このブログは桜井淳水戸事務所と桜井淳カリフォルニア事務所の(1)業務内容(2)桜井淳個人情報(3)米国での活動内容(4)専門家養成のための学術セミナー開催案内等を掲載するHP代わりの硬いブログです。スタッフが交替で最新情報の更新や新項の追加をしています。 各項を順序よく読むと(a)事務所業務内容紹介(b)桜井所長学歴(c)哲学(d)著書(e)学術セミナー(f)米国での活動内容等、情報の価値が分かります。ここに記載した情報の信頼性は、他のいかなる組織・団体・文献・電子情報よりも、格段に高く、すべての判断基準になります。情報の信頼性については両事務所のスタッフがすべて責任を負います。著作権・情報のオリジナリティを確保するため、本ブログの内容のコピー・事実関係の引用・電子媒体へのリンク等は、すべて禁止します。不正行為を確認した場合には米国感覚で法的手続きを行います。事務所への連絡・メッセージは、各項の欄外のメールマークをクリックすれば、わかるように、アメーバ会員に手続きすれば、誰でも、自由にできます。ただし、送信者の身元は、サイバーエージェントによって管理されています。

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2008-09-24 11:09:20 stanford2008の投稿

"カリフォルニア"の7月上旬からの外部協力者はそのまましばらくブログ担当-"水戸"も外部協力者-

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三つの事務所の2ヶ月の夏休み(それぞれの事務所の2名のスタッフのみですが)期間中、"カリフォルニア"の7月上旬からの外部協力者(すなわち私)は、そのまましばらくブログ担当を継続し、"水戸"の以前からの協力者も"カリフォルニア"の外部協力者の文章の特徴に合わせ、「桜井淳所長が推進してきたモンテカルロ研究のパラダイム転換(3)-新旧を体現する同姓のふたりのU-」(2008.9.28 update)を用意してくれました。
2008-09-24 09:45:59 stanford2008の投稿

University of Michigan-Ann Arbor大学院博士課程のYのがんばり

テーマ:ブログ

桜井淳所長は、他人の人生なので、ノートに記しているわけではないために、正確には思い出せないものの、研究会や学術セミナーの記録を頼りに、いま、University of Michigan-Ann Arbor(Detroitの西約50km)大学院博士課程に在籍しているY(現在40歳)について、・・・桜井所長に拠れば(公開してはならない私生活や個人情報は削除)、Y(当時30歳、学部卒、数学専攻)は、科学技術庁留学生としてサイクル機構大洗工学センターリスク解析室で1年間研究し、いったん帰国しましたが、勤務先を休職して、東海村にある小さなソフト会社の社員(当時32歳)となり、原研等から受注したソフト開発や計算をこなしながら、日本で学位を取得することを目指していましたが、桜井所長がY(当時31歳)と最初に顔を合わせたのは、帰国直前のことで、ソフト会社で開催された、ごく少数対象のYの研究を紹介する講演会(Yを含め4名)でのことで、桜井所長は、翌年、モンテカルロシミュレーション研究会で招待講演をお願いし(報文集『モンテカルロ法による粒子シミュレーションの現状と課題』、日本原子力学会、2002)、Yは、その後も、謙虚にも、桜井所長が講師を務める連続5時間半の学術セミナー「【炉物理理論】モンテカルロ基礎理論セミナー」「【高速PCによる計算演習】モンテカルロ法による核燃料サイクル施設の臨界安全解析セミナー」「【高速PCによる計算演習】モンテカルロ法による中性子遮蔽安全解析セミナー」「【高速PCによる計算演習】モンテカルロ法による高エネルギー遮蔽安全解析セミナー」等に参加し、4年間が過ぎましたが、Yがどのような心境で米国での学位取得に変更したのか、そこまでは知りませんでしたが、日本で実施されたMissouri University-Rolla(St.Louisの南西約200km)大学院原子力専攻博士課程の試験に合格し、米国へ旅発ちましたが(当時36歳、出発直前、小雨の降る日、東海村のソフト会社近くの居酒屋で送別会を開催)、その1年後、University of Michigan-Ann Arbor大学院原子力専攻博士課程に編入学し、最近、指導教官と連名の研究を米原子力学会年会や同論文誌Nuclear Science Engineeringに発表する等、学位審査の最終段階にあるそうですが、桜井所長は、それまで、Missouri University-Rollaが日本で大学院入学試験を実施していたことを知らず、また、米国では、学部編入学や他大学大学院への編入等、日常茶飯事であり、日本のように固定化されておらず、指導教官も編入が可能なように、良い推薦書を用意してくれるのが常であり、日本と米国の大学・大学院教育の差を痛感し、桜井所長は、さらに、Yの36歳での米国への挑戦、原子力では世界で最もレベルの高いUniversity of Michigan-Ann Arborにおいて40歳での学位取得に、大変な熱意と忍耐強さを感じ、心より敬服しており、Yの学位取得後、同業者として、自らが代表を務める日本原子力学会「最適モンテカルロ計算法」研究専門委員会とモンテカルロシミュレーション研究会で招待講演をお願いしたいと話していました(桜井所長は、いつも、サンフランシスコまでで、時々、ニューヨークまでの時も、Ann Arbor上空を通過するだけで、一度も立ち寄ったことも無く、多忙ゆえ、時の流れの速さに、抗し切れずにいます)。


