自己超越と心理的幸福感に関する研究−自己超越傾向尺度作成の試み−

問題

序論

 上田(1995)は20世紀という時代の歴史的特性を、科学・技術の進歩発展、輝かしい「近代」化、「豊かさ」の増大の世紀であったが、他方で暴力と破壊の世紀でもあったと総括している。少なくとも、日本社会に限ってみれば戦後50年の間に物質的な豊かさの水準は飛躍的に向上したように見える。しかし、世界的な見地からみれば20世紀とは人類の中で限られたほんの一部の人間が物質的に豊かになっただけ、というのである。 「ものの豊かさ」は、われわれに物的欲求の充足こそが幸福の条件である、という価値観を形成させた。しかし、ものを多く所有していること、所有するために多くの金を稼ぐことが、果たして「豊かな心」、「満ちたりた心」をもたらしてくれたであろうか。

 現代はよく「心の時代」、「精神の時代」といわれる。形のあるもの、目に見えるものを追求して物質的に満たされた人間が幸福である、と考えられたのも「バブル経済」華やかなりし頃までの話で、90年代に入り「バブル」がはじけてしまった後で、われわれはいかに自分の心を貧困なまま、なおざりにしていたのか痛切に感じるようになったのではないだろうか。

 たとえば、総理府(Internet)が1997年5月に実施した国民生活意識に関する世論調査によれば、「今後の生活の仕方として、次のような2つの考え方のうち、あなたの考え方に近いのはどちらでしょうか。」という質問に対し、「物質的にある程度豊かになったので、これからは心の豊かさやゆとりのある生活をすることに重きをおきたい」と答えたものが56.3%、「まだまだ物質的な面で生活を豊かにすることに重きをおきたい」と答えたものが30.1%となっており、「心の豊かさ」を志向する者が過半数を占めていることがわかる。しかも、心の豊かさを志向する傾向は1979年の同調査で物質的豊かさ志向を上回って以来、一層優勢な価値となっている。

 こうした内的、精神的な安寧を求める傾向の強まりとは裏腹に、われわれの社会はますます混迷を極め、人々はみずからの「生」に対する指針を見失いかけているようにもみえる。たとえば、少年犯罪の増加は、1997年に神戸で発生した児童連続殺傷事件、1998年に栃木で発生した中学生による刃物を使った教師殺人事件に端的に示されるように、殺伐とした様相を呈している。また、「オヤジ狩り」と称する少年による集団暴行事件、「援助交際」という名の売春行為なども社会問題化している。その背景には、「生」を尊重する意識が希薄になり、利己的欲求や衝動のおもむくままに行動する少年たちの「心の闇」が見え隠れしている。

 社会の構造的なひずみは少年の問題行動の増加という形だけでなく、政治的状況の混迷、証券・金融業界の経営破綻、官僚による汚職事件、中高年の自殺の増加など、さまざまな社会問題の形で吹き出しているとみることもできよう。

 長引く不況の中で、われわれの多くは物質中心の価値観に限界を感じるようになってきてはいる。とはいうものの、「心の豊かさ」や「ゆとり」の具体的なビジョン、そしてそれらに重きを置く新しいライフ・スタイルがいかなるものになるのか、という点について暗中模索しているのが現状ではないだろうか。

 こうした時代的背景を反映してか、最近の人格・社会心理学の領域では心理的幸福感(subjective well-being)に関する研究が活発になってきた。本稿では、まず心理学的な観点から幸福とは何か、そして幸福感を規定する条件についてみていく。ついで、幸福の体現された形として自己超越(self-transcendence)の概念を取り上げ、これを測定するための尺度構成を試みることを目的とする。

幸福の諸概念

 心理的幸福感とは、生活全般の満足感、すなわち個人がみずからの「生」を 全体としてどのくらい好ましいものとしてみなしているかに関する概念と、肯定的な情動が経験される頻度、及び強度によって表される概念である(Argyle,1987;Strack, Argyle, & Schwartz,1991)。

こうした概念規定の背景には、幸福に関する西洋の哲学的、倫理学的な視点が色濃く反映されている。

 Waterman(1993)は、幸福に関する2つの下位槻念として個的表出性(personal expressiveness)の経験と悦楽体験(hedonic enjoyment)をあげている。前者はAristoteleが「ニコマコス倫理学」で主張したeudaimoniaの概念に基づくものであって、@請け合った課題に対する異常に強い関与、A多くの日常的な仕事とは関係のない活動に対する特別な適合感、B生きているという強い実感、Cある活動に徒事しているときに味わう充実感、Dこれこそが自分のなすべき使命だという印象、Eこれこそが本当の自分だという感じ(feeling)といった体験から成り立っている。

 これに対し、後者は肉体的、知的、社会的な欲求の満足にともなって生じる快的な感情の体験であって、@喜び、A楽しさ、B悦楽感、Cエクスタシーなどの要素から構成される体験を含んでいる。要するに、個的表出性の体験は、生活事象、人生経験に対する認知的、評価的成分をより含んでいるのに対し、悦楽体験にはより即時的、一時的な気分や感情の高揚が特徴となっている。

 Veenhoven(1991)は心理的幸福感に関する諸概念を主観的幸福、客観的幸福、そして両者を混合したものに系統的に整理している。それによれば、主観的幸福は生活事象に対する自己賞賛(self-appraisals)を含むもので、包括的には生活満足感、充足感、快楽の水

準として経験されるものとなる。一方、客観的幸福は個人的な資質として観察可能な特性を意味しており、包括的には欲求充足、自己実現、効能(effectance)として表現される。

自己実現と自己超越

 Veenhoven(1991)の分類より、心理的幸福感が体現されたものとして自己実現をあげることができる。自己実現の研究はMaslow(1964,1987)によって、その理論化が図られているが、Maslow(1969)は晩年に発表した論文「TheoryZ」の中で、単に健康な自己実現者と超越的自己実現者の相違点について考察を加え、自己実現と自己超越の概念の差別化を試みた。

