昨日、パラオのKBブリッジに関するスレを上げた。
昨日未明の地震に関連してであったが、驚いたことに施工したのは韓国では無いと強硬に主張する輩が出てきた。それに同調するレスも青IDに多い。
昨日私が上げたスレ(日間ランキングにも入っているようだが。)
http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=ttalk&nid=1054936
これに反論するアホ韓国人の論拠を示すスレ
http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=ttalk&nid=1054936
(この件に関するWikの記述)
韓国資本の建設会社 "Socio Construction" により建設されたコンクリート橋。当時の "Socio Construction" は実質的に投資会社であったため、設計はアメリカの "Alfred A. Yee and Associates" とドイツの建設会社である(現:DYWIDAG)が行い、施工は "Dyckerhoff & Widmann AG" が行った。 この橋の建設業者選定に際して入札が行われ、"Socio Construction" が、鹿島建設の半額の入札価格を提示し落札した。 なおこの "Socio Construction" 社は、1994年に崩落した韓国の聖水大橋(施工は韓国の東亜建設)に係わった会社として日本では知られているが、"Socio Construction" は韓国人出資によるパラオ共和国の会社であり、その関係性は不明瞭である。
この記述だけでアホ韓国人の論拠は怪しい事が判ってもらえると思うが、要は"Dyckerhoff & Widmann AG" が施工会社を選定する際に鹿島建設と "Socio Construction" が争ったと言うことであろう。その"Socio Construction" が無茶苦茶をした。
(この件関する現地の反応)
建設するにあたり日本の鹿島建設も見積りを出したのですが、韓国の下請け会社が日本の半額で落札し、工事を行いました。ところがこれがひどい手抜き工事だったようです。コンクリートの固め方でさえでたらめだった。と言いますから恐ろしい限りです。その様子をつぶさに見ていた現地住民は当初からこの橋に不安を抱いて
いたようで、車で橋を渡るときは、もし海に落ちてもすぐ逃げられるようにと必ず窓を開けていたそうです。
また、竣工直後から橋の中央部がたわみはじめ、15tだった通過制限重量がすぐに10tにまで減らされました。このたわみはやがて、通過する時おかしな揺れを体感できるほどに大きくなり、崩落事故の起きる頃には、徐行運転で渡るほかないという状態に陥っていたのです。
"Socio Construction"は韓国人の主張するよう米国の会社で在ったのだろうか?(元々と言っているが。)はっきり言ってそんな事はどうでも良い。
要するに橋の崩落は韓国人の所業の結果であるか否かである。
下記の石碑を見ていただこう。
崩落した旧KBブリッジの石碑である。左側にはハングルで右には英文で書いてある。
意味は、
『ここ 七十人余りの 韓国の技術と 汗の結晶で 南太平洋の二つの島を引き継ぐ 友情の橋 太平橋が立てられた
1977.4.24 SOCIO建設株式会社
社長ゾングビョングヨック』
しかも、しかもである。英文中の『KOREA』『CHONG』の文字が何者かに削られている。(不完全であるため文字は確認できる。)
KBブリッジ(日本パラオ友好橋)
まず向かったのは、KBブリッジ。コロール島とバベルダオブ島を結ぶ橋で、両島の頭文字をとってKBという。日本の技術で建設した、コンクリート製の斜張橋(見た目は吊り橋に似てる)だ。
この橋の歴史を書くと、もともと1977年に韓国の建設業者がコンクリート橋を建設。しかし韓国のお芸当「建物自然崩壊」がこの橋にも襲いかかり、1996年9月26日、「強度が足りないのでは?」という指摘どおりに崩壊し、20数名(詳しい数は現在調べ中)の死者を出してしまった。
この橋は空港と首都を結ぶ重要なルート。それが突然寸断されたわけで、この国にとってかなりの痛手を被ったことと思う。独立以来初めて「国家非常事態宣言」が出されたというし。
その後、臨時で仮設橋を設置しつつ、日本の技術で鹿島(ゼネコン名ね)が新しい橋を建設した。
ベンさんに、橋のたもとまで連れてってもらう。レンタカー自力運転じゃなかなか来にくい所かも・・・横道への入り方なんかが。
立派な斜張橋の下に立ってみる。その少し脇(西側)には、道が途中で切れていて「この先橋があったんだろうな」と思わせる盛り土があり、「あれが旧KBブリッジですか?」と聞くと「あれはテンポラリーブリッジだ」という。崩壊してから今の橋を立て直すまでに臨時で架けられた仮設橋のことである。「では、韓国KBブリッジはどの辺に?」と尋ねると「この下だよ」だそうで、すっかり韓国KBブリッジの真上に日本KBブリッジが建設されたようだ。崩壊橋は、跡形もなく除去されていた。
ところで、この「韓国の仕業」は、地元でも浸透しているようで、他の運転手さん同士「韓国で作ったのが壊れたんだ」「SOCIOだ、SOCIO」「そうだそうだ」などなど、韓国のゼネコン名まではっきり言ってた。SOCIOといえば、今でもパラオの建設現場で見かける名前だが、まだパラオで活動してるとは、いい度胸してるのー。
今度の橋は「ベリーストロング(ベンさん談)」だそうで、パラオの人の期待どおり、何事もなく永遠に残って欲しいところだ(そんなの当たり前だけど)。
橋の欄干には、パラオと日本の友好を示す、両国旗が描かれた銘板があり、日本人として嬉しい。日の丸とパラオ国旗、並ぶと綺麗なんだよね。
なお、1977年に韓国SOCIO社が建てた際の記念碑、これはコロール側の橋の下に崩壊せずに残っている。
また、KBブリッジ橋上から見るサンセットは綺麗なんだとか。橋の下では釣りポイントらしく、地元の人が糸を垂らしていた。
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以下、私の意見であるが鹿島の半額で応札した韓国SOCIO社は初めから手抜き工事を企んでいたと考えられる。初めから建設資材費が賄える金額では無いからである。
また崩壊後パラオ政府は韓国に損害賠償の請求をしたそうであるが(東亜建設?)、韓国の施工会社は解散してしまっており、有耶無耶になっているそうである。韓国ではよくある話らしいが、酷いにも程がある。
しかも、これを自国民の恥を隠蔽し、あまつさえ他国に罪を擦り付けようとしている!
これは100%韓国人の所業!
恥を知れ韓国人!
御存知のパラオのKBブリッジ。韓国企業が鹿島建設の半値で落札し、施工。半年後にこの有様。
崩壊