2008-09-23 19:09:02 stanford2008の投稿

桜井淳所長の過去30年間の世界めぐり-渡航回数は年齢の数以上でしたが一度以外はすべて仕事-

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桜井淳所長は、32歳の時に、初めて、個人的行事で、欧州先進国の旅行を楽しみましたが(旅行記は1979-1980年の「茨城新聞」や「原子力産業新聞」『プロメティウス』参照)、それ以降は、すべて、仕事で、30歳台後半には、研究機関から国際会議出張のため、米国へ数回、40歳台には、技術評論で売れっ子になったため、NHKスペシャル取材班(1993)として、テレビ朝日サンデープロジェクト取材班(1994, 1995)として、数回、ロシアの原子力発電所や原子力機密基地を訪問し(『ロシアの核が危ない ! 』参照)、その後、近隣諸国(中国・韓国・台湾)の原子力発電所を訪問(『桜井淳著作集第5巻安全とは何か』参照)、最近の8年間は、米国の大学での講演のため、前半の4年間は、年間約10回、最近は、年間約20回に達し、総計、年齢の数以上の渡航数に達しますが、一度以外は、すべて、仕事で、と言っても、テレビ局の担当者が気を使い、ワンランク上のホテルの部屋を提供してくれたり、食事に招待してくれたり、市内観光等の時間を組んでくれたり、それなりに観光気分を味合えましたが、それでも、いまは、仕事から完全に離れ、自然や遺跡や食事や文化を楽しみたい心境に達していると話しています(旅行記にはコペンハーゲンやパリやバルセロナの代表的なカテドラル等の建築物について触れています)。
2008-09-23 17:21:47 stanford2008の投稿

桜井淳所長は星野芳郎先生が元気なうちに接待したかったそうですが-十分なお返しもできずに-

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桜井淳所長は、34年前に、初めて、京都市左京区修学院南代の星野芳郎先生(技術史研究者・技術評論家)の自宅を訪問し、技術論研究のスタートを切り、それから16年後、月刊誌『経済評論』(日本評論社)や週刊誌『週刊エコノミスト』(毎日新聞社)で十数回対談し(『桜井淳著作集第6巻星野芳郎との対話』参照)、対談終了後に、一杯やりながら、お互いの最近の研究を報告しあい、将来展望を語りましたが、2年前、84歳になった星野先生の健康を心配し、最後の機会と決心し、川崎市麻生区千代ヶ丘にある自宅を訪問し、2時間ほど雑談し、自宅2階にある三つの研究室(哲学・技術論・文明論)を案内していただき、約5000冊の蔵書を見せていただき、技術論研究60年の重さに、圧倒され、その1年後、星野先生は、85歳で永眠され、告別式の日に、桜井所長は、東工大大岡山キャンパスで開催された第6回日本科学技術社会論学会研究大会で、「技術論研究30年の哲学と体系(1)星野技術論の継承から独自技術論の構築へ」と題する口頭発表を行いましたが、良い時に会えて、お世話になった最低限のお礼ができ、安心しましたが、それでも、星野先生が元気なうちに、都内の一流ホテルに接待し、一泊2日の予定で、食事をしながら、お礼の言葉を申し上げたかったと話していました(いま、桜井所長は、星野先生の一番弟子として、約5000冊の蔵書を責任を持って、自宅に、保管し、利用したいと申し出ています)。
2008-09-23 15:54:08 stanford2008の投稿

FloridaのTallahassee-Flight Cancelがなければ立ち寄ることもない-

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日本で知られているFloridaで有名な都市は、MiamiとTampaくらいですが、州都は、Tallahasseeで、それでも、めったに立ち寄ることの無い地方都市であり、それにもかかわらず、桜井淳所長は、偶然の出来事から、立ち寄る機会を持ち、その偶然とは、Tampaで開催された3日間の軽水炉核熱流動安全解析国際会議を終えてから同じFloridaのPensacolaにあるWH社Pensacola工場へ移動する過程で(直線で約800km)、前日夕刻でのre-confirmでは、正常だったものの、早朝、Tampa空港に着くと、予定のflightがcancelされており、替わりに勧められたコースは、10人乗りのコミュータでTallahasseeまで行き(直線で約500km)、そこで大型機に乗り換えて、Pensacolaまでのコースであり(直線で約300km)、桜井所長は、コミュータは、どうしても避けたかったものの、会議の時間までに移動するには、他に方法が無かったため、覚悟して、そのコースを選択し、コミュータは、森ばかりの平地の上空を1時間半、風に流され多少の恐怖感を感じながらも、Tallahasseeの上空を旋回し、無事に空港に到着しましたが、意外と小さな地方都市であり、特徴の無い小さな空港で、米国の州都とは、そのような地域なのかと不思議に感じたと話していました。
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