1).超越者にとって、至高体験と高原体験が彼らの人生においてもっとも重要なことになっている。至高体験(peak experience)とは、人生における最高の幸福と最高に充実した瞬間を意味する。

2).超越者は容易に、ふつうに、自然に、かつ無意識的に「存在」の言語(B−言語)を話す。それは詩人、神秘論者、予言者、宗教家の用いる言葉である。

3).超越者はあらゆることの中に神聖なるものを見いだす。と同時にそれを実際的、日常的なレベルでも見ることもできる。

4).超越者はきわめて意識的、自発的にメタ動機づけられている。すなわち、「存在」の価値、「あるがまま」(完全、真、美、善、統合、二分法の克服など)でいることが、その最も重要な動機づけになっている。

5).超越者同士は互いを認めあい、初対面でさえ直ちに親しくなり相互理解に至るように思える。彼らは言語的のみならず非言語的にも意思の疎通ができる。

6).超越者は審美的である。B−価値を含んだあらゆるものを美化し、誰よりも美しきものをわかろうとし、審美的な反応を示し、美をもっとも重要なものと考えようとする傾向をもっている。

7).超越者は「全体的な」世界観をもっている。人類は一つであり、宇宙は一つであると考え、国益や宗教、知的水準といった概念を超越している。

8).超越者は個人内、対人的、通文化的、国際的なレベルでの共力作用を追求しようとする傾向が強い。共力作用とは利己性と非利己性の二分法を克服し、その両者を単一の上位概念のもとで包括していこうとするものである。共力作用はまた、競争原理の超越であり、零和ゲームの超越である。

9).超越者にはもちろんのこと、自我、自己、同一性の超越が認められる。

10).超越者は愛すべき人であるだけでなく、畏怖の念を惹起する人でもある。近寄りがたく、神がかり的で、聖人然としている。

11).こうした特徴の結果の一つとして、超越者は健康な自己実現者に比べ、はるかに革新的であり、新しいものの発見者であろうとする。一方、自己実現者の場合、この世で与えられた使命のよりよき遂行をめざそうとする。 超越体験を通じて、B−価値、理想的なもの、完全性、何をなすべきで、実際に何ができるのか、潜在的に存在するものに関わる展望が明確なものになる。

12).超越者は単に健康な自己実現者にくらべてあまり幸福ではないという印象がある。というのも、超越者には理想的世界と現実との対比がよくわかっているためである。彼らは人間の愚かさ、欠点、盲目性、残虐性、近視眼的性質をみるにつけて、ある種の宇宙的悲哀(cosmic sadness)に 陥りがちである。

13).自己実現者はみな優越者であり成功者であるという「エリート意識」をめぐる根深い葛藤は、自己超越者では克服される。というのも、彼らは同時にD-領域とB-領域の両面で生きることができ、万人を神聖化してみることが容易にできるためである。このことは、彼らがD-世界における現実吟味、比較、エリート意識などの絶対的必然性と万人の、限りなく、平等で、かけがえのない神聖さを融和させることができることを意味している。これはRogersのいう無条件の肯定的関心であり、宗教的な表現を借りれば、「人はみな神の子どもである」という教義に対応するものである。超越者はすべての人、生きとし生けるもの、美しき無生物でさえも神聖化する。

14).超越者は知識を多く獲得するほど神秘と畏怖の念を抱くようになる。多くの人々にとって神秘は恐怖を喚起するため、科学的な知識は神秘を減少させるものとして扱われ、また恐怖を減らすものとみなされている。しかし、至高体験者や超越者にとっては、神秘は魅力的であり、恐れるよりも挑戦してみたくなるものである。もっとも創造的な科学者の場合にも、彼らが知れば知るほど謙虚さ、無知であるという感覚、狭量さ、宇宙の広大さに対する畏れ、といった想いが肯定的な意味で感じられる恍惚感ヘと導かれていくことがわかる。

15).超越者は自己実現者に比べ、「奇人」、「変人」を恐れないので、一見奇人変人に見える創造的人物のよき選抜者となりうる。自己実現者は一般に創造性に価値をおき、それを効率的に選別しようとするが、 超越者の場合、創造的ではない「奇人・変人」を排除できるのである。

16).理論的には、超越者は全体論的な感覚においてその必要性を理解しているという意味で悪とうまく折り合いをつけるはずである。悪をよりよく理解しているが故に、悪に対する同情心とそれに強い態度で立ち向かうということを両立させる。

17).超越者は自分自身を才能の運搬者、いわば偉大なる知性あるいは技能、リーダーシップ、効能に関わる超個的で、一時的な管理者の道具であるとみなしたがる。このことはある種の客観性あるいは自分自身に対する無関心を意味している。このため、非超越者からみればそれは傲慢さ、誇大性、偏執症にさえ思える。

18).超越者は原則的に有神論、無神論のいずれかの意味において、より宗教的、あるいは霊的であろうとする。至高体験や他の超越的体験は実際、これらの用語をその意味の歴史的、慣例的、迷信的、制度的な添加を除外するために再定義する限りにおいて宗教的あるいは霊的な体験として見なされるべきである。

19).超越者の方が自我、自己、同一性を超越し、自己実現の段階を越えるのが容易である。健康な人間とは主に強固な同一性をもっており、自分は誰か、自分はどこへ向かおうとしているのか、自分は何を欲しているのか、自分にとって何がよいことなのかを知っている人間である。一言でいえば強い自己、すなわち、自分自身を上手にしかも偽りなく、みずからの本性にしたがって運用している人間として記述される。

