アニメックの頃… 著/小牧雅伸

「セーラー服と機関銃」

編集部がラポートピアビルに入ると、食客が大量に増えた。町田や所沢といった都心を離れた地域の人間が家に帰れなくなって、編集部に泊まり込むからである。中には名前も知らない人間が寝ているというのもザラで、編集部としてのセキリュティは皆無だった。別に盗難事件が起きるわけでもなく、コーヒーとトイレットペーパーの消費が増えるくらいは別にいいやというノンキな編集長の下、その数は加速していく。
激しい伝言ゲームの末に、
「編集部に遊びに行ったまま、一週間帰らない息子の心臓の薬が切れる頃だから連絡が欲しい」
という大騒ぎも発生した。これなんか、1時間くらい業務が停止したという騒ぎである。電話を受けたらメモを取るという基本事項が守られていなくて、この騒ぎなのだが、元の電話は後に確認できた。
「今日は歯医者の予約日だけど、うちの子は覚えているかしら」
これがどうして、そういう話になったのかが不思議である。電話に出たバイトの子が
「えーと、どこの誰かわからないけど、編集部の誰かが病院に行く日だそうです」
そう事務の子に伝えた。
「出入りの子で、病院に薬を取りに行かないといけない日だそうです」
「何の薬?」
「お母さんが心配するくらいだから、インスリンかニトロじゃないですか」
「ニトロじゃあ、心臓疾患かよ。それはやばくないか」
「薬切れたら危険ですよね」
そこへ帰ってきたのが二代目副編集長。
「何をぼやぼやしているんだ。大変な事じゃないか」
と、片っ端から電話をするという騒動に発展した。
名前は誰か覚えてないのかぁ……。
これが最後まで親の名字不明で「心臓病のタケシ」くんを探せゲームに発展していくんだから、怖い編集部である。後に編集部員になり、現在フリーライターで活躍中の永島修氏が、「あっ、Y田さんがたしかそんな名前ですね」と思い出したのを幸い、やっと彼を捕まえるのだが、正規の編集員の誰もが知らない人間であったという素晴らしいオチがついていた。
「どーもー」と現れたY田くん、結局は歯医者の予約をすっぽかしたのだが、この夜激しい歯痛で七転八倒する騒ぎとなった。編集部の人間はあまり歯が良くない。そんなわけで編集部には急場凌ぎの正露丸と新今治水、それに痛み止めが常備してあったのが幸いであった。 
翌朝、救急外来の歯医者に電話をした私は、「歯に急患はありません」と先生に叱られることになった。読んでいて不思議に思う人がいるかもしれないが、滅多に家に帰ることは無かったのだ。ほとんど編集部暮らしをしていた時期である。夜中に突撃!町の銭湯シリーズをやっていて、それほど不便ではない妙な生活をしていた時期だった。

で、二段、三段にオチが続く。この歯医者さん編集部から徒歩5分という近場にありながら、とてつもない名医であったのだ。Y田クンの歯の治療が大成功を収めたのをきっかけにして編集部員の主治医になってしまったのである。私も根元まで行かれた奥歯から、斜めに生えた親知らずの抜歯まで済ませ、後に「昭和の大工事」と呼ばれる治療を行った。
「どこかいい歯医者ないですかねぇ」と相談を受けると、必ずこの歯医者さんを紹介するのが編集部の基本になったのだから、この騒ぎは永遠に編集部に語り継がれる事になったのだった。ちなみに、この騒ぎを起こしたY田クンは、編集部に居着き、後に三代目副編集長となるやり手でもあったのだ。

当時、この歯医者さんには高校生の息子さんがいた。先生は歯の治療をしながら、よく説教を垂れていた。
「小牧くんさぁ、またガンダムの本出したでしょう。うちの息子はあんな本ばっかり読んで勉強しやしないのよ。どうしてくれるの」
そうは言われても困る。こっちは歯の治療中で反論できないのだから。因果は巡る。現在は引退した大先生に代わり、この息子さんが先生である。腕は確かで、手先の器用さからモデラー兼ライターもされている。歯石でも取ってもらうかとでかけると、もう大変である。
「小牧さん、ガンダム00の軌道エレベーターどう思います」
「しぇんしぇい ひりょうはほわっへはら……(せんせい、ちりょうがおわってから)」
『宇宙戦艦ヤマト』の記事になると、若先生がライバルになったりするんだから世の中は面白い。

サブタイトルの『セーラー服と機関銃』に戻ろう。結局は終日編集部で過ごすので土曜日のオールナイトは安いということもあり、我々が映画館に通い出すようになったきっかけが、この作品であった。「薬師丸ひろ子、良いです。行きましょう」と一般映画に私を連れ出したのがこのY田くんである。なんだかあのころは締め切りを除き月に三本くらいはオールナイトの映画を観ていたような気がする。この習慣が編集部に固定する形となり、「時をかける少女」の時には、ほぼ仕事が止まった。おそらく正気を保っていたのは私くらいで、編集部男性がこぞって「原田知世はえええっ」と惚けまくることになるのだから……。

「なめネコ」のこと

歴史的に不遇なグッズとブームだったかもしれない。学ランを着たネコの「なめ猫グッズ」は、1980年には存在した。だが、人気があったわけではなく、「また馬鹿なことを」と思うくらいだった。だが、1981年の秋頃から急激なブームになった。冬になるとなめ猫は、『オリコン・ウィークリー』誌の12月4日号の表紙を飾ったくらい激しいブームであった。だが、時期が遅いので1981年度の流行語や流行ものには収録されなかった。さらに1982年の春ころには、ネコに無理な姿勢や演技を要求していると動物愛護団体から糾弾され発売を自粛してブームが去ったのである。それからも数年は、祭りの籤の景品で免許証風のブロマイドが並べられていたのだからその瞬間最大風速はすさまじいものであった。
1982年3月の『機動戦士ガンダム III めぐりあい宇宙』を見に来た中学高校生のほとんどが、なめネコグッズをもっていたくらい一世を風靡した流行だったのは、他の誰も書きそうにないから、ここに書き記しておこうと思う。もっとも流行の末期なので、持っているだけでダサイとされた不幸な時期でもあるのだが。

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