このブログは桜井淳水戸事務所と桜井淳カリフォルニア事務所の(1)業務内容(2)桜井淳個人情報(3)米国での活動内容(4)専門家養成のための学術セミナー開催案内等を掲載するHP代わりの硬いブログです。スタッフが交替で最新情報の更新や新項の追加をしています。 各項を順序よく読むと(a)事務所業務内容紹介(b)桜井所長学歴(c)哲学(d)著書(e)学術セミナー(f)米国での活動内容等、情報の価値が分かります。ここに記載した情報の信頼性は、他のいかなる組織・団体・文献・電子情報よりも、格段に高く、すべての判断基準になります。情報の信頼性については両事務所のスタッフがすべて責任を負います。著作権・情報のオリジナリティを確保するため、本ブログの内容のコピー・事実関係の引用・電子媒体へのリンク等は、すべて禁止します。不正行為を確認した場合には米国感覚で法的手続きを行います。事務所への連絡・メッセージは、各項の欄外のメールマークをクリックすれば、わかるように、アメーバ会員に手続きすれば、誰でも、自由にできます。ただし、送信者の身元は、サイバーエージェントによって管理されています。
桜井淳所長は、他人の人生なので、ノートに記しているわけではないために、正確には思い出せないものの、研究会や学術セミナーの記録を頼りに、いま、University of Michigan-Ann Arbor(Detroitの西約50km)大学院博士課程に在籍しているY(現在40歳)について、・・・桜井所長に拠れば(公開してはならない私生活や個人情報は削除)、Y(当時30歳、学部卒、数学専攻)は、科学技術庁留学生としてサイクル機構大洗工学センターリスク解析室で1年間研究し、いったん帰国しましたが、勤務先を休職して、東海村にある小さなソフト会社の社員(当時32歳)となり、原研等から受注したソフト開発や計算をこなしながら、日本で学位を取得することを目指していましたが、桜井所長がY(当時31歳)と最初に顔を合わせたのは、帰国直前のことで、ソフト会社で開催された、ごく少数対象のYの研究を紹介する講演会(Yを含め4名)でのことで、桜井所長は、翌年、モンテカルロシミュレーション研究会で招待講演をお願いし(報文集『モンテカルロ法による粒子シミュレーションの現状と課題』、日本原子力学会、2002)、Yは、その後も、謙虚にも、桜井所長が講師を務める連続5時間半の学術セミナー「【炉物理理論】モンテカルロ基礎理論セミナー」「【高速PCによる計算演習】モンテカルロ法による核燃料サイクル施設の臨界安全解析セミナー」「【高速PCによる計算演習】モンテカルロ法による中性子遮蔽安全解析セミナー」「【高速PCによる計算演習】モンテカルロ法による高エネルギー遮蔽安全解析セミナー」等に参加し、4年間が過ぎましたが、Yがどのような心境で米国での学位取得に変更したのか、そこまでは知りませんでしたが、日本で実施されたMissouri University-Rolla(St.Louisの南西約200km)大学院原子力専攻博士課程の試験に合格し、米国へ旅発ちましたが(当時36歳、出発直前、小雨の降る日、東海村のソフト会社近くの居酒屋で送別会を開催)、その1年後、University of Michigan-Ann Arbor大学院原子力専攻博士課程に編入学し、最近、指導教官と連名の研究を米原子力学会年会や同論文誌Nuclear Science Engineeringに発表する等、学位審査の最終段階にあるそうですが、桜井所長は、それまで、Missouri University-Rollaが日本で大学院入学試験を実施していたことを知らず、また、米国では、学部編入学や他大学大学院への編入等、日常茶飯事であり、日本のように固定化されておらず、指導教官も編入が可能なように、良い推薦書を用意してくれるのが常であり、日本と米国の大学・大学院教育の差を痛感し、桜井所長は、さらに、Yの36歳での米国への挑戦、原子力では世界で最もレベルの高いUniversity of Michigan-Ann Arborにおいて40歳での学位取得に、大変な熱意と忍耐強さを感じ、心より敬服しており、Yの学位取得後、同業者として、自らが代表を務める日本原子力学会「最適モンテカルロ計算法」研究専門委員会とモンテカルロシミュレーション研究会で招待講演をお願いしたいと話していました(桜井所長は、いつも、サンフランシスコまでで、時々、ニューヨークまでの時も、Ann Arbor上空を通過するだけで、一度も立ち寄ったことも無く、多忙ゆえ、時の流れの速さに、抗し切れずにいます)。