20).超越者はB領域を容易に知覚できるがゆえに、より事物の本質に関する極限経験を持っているであろう。

21).超越者はより道教者的(taoistic)なところがあり、単に健康な自己実現者はより実際的なところがあるはずである。B認識によって、すべてが驚嘆すべきものに見え、完璧なものに見えてくる。したがって、超越者の場合、そのままの状態がよい事物に何かを「なす」ことに対する衝動が薄れ、改善すること、介入することへの欲求が弱くなる。つまり、それを単に眺め、吟味しようとするだけである。

22).すべての自己実現者に特徴的であり、より超越者に特徴的かもしれないことは、両面感情を超克しているということである。それは、「愛」という名で通用している通常は愛憎の混ぜ合わさった感情というよりも、心底からの葛藤のない愛であり、受容であり、表現の豊かさである。

23).報酬の水準とその種類の問題については、超越者と自己実現者が大きく異なっているとはいえない。しかし、決定的に重要なことは、金銭的報酬以外にも多くの種類の報酬が存在するという事実そのものである。金銭的報酬は増大する物質的豊かさと性格の成熟の増大によってその重要性が薄らいでいくが、より高次の報酬や「メタ報酬」は着実に重要性を増していくということである。

 このように、Maslowのいう自己超越への欲求とは、これまでの、あるいは現在の自己の状態を超えるような何かに変身しようとする欲求である。これまでの自己概念を根本から変えるような行動に走ったり、既成の自分の人格そのものを改革してより一層自己を成長させようとする欲求と言い換えることもできよう。

 自己超越はふつうなら、神秘体験や宗教上の修行の過程で生じうる個人性を超えた意識に移行するような体験から生じる。自然や宇宙との一体感、人類共同体の感覚、「無」や「悟り」の境地など、通常の自己意識の枠組を超えた拡張が生じ、すべてのものと溶け合っていくフィーリングを感じる。体験者個人にとっては筆舌に尽くしがたい衝撃と感動が余韻を残し、外側からその人を見ればものごとを達観し、それまでとは別人に変身してしまったかのような印象を与える。

 それが至高体験である。至高体験とは、人生における最高の幸福と最高に充実した瞬間の体験である。このような感動がある程度持続している状態が高原体験ということになる。至高体験は多くの場合、予期することなしに向こうの方からやってくる。今までに体験したことのない衝撃的な体験である。そしてその影響は後々まで実感をともなって余韻を残し、人格の飛躍的な発達と成長をもたらすのである(Cf.,水島,1985)。

 

「あるがまま」と幸福感

  ところで、自己超越と関連する槻念として、「あるがまま」をあげることができる。「あるがまま」の概念は東洋の思想的な背景にそのルーツを求めることができる。仏教でいう「法爾自然」、道教でいう「無為自然」、 そして神道の「かむながら」がそれである。黒木(1989)によれば、あるがままとは、存在の自然なありようを示す槻念であって、「今−ここ」における根本的な単純さとして規定される。以下に黒木の論に沿って、「あるがまま」の特徴についてみていこう。

 人間にとって「あるがまま」は理想的な状態と考えられてきた。すなわち、ある人の存在感が増し、自らがこの世に生を受け、生きているということの実感に満たされている状態こそ が幸福(well−being)であるという。

歴史的に見て、人間は意識的に存在しようとする営みに身を費やすようになった。近代以降、労働を重視する考え方の出現、科学・技術の発達などによって、自然をコントロールする ことが人間の使命としてとらえられるようになった。

 ところがこの営みの中に身をさらすことで、人間は自らの存在基盤を見失うようになった。すなわち、存在のありようとしての「あるがまま」から遊離して、作為(doing)に身を委ねる態度、つまり「なすがまま」へと存在基盤を移していったのである。

 「なすがまま」の態度は「すること」、「もつこと」を当然のこととして価値づけるような社会状況を生み出す。近代以降の社会では、積極的に行為すること、多くのものを所有すること、奮闘努力することこそが幸福を獲得するための条件とされるようになった。これに対して、無為であること、捨てることは「なすがまま」の価値基準から見て、否定的な意味しかもたなくなる。何もしない人間は、単に怠け者であり、すべてを捨てることは狂気の沙汰であるとして蔑視されることになる。

 しかし、「あるがまま」は作為が否定された自然なありようをさしており、「すること」と「もつこと」 を放棄することで達成される状態である。人間の本来的で自然なありようを理想と考える観点からは、「なすがまま」からの脱却こそが幸福へと至る道になるのである。

 このように考えると、従来の心理的幸福感に関する研究は、西洋の哲学・倫理学を基礎に展開されているため、もっぱら幸福感を増進させるために「何をなすべきか」という点に関心が払われてきた点は否めない。たとえば、Argyle(1987)は幸福を増進させる方法として、@肯定的な気分を誘導する、A人生における肯定的な出来事の頻度を増す、B物質的生活環境の改善、C対人関係の改善、D仕事に対する内発的満足感の増大、E余暇活動に伴う内発的満足感の増大、F物事を違う角度から眺めること、G自己報酬の増大、H統合された人格の獲得、をあげている。

 ところが、こうした条件の中には「作為」によってのみ達成することの困難なものも含まれている。殊に、上記の最上位概念としてあげられている「統合された人格の獲得」は個人的経験や意識状態の意図的な制御(e.g.,瞑想、催眠誘導)によって達成されるとは限らない。むしろ加齢に伴う内的成熟や、偶発的、無意図的、受動的な自己超越的経験の果たす役割も軽視することはできないのである。

 したがって、心理的幸福感の研究にあたって留意する必要のあることは、仕事、余暇、対人関係など社会生活上の意図的、作為的側面にとどまらず、こうした作為を放棄し、「あるがまま」たらんと欲す自己超越(放棄)的態度も射程に据えた理論的枠組を構築することである。それはつまるところ、トランスパーソナル心理学の地平に立って東洋と西洋の幸福概念の統合を目指すことを意味する。

