大野病院事件についてマスコミよりコメントを求められたため、下記のように答えました。
2008年8月20日
医療過誤原告の会
会長 宮脇正和
① 私は1983年に娘を医療過誤で亡くし、10年間の医療過誤裁判の後、病院側の全面謝罪で和解しました。 医療過誤原告の会の会員は、医療被害者として、これまで医療事故の際の説明や、医療過誤裁判の場で、カルテの改ざんや、証拠のねつ造・隠蔽、医療者の事実と全く異なるウソの証言に少なからず遭遇し、医療界に対する信頼を打ち砕かれてきました。
② 私たち被害者の願いは、「医療事故の事実から真摯に学び、事故の再発防止に役立てていただきたい」と言うことです。
③ 無罪判決ではあるが、裁判の過程で事故調査委員会報告以上に、事故の真相が明らかになった意義は大きい。
④ 判決結果は、医療界が今回の事件から謙虚に教訓を受け止めることになるか、心配している。
⑤ 国民が望んでいることは、安全なお産であり、リスクが予想されるお産については、事前の対策(複数の医師体制、対応設備のある病院に送る、輸血の準備をしておく)をしっかりとることが、大野病院事件の最大の教訓ではないでしょうか。
今後、医療界がお産における安産対策を一層進めることが、遺族や国民の願いに応えることではないか。
⑥ 医療関係者に望むことは、事故の事実を真摯に公表してほしい。そのことが患者と医療機関の、率直な信頼関係を築くことになり、はじめて、医療事故の教訓を、安全対策に生かせることにつながる。
⑦ 現在、医療安全調査委員会等、死因究明を行う第三者機関の設置法案が議論されているが、医療者が自律的に事故を教訓化することにより、国民の信頼を広げるよう期待している。
お亡くなりになられたお母様、さぞ残念だったことでしょう。全ての出産にはかなりリスクがある事はあまり知られておりません。
しかし、私たちの周りはどうでしょうか?生まれてあたりまえ的な風潮がありませんか?もう一度、医師も私たちも出産はハイリスクである認識を持って現状の医療を見つめなおしてほしいと思います。一人で10名以上の入院患者を持ち、2、30名の外来を当直をするというのは正気ではありません。しかしながら、現状の医療の現場を見、産科医不足の現状を見ればあきらめるしかないのかとも思えます。出産に関わる医師は本当に少なく大都市部でも診療待ち2-3時間はあたりまえです。少子化を若い世代の責任の様に声高に叫ぶ老人もいますが、本当にそうでしょうか?そこには国の重大な政策ミスが見え隠れするのではないのでしょうか?でも、この様な愚かな政策を決める政治家を選び、役人を許してきたのは他ならぬ皆さんです。
すべての女性が安心して出産できる社会にしてほしいと心から思います。
コメント by Gioanni — 2008/8/20 水曜日 @ 17:09:17
県立大野病院の裁判は、改めて「医療裁判」は、だれも幸せにしない事!!を浮き彫りにしました。
明らかな過誤(薬の間違い・投与量の間違い・患者の間違いなど)は、業務上の過失ですので、裁判での判断は可能ですが、高度な専門的判断が必要なケース(こちらが多い)は、裁判には馴染みません。(これは、誰しも異論は無いでしょう)
この悲しい症例を機に、医療側・患者側が共に納得できるような、適切な「医療事故調査委員会」が一刻も早く設置される事を切望します。
「医療裁判」などという悲しい言葉が、早く過去のものになると良いです。
「患者側の救済措置」として、「無過失医療保障制度」(産科だけで無く、「全科にわたり)の試行・充実も急務です。
今回の判断から、1)医療従事者は、患者への説明義務を十分に果たす事
2)患者は、医療に100%の安全は求められ無いという「医療の不確実性」を、改めて深く認識する必要があります。
「説明を十分に果たした信頼を得た治療」と、「医療の不確実性を十分に理解した患者の信頼」、この2つが医療再生の鍵になります。
by 完全燃焼医
コメント by 上村 太郎 — 2008/8/21 木曜日 @ 10:26:30
>医療関係者に望むことは、事故の事実を真摯に公表してほしい。
この発言の裏側には、
医療関係者は、真摯に事実を公表してないない。信用できない。
という管理者様のお考えが、どうしても透けて見えてしまいます。
医療関係者と信頼関係を築くためには、信用を相手に求めるだけでなく、自らが医療機関を信用します という積極的な明示が必要だと思います。
コメント by tetuhiko — 2008/8/21 木曜日 @ 16:58:02
問題は、分った事実を真実として患者側も受け入れるという姿勢ではないのか?
