今日、首相に選出される麻生太郎氏は、心を許した相手には「とてつもない金持ちに生まれた人間の苦しみなんて普通の人には分からんだろうな」としんみり語る。
時に偽悪家ぶるところがあるが、これは率直な気持ちだろう。自分を特別な運命に生まれたと信じる自惚(うぬぼ)れと、人知れぬ苦労も積んだという負けん気は、新首相の深層心理をうかがわせて興味深い。今後の政権運営は、この屈折した自負心が左右する気がする。
こんな話を持ち出すのは、今日で首相を終える福田康夫氏の無責任な政権放り出しと、その後の身勝手な言動に考え込んでしまったからだ。首相の器でなかったということに尽きるが、政治記者の多くは、そのことを知っていた。でも、それをきちんと伝えたか。
退陣表明後、弊紙は福田氏が4月には嫌気が差していたと報じた。ところが、当時の紙面を繰ってみると、「首相は意欲満々」と何度も書いている。強気と弱気が交錯していたにせよ、誤報と認めざるを得ない。
本人の実像に迫れず、秘書官らの煙幕をうのみにしたせいだ。小泉政権で昼夕2度に制限された首相への「ぶら下がり」。7年も続き、あれで済ますのが記者の悪弊になった。突っ込み不足と不評だった福田氏の退陣会見も「ぶら下がり」の延長だったからではないか。政治の危機と言うが、半分は政治報道の危機だろう。【伊藤智永】
毎日新聞 2008年9月24日 東京朝刊