トランスパーソナル心理学と自己超越

 われわれは、合理的、論理的、理性的な傾向が強すぎるために、神話性や原初的な衝動といった不合理な心理的機能を抑圧し、軽視しているとみることができる(渡辺・中村,1998)。

 人間の「こころ」というものが自我を中心とする意識とふだんは自覚されることのない無意識から成り立っており、その両者が合わさって「全体として機能している」という深層心理学の視座を受け入れるならば、われわれの多くは意識的な自我という部分的な心の領域の中で外的な環境(人、モノ、出来事)と部分的にしか関わっていないことになる。しかしこのような状態は、意識と無意識の分離をいっそう助長し、ともすれば内的な適応が脅かされることに通じる。

 そこで合理的機能(日常性)と非合理的機能(非日常性)のバランスを保持したり、回復することによって人間は「全体的な自己を実現する」ことができるという主張がでてくる。その主張の背景には、地球レベルの生態系や世界の現状に対する危機感がある。この危機に対処するために、「共通の神話」をもつことで人類の一体感を高め、現状の打破を行う必要があるというのである。

それがトランスパーソナル心理学( transpersonal psychology )のアプローチである。トランスパーソナルは近代的個人の正当な面である科学、理性、批判性は十分に受け継ぎつつ、古代の英知である宗教と霊性を再発見し、近代個人主義が陥るエゴイズムとニヒリズムという限界を超越し、個人主義に代わる人生観、世界観、ライフスタイルを提案する学問であり、社会運動である(岡野,1990)。トランスパーソナル心理学は、人間の成長を自我の確立、実存の自覚、自己実現などの個人性の段階で終わるのではなく、他者・共同体・人類・生態系・地球・宇宙との一体感・同一性(identity)、すなわち自己超越(self-tanscendence)の段階に到達することができるという命題をもっている。

 自己超越はすでにみたように自己意識の時空を超越した拡張を意味する概念であり、宇宙意識(cosmic consciousness)、悟り、超意識などの神秘主義的概念とも通じるものである。しかし、これを既存の神秘主義の枠組でとらえるのではなく、深層心理学、人間性心理学、臨床心理学、発達心理学など、現代心理学の体系と融合させる形で理解を図ろうとするところにトランスパーソナル心理学の特色がある。したがって、トランスパーソナル心理学の研究の目標は人間の意識体験の中でも、宗教体験、神秘体験、覚醒体験、超常体験などの「非日常的意識」を扱い、これを精神的成長(霊的覚醒)の指標とみなし、それを促進するための諸技法(therapy)の実践を通じて、個人はもとより社会、世界の調和をめざそうとすることにある。

 西平(1997)は自我を確立する以前の「前・自我」(プレ・パーソナル)の状態と、いったん形成した自我をさらにもう一歩乗り越えた「超・自我」(トランス・パーソナル)は明らかに異なると述べている。つまり、人間の精神的な成長は、自我の合理的機能を放棄したり、退化させることでなく、理性を内包しつつ自我を超越していくことにある。

 自我を失うことなく自我を越える。日常と非日常、合理性と非合理性、この一見相反するものの均衡をとり、2つの位相を行き来すること。これが「トランスパーソナル」の状態なのである。

本研究では、このトランスパーソナル心理学の観点から自己超越をとらえ、これを測定する心理尺度の開発を行うことを目的とする。

研究T

目的

 本研究は自己超越傾向を測定するための心理尺度を開発することが目的である。特に多様な個人属性をもつ回答者から資料を得たうえで、大学生のみならず社会人にも実施可能な簡便性を備えた尺度の開発を念頭においた。

 研究Tでは、尺度項目の洗練と信頼性の検討を中心に分析を進めることを目的とする。

 

方法

尺度項目の作成

 Maslow(1969)の超越的自己実現者に関する記述、及び水島(1985)の高次の人間性を示唆する自己超越体験に関する記述に基づいて、24項目からなる自己超越傾向尺度(STS−1)を作成した。

質問紙調査

 ついで、1 8歳から84歳までの学生及び社会人計613名を対象にSTS−1を含む質問紙を実施した。回答者の内訳は@教養教育科目の心理学を受講している大学生308名(男性122名、女性186名)、A看護学校生47名(女性47名)、B生涯学習セミナー参加者145名(男性80名、女性65名)、C銀行員39名(男性19名、女性20名)、D有職女性向けセミナー参加者74名(女性74名)である。

なお、STS −1の反応形式は5件法(あてはまらない=1点、あてはまる=5点)とした。質問紙には性、年齢、職業の有無などの個人属性 をたずねるフェース・ シート、ならびに3項目からなる心理杓幸福感尺度(5件法;人生満足感、物質的生活満足感、精神的生活満足感)も含まれていた。

 質問紙調査は1995年1月から1995年11月にかけて実施した。

結果と考察

 以下に報告する資料の分析に使用した統計解析プログラムはSPSS for Windows 6.1.3である。

自己超越傾向尺度の単一次元性の検討

1)主成分分析

Table 1に、自己超越傾向尺度の主成分分析、及び項目分析の結果を示す。自己超越傾向が単一次元的な現象であると仮定した上で分析を行った。すなわち、24項目からなるSTS-1を対象として主成分分析を行い、未回転の第1主成分に対する因子負荷量の大きさをみるという手続きを採用した。

Table 1入る

 1回目の主成分分析で5項目(項目番号:2,20,21,23,24)において因子負荷量が.30を下回った。そこで、これらの項目を除いた19項目について2回目の主成分分析を実施した。すると、さらに1項目(項目番号:22)の因子負荷量が.30を下回ったため、これを除去した残り18項目で3回目の主成分分析を行った。その結果、すべての項目の因子負荷量が.30を上回ったため、これら18項目が自己超越傾向尺度の最終的な構成項目であると見なし、これをSTS-2と名づけた。

