とった者はおったね?」などと話している。「私に、よか考えがある。瞬間接着剤で分からんごと、着けとこう」日展作家にしては、随分と怪しげな事を言っている。「大丈夫ですかね?」「まあ、とにかくやってみよう」と先生は瞬間接着剤を持ってきた。しかし、いざとなると良心の呵責に耐えかねたのか「やっぱり、岡井さんに正直に話して決めよう」と土壇場で大先生らしい思慮を取り戻した。さすがは日展作家である。
 

台所で手伝いをしていた母のところに二人がバツの悪そうな顔でやって来て、事の顛末を話した。 驚いた母は、二人と共に作品の前に来ると、取れた耳を元の場所に着けてみた。すると、まるで何事も無かったかのように耳は元の場所に収まった。荒い土で作ってある性もあり、全くと言っていい程分からない。三人はとりあえずこのまま着けておいて、後程修理しましょうという事にした。


その作品は、青銅器を模してあるだけに、見る人にまるで金属製であるかの錯覚を起こさせるらしい。 そして、両側面に付いた耳は、どうしても触りたくなるような魅惑的な形であるらしいのである。 壮行会のゲストや関係者も次第に集まってきて、会場であるスタジオも賑やかになってきた。しばらくすると、「ひぇ〜!」という叫び声が会場に響いた。 佐藤先生が慌ててスタジオに飛んで行くと、中年女性が母の作品の前で耳を片手に握り締めアワを吹いている。可哀相に、その御婦人は、大切な作品を自分が壊してしまったと思い込み、ショックで倒れてしまった。 佐藤先生は、周りの若い衆に頼んで、その方を人目につかないように、すみやかに奥の座敷に運びこんだ。
 

佐藤先生は、御婦人の手から耳をもぎ取ると、人目を憚りながら、慎重に耳を元の場所に戻した。 そして、又しばらくすると、「おひゃひゃ〜!」という男性の叫び声が聞こえた。 最初に耳を取ってしまった世話役は、犠牲者が出る度に、自分の犯した罪が少しずつ浄化されていくようで酒がどんどん美味くなり、すっかり上機嫌で「ありゃ、誰でもつい触ってみとうなるとよ、あの耳は!岡井さんの作品がそれだけ良かってことよ! わしゃ、あの作品が、じぇったい賞ば取ると思うばい。命賭けてもよかばい」と気炎をあげている。 他の犠牲者たちも、自分が壊したんじゃないと分かると、とたんに安心して陽気に飲み始めた。 しかし、先程の御婦人は未だ座敷で寝込んでいて、起きてくる気配が無い。 スタジオから、驚愕と絶望による断末魔の叫び声が聞こえるたびに、「あっ、又誰か、やったばい!」と一同は新たな犠牲者が誕生したことに一応同情しながらも、心の中での喜びが、自然と顔に表れるのを押さえ切ることは出来なかった。


人騒がせな作品のお陰で異様な盛り上がりをみせた壮行会もどうにか終わり、作品たちは、スタジオで深い闇に包まれ静かな眠りに就いた。そして、翌朝。 佐藤先生は、小学生の息子のコウ君と釣りにいく約束をしていたので、疲れがやや身体に残るものの頑張って床から起き上がった。 佐藤先生は、年を取ってから出来たコウ君が可愛くて仕方が無い。 今日、釣りに連れて行くという約束で昨日の壮行会の間は、コウ君は知人宅に預けられていた。コウ君はお父さんと釣りにいくのが大好きだ。
 

肌寒い朝の空気の中、先生はスタジオに入ると我が目を疑った。「無い!耳が無い!」 昨夜、来客が帰った後に見回った時には確かに付いていたあの耳が無い。慌てて近くに駆け寄って、耳がどこかに落ちてないか探してみたが、どこにも見当たらない。 ただ、作品の脇には耳が取れたときに落ちたであろう陶器の粉がまばらに落ちている。 耳の無い作品の前で腕組みをした先生は、耳の行方を考えた。 しかし、いくら考えても行き着く答えは一つしかなかった。 それは、コウ君だった。


いつもの池で二人並んで釣り糸を垂らしている。あんなに楽しみにしていたのに、コウ君、朝から何となく元気が無い。先生は親として息子がどういう行動に出るのか非常に興味がある。何も知らないフリをして、コウ君の様子を伺っていた。コウ君は、小学生ながら、日展作家の息子として、作品がどんなに大切なものかということは十分承知している。可哀相に、多分眠れぬ夜を過ごしたのであろう。目が腫れぼったくて、両肩をガックリ落として、好きな釣りも上の空の様子である。 小学生の苦悩を、心の中で楽しみながら見ていた先生も、可愛い息子がこれ以上苦しむのを見ていられなくなった。 親として当然であろう。
 

「コウ、お前、何かお父さんに隠しとらんか?」先生は誘い水を向けてみた。 コウ君は、うつむいたままコクリと小さくうなずいた。「スタジオの作品を壊したのは、おまえか?」先生は優しくきいた。「ごめんなさい」コウ君は蚊の泣くような声で謝った。「それで、とれた耳のような取っ手はどうした?」「僕の机の引き出しの中にある」先生は、コウ君が耳を捨ててなくて助かったと胸を撫で下ろした。 先生から、事の顛末を説明されたコウ君は、自分が壊したんじゃないと分かると、先程までの暗い顔が見る見る晴れていった。「コウ、今度こんな事があったら、隠さず正直にお父さんに言うんだぞ」「うん!」コウ君は元気に応えた。


