空中キャンプ

クボタさんのCDちょうかっこいい!

2008-09-23

なんか今、そんな気持ち

たとえばわたしが、あまりぱっとしないプロ野球選手だったとする。入団からおよそ十年、通算打率は二割二分五厘。守備がそこそこ良かったこと、ベンチのムードメーカー的役割を果たしてきたこともあり、どうにか三十二歳までは現役を続けてこれたが、球団からは、来年以降は守備コーチとして若手を指導してほしいという要請を受けており、今シーズンかぎりで選手としては引退ということになった。

現役最後の年。しかし、なんで俺は二割二分しか打てなかったんだろうと考えると不甲斐ない。どうすれば打率が上がったのか。もっといいプレーができたのではないか。いずれにせよ、もう引退なんだ、いろいろ試してみよう。そうおもったわたしは、ある打席で、左ひじの力を抜きながら、リラックスした体勢でバットを振ってみたところ、ボールは今までに経験したことのないような強烈な打球となって、センターの頭上を軽く越えていった。あっ、こうすればよかったんだ。わたしは一塁へ向かいながら、全身に衝撃が走るようであった。

打撃開眼。その年わたしは、初の三割到達、オールスター後はほぼフル出場で打ちまくり、シーズン終了後の成績は、三割二分七厘、二十二本塁打、八十七打点。首位打者こそ逃したものの、チームのAクラス入りに大きく貢献し、現役は続行されることになった。よかった。よかったではないか。しかし、当の本人はなぜか後悔の念でいっぱいなのである。結果がでたことはもちろんうれしい。このまま現役を終えてしまうところだったのだから。しかし、それにしても、どうにも打撃開眼が遅すぎた。

左ひじの力を抜いて、リラックスした姿勢でかまえる。それだけのことができるようになるのに、十年もかかってしまった。せめて五年前に気がついていたら、わたしだって、落合とまでは言わないが、篠塚クラスの打者になれたのではないか。もっとちがう人生があったのではないか。そう考えただけで、いてもたってもいられず、まるでレンタルビデオの延滞金を払わされたときの苛立ちを何十倍かに濃縮したみたいな、手の施しようのない無念がこみ上げてきてたまらない。なんでわたしはこんなに要領がわるいのだろう。たったこれだけのことが、したら俺だって篠塚みたいに、ああもう。

うまくいえないのだけれど、わたしはなんか今、そんな気持ちである。ここ一週間くらい、ずっとそんな心持ちなのだ。生きてるってちょうままならない。やり直せないしね。失敗して学んだことって、次に自分がしくじるであろう何かにはあんまり関係ないからほとんど生かせないし、もちろん時間はどんどん経っていくし、ねえ。