2)項目分析

 STS-2について項目と当該項目を除く全体得点との相関分析を行った。その結果、すべての項目について有意な相関係数が得られ、項目の等質性が認められた。

 つぎに、STS-2の合計得点の分布に基づいて、上位25%群(154名)、下位25%群(162名)を設定し、各項目についてGP分析を行った。その結果、すべての項目について有意差が認められた。したがって、各項目の弁別性は高いといえる。

3)信頼性分析

 STS-2について信頼性分析を行った。その結果、Cronbachのα係数は.84となり、Guttmanの折半法による信頼性係数は.75の値を得た。したがって、尺度項目の内的整合性は高いといえる。

4)尺度得点の正規性

全体サンプルにおけるSTS-2の尺度得点の平均値は60.34であり、尺度得点の中点54よりも高かった。その得点分布の正規性を検討した結果、尖度が-.07、歪度が-.16であり、有意に正規分布とは異なることが示された(K-S=.04,DF=613,p<.05)。Fig.1にその得点分布を示す。

Fig.1入る

 以上の分析結果より、STS-2は単一次元的構造をもつ尺度として利用可能であることが示されたといえよう。

自己超越傾向尺度の構造分析

 

つぎに、自己超越傾向尺度の構造を検討するために、STS2について多次元尺度法(ALSCAL)を実施した。これにより、回答者全体の自己超越に対する認知構造を明らかにすることが期待される。その際、尺度評定値をもとに距離行列を作成し、ユークリッド距離モデルに基づいて最適と考えられた2次元解を算出した。なお、項目(刺激)得点は標準化せず、尺度レベルを順序尺度とみなして計算を行った。Fig.2に2次元平面上の刺激布置を示す。

Fig.2入る

 その結果、R2=.92、Stress=.14となり、使用された資料の92%の情報が2次元解によって反映されていることが見いだされた。また、ストレス値は十分に小さいといえる。直交次元の解釈は、刺激の布置を総合的に考慮しながら決定された。

 第1次元(横軸)には、「草花を見ているうちに、大きな安らぎや充実感を覚えたことがある」、「相手が喜び、幸せそうにしているのを見ると、自分のことのように嬉しくなる」といった刺激が正の値を示し、「自分の心の中には人間を超えた『神』のような存在が宿っていると思う」、「自分が死んでも、自然の一部になって生き続けることができると思う」などの刺激が負の値を示していた。そこで、この次元を「瞬時的−永続的」次元と名づけた。

 第2次元(縦軸)には、「自分には、一心同体だと感じられる相手がいる」、「自分を犠牲にしてでも、その人のために尽くしたいと思ったことがある」などの刺激が正の値を示し、「どんな相手でもわけへだてなく受け入れることができる」、「自分の喜びや苦しみを多くの人々と一緒に分かち合いたいと思う」などの刺激が負の値をとっていた。そこで、この次元を「対象限定的−対象非限定的」次元と名づけた。

 そもそも、自己超越的体験の特色は自己意識の時間や空間を超えた拡張にある。また、至高体験に見られるように、瞬時的な感情の高揚、感動を伴う性質ももっている。このように考えると、2次元平面上の第1次元上には今ここでの瞬時的な「感動」や「生きている実感」にまつわる項目と、それに対比する形で通時的な「生命の永遠性」、「超越的存在の確信」に関する項目が布置しているといえよう。一方、第2次元上には、特定の重要な他者を対象とする「自他の二分法の克服」に対し、集合的概念を対象とする「人類共同体意識」という位置づけができるようにも思われる。

自己超越傾向と個人属性との関係

1)性と年齢

 つぎに、STS−2の合計得点を自己超越傾向の指標と見なし、その特徴をみるための検討を行っ た。まず、サンプルの年齢を10代(327名)、20代(113名)、30代−50代(84名)、60代以上(89名)の4群に分類し、性(2)×年齢層(4)を独立変数とし、自己超越傾向を従属変数とする2要因分散分析を行った。

その結果、性の主効果と年齢層の主効果がそれそれ有意になった(F(1,605)=5.94,p<.05;F(2,605)=33.25,p<.001)。 すなわち、女性(M=60.93,SD=11.36)が男性(M=59.29,SD=11.98)に比べ若干ながら自己超越傾向が高いという結果が見いだされた。また、年齢層では60代以上の群(M=67.97,SD=9.89)、30代−50 代の群(M=65.21,SD=11.56)、20代の群(M=61.19,SD=11.66)、10代の群(M=56.71,SD=10.50) の順に自己超越傾向が高いことが明らかになった(Fig.3)。

Fig.3 入る

さらに、年齢と自己超越傾向との関係について曲線推定を行った。すなわち、年齢の1次項、2次項、3次項を独立変数とし、STS-2の全体得点を従属変数とする重回帰分析を実施した。その結果、年齢に関する3変数の回帰は有意となった(F(3,609)=35.35,p<.001;R2=.15)。標準偏回帰係数は年齢の1次項(β=3.20,p<.01)、2次項(β=-5.40,p<.05)、3次項(β=2.61,p<.05)がそれぞれ有意となり、年齢と自己超越傾向との間に3次関数的な関係が存在することが認められた。Fig.4にその関係を示す。

Fig.4入る

2)社会人サンプルの職業の有無

 つぎに、大学生サンプル及び看護学校生サンプルを除いた258名(男性99名、女性159名)を社会人サンプルとみなし、性(2)×職業の有無(2)を独立変数とする2要因分散分析を行った。その結果、職業の有無の主効果のみが有意となった(F(1,254)=14.93,p<.001)。すなわち、無職群(M=67.62,SD=10.11)の方が有職群(M=62.22,SD=12.21)に比べ、自己超越傾向が高いことが見いだされた。

