2008年9月25日 (木曜日)

YouTubeで遅刻しないでね

空き時間にパソコンをつけて、何気にYouTubeを見ていたら、

時間があっという間に過ぎるな・・・coldsweats01

今日も、午後のお参りに遅刻しそうになった(汗)。

で、

以下の動画は、この動画から「関連動画」をハシゴしていくための僕個人の「ブックマーク」のかわりに載せます。。。

単なるワタシの好み。

  

ああ、このドラマ去年ハマッたなぁ・・。ビデオ消さなきゃよかったなぁ。 DVDがもうすぐ出るらしいが・・・・ このドラマの彼女を見てると、脱力感と共に、愛しさがこみ上げてしまうわ・・・。

で、やっぱり、綾瀬はるか、といえば、

ああ、やっぱりこれなのね、これなのよ。↓

マジでこのドラマの「DVD-BOX」が欲しいなぁ。

いやいや、このページから、セカチューの他の動画をハシゴすると、またしても泣きまくってしまった・・・。

      

あ、こんなのもあるのね!

数年前まで長渕ファンクラブに入るくらい惚れ込んでいたから、

長渕サンの過去の楽曲は、もちろんCD音源としては所有しているけど、

この頃の映像ってなかなか見れないから貴重だ・・。

でも、やっぱり「ガンジス」はそれまで僕が聴いていた歌という概念を覆すくらいの衝撃だったなぁ。

当時、ガンジスを歌ったテレビ番組録画して、何回も繰り返し見た映像もYouTubeに発見!

この動画で、ワタシも同じ「タカミネ」のギターを買い、この曲を忠実にコピーしたなぁ・・・。

1回目にインド行ったときの記憶を重ねながらこの曲に傾倒し、

2回目にインドに行ったときは、心の中で何度もこの歌を歌っていた自分を思い出す。。。

まだまだあるけど、この辺にしとこ・・・・

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2008年9月24日 (水曜日)

帰依三宝の生活とは?〜〜秋彼岸法要で考えたこと〜〜

今日(9月23日)は、お彼岸の中日で、お寺では「秋の彼岸法要」が勤まりました。そして、お参りに来てくださった皆さんに、住職としてお話(法話)をさせていただきました。

今日の僕の話は、最近読んで、とてもとてもとてもとても面白かった本から学んだ事を基本にしました。

その本とは、

釈徹宗という本願寺派(お西)のお坊さんの書かれた

『いきなりはじめる仏教生活』(バジリコ 2008年)

です。

今まで、色んな「仏教関係」の書物を読んできましたが、こんなにワクワクしながら、そしてトキメキながら、読んだ本はあまりなかった気がします。

ホントに面白い。

この本の内容の一部を自分なりにまとめると、

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

我々の脳は、「2項対立」という図式で理解するのが分かりやすく出来ているらしい。

勝ち・負けとか 上・下とか 高・低とか 役立つ・役立たないとか 損・得とか・・・。

我々は、通常、この図式での「枠組み」を通して物事をみています。それは、つまり、何でもワタシの都合よくなって欲しいという「想い」であり、もちろん、この「枠組み」がないと進歩も向上もなくなってしまうことになるので、ある程度は必要です。

しかし、仏教は、この「2項対立」を生み出している根源は我執(がしゅう)という煩悩であり、それが苦しみを次から次へと再生産している、と説きます。「枠組み」をそのままにしていると、2つの両極だけを行ったり来たりすることになり、自分にマジメであればあるほど、その「こうでなければならない」という枠組みが強固になり、認識と現実のズレが生じたときの絶望も大きくなります。

つまり、「2項対立」という「軸」だけで生きていく危うさがあります。

そこで、仏教は、そんな「2項対立」を超えた「第3の場」「第3の時間」を持つことをススメ、そこから、自分の「枠組み」を「点検」し見つめ直して、再び「現実」を生きていくことを教えます。なので、仏教を学ぶということは、日常の前提としていた自分の「枠組み」が揺さぶられるという手続きが必要になります。

浄土真宗という「宗派」では、その「点検方法」として、ひたすら「教えを聞く・学ぶ(聞法)」という事を大事にします。「聞く」ことに重ねることによって、「外部への回路」が開かれる、ということになります。

つまり、ワタシが、当たり前にしている「枠組み」を「第3の場」から点検することによって、今、生きている自分を「再構築」していくこと、外部への回路を開いて今ここを生きること・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

   

うぅぅ・・・うまくまとめられないweep

でも、以上のような事が、色んな実例やら面白い喩えを使って(くだけた文章や言葉使いで)釈徹宗先生は本の中で語っています。

・・・・・日常の前提としていた自分の「枠組み」が揺さぶられる・・・・

なるほど。この言葉を読みながら、むしろ「枠組み」を甘やかす宗教が多くないか?と考えてしまった。このカミやホトケを拝めば、願い叶うよ、健康でいられるよ、長生きするよ・・・・など。 

