アニメックの頃… 著/小牧雅伸

ラポートピアビル603号

そんなこんなで、劇場版『機動戦士ガンダムII』の興行も大成功で終わった秋になって編集部の引っ越しが決定する。
「さぁ、好きな部屋を選んでいいぞ」
と大変気前の良い話なのだが、6階ということになれば一番西側の3号室を使う以外に選択肢は無かった。この部屋は玄関から長い廊下が続き、右側が浴室とトイレで突き当たりが10畳洋室のリビングダイニングである。まだこの当時は対面式の台所はなかったので、流しを無視すれば8畳程度のメイン編集ルームにして机をゆったり8セット置けた。ありがたいことに二間の押入があり扉を外して画材と原稿を保管するロッカーが置けた。
が、一般家庭用のリビングで暗いので、天井にサークラインを4つ吊すという暴挙を一ヶ月ばかり続けることになった。天井に大型蛍光灯が取り付けられた時には、裸電球しかない編集員が使わなくなってサークラインを一個づつ持ち帰ったものである。
南側の4畳半洋室は、やたらに荷物の多い編集長専用となったのだが、どれくらい意味がないかというと、あのトレスコープの置き場にされ一番狭い目を見るのである。さらに南側には6畳の和室があった。ここの押入には本をギッシリ詰め、(半年で板が落ちたので後にロッカー式に改造する)壁際には、本棚を並べたので実質使えるのは四畳半となる。テーブルに手頃な物がなかったので、大型の炬燵を入れたのが失敗で、夜中は炬燵に入ったまま寝る仮眠室と化してしまった。

この引っ越しにより、作家の缶詰作業が可能になったのは作業効率をアップした。仕事が遅れたライターは、そのまま机を与えて作業をさせれば良いのだ。が、無料喫茶室的な雰囲気も多く、他紙の仕事や同人誌を編集部で作る人間も現れた。O嬢に至っては、コーヒーメーカー(10杯用)でコーヒーを入れても入れてもすぐに無くなるのにご立腹であった。ミルクや砂糖は来客用だけを残し、各自マグカップで業務用ミルクと徳用砂糖をぶちこみやがれというぞんざいな物に変えた。一応、窓から見下ろせば新宿御苑が広がり、神宮の花火も見えてしまうぞという絶好のロケーションを得た編集部は、人の出入りが激しくなっていく。

新宿御苑駅から徒歩0分という地の利もあり(改札から駆け上がれば、30秒でエレベーターに乗れた)、取材活動の拠点にするフリーライターもどんどん増えて行った。セル撮影が上手なカメラマンといえば、カメラ万太郎氏と中島秋則氏であり、この二人が編集部に揃って、他紙の撮影に出掛けるなどという日常がありふれた編集部になって行くのであった。人が増えれば、情報も集まるという事で、かなり雑誌の編集部という雰囲気もできあがっていた。
アニメ評論家南田操曰く「お仕事しているというか、新宿御苑にある小牧さん家に集まって同人誌を作っている感じでしたねぇ」という意見ももっともなことであった。
だいたいアニメックでお仕事をしながら「アニメージュはキャラメインで紹介した方がいいよな」とか「アニメディア向きのエピソードはこれだ」という打ち合わせが平然と行われている不思議な編集部であった。

この当時のアニメ雑誌に執筆している人間は、そう極端に分化していたわけではない。雑誌別の空気というのは、ライターが書き分けていたのではないだろうか? 実際にアニメに詳しい編集長は、そう多かったわけではない。わけではないというか、放映されているアニメを全て観ていた私の方が珍しい存在だったはずで、デスククラスの人間でも今起きているアニメブームの実体を把握している人は少なかったはずである。そういう意味では、この当時の特集記事をラフレイアウトからしていたライター陣が、アニメブームの影の主役だったのではないだろうかと思う。

アニメック13号表紙画像
現在の小牧氏の授業風景。授業内容はわかる人にだけわかる宇宙工学。
(2007/10/26)
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