 このことは、経済的、生産的な活動に携わっている有職者の自己超越的(非現実的)経験の少なさを表しているものと考えることができる。

3)大学生サンプルの専攻

 つぎに、大学生サンプル308名(男性122名、女性186名)のみを選抜し、彼らの専攻を文系(法文学部、教育学部)と理系(理学部、工学部、医学部、農学部)に分類した上で、性(2)×専攻(2)を独立変数とする2要因分散分析を行った。その結果、性と専攻の主効果がそれぞれ有意になった(F(1,304)=16.08,p<.001;F(1,304)=5.15,p<.05)。すなわち、女子大学生(M=58.09,SD=9.99)は男子大学生(M=54.34,SD=10.40)に比べ、自己超越傾向が有意に高かった。また、理系学生(M=57.59,SD=9.48)の方が文系学生(M=56.01,SD=10.75)に比べ、自己超越傾向が有意に高いことが見いだされた。

 

自己超越傾向と心理的幸福感との関係

つぎに自己超越傾向が心理的幸福感に及ばす影響について検討を行うために、心理的幸福感尺度の全体得点及び各項目ごとに性(2)×年齢層(4)×自己超越傾向(4)の3要因分散分析を行った。自己超越傾向については、回答者のSTS-2の合計得点の四分位値に基づいて自己超越下位25%以下群、下位25-50%群、上位50-75%群、上位75%以上群に区分した。

その結果、心理的幸福感のそれぞれの指標について自己超越傾向の主効果が有意 になった(幸福感全体得点:F(3,581)=16.71,P<.001;人生満足感:F(3,581)=12.47,p<.001;物質的満足感:F(3,581)=4.08,p<.01;精神的満足感:F(3,581)=13.65,p<.001)。これらの結果はいずれも、自己超越傾向の高い群ほど心理的幸福感も高いことを示すものであった(Fig.5)。

Fig.5 入る

また、自己超越傾向と心理的幸福感との関係について曲線推定を行った。すなわち、従属変数に心理的幸福感尺度の全体得点、及び各項目得点をおき、独立変数に自己超越傾向尺度の全体得点の1次項、2次項、3次項をおいて重回帰分析を行った。その結果、自己超越傾向の1次項のみが有意となった。このことから、自己超越傾向と心理的幸福感との関係は正の1次関数として表すことができるといえる。

以上の結果より、自己超越傾向尺度の併存的妥当性は高いといえよう。

研究U

目的

 研究Uでは、STS-2の構成概念妥当性の検討を目的とする。すなわち、STS-2と理論的、概念的に関連すると考えられるさまざまな心理尺度との相関関係を検討することを通じ、この尺度の構成概念上の位置づけを確認する。

方法

 教養教育科目の心理学、及び専門教育科目の生徒指導と教育相談の講義を履修している大学生116名(男性38名、女性78名)を対象に、講義時間を利用して質問紙調査を実施した。

質問紙は、所属、性、年齢等の個人属性を見るためのフェース・シートに続いて、以下に示す心理尺度から構成されていた。

  1.  
  2. STS-2(18項目、5件法)
  3.  
  4. 山本・松井・山成(1982)の自尊感情尺度(単一次元尺度:10項目、5件法)
  5.  
  6. 工藤・西川(1983)の改訂版UCLA孤独感尺度(単一次元尺度:20項目、原尺度4件法を5件法に変更)
  7.  
  8. 菅原(1984)の自意識尺度日本語版(私的自意識11項目、公的自意識10項目、原尺度7件法を5件法に変更)
  9.  
  10. 大野(1984)の充実感尺度(充実感気分−退屈・空虚感5項目、自立・自信−甘え・自信のなさ5項目、連帯−孤立5項目、信頼・時間的展望−不信・時間的展望の拡散5項目、各5件法)
  11.  
  12. 堀野(1987)の達成動機測定尺度(自己充実的達成動機13項目、競争的達成動機10項目、原尺度7件法を5件法に変更)
  13.  
  14. 岡島(1988)の 親和動機測定尺度(情緒的支持7項目、ポジティブな刺激7項目、社会的比較5項目、注目7項目、各5件法)
  15.  
  16. 鎌原・樋口・清水(1982)の(成人用一般的)Locus of Control尺度(単一次元尺度:18項目、原尺度4件法を5件法に変更)
  17.  
  18. 山岡・押見(1986)のユニークネス尺度(単一次元尺度:24項目、5件法)
  19.  
  20. 榎本・林・鈴木(1986)の自己実現傾向質問紙(単一次元尺度:30項目、5件法)

 なお、質問紙調査の実施は1996年6月であった。

結果と考察

STS-2の全体得点と他の心理尺度の得点との相関係数を算出した。このとき、下位尺度が設定されている心理尺度については、下位尺度得点との相関を算出した。Table 2には得られた相関係数を掲げる。

Table 2 入る

得られた相関は-.36〜.54と中位のものが多く、STS-2の構成概念妥当性は高いといえる。STS-2と.40以上の相関を示した尺度には充実感尺度の「信頼・時間的展望−不信・時間的展望の拡散」(.54)、自己実現傾向質問紙(.48)、自尊感情尺度(.47)、達成動機測定尺度の「自己充実的達成動機」(.44)、Locus of Control尺度(.44)、自意識尺度日本語版の「私的自意識」(.42)、充実感尺度の「充実感気分−退屈・空虚感」(.41)などがあげられる。

自己超越の概念が瞬時的な至高体験、自己意識の時空を越えた拡張を中核的要素としていることからも、このような結果がえられたことはうなずける。また、自己実現傾向尺度との中位の相関がえられたことは、自己超越傾向尺度が自己実現傾向とある程度の関連性を保ちつつ、独自性ももっていることを示しているといえよう。