道理を無視し、自分の都合(ワガママ)をそのままにして、その「枠組み」を強固にしていくのでは、仏教ではないだろう。

  

だから、

仏教徒の生活の基本である「帰依三宝」、つまり、仏・法・僧という3つの宝をよりどころとする意味についても、

(1)仏→本当に敬う「目覚めた人(仏)」によって、ワタシの生き方が「ひとりよがり」になっていないかチェック。

(2)法→2項対立の「枠」に縛られるワタシを目覚めさせる「道理(法)」によって、自分勝手な決めつけはないかチェック。

(3)僧→「自分」とか、都合の良い「仲間意識」に閉じこもっていないか、色んな人と、お互いが認め合える人間関係を開いているかチェック。

 

というように考えることができる。

つまり、

仏教徒の基本姿勢として、

自分が苦しみを生み出している「枠組み」について点検するということが大切なんだなぁ・・・・

・仏も

・法(おしえ)も

・僧(仲間)も

このワタシの「枠組み」をチェック点検してくださるから「三宝」なのである。

以上のようなことを、「秋のお彼岸」(第3の場所から自分の生き方をチェックする期間)の法要で考えさせていただいたのでした。

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2008年9月22日 (月曜日)

最後の見せ場?

最後の見せ場?
◎最近、ビートル君のエンジンの調子がやけに良い気がする。総走行距離が12万キロ近くなり、ある意味、車の寿命の中で今が「最後の見せ場」なのかもしれない。快調に日々を走っている。

◎最近、私KONOのノドの調子がやけに良い気がする。今月は葬儀や法事が立て続けにありとても忙しいけど、どの「ステージ?」でも伸びやかで まっすぐで、綺麗な「声質」でお経が上げられていると自分でも思う。昨日もそして今日も、参列していた方にホメられた。

ま、でも、ホメられても悪い気はしないが、スバラシイ声質でお経を上げられる事と、仏教の教えとは何の関係もない。
法要で伝えなきゃならないのは声質ではない。


そうは言っても、
なんでこんなに調子がよいのだろう?
今が、ワタシの声帯の「最後の見せ場」だったりして(笑)

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2008年9月21日 (日曜日)

口の中に生ゴミを包んで陰干しをした雑巾が入っているような・・

森達也さんの本を読んでいた。

本論とは直接関係ないけど、そこに「面白い表現」があったのを見つけた。

それは、「口臭」についでである。

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 ヘビースモーカーの同世代で、凄まじい口臭の男がいる。濡れたままの雑巾に生ゴミを包んで三日ほど陰干ししてから、口の中に入れたのじゃないかと思いたくなるほどに凄まじい。ところが本人は気づいていない。誰かが言ってやればよいのだろうけど、「ねぇ、口の中に生ゴミを包んで陰干しをした雑巾が入っているようだよ」とはさすがに言いづらい。

   森達也著『メメント』(実業之日本社2008年)82頁より

********************************************************** 

この一節が出てきたとき、僕は、またその箇所を何度も、一字一句を確認しながら、その「臭い」を妄想しながら読み返した。 そして、最初はその表現に爆笑し、その後、思い当たる「臭い」がリアルに浮かんできて、うへぇぇぇぇ~~~と苦笑しながら唸ってしまった。

自分も口臭を気にする。車にはガムを。そして、部屋にはモンダミンを常備している。気にしすぎても仕方ないんだけど。

でも、自分以外の他人に「臭い!」などと指摘されようものなら本気でヘコム。そして、僕のまわりにも、口臭のヒドイ人がいる。誰とは言わないけど(言えないけど)。

  

で、僕は、今まで、ヒドイ口臭に対しては、

「ザリガニの死骸のような臭い・・・」

という表現を使っていた。(この表現は誰の受け売りかは忘れたけど・・・。)

朝起きて、ふと自分の口臭に気づいたとき、

「うわ、俺、ザリガニの死骸みたいだな・・・」

なんて思っていた。

  

それにしても、森達也さんの、

濡れたままの雑巾に生ゴミを包んで三日ほど陰干ししてから、口の中に入れたのじゃないか

という表現は、見事である。(生ゴミを出す際に、ゴミ袋から床に滴り落ちた「汁」を濡れた雑巾(すでに臭い)を使い掃除した直後、手の臭いを嗅いで、悶絶したばかりなので・・・。)

  

 

口臭を気にする自分は、他人の口臭もとても気になる。でも、他人の口臭を注意するほど、自分の口臭は「フローラルの香り」ではない・・・。

そして、

僕は、今日も、自分の発する「臭い」におびえたり、警戒したり。

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そういう時期

僕の京都での高校時代住んでいた寮の同窓会の通知が届いた。

うーむ、京都だしカンタンに行けない。その当日休めない。

…ってか、
思うんだけど、
最近の自分は
あまり「同窓会」に行きたいと思わないのだ。

仲間や恩師に会うのがウシロメタイのでもヤマシイのでもないよ(笑)