世話役のおじさんを始め、いたいけな小学生までを苦しみに落とし入れた耳付き花瓶のその後の物語が、更におもしろい。 耳が取れて困ったのは、世話役のおじさんやコウ君だけでない。 一番困ったのは、市展に出品する力作を壊された私の母である。 母は、佐藤先生と相談して、何と耳を瞬間接着剤で着けて市展に出品してしまったのである。
 

福岡市美術展結果発表の日の朝、母は早くから目が醒め、朝刊を取りに出た。緊張して市展の結果発表のページを開くと、母は驚きのあまり絶句してしまった。 なんと市展の大賞に当たる市長賞のところに自分の名前を見つけたのである。


その日は、朝から一日中お祝いの電話の応対に追われることになった。 もちろん、佐藤先生も愛弟子の受賞を喜んでお祝いの電話をかけてきた。「おめでとう!」「ありがとうございます。でも先生、本当に良いんでしょうか?接着剤で着けた耳で受賞してしまって」「いいんだ、あんたの作品は真に見事だ。そんな事は気にせんでいいよ」さすが日展作家、落ちつたものだ。 実は、佐藤先生も審査委員の一人なのだ。とんだタヌキおやじである。
 

母はこの後、授賞式やら、受賞記念パーティーやらで多忙を極め、一人前の陶芸家の仲間入りを果たしたのであった。物語は、まだまだ続く。 授賞式の時に発表されたことであるが、市長賞に選ばれた作品は、友好都市であるフランスのボルドー市の美術館に送られ、しばらくの間展示されることになったのである。 つまり、母の作品が海を渡って遠くフランスのボルドーに行くことになったのであった。


母はてっきり自分もフランスに招待されると勘違いして、すっかりはしゃいでいたのだが、行けるのは作品だけと知らされてぬか喜びとなってしまった。 その後しばらく、酒を飲む度に自分をフランスに招待しなかった福岡市とボルドー市の文句を言っていたのである。 しかし、冷静に考えてみれば、瞬間接着剤で修理した作品がそこまで行けたのだから、御の字と思って満足するべきだろう。人間、やはり欲張りすぎてはいけない。
 

やがて、市展の展示期間も終わり、ボルドーに行くまでは一旦、母の作品を家で保管することになった。 福岡市美術館から運送会社の手により帰宅した包みを開けると、美術品用の厳重梱包にもかかわらず例の耳がポロリと落ちているではないか。 いや、厳密に言えば反対側の健康な耳の方が取れていたのである。母は、もういい加減慣れていたが、運送会社は真っ青になった。 もちろん保険は掛けられていたが、市長賞を取って、これから友好親善の為にフランスへ行こうって代物である。 運送会社は、お詫びの品と共に陳謝に来るは、保険会社からは保険金が下りるし、壊されたのが健康な耳だったので少しは腹も立ったが、あまり偉そうに言える代物ではないという事は、母自身が十分に承知している。 もちろん、壊れてなかったところが壊れたのだからお詫びの品も保険金ももらって当然なのだが、母は内心申し訳ないような気がしたのであった。


母は、又しても困った。 作品をボルドーに送らなければいけないのに耳が取れてしまったのである。 同じような作品を作ろうにも、焼き物はそんなに簡単に同じような色合いが出せるものでもないし、贋物を送ることになるのだ。 困り果てた母は、佐藤先生に相談した。 その結果、両耳を瞬間接着剤で着けられた作品は無事フランスへと旅立っていったのであった。
 

フランス、ボルドー市に迎えられた母の作品は、フランス人にはとても神秘的に写ったに違いない。 日本からはるばる送られてきたという作品をボルドー市長も見にやって来た。日本の美術品などに興味の無い市長は、作品を前に社交辞令として「とても素晴らしい!」などといい加減なことを言って感心するフリをしていたが、まるで誘われるように、ふと手を伸ばすと耳を触った。 すると、長旅で緩んでいたのか、あの耳がポトリと落ちてしまった。「ウララ〜!」と大きな叫び声を上げた市長に会場の人々全てが注目した。 日本から友好親善の為に送られてきた大切な美術品を壊した市長の人気はその日のうちに暴落した。 反市長派は、こんな野蛮な男を市長にしていては、日本との間に戦争が勃発しかねない。 市長は、今すぐ責任を取って辞任するべきだと糾弾した。 翌朝のボルドー新聞では、世論に押されて市長が辞職したニュースが一面を飾っていた。母の作品の耳の所為で、又ひとり人間が不幸になってしまったのであった。


今、私の実家の居間の片隅に埃をかぶって放置されたあの作品の中からは、夜になると多くの人々の驚愕、絶望、悔恨、そして苦悩の叫び声がこだまするという。怖くて夜は一人で便所にも行けないのである。
 

この話は、事実をもとにしたフィクションであることを一応お断りしておきます。
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