自分達が納得できる事実しか事実と認めないような態度では、いつまでたっても真実を受け入れることはできないだろう
大野病院側に求めることがあるとすれば、自らに過ちがないのであれば、無用な同情で、『保険を使って』見舞金や和解金を支払おうとしないことだ
過失なく『保険を使って』補償を行うことは、保険契約上は詐欺に近い
憐みと補償を混同するから、遺族も混乱したと思える
それにしても、医療過誤でないと地裁が示しているのに、医療過誤のように論説するのは、お立場があるとは言え、心苦しくないのだろうか?
無罪の人に対する、これまでの仕打ちを考えれば、反省や後悔の言葉の一つも出てこなければ、人間性を疑う
コメント by Med_Law — 2008/8/22 金曜日 @ 7:22:56
大野病院事件には一人の悪人も登場しない。
愛するお子さんを無事に出産したかったお母さん。
そして二人の命を救おうとしたけどお母さんまでは救えなかった医師。
犯罪と言うからには、悪人が登場しないことには成立しないがどこに悪人がいたのか?
医師をなんとか悪人にしたかった醜悪な人間がもっとも悪人に近いのではないでしょうか。
少なくともこの事件に関しては医療過誤などではないことを認めるべきです。
コメント by あびたろう — 2008/8/22 金曜日 @ 15:44:20
為替情報って?
為替のにっき!またあそびにきます!
トラックバック by デイトレード案内通信♪ — 2008/8/22 金曜日 @ 17:15:35
大野病院の出来事を「事故」と断定される根拠は何か?
希な合併症による術中死ではないのか?
久能恒子先生がご存命ならなんと仰っただろう
コメント by はえじろう — 2008/8/22 金曜日 @ 19:13:46
①②③⑥⑦については一般論としてはその通りだと思います。ただし、この事例は、医療事故ではなく病死であり、あてはまりません。
④⑤については、一つの病院に医者を集中させるべく、集約化が進行中であることが、その対策でしょう。(短期的には)
長期的には、医者を増やしたり、看護師を増やしたり、大病院以外では出産できないように法律を変えたりすることが必要でしょうか。しかし、それにかかる費用が計上できないような医療制度のもとでは、無理です。
安全のために医療費をもっとかけるように国に要求するようにしたいですね。
ここで、質問をひとつ。医療被害を受けたという患者団体では、自分たちの仲間から医者を作ろうという動きにはならないのでしょうか。医学部は誰にでも開かれており、いつでも医師になることができます。医療不信を払拭するには自分が医師になることが、遠いようで近道だと思うのです。
コメント by 首都圏の産科医 — 2008/8/23 土曜日 @ 16:54:50
医療事故の根絶、ということから言えば、今回の判決で有罪が出た方が、その達成につながっていたと思います。
でもそれは、医療者が「少しでもリスクのあることには手を出さない」ようになり、「医療の外側で、誰からも手を差し伸べてもらえずに死んでしまう」ようになる、ということです。
医療というのは患者さんと医療者の相互理解、協力が不可欠であると思います。
何かあったら叩きのめしてやろう、というのは、誰のためにもならず、国民全体にとって計り知れない不利益を与えることにつながると思います。
コメント by 通りすがり — 2008/8/23 土曜日 @ 19:30:51