全体的考察

本研究では個人の自己超越傾向をとらえるための測定尺度としてSTS-2の開発を試みた。その結果、自己超越傾向の個人差をとらえる心理尺度として、STS-2は高い信頼性と妥当性を示した。

以下の討論では、本研究で得られた知見が自己超越ないし心理的幸福感の研究に対して与える示唆について論じることにしよう。

パーソナリティ発達としての自己超越

本研究はMaslow(1969)の超越的自己実現者に関する記述に基づきながら、自己超越傾向の個人差を測定することを目的としている。すでに述べたように、自己超越は、神秘体験や宗教上の修行の過程で生じうる個人性を超えた意識に移行するような体験から生じることが多い。それは、自然や宇宙との一体感、人類共同体の感覚、「無」や「悟り」の境地など、通常の自己意識の枠組を超えた拡張が生じ、すべてのものと溶け合っていくフィーリングを感じる体験がそうである。

しかし、こうした体験や実感は必ずしも宗教的ないしは神秘主義的な文脈の中でのみ味わうとは限らない。たとえば、Greeley(1975)は英国での調査を通じて自己超越的要素を含む宗教体験が祈りや黙想といった宗教儀礼の文脈だけでなく、音楽を聴く、日没のような自然美を見る、子供を眺める、詩や小説を読む、性的活動に及ぶ、創造的な仕事に従事する、といった日常的な行為を契機に発生していることを明らかにしている。このような知見をふまえ、本研究では自己超越的な体験や実感が日常的な生活事態の中でも起こりうるものとして尺度の構成を行った。

ところで、自己超越傾向をパーソナリティの1つの重要な次元として位置づけている研究にCloninger,Svrakic,Przybeck(1993)をあげることができる。Cloninger et al.はパーソナリティは自己を自律的個人、人類社会の統合部分、全体としての宇宙の統合部分に、それぞれ同定する度合いによって特徴づけられると考え、Temperament and Character Inventory(TCI)という人格目録を開発している。また、木島・斎藤・竹内・吉野・大野・加藤・北村(1996)は、その日本語版の開発を行っている。

Cloningerのモデルによれば、パーソナリティの基本次元として@自己志向、A協調、B自己超越が設定される。自己志向とは、各個人が選択した目的や価値観に従って、状況にあう行動を統制し、調整し、調節する能力を意味する。自己責任、目的指向性、臨機応変、第二の天性を啓発することを通じて自己志向の発達が規定されると考えられる。また、協調とは他者の確認と受容に関する個人差である。それは社会的受容性、共感、協力、同情心、純粋な良心の発達の過程として規定される。さらに、自己超越は統一的全体の本質的、必然的部分として考えられるすべてのものを確認することである。自己超越は、すべてのものが一つの全体の一部であるとする”統一意識”の状態を含むが、統一意識では自己と他者を区別する重要性がないことから、個人的自己というものはない。人は単に進化する宇宙の統合的部分であると意識する。それは、自己忘却、霊的現象の受容、超個的同一化の発達の過程として規定される。

 Cloninger et al.(1993)は、従来のパーソナリティ研究において、自己超越的な側面が見過ごされてきたと主張する。その上で、こうした現象を積極的に研究の俎上にのせている。Cloninger et al.が得た資料によれば、自己超越的現象は、とくに35歳以上の成人にとって、その人の適応状態と人生に対する満足度、すなわち幸福感を知る上で重要であることを示唆している。

加齢と自己超越傾向との関係について得られた本研究の資料は、Cloninger et al.(1993)のそれと符合しているように思われる。本研究では年齢と自己超越傾向との間に3次関数的な関係が認められ、中年期において若干自己超越傾向の低下が見られた後、再び増加傾向に転じることが明らかになった。Cloninger et al.らの資料も、自己超越傾向の指標の中でも自己忘却、超個的同一化の得点が30歳から35歳の層において最も低く、霊的受容の得点は40歳代になって急激に増加することを示している。

 このような関係は、Jung(1931)のいう「人生の後半期」とも一脈通じているように思える。Jungによれば、人生の半ばは心理学的にもっとも重大な時期である。それまでひたすらに拡張を続けてきた自我意識は、個人的な力と所有の範囲の拡大をもたらす。中年期は自らの精力と意欲を少しも失うことなく仕事という生産活動に打ち込む時期でもある。しかし、自我はなおも惰性で前進を続けようとするが、無意識の方はそれ以上拡張する力も、内なる意志も尽き果てているため後退をはじめているのである。そこで、自我と無意識の不一致が生じるのである。

人生の前半期が自我が無意識から独立し、個が確立されて行く時期だとすれば、後半期は自我と無意識の関係を取り直し、個性化の課題に取り組む時期という位置づけができる(西平,1997)。その意味で作為(doing)と所有(having)を旨とし、個人性の頂点に立っている中年期において自己超越傾向(自己忘却、無為、放棄)が低下するという知見はうなずけよう。

幸福感研究に与える示唆

つぎに自己超越の概念が心理的幸福感の研究の流れの中で、どのように位置付けることができるのかについて考えてみよう。

吉森(1993)は心理的幸福感に関する研究が近年になって急速に活性化してきた経緯について、@従来の心理学があまりに末梢的問題にこだわり、いつまでたっても人間性の本質に迫らない科学主義に対する心理学会内部の反省や苛立ち、A近年のパラダイム革新と呼ばれる科学界全般における既成の科学的手続きや方法にとらわれない新しい学問風土の到来、B現代社会における人々の物質文化への反省やその限界の察知、新しい福祉社会への希求、などをあげている。

社会的な貢献という観点からみると、高齢化社会における老人福祉の問題と心理的幸福感の研究は密接な関係にあるといえる。国立社会保障・人口問題研究所(Internet)が1997年に行ったわが国の将来推計人口によれば、1997年の時点で15.6%を占めている65歳以上の人口比率が、2050年には32.3%になるものと予測されている。国民の3人に1人が高齢者となる21世紀半ばには、今にもまして高齢者の人生の質(quality of life)にまつわる問題が社会的関心事となっているであろう。

