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小泉元首相、今期限りで引退 次期衆院選には出馬せず

2008年9月25日21時36分

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写真政界引退を報道陣に問われ、右手を挙げてうなずく小泉元首相=25日午後7時34分、神奈川県横須賀市、壱田和華子撮影

写真24日午後、衆院本会議で首相指名選挙の投票を済ませた小泉元首相=松沢竜一撮影

写真16日、自民党総裁選に立候補した小池百合子氏との食事会に出席する小泉元首相=東京都港区、上田幸一撮影

写真16日、自民党総裁選に立候補した小池百合子氏(左)との食事会に出席した小泉元首相=東京都港区、上田幸一撮影

写真05年9月の総選挙、街頭演説会に集まった有権者に手を振る小泉元首相=福岡市中央区の警固公園

写真4年前の衆院選挙で、候補者の手を握りながら支持を訴える小泉元首相=04年7月、大阪市内

 小泉純一郎元首相(66)は25日、次期衆院選には立候補せず、政界を引退する意向を明らかにした。小泉氏は01年から約5年5カ月にわたって首相を務め、郵政民営化の実現など構造改革を推進。今回の自民党総裁選では、支持した小池百合子元防衛相が麻生首相に大差で敗北した。構造改革路線への批判が強まるなかで引退を決断したと見られる。小泉氏の引退は総選挙の動向や選挙後の政局にも影響を与えそうだ。

 関係者によると、小泉氏は25日、地元の神奈川県横須賀市で支持者の県議や市議らに対し、「自分では、総理を5年半やって燃焼した。36年間、国会議員をしてきたが、自分の国会議員としての役割は済んだ」と引退する意向を伝えた。慰留には「引き際を大事にしたい。辞める時は政治家は自分で決めるものだと前から思っていた」と述べたという。後継者については、次男で秘書の進次郎氏(27)を指名した。

 小泉氏は同日夜、横須賀市の事務所から出る際、記者団に「引退するというのは間違いないか」と問われ、手をあげて数回うなずいた。同日には森元首相に電話し、「次の選挙には出ない。まだ政治活動はやめない。国会活動はしないだけだ」と語った。

 小泉氏は今回の自民党総裁選で「小泉改革の継承」を掲げる小池氏を支持した。しかし、他の候補者から「改革の痛み」への批判が相次いだうえ、麻生氏優位の流れを変えられず、景気対策優先、積極財政路線の麻生氏が22日、小池氏に305票差をつけて党総裁に就任。小泉氏の支援は不発に終わった。

 小池氏擁立には、小泉氏と連携する中川秀直元幹事長が衆院選後の政界再編の起爆剤にしようとの思惑もあっただけに、小泉氏の引退は政界再編の行方にも少なからず影響を与えそうだ。

 小泉氏は神奈川11区選出で連続当選12回。福田赳夫元首相の秘書などを経て、72年に衆院議員に初当選。88年に竹下内閣で厚生相、92年に宮沢内閣で郵政相に就いた。総裁選での2度の敗北を経て、森元首相の退陣を受けた3度目の総裁選挑戦で01年に第87代首相に就任した。

 道路公団や郵政の民営化など構造改革を推進した。自民党の族議員らの激しい抵抗にあったが、「私の方針に反対する勢力はすべて抵抗勢力だ」「自民党をぶっ壊す」などと発言、高い支持率を背景に官邸主導で政策を進めた。とりわけ党内を二分した郵政民営化では、「民営化」を争点に掲げて05年8月に衆院を解散。民営化法案に反対した議員に対立候補を立てるなどし、与党で衆院の3分の2を上回る大勝に導いた。

 外交面では、日本の首相として初めて02年9月に北朝鮮を訪問。拉致被害者5人の帰国に道を開いた。米国のイラク戦争を支持し、イラクの復興支援に陸上自衛隊を派遣したほか、有事法制の整備も行った。また、靖国神社参拝を重ねて中国や韓国との関係を悪化させた。

 小泉氏の首相在任期間は1980日で、佐藤栄作、吉田茂元首相に次ぐ戦後3番目の長期政権だった。在任中の内閣支持率の最高は84%で、平均支持率も自民党の内閣では最高の50%を記録した。

     ◇

■小泉純一郎氏の足跡■

1942年1月生まれ。神奈川県横須賀市出身。

 67年 慶応大卒業

 69年 衆院旧神奈川2区で落選

 70年 故・福田赳夫氏の秘書に

 72年 衆院選で当選(以来12期連続当選)

 88年〜 厚生相(竹下、宇野内閣)

 91年 「経世会支配」脱却を掲げ、加藤紘一、山崎拓両氏とYKKを結成

 92年〜 郵政相(宮沢内閣)

 95年 自民党総裁選に立候補、敗北

 96年〜 厚生相(第2次橋本、同改造内閣)

 98年 総裁選に立候補、敗北

2001年 総裁選に勝利し首相に。直後の内閣支持率は過去最高の78%(朝日新聞社調べ)

 02年 北朝鮮を電撃訪問、金正日総書記と会談

 03年 総選挙で中曽根康弘、宮沢喜一両元首相に引退勧告

    自衛隊のイラク派遣を決断

 04年 北朝鮮を再訪問

 05年 郵政選挙で自民圧勝

 06年 終戦の日に靖国参拝、首相退任

     ◇

■小泉元首相の主な発言■

 「私の内閣の方針に反対する勢力はすべて抵抗勢力だ」(01年5月、国会で)

 「『(選挙に)勝てば小泉の改革はつぶしちゃえ』と。もしも自民党議員がそんなことを考えたら、私が自民党をぶっつぶします」(01年7月、参院選の街頭演説で)

 「この程度の約束を守らないことは大したことではない」(03年1月、国債新規発行30兆円枠の公約について国会で)

 「どこが非戦闘地域で、どこが戦闘地域か、私に聞かれたって分かるわけがない」(03年7月、イラク復興支特別措置法について党首討論で)

 「人生いろいろ、会社もいろいろ、社員もいろいろ」(04年6月、自身の年金問題について国会で)

 「郵政民営化に反対して否決しようという人は、小泉退陣せよと、倒閣運動と同じです」(05年8月、首相やりとりで)

 「いつ参拝しても騒ぎにしようとする勢力があるんですから、8月15日に行っても適切じゃないかなと」(06年8月、終戦記念日の靖国参拝後に)

 「政治家は常に、使い捨てにされることを覚悟しなければならない」(06年11月、前年の総選挙で当選した新人議員への訓示で)

 「おれは小池を支持する。小池に1票を入れる。小池総裁が実現すれば、小沢民主党といい勝負ができる」(08年9月、自民党総裁選に出馬した小池百合子元防衛相について)

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