私も産科医です。2年前、事件の報を聞いて、愕然としました。
これを医療ミスとするのかと。全ての医師の同じ思いは、あらゆる学会の猛反発を見ても明らかだと思います。産科に関しては「ほとんど素人に近い」その年の産婦人科学会会長で新潟大学の田中教授の鑑定に自信を持った検察は、その医師達の反発を「同業者の庇い合い」程度にしかとらえなかったのでしょう。一番非難されるべきは田中教授でしょう。彼が浅はかな鑑定をしなければ、警察をミスリードすることはなかったと思います。
医療はほぼ100%信頼できるはずで、実際にそう機能しているはずです。
虚偽やごまかしを行う医療人は、皆無とは言えないでしょうが、ほんのわずかだと思います。
ところが、最初から「医者は悪人だ」みたいなスタンスで、接するのはやめて頂きたい。
ほとんどの医療者は、真面目に正直に真摯に一生懸命日々やっています。
加藤医師も然りです。
この冤罪事件をきっかけに、性悪説の考えを改めて頂きたいと思います。
>判決結果は、医療界が今回の事件から謙虚に教訓を受け止めることになるか、心配している。
ご心配とは別に事件をきっかけに、医療界は大きく変化しています。リスクの回避です。結果、医療の集約化が急激に進んでいますが、誰もがどこでも進んだ医療を受けられると言う日本医療の優れたところが失われるでしょう。しかし、それにより事故が減ればいいことだと思います。
コメント by 山田拓郎 — 2008/8/23 土曜日 @ 21:37:01
素人で申し訳ありませんが、「死因は失血死」、措置の仕方云々よりも輸血の時期が問題ではないのかなあ~っ?お産のときは帝王切開、癒着胎盤の確認、そして、胎盤薄利させていたのでしょう。クーパーとかで、、。家内のときも帝王切開で大変でしたから、、、。それに胎盤剥離させていたのですから出血は相当多いのではないかと。そのへんのところはどうだったのかな~ッ。まさか「胎盤薄利させるのに夢中で輸血するの忘れて、遅れていたりしたら?あわてて輸血、心臓がびっくりして痙攣した。」そんなことはないだろうな?思い過ごしかな?私なんかはこんなんで妊婦が亡くなっていたんではいやだな。3、4年前ごろの医療技術では予測不可能とかいておりましたが。なんか判決はちょっとと思います。
コメント by とおりすぎようと思ってみたが — 2008/8/24 日曜日 @ 13:19:01
>とおりすぎようと思ってみたがさん
そんな簡単な事例ではありません。そもそも判決文では失血死とされてしまいましたが,それすら本当か否か明らかではありません。まずはこの証人尋問でもお読みになってみては如何ですか?
http://lohasmedical.jp/blog/2007/11/101.php
そして,同様の症例をはじめから子宮摘出したけれども亡くなられた例もあります。「こんなんで妊婦が亡くなっていたんではいや」ならば,もはや妊娠しないこと以外に対策はないでしょう。
http://tyama7.blog.ocn.ne.jp/obgyn/2008/08/post_d6f6_10.html
素人さんでも批判するのは構わないのでしょうが,それなりにきちんと勉強をしてから批判していただかないと,却って名誉毀損につながると思いますがね。
コメント by 峰村健司 — 2008/8/24 日曜日 @ 14:01:24
いくら輸血してもどんどん出て行けば同じことですよね?