本研究では高齢者層になるほど自己超越傾向も高まること、自己超越傾向が高い人物ほど心理的幸福感も増加することを明らかにした。つまり、自己超越的な体験や実感の蓄積は人々の幸福感を増進させる1つの規定因であることが示された。

そこで、老年期における自己超越の意義についてさらに論を進めてみよう。Erikson(1973)のライフサイクル論に従えば、青年期には自己を超越することはできない。むしろ老年期にこそ自分のアイデンティティの限界を超越し、究極的な個性化を達成する機会が訪れる。このとき、人生の終着点に近づいた人間は「わたしとは、わたしの死後にも生きのびるもののことである。」というアイデンティティの危機に直面するという。こうして歴史的に見て唯一の自分の「ライフサイクル」の中で、自らが培った人間的資質を次世代へと継承させていくことに意味を見出すことを通じて、死に伴うアイデンティティの断絶が回避できるかどうかが老年期における発達課題であるとEriksonはいう。

それが達成された状態を完全性(Integrity)とEriksonは呼ぶ。自分の過去に忠実であり、現在において指導的立場に立つ用意ができており、しかもやがてはその立場を他に譲渡する用意ができている感情的な統合体を意味する概念である。自分の人生とは、ただ一度きりの生活周期と、歴史の一区画との間のまったくの偶然の一致から成り立っているものであるという確信の上に完全性に至るのである。

この状態が欠如したり、喪失されたとき、嫌悪や絶望が老人を襲う。すなわち、別の人生をやり直すには、また完全性にいたる別の道を試すにも、残された時間が短すぎることに対する感情反応である。これは、いってみれば、自らの運命や死を受容できていない心理的に悪い状態(mal-being)でもある。

ここに自己超越的信念や超越的価値を獲得する意義があるのではないだろうか。唯一無比の自己のアイデンティティが究極的な消滅を迎えるという「事実」を目の当たりにして、それを完全に受容できる「強固な自我」を持った人がどれくらいいるであろうか。また、自らが培ったものを次世代へ継承させることで「生き延びる」のだと言い聞かせて、安寧のうちに至を迎えることのできる人がどれくらいいるであろうか。死への準備教育(death education)に関する研究によれば、実際に自らの死を受容し、安らかな最終場面を迎えることのできた患者は実際には26%にしかみられず、死の受容は容易ではないことを明らかにしている(深津、1986)。

 しかし、もし彼らが自己超越的信念ないし価値を獲得していたならば、死に際して示す態度は大きく異なってくるものと考えられる。

結語

 本研究では、従来ならば宗教や神秘主義の文脈で語られてきた自己超越的体験の要素が、さまざまな個人属性をもつ人々に広く認められること、それは加齢に伴って増加する傾向にあること、自己超越傾向が心理的幸福感と正の相関関係にあることなどが明らかになった。

宗教行動や宗教的信念に関する欧米の心理学的知見を見ると、宗教的な集会は老年期の人々にとって、親友を見つけ、彼らからの社会的支援を得ることができるという意味においてもっとも重要な社会集団になっている(Cf.,Beit-Hallahmi & Argyle,1997)。また、死後生に対する信念は、死に対する恐怖を軽減し、心理的幸福感を高めるもう1つの源泉となっている。このことから、Beit-Hallahmi & Argyle(1997)は、老年期の人々にとって宗教(心)が与える恩恵は対人的なサポートにとどまらず、霊的な慰安をもたらすという点においても大きいと述べている。

翻って、わが国の場合、一般に宗教的意識が希薄であり、祈願やお守り・おふだの購入に代表される現世利益的宗教行動をとる人々に比べ、お祈りやお勤めなどの自己修養的な宗教行動をとる人々は少ない(NHK世論調査部,1991)。ただし、高年齢層になるほど自己修養的宗教行動をとる者は増加する。その意味において、老年期における宗教的心性の重要性は現代の日本人にもあてはまるといえよう。

しかし、一方で日本人の宗教離れは一段と進んでいるように思われる。読売新聞社(1994)が実施した宗教に関する国民意識調査によれば、宗教的な信仰心をもっていると答えた者の割合は26%、これに対し無信仰派は72%に上っている。しかも、何らかの信仰をもつ人の割合は、調査の回を経るごとに減少している。

特に、既成の宗教の枠に身をゆだねることを望まない高齢者にとって、宗教的信仰に替わって心理的幸福感を高める条件は、配偶者や子供を含む家族、友人などの重要な他者による社会的支援かもしれない。しかし、こうした「外側からのサポート」にも一定の限界がある。たとえば、配偶者に先立たれた独居老人、子供との同居が困難な老親、友人との親密な対人関係を構築することが困難な状況にある高齢者にとって、自らの運命を受容し、「豊かな心」の実現をめざすには、つまるところ「内側からのサポート」、すなわち「高次の自己」によって支えられ、守られているという自己超越的な体験領域への気づきが必要となってくるのである。

トランスパーソナルの理論的地平から見ると、人は生まれながらにして自己超越の可能性をもっており、それは適切な実践的手続きを踏むことによって達成可能である。自己超越を精神的成長の極致であると考えるならば、トランスパーソナル心理学の理論的、実践的体系は、心理的幸福感を増進させたいと望むすべての人々にとって、従来の宗教にとって替わるだけのポテンシャルを秘めているといえるだろう。

 

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国立社会保障・人口問題研究所 日本の将来推計人口(平成9年1月推計)について

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総理府 国民生活に関する世論調査(平成9年5月)

http://www.sorifu.go.jp/survey/seikatsu-h9.html