かつて、高校や大学を卒業し二十代から三十代前半くらいは、
現実生活が軌道に乗らない不安定さのせいか、
学生時代が懐かしくて、同窓会の案内があれば可能な限りホイホイ出掛けた。

でも今は、あまり自由もないし、わざわざ出掛けたいと思うほど「母校」を意識することがないのだ。


もう少し年齢を重ねたら、また変化するかもしれない。ウチの父や母も、同窓会を大事にしているし、
檀家さんの年輩の方が、遥か昔の仲間が集まるOB会に喜んで出掛ける話を聞く。現役を退き、ふと自分のルーツというか、昔が懐かしくてたまらない年代なのだと思う。

もちろん、今の僕も、学生時代の心の置けない友と個人的に会いたいとは思う。


でも、
母校や学生時代を懐かしんで「同窓会」に出掛けたい、とは強く思わなくなったのさ。

たぶん
いま
そういう時期なんだろう。


しつこいけど
仲間や恩師に会うのがウシロメタイのでもヤマシイのでもないよ〜〜〜〜だ(●^o^●)

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2008年9月20日 (土曜日)

ま、いいや。

アイツ、

焦ってたんだろうね。

ものすごい早かったもん、足。

もう今頃は、次の駅かな?

  

  

発車のベルに焦りまくって、懸命に走っても、僕が辿り着くその寸前でトビラがバチーっと閉まっちゃって・・・・、

そんなカッチョ悪い自分をずいぶんと見てきたから、

いつしか走らなくなっていた。

また、次のでいいやって、すぐアキラメル癖がついた。

 

 

一緒に走れば良かったかな?

違う展開があったかもな。

  

次の遅いな・・・。

   

  

ま、いいや。

しばらく、ここの景色眺めていよう。

  

 

 

それにしても、

アイツ、

焦ってたんだろうね。

ものすごい早かったもん、足。

もう今頃は、次の駅かな?

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ブログ開設3周年記念カメムシ?

昨日で、
当ブログを始めてから3周年を迎えました。
いつもご覧いただきありがとうございます。
アクセス数も増えて、たくさんの皆さんに見ていただいております。
しかし、
このブログに関して言えば、今後の展望も抱負も特にありません。今現在の「KONOの気持ち」を綴っていくだけです。
言い訳や愚痴を綴る夜もあるでしょう。
調子にのって偉そうな事を主張する時もあるでしょう。
私の大切な人生(みち)の途上での場面場面を積み重ね噛みしめていきます。
よろしくお願いいたします。
……………ってシオらしく挨拶してるのに、部屋の窓ガラスに
カメムシ発見!
うわぁお!

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2008年9月19日 (金曜日)

僕を待っていること

  今月になって「葬儀」が続く。

 ひとたび葬儀が入ると、次から次へと葬儀が連鎖するように感じる自分がいる。

 しかも、今日は、市内の他の宗派のご住職の葬儀があり、宗派が違うと「儀式・作法」もまったく違うので、緊張しながらお参りし、終了後、すぐに寺に戻って、すぐにお檀家さんの葬儀を勤めた。残暑が厳しいので、大汗をかきながら、ヘロヘロだった。出棺の時に、それまで気丈に振る舞っていた奥さんが大泣きしている姿を見て、僕も泣く。(汗と涙。身体から水分出まくりである……。)

 夕方、葬儀が終わって、ご遺族の方が「ご挨拶」に見えたと同時に、お寺の電話が鳴り、また檀家さんが亡くなった知らせ・・・・。すぐに「枕経」に向かう。

 「なぁぁんかさ、去年、俺が住職になってからさ、葬儀が連鎖するようになったよなぁぁぁぁ・・・。昔はこんなことなかったのにさ・・・」

 と心の中で愚痴をつぶやいてしまう。・・・・・・・が、、そんな自分自身の姿をすぐに照らし出す教えという“眼差し”がある。

  

 葬儀が連鎖することは、「僕が住職になったから」ではない。人の亡くなる時期が重なっただけのことである(あたりまえである)

 いつも、このブログで書いているけど、

 「死へ至るご縁(条件)が整えば、死んでいかなくてはならない人間存在」

 なのであり、

 葬儀が重なるのは、色んな方の「死の縁」が整ったという「偶然」である。それ以上それ以下でも、誰が悪い訳でもない。

  

 しかし、その偶然の中に、「死の縁は老少善悪を問わず」という「厳しい事実」が顕され、示されているのを見逃してはならない。

 

 