出血を止めるために胎盤剥離→子宮収縮→子宮筋層内の血管が圧迫→止血を図ろうとしていたんです。
失礼ですが、もっと情報を集めてからコメントをされたほうがよろしいかと思います。
コメント by ななし — 2008/8/24 日曜日 @ 14:28:02
今回の裁判は術者に、判断ミスがあったかどうかが、裁かれたケースであると解釈しております。同じ病名で同じ手術手技で執刀しても全く同じ病状であることなどあり得ません。患者さんの個性も様々です。手術中一刻を争う判断を迫られたことは何度もありました。そして今まで大事に至らず済んだことは幸運だったと思います。手術が終わってホッとして、改めて反省することは何度も経験してきました。ゆっくり考える時間さえあれば、ほぼ正確な判断も可能なのでしょうが…
要するに完璧な手術などあり得ないのです。完璧な手術では無かったとして逮捕、拘置されるのであればこの世に外科医はいなくなるでしょうね。
手術とは、マニュアル通りにやる車の修理とは違います。
今後は、捜査ミス、司法の判断ミス、行政機関のミス etc.も裁かれるべきだと思いますよ。彼らには十分考える時間があるにも拘わらずミスを犯してきたのですから…
コメント by 田舎の外科医 — 2008/8/25 月曜日 @ 13:04:56
追加いたします。
私が申し上げたいことは完璧な手術を求めていない外科医はいないはずだと言うことです。あの過酷な救急医療の世界で医師を動かしているエネルギーは「使命感」そのものであります。
以上、私の外科医30年の経験から感想を述べさせて頂きました。
コメント by 田舎の外科医 — 2008/8/25 月曜日 @ 16:24:13
女性にとって、お産は想像を絶する大変なことと思います。知り合いにも産後のひだちが悪くてなくなりました(その後の大量出血で)。ですからお産とは大量の出血があるというのが、私がいままで持っていた見解です。ですから、輸血の準備は?何時したのかな?失血死とは予見できないものか?と思いました。予測できない出血とありましたが私とすればそうかな?と思うのは、私のこのような流れからです。証人尋問をよませていただきましたが、読み違いがなければ、最終的にと思いますが20450ccの出血していて、通常のお産は1000cc(羊水を含め)おおめで1500cc、そして2000ccでも輸血しない、通常の手術は1000cc出血で輸血、お産の場合はちがう。とありましたが。また、あなた様のメモでは、子宮は1分間に500ccの出血する臓器知らなかった、とありましたが、そうだとすれば、実際手術しているわけですから、5~10分ぐらいで異常な出血と判断できなかったのかな?とも思います。それに何時輸血したのかの時期もわからなかったのですが。手術開始14.26分、児娩出14.53分、その時点癒着胎盤判断不可能との証言(池の上教授)そこよりクーパーで胎盤剥離させて、自ら触診もかねていたのですから、5~6分ぐらいで癒着胎盤、大量出血は判断は不可能だったのでしょうか?なにせ1分間に500cc出血する臓器14.53分の出血量2555cc多いのでは、そして15.08分7675ccの出血、池の上教授は15000cc超える出血も経験していますともいっておられましたが、その症例では妊婦さんはどうだったのでしょうか。しかもその症例より、5450ccも超過出血しています。14.53分児娩出して後の異常とも思える出血が現にあったわけですから、胎盤剥離を優先するのはと思うのですが?人間血液がなければ生きていけません。血液確保優先の手術と思うのですが。またコメントは自分の経験、思うこと、などで判断コメントさせていただいたのですがそれが名誉毀損云々とはなんだかちょっとわかりませんね。また、止血しようとしていたといっても、14.53分児娩出からやってみて、止血処置の限界と思える判断はどの時点だったのでしょうか。すでに大量の出血だったと思えますが。
コメント by とおりすぎようと思ってみたが — 2008/8/26 火曜日 @ 14:05:40
とおりすぎようと思ってみたがさん
名誉毀損は言い過ぎかもしれません。無罪判決を受けた人に対して素人の付け焼刃で思いのままを並べ立てておちょくるようなコメントをした言動が,名誉に傷つけようとする言動に感じたため,そのように言いました。
準備された輸血は一般的な準備量であったことはご存知ですよね?(もしこれをはるかに超える今回のような例に対する輸血量を期待するなら,献血を国民の義務化するなどの強硬な手段を用いる必要がありますね)。産科の大量出血が,癒着胎盤だけに限らず,ままあることだということはご存知ですよね? 胎盤をはがすことによって,子宮の収縮が期待とそれに伴って止血が期待できるという話はご存知ですよね? あなたの言うとおりにすれば,か な ら ず 母体が助かるということなら声を大にして言ったらいいですが,あなたのような発言は,既に医療者は2年半前に散々やった挙句,それでもこの無罪の医師が行った行為は問題が無かったという結論になっています。とりあえずここら辺でも全部読んでみてください。何しろ2年半前からですから,様々な反論も網羅されています。
http://tyama7.blog.ocn.ne.jp/obgyn/2007/07/post_340b.html
ちなみに「あなた様のメモ」と言われていますが,あなたが読んだその傍聴記は私のブログでもメモでもありません。名前を見ればわかることです。色々言うわりにはあなたの注意力の低さにはがっかりです。
コメント by 峰村健司 — 2008/8/26 火曜日 @ 22:03:30
FXのとりこ☆
為替を始めたOLのブログです!
