ラポートピアビル603号そんなこんなで、劇場版『機動戦士ガンダムII』の興行も大成功で終わった秋になって編集部の引っ越しが決定する。 この引っ越しにより、作家の缶詰作業が可能になったのは作業効率をアップした。仕事が遅れたライターは、そのまま机を与えて作業をさせれば良いのだ。が、無料喫茶室的な雰囲気も多く、他紙の仕事や同人誌を編集部で作る人間も現れた。O嬢に至っては、コーヒーメーカー(10杯用)でコーヒーを入れても入れてもすぐに無くなるのにご立腹であった。ミルクや砂糖は来客用だけを残し、各自マグカップで業務用ミルクと徳用砂糖をぶちこみやがれというぞんざいな物に変えた。一応、窓から見下ろせば新宿御苑が広がり、神宮の花火も見えてしまうぞという絶好のロケーションを得た編集部は、人の出入りが激しくなっていく。 新宿御苑駅から徒歩0分という地の利もあり(改札から駆け上がれば、30秒でエレベーターに乗れた)、取材活動の拠点にするフリーライターもどんどん増えて行った。セル撮影が上手なカメラマンといえば、カメラ万太郎氏と中島秋則氏であり、この二人が編集部に揃って、他紙の撮影に出掛けるなどという日常がありふれた編集部になって行くのであった。人が増えれば、情報も集まるという事で、かなり雑誌の編集部という雰囲気もできあがっていた。 この当時のアニメ雑誌に執筆している人間は、そう極端に分化していたわけではない。雑誌別の空気というのは、ライターが書き分けていたのではないだろうか? 実際にアニメに詳しい編集長は、そう多かったわけではない。わけではないというか、放映されているアニメを全て観ていた私の方が珍しい存在だったはずで、デスククラスの人間でも今起きているアニメブームの実体を把握している人は少なかったはずである。そういう意味では、この当時の特集記事をラフレイアウトからしていたライター陣が、アニメブームの影の主役だったのではないだろうかと思う。 現在の小牧氏の授業風景。授業内容はわかる人にだけわかる宇宙工学。(2007/10/26)
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