  正〜〜〜直に言うとですね・・・・・、

 葬儀が重なると、思わず、その忙しさに愚痴が出たり、暗くなったり、イヤになったりする私なのであります。 今日もそうでした。

 でも、愚痴を言おうが、暗くなろうが、この私も

 「死へ至るご縁(条件)が整えば、死んでいかなくてはならない人間存在。」

 であるのは動かせない事実。

 だから、ハッとして、また歩き出す。

 いのちにであい続ける為に。

 

 愚痴を吐いて、その場に座りこんでしまわないように、

 たくさんの「学び」が待っている・・・・。

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2008年9月18日 (木曜日)

謳歌

  
最近しみじみ思います。
  
 
「相手」と正面から向き合おうとしたら、
  
結局、
 
「自分自身」と向き合うことになるんだなぁ。
  
  
自分の中の色んな「顔」が、
クルクル現れます。
ホント、色んな「顔」があります。
他人様には決して見せられない「顔」ばかり・・・ねぇ。
  
 
 
嗚呼、自分自身。
 
この愛すべき厄介者。
 
  
謳え!
オノレの現在(いま)を!
 

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2008年9月17日 (水曜日)

長電話の中で。

今日、久々に、ある方と長電話をした。

色んな話ができて楽しかったし、考えさせられた。

話の中で、その方が、

「例えば、カローラを所有しているお宅に、クラウンのセールスに行った、としよう。でもやっぱり断られた。よし!本当の営業(セールス)とはそこから始まる。」

と話していた。

「日照りが続くある国に、雨乞いの祈祷をする部族がいるとする。その部族の祈祷は100%雨を必ず降らせることが出来るという。 なぜか? 祈りに特殊なパワーを持っているから?? 違う。 それは、雨が降るまで、祈祷ソノモノをやめないからである。」

とも話していた。

 

・僕は、クラウンを断られて、簡単に引いていたのではないか?未練たらしくそのお宅の門前をウロウロしていたのではないか?本当にそのお宅にクラウンを買って欲しいなら、僕は断られた「今こそ」セールスを始めなきゃならない。

・雨が降るという「目標」まで、続けなきゃならない。

 

僕は、ホントにクラウンを売りたいのか?? 

ホントに、雨が降って欲しいと願っているのか??

その根っ子にある「覚悟」は、果たして??

  

なんだか、最近の僕は、「焦点」がボケていたのかもしれないなぁ。

  

その人との「長電話」は、いつも「何か」を気づかせてくれる・・・。

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朝のお願い( 汗)

バアちゃん、やっぱり朝早いんだねぇ(汗)


ヤボはヤメテね。


分かってても、ふふふ♪と笑って見守ってくだされ。
ワタシは「タレント」じゃありませんので(笑)


ヤボはヤメテね。


バアちゃんの目ギョロギョロの朝。

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2008年9月15日 (月曜日)

秋の夜長はバーチャル散歩

Googleマップがすごい。http://maps.google.co.jp/maps

住所を検索し、現れた地図画面の「ストリートビュー」をクリックすると、

ナントナント!!

その街を歩いている目線での「映像」が登場する。

これはすごいぜ!ってんで、

かつて自分が住んでいた「京都市北区」の住所を入力し、地図を出してみた。そして、「ストリートビュー」をクリック・・・・。

すると・・・・、

京都市北区の、大学時代住んでいたマンションあたりの風景が現れた!!

そして、僕の住んでいた「北大路通」に面したマンションの部屋の窓まで見えた。あの「窓」から、京都の街並を眺めながら、過ごしていたなぁ・・・。あの「窓」から外を見ながら、好きな人を思ったり、泣いたり、遊びに来た友達の車を見送ったり、暴走族の爆音に腹を立てたり・・・。ついでに、「ストリートビュー」画面を移動させながら、近所を散歩してみた。大学へ通った道や、コンビニに通った脇道までが現れた!!

すっかり興奮した僕は、

高校時代住んでいた「京都市東山区」あたり、

そして、大学院時代の「札幌市北区」あたりを

「バーチャル散歩」した。

これはハマる・・・・。

 

そこで、ふと思った。

今、僕の住むココはどうなのだろう??果たして、「ウチのお寺」の風景は出てくるのだろうか???興味シンシン!!!

住所を入力し、地図を出す。

・・・・ところが、僕の住む田舎町には、「ストリートビュー」の機能はなかった。。。

ついでに、「航空写真」もクリックしてみたら、「恐れ入りますが、この地域の詳細は表示できません。」という哀しい表示が出た。

なぜか、ホッとしたような、サビシイような・・・。

 

このGoogleマップの「ストリートビュー機能」については、場所によっては、玄関の表札が見えたり、家の中までが見えてしまう場合もあるため、プライバシーの侵害ではないか?こんな機能は必要なのか??という問題視の声も。

その点、ウチの住む田舎は、安心か・・・。

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