トラックバック by やってみると楽しい♪デイトレブログ — 2008/8/27 水曜日 @ 17:11:23
とおりすぎようと思ってみたがさん
私にも説明させてください。私は産科に関しては素人ですので素人である貴方への説明は却って好都合かも知れません。
そもそも手術というのは初めから終わりまで出血に対する処置の連続であると言っても過言ではありません。術者にとって出血に対する予測や輸血のタイミング等、最後まで頭から離れる事はありません。手術開始の事を「執刀」と呼びます。刀を抜いて切り始める訳です。貴方はチャンバラ映画でバッタバッタと人が切られて死んでゆくシーンを信じていませんか?もしそうであるなら手術という方法自体が成立しませんよ。たまたま急所を切ったとしても人は直ぐには死にません。手術ではすぐに止血操作を行います。出血量を最小限に押さえるためです。大きな血管が有る場合、予め結紮という操作によって血流を遮断してから血管を切ります。手術とはこの繰り返しの作業なのです。判断が迫られるのは予期せぬ大量の出血が始まった時です。臓器を引っ張っただけで組織が破綻し出血が始まることがあるのです。出血部位はどこなのか?止血の操作にはどういう手技で臨むべきか?そして手術の終了を「終刀」と呼びます。これは全ての操作が終わって刀を鞘に収めるという意味です。
もうお分かりでしょうか?今回の件では用手剥離の後、癒着胎盤と気づいた段階に判断の岐路があったのです。それは止血操作のためです。胎盤を取り除かない限り子宮内面からの大量出血は続くと言うことは学ばれましたよね?加藤先生は剥離操作の継続を選ばれたのです。母親に子宮の温存を約束していた事もあったからでしょうね。勿論、剥離操作の過程で更に出血量が増す事もご存じだった筈です。用手であろうと自然剥離であろうと剥離が始まった途端に大量の出血が始まることは産科医の常識だと思いますよ。後は処理スピードだけの問題なのです。しかし剥離操作は予期していた以上に困難だったのでしょう。あっ、それから剥離操作に我々は、ほとんどの場合クーパーを使いますよ。刃先を閉じたまま、こするような感じです。明らかな線維組織は切ることもあります。
ここで素人ながら私見を述べさせて頂きます。この時、子宮摘出を選んでいたらどうなったか?。巨大化した子宮を取り出す訳ですから摘出終了迄の時間は剥離操作の数倍も時間がかかるのではないかと推測します。(もし間違っていたら産科の先生!訂正をお願いします。)要は最終的な総出血量で決まります。この場合も百%の生命の保証は出来ないと思いますよ。
更に私見を加えれば、今回の死因は、DIC(播種性血管内凝固症候群)ではなかったかと推測しています。これについては、ご自分でお調べください。
コメント by 田舎の外科医 — 2008/8/27 水曜日 @ 17:49:16
輸血するなら、国民の義務化、なんか私には理解できないコメントです。手術する際、同意書はもらって手術しますね。私のときはそうだったのですけど、だとしますと、輸血の際の躊躇、その他の手術も患者の方と了解済みなわけで、輸血ー国民的義務化の発想は理解できません。ある程度の病院なわけで、「一般的な輸血の準備量」とありますが、その病院で人一人の患者の予見できない輸血量とは何ccなのでしょうか。。余分に準備するのではないでしょうか。病院で輸血する血液がないなんて私には考えられませんし、あってはならないことと思います。仮に輸血する準備量がなかったとの理解に立てば、私の疑念も妙に解決します。とすれば、当事者医師は悔しい思いをしたのではないでしょうか。輸血する血液があれば救える可能性があったのではないかと。そうだとすれば、医師の手術の問題ではなくて、手術に欠かせない、輸血の準備量の確保の問題が重要ではないでしょうか。このことを前提に踏まえれば、つまり、病院の危機管理体制の不備が今回の事件の根底にあるのではないかとおもいます。そのことの理由を当事者医師は正直に患者に話したのでしょうか。そうすれば、患者は一定の理解を示してくれたかもしれませんし、医師への告訴もなかったかもしれません。だとしますれば、医師の問題云々より、医師の輸血の準備量の確認もありますでしょうが、病院の輸血量の確保の問題が問われるべきではないでしょうか。そのことはどこかにいって、隠れているような気がします。 また、私のメモについて大変失礼をしました。ただそのことについて、あなたさまも同じ見解と思っていましたから、見るようにいわれたのではないかと、
コメント by とおりすぎようと思ってみたが — 2008/8/27 水曜日 @ 19:34:05
医療と刑事罰は相容れないものです。明らかに殺意、故意があれば別ですが、通常の医療行為に警察介入は馴染みません。
また、医療過誤という表現は明らかに医師側に責任があるような印象を与え、真実を覆い隠します。医療事故というべきです。人助けするためにがんばっている人の、疲れやシステムからくるマンエラーを刑罰で取り締まることは医療を萎縮させ発展を阻害します。世界では医療に関し免責が基本であり、警察介入するのは日本だけです。これは異常です。
また、救急医療深夜医療、僻地医療が崩壊したのは消費税導入を拒み道路にお金をかける政治家を選んできた国民全員の責任です。
医学的根拠を無視し、医師個人に擦り付けることは感情論でしかありえず、何も生みません。
避けられない疾患による死や過労の労働問題など、他にも改善するべき点が多いのに、関心も持たなかったことは、起こってから慌てるのと同じで後の祭りですが、わかった今は医療状況の改善を祈ってください。有識者による医療事故調査委員会は、いきなりの警察でなく、より科学的根拠に基づき、次に行かせる制度にすべきですので、各種提言を遺族としてはするべきでしょう。
コメント by kyotoDr — 2008/8/27 水曜日 @ 20:25:40
とおりすぎようと思ってみたがさん
>病院で輸血する血液がないなんて私には考えられませんし、あってはならないことと思います。仮に輸血する準備量がなかったとの理解に立てば、私の疑念も妙に解決します。
えー,このくらいの出血は,この事件の患者のみならず全ての妊産婦にも予見できる(ありうる)ことなので,これに対処しようと思ったら,例えば全ての妊婦の出産に対して10000~20000リットルの輸血を準備しないとなりませんね。それだけの血液を確保しようと思ったら,今の献血量では追いつかないわけです。あなたはそれがあってはならないことだというので,それなら献血義務化でもしないと達成できのと違いますか,とこういうことです。
それと,あなたは血液さえ準備できていたら万全かのように空想されているようですが,大量輸血に起因する高カリウム血症での不整脈などもありうる話で,この事件の患者にもその可能性が考えられています(「輸血」「高カリウム血症」で検索すれば出てきます)。もちろん産科DICの可能性も考えられています。しつこく言いますが,素人さんでも医院ですが,今回の医療行為を批判するのだったら,十分に勉強をして,一点の穴もないような批判をすべきですね。
なお,私と,参照ブログ主を間違えられたけんですが,私にとってはどうでもいいことですが,あなたのような人が医療行為をすれば危険極まりない行為だと考えられたので,指摘したまでです。
コメント by 峰村健司 — 2008/8/27 水曜日 @ 21:55:50
あなたの会の会長さんの宮脇さんが
ご自分の 副専務をつとめている法人での仕事が
この会の主張と 全く整合性がないのです
どちらが本当の主張なのか改めて説明をお願いします。
この会を辞めるのか、現在の職を辞するのかどちらか
明確にしてください
コメント by 納得する説明を — 2008/8/27 水曜日 @ 22:33:11
とおりすぎようと思ってみたが さん
帝王切開に対し1000ccの輸血の準備というのは、通常の量に比して非常に多い量であると言うことを申し上げておきます。裁判の公判上でもそのような解釈がなされていると理解しておりますが、ご確認下さい。
ちなみに、最近では、私の病院(総合周産期母子センター)では、通常の帝王切開ではタイプ&スクリーンという方法で輸血の準備をおこなっています。
非常に語弊があるのを覚悟でいいますと、特定の血液は準備(確保)しない方法です。帝王切開での輸血する頻度が最大に見積もっても数%程度なので最近では血液は準備(確保)しないようになりました。
それに対して、加藤医師は1000ccもの血液を確保して手術に臨んでいます。これは充分な備えだと認定されているのです。理解して下さい。
準備する輸血用の血は期限が7日ほどしかないので、使われなかったらほとんどが破棄となってしまいます。1000ccの血液も、もし使われなかったら破棄されていたでしょう。
また、出血の際の血液準備の体制云々とおっしゃっていましたが、福島県での限界をおっしゃっているのでしょうか?
福島県にいるハイリスクの帝王切開は、全部東京で行うべきだと言う主張なのでしょうか?
コメント by 山田拓郎 — 2008/8/28 木曜日 @ 6:19:02
3, 納得いく説明をさんに
宮脇氏云々、会の主張云々とありましたが、いっている意味がわかりません。会の主張といっていましたが、ざっと目を通しただけで意味がわかりませんでした。ただ、大野病院に対するコメントということで、自分の考えを素直に言わせていただいたまでです。通りすがりによってみただけの人間にその発言はいかがかと。また仮にそうだったにしても、いろいろな考えがあってしかるべきと思いますが。いずれにせよ、余計なお世話かなと。
山田さんへ
1000ccの確保といいますがとても驚いています。私としては、信じられない少ない準備量という思いです。1分間に500ccの出血する臓器と前のところで教えていただいたのですが、2分間でなくなるのでは。手術まえに、帝王切開のときの出血、児娩出の際、癒着胎盤剥離させての出血その際の子宮収縮のより止血作用がはたらく(これははたらかず出血したと思われる)そして児娩出14.53分より胎盤剥離させ始めるこのときの出血量2555cc。15.08分の出血量7675ccの出血、剥離させるのを継続させることによる止血(実際は剥離による止血は見られなかったようですが)、させなくても出血する。子宮を残すということで妊婦さんと話していたことも考えられます(井戸端会議に出ました)、そして、剥離させることを継続(当然の措置との主張と思います)、15分後15.08分7675ccの出血量。生命維持に必要な血液は何ccかなと思います。15.08分までの出血量7675cc、1000ccの準備量、胎盤剥離の継続(大量の出血を伴いながら1分間に約360cc出血と思われる)、14.53分より15.08分まで15分間の出血量5120cc、輸血する血液がない、しかし、15分で5120ccの出血、剥離させるのを停止しても出血(説明によれば、)。そして最終的出血量20450cc、輸血1000ccの準備量での手術。1分間に500cc出血する臓器。やはり1000ccの輸血準備量、繰り返しますが、信じられない思いです。あってはならないと思うのは私だけでしょうか。また、井戸端会議で話し合いたいと思います。過日の話合いでは「輸血する血がなかったのでは」ということでした。また、輸血準備量が使われなかったら破棄といいますがそんな次元ではないのではと思います。血液準備ーー福島限界、ハイリスク、東京で手術うんぬん、というより輸血準備量1000ccで十分か、どうかというおもいでいっぱいです。
峰村さんへ
素人なので、また勉強してからとおっしゃいますが、それでは、あの世に行ってから返答せい。ということになりますので。まあそこのところ、よろしくご指導の程、お願い申し上げます。輸血の法制化について、献血を「輸血」と勘違いしました。お許しを。お尋ねしたいのですが、代用血液という話を聞いたことがありますが実用化されているんですか。献血も大変と思いますが、代用血液が完成していればなと思います。それと不整脈のことですが、それは、大量出血に伴う輸血をしたのちのことですから。と思います。私が医者でしたら医療行為は危険極まりない云々とのこと。ここだけの話ですが、貴殿よりいい医師になることは間違いなしと思います。(笑)
京都ドクターさんへ
警察の介入日本だけ、といいますが、実際この判決の出る前(この判決大野病院のことは判決の当日までまったく知りませんでした)2週間ごろ前某日本テレビでキャスターが「医師は刑事罰はなじまない云々」といっていました。「なにを言っているのかな」とも思い、後に考えればこのこととリンクしているのかなとも思いました。判決を知り「よく検察の方が告訴を」と思いました。実際受けてくれないのが通例だと思っていましたから。ですから、今までも、医師は刑事罰はなじまないという認識は検察の方がもっているのではないでしょうか?余程でないと告訴はしないのでは。、私は初耳で、それをいまさらと思いました。それを法制化とはあまりにも唐突な、と。なんかちょっとと思います。ご近所でも病院でなくなられた方(原因?)もいますが、誰も訴えていません。訴える、告訴するという人は聞いていません。うわさでは「病院でどうのこうの」というのは10年に1件あるかないか程度。今でもお医者さんの措置は間違いないという考えを皆さん持っていますよ、告訴はまれで検察の方がうけてくれるのもまれ。氷山の一角ではないでしょうか。1件を100件あるかのような今のマスコミの報道はちょっと、と。私の耳にはなじみません。
コメント by とおりすぎようと思ってみたが — 2008/8/28 木曜日 @ 16:48:57
とおりすぎようと思ってみたがさん
>繰り返しますが、信じられない思いです。あってはならないと思うのは私だけでしょうか。
あなた以外にも,夢見がちな人たちは信じられないと思うかもしれませんが,現実には手の届かない希望ですね。
これほど進んだ日本の周産期医療で,一分娩に1000ccの輸血準備で足りないですか? 確かに上を見ればキリがないですね。では例えばあなたは10000ccなら十分だと思いますか? 20000ccなら十分だと思いますか? ちょっと20000ccで計算してみましょうか。1年間の出生数が約110万人として,1分娩当たり2万ccということは,1年間でお産だけに対して220億ccが必要です。これを人口1億2000万として,国民一人当たり1年間に183ccを献血しないといけませんね。国民一人当たりといっても,献血できない人が相当数いますから,献血できる人は「お産のためだけに」1年間に一人平均1回以上の献血が必要でしょうね。しかも輸血を準備したほうがいい手術はお産以外にもゴマンとありますから,もっともっと多数回の献血を義務化しないと間に合わないでしょう。そして,そのほとんどの献血は,ほとんど使われないままに排水と同様に棄てられることになります。もちろんあなたの血液もです。しかもそうした廃棄物は流しに流せばいいというものではありません。危険を伴う医療廃棄物としてその処理にも大変なお金がかかります。あなたの空想は文字通り絵空事なのです。私たちから見れば,あなたの空想こそが「信じられない」なのです。
ついでに書きますと,あなたがいい医師になることは不可能です。独善的な視点で希望的観測ばかりして,負の面を考慮せずにそれを絶対善と信じて疑わない態度で医療行為を行えば,面白いように誤診と医療過誤の山を築くことができます。あなたのような方は,いい占い師にはなれても,いい医師になることはできないのです。
コメント by 峰村健司 — 2008/8/28 木曜日 @ 23:54:19
①、このコメントに必要でしょうか?
コメント by pede — 2008/8/29 金曜日 @ 1:18:33
>とおりすぎようと思ってみたが さん
10000ccの輸血、お金に換算するといくらになるかご存知ですか?
40万円くらいに相当するんですよね。どう思いますか?
コメント by pede — 2008/8/29 金曜日 @ 1:25:07
いろんなサイトやニュースを見て感じることをちょっとコメントします。
医療事故をミスと攻撃する人の多くは、きちんと情報収集しないで「こうすれば助かったに違いない。なんでそうしなかった!」と騒ぎたて、医師に論理的に反論されたら無視というパターンですね。
ご自分ならもっといい医師になれると思うなら、ぜひなってください。いま、医師不足が深刻なのは周知のとおりですし、医師になったらご自分の意見がどれだけ見当違いかわかると思います。
コメント by 前のコメントを援護するつもりは無いけど… — 2008/9/5 金曜日 @ 21:25:04
結局,とおりすぎようと思ってみたがさんが,自説を撤回したのか何を考えているのか表明しないまま,無視でしょうかね。医師が同様の言動を取ったら,皆さんはどう思われるのでしょうかね。
ところで,医療事故調に患者とか患者側代理人を入れるようなことを考えているような話も聞きますが,「とおりすぎようと思ってみたが」さんのような方が入られても,くだらない議論に時間を浪費するばかりです。こういう例を見ると,やっぱり医療事故調は専門家による構成にすべきだと思います。
コメント by 峰村健司 — 2008/9/7 日曜日 @ 12:16:17